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2016年12月29日 (木)

読解力低下

河北新報から今年1年を振り返って考えさせる記事が掲載されていたので要約する。

1つは12月26日付の佐伯啓思氏の「社会性を損なう読解力低下」という論考だ。まさに、新聞のような紙の文字媒体には、その時々のニュース=目新しい世の出来事、だけでなく、こうして立ち止まって考えさせ、振り返って思考させる論説記事や投稿が載るところが大切なのである。

佐伯氏は「日本の若者の読解力の低下が言われ、それは目に見えないレベルで、我々の社会に深刻な影響を及ぼしている」と警鐘を鳴らす。

読解力の低下は国際学力到達度テスト(PISA)で日本の高校生が前回4位から8位になったことにも現れているが、佐伯氏が問題とするのはそういう国際的な順位ではなく、言葉というものに対して持つ関心や意味が近年大きく変わってきている点にあると指摘する。

背景にはITの進展やツイッターなどといったSNSの発達がある。その言論空間では「好き・嫌い」「いいね・けしからんね」といった端的であけすけな単語の組み合わせが見られ、ネットで情報が得られることもあいまって読解力など不要になっている。

しかし、情報化の進展で、多少とも複雑で含みを持った長文の読み書きが忌避されるとなると、そこには問題があるという。

どういうことかと言うと、読解力とは言葉を通して他人の心を理解し解釈する力であり、表現力ともかかわり、さらには社会的なコミュニケーション能力にもかかわる。表現力とは、どのように言えば他人が理解してくれるかという解釈を前提とし、社会性は、他人の言いたいことを理解し、自分の言いたいことを伝える力だからだ。よって読解力が大事なのは、国語の点数を上げるからでなく、それが人間の社会性の基盤であり、文化の基盤であるからだという。

読解力が低下したということが、社会性の能力、コミュニケーション能力の低下、文化の質の変容を示している。佐伯氏がさらに指摘するのは、政治の質も、もとをただせば、読解力や表現力に基礎をおいているということだ。政治指導者がツイッターで乱暴な直言をまくしたて、それが喝采を呼ぶような政治は自壊の道をたどるという。

私自身現在のの仕事柄、生徒達の「読解力」をどのように育てたらよいのか常々考えながら仕事をしていた。佐伯氏が、読解力の重要性を述べてくれたこの小論に大いに示唆を受けた。そして、なぜ、安倍首相がこの1年、国民から大きな支持を受けてきたのかの一つの分析にもなった。

わたしなどは、古い人間なので、本や紙の媒体を好んで読んできた。小林秀雄や吉本隆明さらにはカントなど、読んでもまったく意味不明、読解不能の文章を前に、何とか理解してやろうと苦闘してきた。そんな体験が30年、40年と続いて多少とも若いころと比べて「読解力」がついてきたのかと感じる。そんな私から見ると、安倍首相の言葉「平和」「和解」などの連呼は、たいへんむなしく空虚に感じる。しかし、そういうむなしい言葉や、一方的な自説のまくしたてが、現在の日本社会に喝采をもって受けいれられるのは、社会の質や文化の質が転換しつつあるということなのだろう

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