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2015年10月31日 (土)

ミルトン・フリードマン"Capitalism and Freedom"

自民党と公明党政権によって形作られている現代の日本。「市場原理主義」「努力した人が報われる世の中」「自己責任の貫徹」「公共部門の縮小」「世界一企業が活動しやすい国」「労働者はコスト」「派遣は一生派遣労働者」。どうしてこのような日本になってしまったのかと思うときに、その源流を探ってみたいと思って選んだがこの本だ。フリードマンはアメリカの経済学者。政府の介入を排して、市場原理を重んじる学者で、その影響力は破壊的ともいえるほど強大。レーガン・アメリカ大統領、サッチャー・イギリス首相などの経済政策に大きく影響し、そして日本では中曽根首相、小泉首相、安倍首相、竹中大臣という流れで彼の教えが忠実に守られている。いや、こういうことはよくあることだが、本国よりも離れたところでこそ、より原理に忠実にドグマが信奉されている。

さて、彼を公正に評するために最初に書いておきたいが、このCapital and Freedomは1962年に初版が出た。その時に、資本主義の優位性と社会主義が劣ることを指摘したのは、のちの社会主義国の崩壊を見るにつけ、フリードマンの先見の明の賢さは認めざるを得ない。その当時は、多くの左翼系知識人、フリードマンはリベラルと呼んで軽蔑しているが、社会主義への幻想を抱いていたからだ。そして、政治的自由こそは、資本主義社会でこそ実現されると言っている。この点は、ぼくも同意するし、何よりも個人の自由や、出版・表現・集会・信教・信条の自由が保障された社会をぼくも望む。

資本主義を、英語版本文では、free enterpriseと言い換えていることにも注目すべきだと思う。free enterpriseとはつまり、人が自由に起業できる社会だ。変なたとえだが、皆がサラリーマンではなく、皆が自営業で自分で食い扶持を稼いでいる社会だ。もちろん、今の日本でも、ふつうの資本主義国家でもサラリーマン、つまり雇用されている人がほとんどで、自分で起業し、かつ成功するとなるとほんの一握りだが、このfree enterpriseこそが自由を守る原点だということは、ぼくも大事なことだと思う。アメリカのようにゼロの歴史と開拓から始まる国ではもちろんこの企業家精神は大きい。だが、どんな国でもこの気概がなければ、自由を達成できない。日本の核発電所や基地を押し付ける構図が、経済的な弱みに付け込み、もしくはそういうものに依存せざるを得なくする手法を取っているところを見ても、経済的自立と自由の意義を説いたフリードマンは、この点を評価してもよいと思うし、われわれもぜひfree enterpriseの精神を発揮し、自由と自立を手に入れたいと思う。

さて、そのうえで、フリードマンの考えには、もちろん時代的な制約による限界がある。一つは、「市場」を万能視していることだ。市場がきちんと機能していれば、資本主義社会で見られる矛盾はすべて「見えざる手」によって解消されるのであり、そうなっていないのは、政府によるへまな市場介入のせいだ、というのがフリードマンの主張だ。「見えざる手」は、もちろんアダム・スミスの引用だが、天国のアダム・スミスもフリードマンや日本の政治家が都合の良い所だけ引用するので困っているだろう。アダム・スミスが本当に力を入れて書いていたのは「道徳論」である。つまり、思いやりだとか利他主義である。もちろんフリードマンがこれを書いた1962年当時では、アダム・スミスのそのような面は強調されていなかったし、その後に展開される、心理学・進化論・文化人類学における利他主義の研究の成果もフリードマンには知られていなかった。

そこで、フリードマンはあらゆる政府介入を攻撃する。通貨政策を通しての政府の市場介入、政府による郵便制度、国鉄、などなど。こう書いていけば、フリードマンの提唱で、日本でも次々と民営化が進んだことがわかる。そして、フリードマンがすごいのは、これだけにとどまらず、政府による低所得者向け住宅制度、年金、所得税の累進課税もやめるように提唱していることだ。学者らしく、最高税率70パーセントの累進課税をやめて、一律23パーセントの所得税にしても、国家の歳入は変わりがないことを、資料をつかって証明してみせる。こうして日本でも直接税の累進課税はやめて、広く全員からとる間接税を移行しようとしている。

