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2017年5月13日 (土)

民主主義の難しい問題

署名活動などやっても効果がないという人もいるだろうが、せめて、無力な自分のこの世の中への意思表明だとして、そして、何も意思表明しなければ大きな声の人に押し消されてしまうという「一寸の虫の五分の魂」の理屈から、署名活動には割と参加している。いまは、さらに便利なオンライン署名というものがあり、署名をする物理的ハードルは低くなった。しかし、この前、呼びかけが回ってきた署名で保留してしなかったものに、作家の百田さんが、大学の学園祭で講演活動をするので反対してほしいというものだった。趣旨としては、彼が差別主義者なので、そういう差別発言を容認しないというものだったと、自分の中では記憶している。

署名をためらった理由は、もしこれが逆の立場であったらと考えたからだ。逆の立場の私たちは今ずいぶん分が悪い。例えば、慰安婦問題を考えてみましょうという様な催しや写真展は、政府の考えに反するので公共施設は貸してもらえなくなりつつあるし、憲法9条を賛美して平和のありがたさをうたった短歌が、公民館便りに載ったことが問題となり、削除を命じられたこともあったと記憶している。要は、健全な民主社会は、たとえ自分の考えや信条とは違っていても、その考えや信条を自由に表明する権利は守られてしかるべきだと、私は思うのだ。

よって百田さんは、南京大虐殺はないという立場だし、中国や韓国・朝鮮を憎悪している点では、私と立場は違うけれど、民主社会で基本的人権が尊重されているのであれば、私は、百田さんの権利を尊重する義務があると思ったのだ。

しかし、これは同時に難しい問題だと思った。同じ民主義国家のドイツなどでは、基本的に、ナチスを賛美し、ユダヤ人虐殺はなかったとか大した問題ではないとすることは許されない。もちろん、ヨーロッパにも百田さんのような思想の人はいるので、ユダヤ人虐殺のような事実はないと思っている人もいるが、そういう人が公的な立場につくようなことが許されていない。しかし、自由に自分の意見を述べる民主的権利との兼ね合いということになると、これはどう説明がつくのだろうか。

こういう日本とドイツの差というのは、サッカーの試合にも表れている。サッカー国際連盟は、サッカーに政治や人種差別を持ちこむことに大変厳しい態度で臨んでいる。だから、最近、試合会場でナチスの鍵十字の旗を掲げたヨーロッパの観客と、日本の戦前軍国主義の象徴である「旭日旗」を掲げた日本の観客に対して、その試合を主宰した責任チームに制裁を科した。しかし、日本のサッカーチームの社長は、「旭日旗」に政治的な意味はないと、制裁に反対する姿勢をとっている。

「旭日旗」が軍国主義の象徴ではないと考える日本人がいること自体は、そういう事実として私は認めるが、戦争の被害者である韓国や中国の人が見れば、「旭日旗」は戦争や抑圧を想起させるのも事実として、私は認める。いじめ問題でも、よく、いじめる方は、いじめだと思っていなかった、軽い冗談のつもりだったというが、いじめ問題ではようやく「いじめられた方がいじめだと思ったら、それはいじめだ」という認識が広がってきたのかなと思う。しかし、歴史認識問題では、被害者の立場に立つという視点を持たない考えが日本では優勢を占めていて、そのオピニオンリーダーとして多くの人から敬愛されているのが冒頭の百田さんでもある。

韓国と日本との慰安婦問題で「不可逆的に問題解決」とした合意を考え直すように国連から勧告が出た。日本政府にとって、こんな勧告、戦前であれば、国連脱退ものだろう。まさかアメリカの手前、脱退もできないので、勧告を無視するのだろうが、私は「不可逆的」つまり過去に戻らないということは、過去に事実がなかったということを意味すると思う。それは、被害者にとってはあまりにもむごい。よく言うように、被害者は金が欲しいわけではないのだ。一番望んでいるのは、過去の事実を認め、過ちを謝罪することだと思う。ずっと永久に謝り続けるのかと問う人もいるが、私は基本的には事あるごとに謝罪すべきだと思う。そうすることで、過去と同じような過ちは繰り返されないという両国の確認になり、新しい未来の関係も築いていけると私は考える。


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