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2015年10月14日 (水)

日本の難民受け入れ問題

日本の難民受け入れ問題を、安倍首相が国連に行き、外国人記者から質問された件から考えてみたい。外国通信社の記者は、「日本も難民を受け入れるべきでは」という趣旨の質問をしたのに、安倍首相は「難民を受け入れる前に、日本は高齢化問題等の解決しなければならない問題がある」という趣旨の返答をした。議論としてかみ合っていないが、これは安倍首相が国会でも質問に対してまともな返答をしなかったことと同じだ。好意的にとれば、国会の場では、野党の追及を逃れて自己の政策を実現するための高等戦略として質問をはぐらかしているのかとも思えるが、しかし安倍さんの本質はやはりそうではないらしい。論点を定めて議論するというような知的な過程は一切無視してというか、そういうことができないのか、知的な議論はすっ飛ばす、というのが安倍さんの本質だと思う。これは、ファシズムとか全体主義に大いに近づいていると、ぼくは憂慮する。ファシズズムや全体主義の本質は、考えない、知的なものを軽蔑する、多様な考えを尊重しないということだ。安倍さんだけが狂熱的な人なら心配ないが、日本の中にも、安倍さんに大いに共鳴し知的なことや多様な考えを尊重しない風潮が増してきているようにも思える。何にせよ、自分の気に入らないことは「朝鮮人」などといって罵倒し、こういう傾向が続けば「スパイはみんな日本から出ていけ」「外国人はすべて出ていけ」というような、息苦しい全体主義社会が日本に到来するようで怖い。

もう一つ考えたいのは、安倍さんが質問事項を事前に提出するようしつこく求めたことだ。日本のマスコミはみなおとなしく安倍さんの意向に従ったのだろうが、外国の通信社にはそのようななれ合いは通じない。そもそもジャーナリズムの役割は、権力の横暴を防ぐことだ。だから、権力者が予想もしない質問を時にはして、そこから権力者の本音を暴き出す。安倍さんは思いがけない質問に対応できずとんちんかんな返答をした。しかし、そこに安倍さんの本音が暴かれている。それを暴くのがジャーナリズムの仕事なはずだ。なれ合いの関係からは、権力の監視というジャーナリズムの存在の大義は生まれない。ぼくは万が一共産党が政権を取っても、ジャーナリズムにはきっちり権力の監視をし、権力者の本音を暴き出してほしいと思う。というのは、自民党とか共産党とか特定の党が腐敗しやすいというわけではなく、いちばん腐敗しやすいのは「権力」の座そのものだからだ。

安倍さんと自民党は後から難民問題の解決はそれを生み出す、貧困等の問題を解決する必要があるとの見解を付け足した。問題の解決法としては、ぼくもその通りだと思う。難民が出ない平和な世界を構築するための努力こそは本当の意味での「積極的平和主義」だろう。それならもう一歩踏み込んで、ぼくは日本国内に難民を受け入れるべきだと思う。「金だけ出して行動しない」と世界から言われるのを嫌っていたのは安倍さんや自民党の人たちではないのか。「金だけではなく汗をかく」のところが、安倍さんにとっては自衛隊員の血を奉げることなのだろうが、その方法論にぼくは反対する。自衛隊の人たちだけに血を流させるわけにいかない。日本国内に難民を受け入れることは、私たちの生活にも影響してくるだろう。でも、世界が平和でなく、日本も平和に貢献しなくてはいけないというのであれば、私たちも痛みも受け入れて難民受け入れで貢献すればいいではないか。そしてぼくには受け入れは「痛み」どころではなく、日本社会の維持や発展に不可欠だとさえ思う。時代が変われば(あと5年だろうか、10年だろうか)、世界で人材の奪い合いが起こる。世界中から様々な背景を持った人たちを日本にきちんと受け入れることが、日本の安全保障にも大いに役立つと、ぼくは思う。


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