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2015年11月12日 (木)

育鵬社の教科書を考える・続き

育鵬社の教科書は、宮城県だけでなく、東大阪市の中学校の皇民科でも採用された。東大阪で育鵬社の教科書問題に取り組まれている方の活動報告を読む機会があったので、その方が指摘していて、そこから触発された「育鵬社の教科書問題」の本質を、ぼくなりにまとめてみたい。

まず、教育とは何かということを考えさせられた。以下に述べるような教育という形も確かに存在するだろうし、過去にも確実に存在した。すなわち「親や教師を尊敬し、進んで従う子供を作るために、目上の人が言うことに対しては絶対に疑問を持たないように子供を教育すること」。自分の頭で考えない習慣を作らせることであるが、この教育が進めば、子どもは「親や教師の過ちを指摘する人に対しては、そんなことはあり得ないといい、その過ちを指摘する人に対しては憎しみをいだくようになる」。このようにここから考察することで、育鵬社の教科書とヘイトスピーチとのつながりをその方は鋭くも指摘していたが、それは最後に。

育鵬社の教科書は、

・基本的人権の尊重よりも制限

・国家と企業の思惑通りに動く従順性の涵養

・国民主権の日本国憲法よりも、天皇主権の大日本国憲法の重視

・男らしさ、女らしさの強調

という特色があるが、これらは、「子供たちに目上の人、国家に対する批判的な目を養わせない」、そして目上の人、国家が間違っているという人に対する憎悪を涵養するものだ。すなわち、「私たちの父母、祖父母、祖先は間違っていない。すばらしい。絶対に正しい」という信念を植え付けるものだと、指摘している。

東大阪では、育鵬社の教科書採択を求めたもののなかに、ヘイトスピーチをする団体もあったということだが、育鵬社の教科書と、ヘイトスピーチをする人たちとの共通点として、慰安婦問題、南京大虐殺についても「事実と違う。むこうが言いがかりをつけているだけだ。私たちの父母、祖父母、祖先はそんなひどいことはしない、間違っているのはお前たちだ」という点が共通している。

「美しくて素晴らしい国、日本」ということを育鵬社の教科書は強調するが、どんな人間だって、国家だって、美点だけで成り立っていることはないだろう。美点と欠点とで織り交ざっているのが、事実で、自分や自国の短所を知っているからこそ、美点だって認識できるとぼくは思う。ちなみに、育鵬社の教科書には曽野綾子さんの文章が載っている。「人は一つの国家にきっちりと帰属しないと人間にならない。地球市民なんて言うものは現実的にあり得ない」。曽野さんのこの言葉を超えるものをぼくらが提示できなければ、育鵬社の教科書採択はどんどん広がっていってしまうだろう。

ヘイトスピーチと育鵬社の教科書はどこでつながるのか。これは大阪で活動している方でなければ気づかない指摘だ。ヘイトスピーチは外国人、特に日本に住んでいる朝鮮人・韓国人に対する憎悪の言葉を投げかけるものだ。それはなぜかといえば、彼らの存在がいやおうなしに、日本人が彼らにしたことを思い出させてしまうからだ。記憶の中の美しい日本と矛盾する存在は、見ないことにして、目の前から消えていってほしいからだ。真実に向き合う勇気がなければ、次に進めない。育鵬社の教科書もヘイトスピーチも未来に続く力はないと、ぼくは思う。


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