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2016年9月15日 (木)

服従

今の日本ではリベラルの評判がすこぶる悪い。それはなぜかと考えていたら、河北新報日曜日の書評欄に脳学者の中野信子氏が、ミシェル・ウエルベックの「服従」について書いた書評に出会った。

「服従」は極めて衝撃的な作品として話題になったので知っている人も多いだろう。ストーリーは、フランスで極右政権が誕生する。しかしその後にイスラム政権が誕生するというストーリーの近未来小説である。空想小説でありながら、移民排斥を叫び国民の人気を得て政権を奪取する極右政党や、増え続けるイスラム圏の移民という現実が実際に存在するだけに、「服従」のストーリーは決して荒唐無稽なものでなく、将来ごくごくあり得る現実の未来という気がする。

そして中野氏が注目しているのは、この小説の中で、イスラム政権下で、イスラム教に改宗した学者が登場し、『O譲の物語』を引用しながら、自己による意思決定を放棄し、巨大な存在の意志に服従する甘美な喜びを語っているところだ。中野氏は、「服従」の作者が学者がいかに世の中に迎合していくかを皮肉を込めて書いているその描写を称賛し、日本でも現に見慣れた光景だと指摘する。

脳科学者らしい中野氏の指摘は、服従することは実は「脳」にとっても快感だということだ。人間の脳は「信じる方が気持ちがいい」ように出来ているのだという。人間の脳は自分で判断を行うことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴を持っているのだという。なるほど、誰か強いリーダーがいて外に敵を作り勇ましい発言をすればするほど、人は考えなくなりリーダーに引きずられていくというわけだ。アメリカでトランプ大統領の誕生という可能性も出てきたし、フランスやヨーロッパでも「極右」は伸びているし、日本でも世界的な潮流から変わりはない。

左のリベラルは、個人の自由や個人の選択を重んじ、右は、個人の意思を放棄し強いリーダーシップの中に包摂されてその中で幸福を感じる。戦後の日本では「個人の自由」や「個人の尊厳」などとんでもないものをアメリカから押し付けられたが、こういうものを放棄し、女は男に、家族は家長に、国民は首領にまとめられるのが理想の日本国憲法だというのが、自民党改憲草案だ。国民も自分で決めるのは疲れるので全部リーダー1人に決めてもらいたいわけだ。そこには脳科学的には、個人の判断を放棄して服従する脳の快感があったわけだ。これでは、こんな時代に「自由」だとか「個人の尊厳」だとか「多様性」だとかを主張するリベラル派が不人気なわけだ。

 
『服従』という小説の怖さは、極右政権の後に宗教政権が来るとしていることだ。これは本当にフランスだけの話ではない。強いリーダーが倒れた後で、宗教政権が誕生し、宗教団体の教祖や会長のお言葉に国民全体が、喜悦して絶対服従の喜びに浸る時代が来ないとも限らない。中野氏はこう書評を結ぶ。「信じたいという人間の認知のセキュリティーホールを巧みについて、誰が勝者となるのだろうか」(つまり誰が、どのリーダーが大衆に一番巧みに訴えかけて、次世代の世界を、日本を支配しようとしているのか、ということだ)

ミシェル・ウェルベックの『服従』、わたしの読みたいリストに入れておこう。

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