フリードマンが、福祉政策をやめるように提唱するその根本になっているのは、もちろん「自己責任論」だ。そして自己責任論とペアになっているのが、「パターナリズム」だ。この訳語は難しいが、語源は「父親」、つまり本人に代わって、良かれと思ってあれこれやってあげることを「パターナリズム」という。本人が、もしかしたら望んでもいないかもしれないことを、傍らから手出ししてやってやることはない、というのが福祉政策不要の根拠だ。自由と自己責任は確かに分かちがたく結びついている。free enterpriseの社会では、やってみて成功する自由もあれば、やってみて失敗する自由もあるわけだ。そこで、はたからよかれて思って手出しをするのは、自由の阻害だというのも一理あることなのだろう。ちなみに、フリードマンは、低所得地帯にある公立学校に、特別に補助金を出すことにも反対している。すべては、市場にゆだねれば、落ち着くべきところに落ち着いていくのだ。

こうして後世の人間が勝手に批評めいたことを書くのは簡単だ。結局大事なのは現代のわれわれがどのような社会を望むのかということだ。日本は常に海のかなたで孤立している国なので、外国の思想の都合の良い所だけ純粋に培養し、取り出して使っている。ケインズの経済理論も、公共工事のばらまきと自然破壊、見返りの集票機能に化けてしまった。フリードマンの思想も、これだけ極端に推し進められている国はそうないだろう。だが、あくまでも私たちが、何を望み、何を選択していくかにかかっている。私たちは、どのような社会を望むのだろうか。


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2015年10月29日 (木)

人類の記憶遺産「その2」:草原の実験

前回は、人類の記憶遺産として残すべきことは何かを考えていた。そんな折、不思議な映画に出会った。「草原の実験」。こんな地味で、でも何かを訴える映画は仙台では「桜井薬局ホール」でしかやっていない。地味な映画なのでほとんど観客がいない。でも、桜井薬局ホールさんには頑張ってこういう企画をやり続けてほしい。

詳しいことはわからない。でもロシア映画だそうだ。もしぼくが考えるようにこの映画に「告発」の意味が込められているとすれば、よくロシアで制作が許され、そして監督も無事でいられるものだと思う。ロシアでは、反対性を主張するのは文字通り命を賭してのことだろうから。(そういう点で、世界レベルで見れば、日本は言論の自由が守られている方だ。そこは日本のいい点だ。自国のいい点も悪い点も客観的に判断したいものだ)

ただ、この映画は一切セリフも、説明もない。だから、何を言いたい映画なのかは、正確にわからない。でも、セリフも説明もないということは、自由に見る人が解釈してください、ということかもしれない。そこで、誤解を恐れず(誤解だったらごめんなさい)、ぼくが思った「草原の実験」について述べてみる。

時は共産党一党独裁のソ連時代だ。場所は中央アジアのどこか。ソ連が他民族を力づくで併合し一大巨大領土を築いた。登場人物は父親と娘。彼らはアジア系民族なので、お父さんはああ、こんな日本人のおやじっているよな、という感じ。母親がなくなって、娘が父の世話をしながら大草原の真ん中でぽつりと二人きりで暮らしている。父はトラックに乗ってどこかに働きに出ていく。初めはどこだか分らなかったが、おそらくウラン採掘場とかそういうところ。無知なお父さんは、興味本位で職場から加工したウランをトラックに載せて家に持って帰ってしまうが、秘密兵器製造のため厳重管理していたので秘密警察にばれてしまい、自宅に武装した黒づくめの男たちがやってきて、お父さんは散々しぼられる。そんなこともきっかけで、お父さんは病気で死んでしまう。放射線の影響による白血病かがんだ。だが、秘密兵器のことや放射能のことは知らされていないお父さんは、原因がわからないままに死んでいく。

