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2017年2月25日 (土)

瓜田に履を入れず、李下に冠を正さず

ぼくは中国の古典愛好者だ。表題の文句は「疑われるような行為はするなよ。たとえ身は潔白であっても。そんな状況では他人が疑うのも当然だぞ」ということ。

例えば、東京ガスという大きな会社が所有する広大な土地がヒ素などの化学物質で汚染されている。でもその土地を東京都の都知事が高く買い取る。しかも売った品物に傷があった場合は、売り主が責任を取るという「瑕疵担保責任」を東京ガスが負わないというような、東京ガス側には異常な好条件で。ふつうはあり得ないような取引に、普通の人であれば、裏で何かあるな、例えば都知事と東京ガスの社長が学閥だったからとか、考える。でも関係者によれば怪しいところは何もなく通常だそうだし、真実がどこにあるのかを掘り下げて報道しようとする報道機関もないようだ。

例えば、大阪に教育勅語を奉じる学校法人があり、安倍首相の夫人が名誉校長になっている。(ぼくは民主主義社会の強みというのは、思考の多様性だと思うので、民主主義そのものを否定するような思想を奉じる人たちの思想を許容するのもいいことだと思う。民主主義社会では選ぶ自由もあるのだから、教育勅語を奉じる学校を選ぶ人が少なくなるように非強制的な手段に訴えればいいわけだ。)8億円もする国有地を、土地にゴミがあったというような理由でほとんどただ同然に学校法人側に売り渡す。この取引、関係者によればごく普通であるし、報道機関も特に掘り下げて報じようとしているわけではなさそうだ。だが、「うり畑に入って、手で何かをとる動作をしていた」わけだから、「安倍首相と思想が同じなので、政治家の仲介で安く手に入れた」と憶測するような不逞の輩も出てくるわけだ。


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2017年2月17日 (金)

プログラミング教育

次期学習指導要領の紹介が新聞各紙でも行われている。小学校で英語が正式の教科になることに加えて、コンピューターのプログラミング教育が2020年度から必修化されることになった。自分が小学校の時に受けた教育のことを思えば、様変わりの感は否めないが、時代の流れや要請に応えて次世代の人材を育てていくというのも、教育の役目。私自身も、時代に取り残されないよう、そして頭が凝り固まらないよう、コンピュータに関する勉学はしたいと思っている。となると小学校に再入学か?というわけにもいかないのだろうが、人間一生勉強である。さて、このプログラミング学習の意義は何か。2月3日付の河北新報の記事をスクラップしてある。東北大名誉教授宮崎氏の投稿記事を要約して考えてみる。

一般的に言われているのは「プログラミング教育は論理的思考力を養うのに有効」ということだ。プログラミングは日本語よりも論理的と思われている英語を基に組まれていて、コンピューターを正しく作動させるために、例えば、こういう条件を満たすまでは何回この動作を繰り返すだとか、この数字を満たす場合はこの答えを返し、満たさない場合はこの答えを返すなど、数学を基にした論理式もわかっていなければならない。数学といえば、数列の全部の和とかそんなようなことも扱える能力もプログラミングをするには必要だ。しかし宮崎氏は、プログラミング教育の意義はそれだけでないという。

1.創造力を高める。

(理由) 算数の解は一つで、いかに早くその解にたどり着くかを学び、理科は既知の科学的事実を覚えるだけ。しかしプログラミングは、目的が与えられれば、実現のための方法や手順は自分で考え、工夫を凝らす余地がある。目的が同じでも作り手によって出来上がったものは違う。正解がないので、独創性がうまれる。

2.モノづくりの楽しさを実感できる。

(理由) プログラミングは、目的でさえ自分で自由に設定でき、これは創造的な行為であり、発想力も必要となる。これはモノづくりの精神にもつながっている。

3.達成感と成長感が得られる。

(理由) プログラミングは決して簡単な作業ではない。まちがいなく正しくプログラムが動いたとき感動する。この感動は、苦労を重ねて完成したという達成感と、こんな難しいこともできるようになったという成長感によってもたらされる。これは自ら物を作り出した能動的感動で教育上最も重要。

4.プログラム作りの大変さがわかり、優れたプログラムの価値を認め作り手を尊敬できるようになる。

(効果) 日本ではソフトウエアに対する評価が低く、このためソフトウエアに対する投資も少なく人材も手薄になっている。だから世界に通用する日本のソフトウエアがほとんどない。プログラミング教育はソフトウエアの価値を認めることができる人材を増やす。


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2017年2月14日 (火)

消費と環境保護

関係ないと思ったところ、思わぬところでつながっている。実はこの世界すべてはつながっているのかもしれない。

環境を守るため、そして人々の環境への意識を高めるためにいろいろな指標が開発されているが、2月3日付の河北新報の記事から「生物多様性フットプリント」についてまとめてみる。

「1杯のコーヒーがアフリカのヒョウを絶滅の危機に追いやるかもしれない」というこんな目を引く話をするのは信州大の金本講師であるというところから記事は始まる。日本人が消費する食べものや木材などの生産に伴い、世界各地で希少な動植物が減少しているという分析結果を金本講師は「生物多様性フットプリント」という手法を用いて得たという。

生物多様性フットプリントとは、国境を越えた人間活動が自然の生態系に及ぼす影響をわかりやすく伝えるための指標で、日常的に消費されている食料などの原材料がどこで生産されているかを調べ、現地の動植物の生息にどのような負荷を与えているかを追跡する。日本を含め、他の先進国も当然、自国よりも発展途上国の生態系に大きな負担をかけて、自分たちの生活に必要だったり、便利なものを調達している。

日本の例で言えば、東南アジアやオセアニアに環境の負荷をかけている。マレーシアでは森林伐採によりカラフトワシやマレーグマの棲み処が縮小し、魚や甲殻類の産地であるパプアニューギニア近海ではアオウミガメの生息数が減少しているという。

コーヒーは私も好きだが、エチオピアでは日本の消費のためにヒョウやアフリカゾウの生息地が圧迫され、スペインからオリーブオイルを輸入すれば、スペインオオヤマネコの数が減少する。

このように「生物多様性フットプリント」は、これを用いて、消費者がより環境の少ない商品を選ぶ際の目安になる。生物多様性に配慮しない商品を販売する店やメーカーやスーパーを支持しないことで、また逆に積極的に生物多様性を重視した商品を売っている店やメーカーやスーパーを支持することで、少しでも世の中を良い方向に変えることができるのだ。自分たちが主体となり、しっかりと意思表示し、こういう電気が欲しい・要らない、こういうものを作っているメーカーを支持する・しない、こういう政策は支持する・しないの自主投票を粘り強く続けていけば、数が集まり時の重みで加速度がつき、動かないと思われた大きな山も動き出すことがあるのではあるまいか。


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