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2017年1月19日 (木)

佐藤卓己氏の論考2017「ポスト真実の時代」

2017年の河北新報の「論考」というコラムに佐藤卓己氏が執筆することになった。インターネットと違って新聞というメディアは、時にこのようにじっくりと立ち止まって考えさせる記事も載せる役目があると思う。記事をきっかけに人々の思考や議論を促す役目があると思う。さて、佐藤氏は専攻がメディア史や大衆文化論で、サントリー学芸賞を受賞し、その著書が新聞でも紹介されていたので興味を持っていた。こうして氏の論考が読めるのはうれしい。

佐藤氏は論考の冒頭で「ポスト真実」という言葉を紹介する。この言葉はオックスフォード英語辞典が2016年の単語として選んだ言葉だ。「世論形成において客観的事実よりも感情や信念へのアピールが影響力を持つ状況」と定義される。もちろんこれは、イギリスのEU離脱国民投票やトランプ次期大統領の当選などが象徴となる2016年の世相をうまく言い当てた言葉だ。日本でも、高い支持が集まる政治家や文化人の言動は、このような世界の状況とは無縁でなく、まさに「ポスト真実」の時代真っ只中ということだろう。

このポスト真実の時代において佐藤氏が深刻だと指摘するのは歴史的思考の衰弱だという。それは人々の歴史への興味減退ではなく、まさにその逆、書店には多くの歴史的読み物が並び、テレビも映画も歴史的ノスタルジアを掻き立てるものが大流行という状況だし、政治も各国ともに歴史の政治的利用に熱心である、というのは佐藤氏の指摘を待たなくても明らかである。

ではなぜ、このような状況を歴史的思考の衰弱というのか。

佐藤氏は歴史を3つの次元に分けて整理する。

1.好奇心としての歴史=商品的歴史

2.アイデンティー確認としての歴史=国民的歴史

3.倫理的命令としての歴史

日本のように歴史ブームに沸き立っている国でも歴史的思考は衰弱しているのか?佐藤氏は、各国ともに、読んで楽しい興味本位の歴史ものが市場を席巻し、何を想起したいのか=国民的感情と、何を想起すべきか=倫理的感情の接点が見いだせていないという。そして、倫理的歴史とは教養的歴史であり、それを描く書物の多くは読む者に不安を与え、多少とも不愉快で我慢を強いる作品であるという。当然、こういう歴史ものの本の読者は少ない。しかし、これと向き合うことなくして、他者の存在を意識しつつ、長期的な展望を求める歴史的思考は強化されないと指摘する。

なるほど、自分が思いだしたい、美化したい過去のみを口甘く取り上げ、事実や本質から目をそらし続ける歴史観では思考が育たない、という氏の指摘に納得させられること大であった。


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