一人残された娘さんに、二人の青年が登場。一人は幼馴染で、同じ民族。もう一人はコーカソイドの白人で、ロシア人。娘さんは、いったん幼馴染の青年のところへ行き、結婚しそうになるが、民族の伝統に縛られた生活が嫌で、ロシアの青年の方を選ぶ。そうこうしているうちに、大草原の一角でいつも娘さんが通っていたところに、突然鉄条網が張り巡らされ、広大な土地が立ち入り禁止になる。仲睦まじくベンチに腰掛け、草原の彼方を見つめている娘さんとロシアの青年。その視線の先に突然きのこ雲が沸き起こり真っ赤な閃光が光る。猛烈な爆風が押し寄せ、土に埋めたお父さんの遺骸も掘り起こされ、娘さんたちが暮らす草原の中の1軒家も、恋に敗れたアジア系民族の青年も吹き飛ばされてしまうというところで映画は終わる。

セリフも説明も一切なく、象徴的な手法がたくさん使われている映画で、映像は美しい。でも、ぼくがここに書いた解釈があっている保証はない。歴史的事実としては、原爆で人が被害を受けたのは、広島と長崎だけではない。その前のアメリカの砂漠のおける実験でも、被害は出ている。また、ソ連が核兵器を開発する過程では、中央アジアの平原で核実験を繰り返し、相当な被害が出ている。中央アジアはロシア人ではなくアジア系人種が住んでいるからという人種差別的な意味もあろう。そういうことも含めて、人間はこういうことを行ってきたし、行ったのだということは、人類の記憶遺産として静かに語り伝えていかなければと思う。ある民族の悪を暴くのだという声高な姿勢でやれば、当の民族は反発する。それはロシア人も、日本人も、そうだろう。だが、「草原の実験」のように物静かに、一切のセリフも説明もなしにすること、それこそが人類の記憶遺産にふさわしいのかと思う。

戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方―エコとピースのオルタナティブ


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2015年10月25日 (日)

人類の記憶遺産

人類史の普遍的な記憶に値することを後世に残していこうという発想や試みに、ぼくは賛意を表する。歴史は、言語や科学技術といった人間の存在にとって大きな意味を持つものの一つであり、それがなければ人間存在が成立しないかもしれないとさえいえるものだと思うからだ。こんなことを考えるきっかけになったのは、もちろんユネスコの人類記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺」が登録され、それが気に食わない日本政府が、ユネスコの政治的利用だと言って、ユネスコの拠出金を引き上げるなどといった脅しをしたからだ。ユネスコの政治的利用というのであれば、日本政府が申請した「シベリア抑留」は、ロシアから見れば、日本がユネスコを政治的に利用しているのであり、結局、どっちもどっち、どこの国も自国に都合が良いことだけは宣伝し、自国に不都合なことからは目を背けるというレベルでは、同じである。(国際政治とはそういうものだ、つまり都合の良いことだけ強調し、都合の悪いことは隠すか、なかったことにするというのが、国益にかなう。それに反対する奴は、非国民というのであれば、それまでだが)人類史的なレベルがいま、このとおりのレベルであるのなら、記憶遺産登録合戦は一時凍結し、新たなルール作りをしたらどうだろう。

ぼくが、普遍的な人類史としての記憶遺産に賛成なのは、人間というのはこういうことをするものなんだということや、かつてこういうことをしたのだ、ということを後世に伝えることは、人間の本質を伝える上でとても大切なことだと思うからだ。いいことももちろん後世に伝えられればいいが、人間存在はいい側面ばかりではない。負の面であっても、確かにこういうことがあったということは、人間の本質を考える上では絶対に必要なことだ。しかし、国家レベルとなれば自分たちが行ったことにまともに向き合えず目をそらしてしまうというのが、今の人類史的なレベルなのだ。それは、日本だけでなく、ロシアも、そしておそらく中国もだ。

個人レベルであれば、自分のまわりに絶対に自分のミスを認めない人がいれば、かたくなな人だと思うだろう。でも、そういう人だって、本当は悪い所もあれば、いいところもあるだろうし、国だって、歴史だって、よい所もあれば悪い所もあるだろう。それなのに、自国だけが他国よりも優れていて、絶対に悪い面など持ち合わせていないと考えるのは、あまりに狭い了見だと思う。こういう国家レベルのメンツが解消するのには、やはり時がたつしかないだろう。ぼくは、もっともっと科学的思考や科学的知見が人類に広まってほしいと夢見ている。50年前、100年前の人が考えもよらなかったことを、現在の人たちは体験し、それによって思考の枠組みも大きくなっている。それなのに、「国家」という枠組みに取らえられていて、「国家」に関することは感情的になり客観的に物事を見られない。でも、あと50年、100年たてば、そのとき人は今の時代を振り返り、あの時代の人は何であんなことにこだわっていたのか、という話になるはずだ。そういう時代が来る前に、国家によって記憶が消されてしまわないよう、「人間はこういうことをする・した」という記憶を、民間や市民の中で語り伝えていく必要がある。

世界の記憶遺産60


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2015年10月20日 (火)

木村真三氏講演会「ベラルーシ・ウクライナと飯館村」(その2)

日本キリスト教団東北教区放射能問題対策室いずみ主催の木村真三氏の後援会から感じたことを、自分の備忘録としてもここに書き記しておく。それにしても宗教団体のありがたさは震災・核発電所事故後にぼく自身としてもおおいに感じていたところだ。もし、この世に個人がかかわるものとして一元的に「国家」しかなかったら、人はどうなるのだろう。とくにその国家が自らの民を棄民をするような国家であれば。人を取り巻く外側、関係は、重層的である方がよい。宗教団体が、震災後私たちにかかわりを持ってくれ、ずいぶん助けられ、感謝している。仏教団体からは、子供たちの保養への支援を受けることができたし、この「いずみ」さんは、現在でも被災地でこの木村氏の講演会をはじめとして放射線相談会や医療検診をしてくれている。宗教は、国家を横断することができる。人々のまわりに重層的な関係を築くことが、人間の安全保障であるし、セーフティネット(安全網)でもある。

さて、木村氏の物言いは科学者としてとても慎重だという印象を受けた。それは、本人も言っていたが、誰からもケチをつけられないためということだ。ぼくが解釈するには、核発電を推進する政府御用達の学者から、「お前のデータなどは当てにならない。核発電に不利なインチキデータや流言飛語を人民どもに流すでない」といういちゃもんをつけられないための慎重さというか、学問的良心なのだと思う。放射性物質の安全性や人体への影響は学問的には定説はない。もちろん大量の放射線を浴びることは致死的であるということは疑いようのないことだが、特にあいまいなのは低線量・長期被ばくについてだ。そこで、木村氏は地道にデータを取り続けている。なにしろ木村氏は事故後にいち早く現地入りし放射線を測定し、各地の汚染度合いを調べ続けている。科学こそが説得力のある客観的なものだとしたら、木村氏の態度こそは科学者としてふさわしく、データを隠蔽しようとしたり、そもそもデータを測定せずいち早く安全宣言してしまう政府系の学者は科学者といえるのか。木村氏は、新潟水俣病の時、病気は企業が垂れ流した水銀のせいではなく別のことが原因だと、証言した新潟大学の学者が、のちにちゃんと出世栄達したエピソードを話していたが、そういうことに対する憤りが、木村氏の根本にあるのだ感じた。

今、飯館村では除染と称して汚染された表土をはがして、袋に詰めておいている。大量の汚染土が袋に詰めておかれていて、持っていき場所がない。放射性廃棄物の行き場は、現在決まっていないので置いてあるところはあくまでも仮置き場だ。仮置き場もいっぱいになったので、仮仮置き場だ。さて、この前の台風の大雨、あの鬼怒川の堤防が決壊した時、この汚染土はどうなったのか。流されて、汚染土はどこかに(川に、そして海に)行ってしまったし、仮仮置き場も水に漬かっている。木村氏は問題提起していた。「果たしてこれで管理されていると言えるのか?」ぼくには、これは政府がきちんと管理すべきというような、ありきたりのことを言っているのだとは思えなかった。そもそも、核発電やその事故なんて、人間が管理しようとも管理できるようなことではないという、根本問題を提起しているのだと感じた。例え巨額の税金をかけて水に漬からない立派な仮仮置き場を作ってそこに汚染度を積み上げたとしても、こんな異常気象や気候変動という地球的規模での変動期を迎えて、この先どんな大雨や風水害が起こるのか、誰も過去からの経験では予測がつかないというのに、汚染土なんて人間に管理できずみなどこかに拡散していってしまうのだ。汚染土すらそうである。まして事故そのものなんて絶対に「管理下(アンダー・コントロール)」にあるわけがない。事故後5年ですらこうして予期せぬことが起きている。まして、高濃度核汚染物質を地下に埋めるという10万年後、100万年後までを人間が見通して管理できるわけがない。これは、科学技術の素晴らしさや科学のロマンがわからないかたくなな文系人間の繰り言なんだろうか。


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2015年10月18日 (日)

木村真三さん講演会「ベラルーシ・ウクライナと飯館村」

日本キリスト教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ主宰の木村真三氏講演会に参加。木村氏は放射線衛生学者。震災前からチェルノブイリ原発事故の調査にかかわり、福島核発電所の爆発後は現地入りして放射能測定や土壌汚染のサンプル採取を行った人だ。今回の講演では、木村氏は飯館村の住民伊藤氏を私たちの紹介してくれた。飯館村は、核爆発の汚染雲が運悪く降り注いだところで、放射能汚染がひどく全村避難を強いられているところだ。伊藤氏が強調していたが、それはたまたま運悪く飯館村であったのであり、本来は私やあなたの住むところであったかもしれないし、日本中に住むどこにでも起こる出来事なのだ。(鹿児島の川内市近辺の方々や四国の伊方の近くの方々に、ぜひ考えていただきたいことだ)

伊藤氏は木村氏の協力や助言を受けながら、様々なものの放射能測定をしている。その市民科学者といってもよい姿勢や行動力は称賛に値する。飯館村では2年後の帰村と小中学校再開を目指して、無条件の帰還運動が加速している。そして、村民のふる里に帰りたいという気持ちに付け込んで、政府や政府に協力する民間団体による「帰還事業」も強力になっている。政府にとっては、可愛い東電の賠償金も減ることでもある。だが、放射能汚染地で本当に暮らせるのか。感情論でもなく、無知による恐怖心からでもなく、それを判断するに、やはり必要なのは、ぼくの経験から言っても測定データなのだ。もちろん帰還事業に熱心な国や県は、これくらいの放射線は体に何の影響もないという初めから決めつけた立場である。伊藤氏はさまざまな物を測定している。

除染すれば大丈夫というのが国や県の立場だが、自然減衰以上には大して放射線は下がっていない。もちろん国や県はもうこれで十分という立場であるが、それは核爆発以前の規制値を何十倍にも上げているからである。また、飯館村のように山に囲まれた美しい村では、山に降り注いだ膨大な放射能は除染しようがなく、また山林の放射能の挙動はまだ誰も調べた人などいず、すべてはこれからなのだ。住宅のまわりの表土をはいだところで、山から強い放射線が飛んできて、地表5センチよりも1メートルの方が高い所がある。除染作業でほこりが舞う、それを伊藤氏は集塵機で集めて空中の放射性物質を測定する。対照地区の長野や新潟の何十倍だ。やはり汚染地で暮らせば、呼吸から放射線を吸い込み被ばくするのだ。(それは、福島だけではない、爆発による放射性物質が降りそそいだすべてのところもだ)。山の腐葉土には25万ベクレルもの放射性物質が含まれる。山からとれるキノコや山菜も当然汚染される。村で珍重されていた自然の恵みであるキノコは最大で5万ベクレルも汚染されている。しかも、山のものは、年を追って右肩下がりに汚染がなくなっていくわけでなく、増減を繰り返しているものもある。今後のことを考えれば、本来なら国を挙げて放射能の挙動や生物濃縮などを調べていかなければならないのに、伊藤さんのような奇特な人がやっているという現状。伊藤さんは、スギや広葉樹のどこにセシウムがたまるのかということを調べているし、カエデや赤松の幼樹がどのように放射性物質を吸収しているのかということも調べている。

このような美しい村で、本来であれば生活の大事な一部である山の恵みが汚染されている。そのような事実も踏まえて、すべてを総合的に考えて、帰村すべきかどうか、そこに住むべきかどうかを、個人で考えないといけない立場に飯館村の人たちは置かれている。自分の経験で言えば、ぼくは里山の暮らしに価値観を置いていたから、里山が汚染され薪も山菜も野草も取れなくなったことが、そこで暮らすかどうかを判断する一つのポイントとなった。肝心の木村氏の講演内容は、次回チャンスがあればまた書き綴ろうと思う。


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2015年10月14日 (水)

日本の難民受け入れ問題

日本の難民受け入れ問題を、安倍首相が国連に行き、外国人記者から質問された件から考えてみたい。外国通信社の記者は、「日本も難民を受け入れるべきでは」という趣旨の質問をしたのに、安倍首相は「難民を受け入れる前に、日本は高齢化問題等の解決しなければならない問題がある」という趣旨の返答をした。議論としてかみ合っていないが、これは安倍首相が国会でも質問に対してまともな返答をしなかったことと同じだ。好意的にとれば、国会の場では、野党の追及を逃れて自己の政策を実現するための高等戦略として質問をはぐらかしているのかとも思えるが、しかし安倍さんの本質はやはりそうではないらしい。論点を定めて議論するというような知的な過程は一切無視してというか、そういうことができないのか、知的な議論はすっ飛ばす、というのが安倍さんの本質だと思う。これは、ファシズムとか全体主義に大いに近づいていると、ぼくは憂慮する。ファシズズムや全体主義の本質は、考えない、知的なものを軽蔑する、多様な考えを尊重しないということだ。安倍さんだけが狂熱的な人なら心配ないが、日本の中にも、安倍さんに大いに共鳴し知的なことや多様な考えを尊重しない風潮が増してきているようにも思える。何にせよ、自分の気に入らないことは「朝鮮人」などといって罵倒し、こういう傾向が続けば「スパイはみんな日本から出ていけ」「外国人はすべて出ていけ」というような、息苦しい全体主義社会が日本に到来するようで怖い。

もう一つ考えたいのは、安倍さんが質問事項を事前に提出するようしつこく求めたことだ。日本のマスコミはみなおとなしく安倍さんの意向に従ったのだろうが、外国の通信社にはそのようななれ合いは通じない。そもそもジャーナリズムの役割は、権力の横暴を防ぐことだ。だから、権力者が予想もしない質問を時にはして、そこから権力者の本音を暴き出す。安倍さんは思いがけない質問に対応できずとんちんかんな返答をした。しかし、そこに安倍さんの本音が暴かれている。それを暴くのがジャーナリズムの仕事なはずだ。なれ合いの関係からは、権力の監視というジャーナリズムの存在の大義は生まれない。ぼくは万が一共産党が政権を取っても、ジャーナリズムにはきっちり権力の監視をし、権力者の本音を暴き出してほしいと思う。というのは、自民党とか共産党とか特定の党が腐敗しやすいというわけではなく、いちばん腐敗しやすいのは「権力」の座そのものだからだ。

安倍さんと自民党は後から難民問題の解決はそれを生み出す、貧困等の問題を解決する必要があるとの見解を付け足した。問題の解決法としては、ぼくもその通りだと思う。難民が出ない平和な世界を構築するための努力こそは本当の意味での「積極的平和主義」だろう。それならもう一歩踏み込んで、ぼくは日本国内に難民を受け入れるべきだと思う。「金だけ出して行動しない」と世界から言われるのを嫌っていたのは安倍さんや自民党の人たちではないのか。「金だけではなく汗をかく」のところが、安倍さんにとっては自衛隊員の血を奉げることなのだろうが、その方法論にぼくは反対する。自衛隊の人たちだけに血を流させるわけにいかない。日本国内に難民を受け入れることは、私たちの生活にも影響してくるだろう。でも、世界が平和でなく、日本も平和に貢献しなくてはいけないというのであれば、私たちも痛みも受け入れて難民受け入れで貢献すればいいではないか。そしてぼくには受け入れは「痛み」どころではなく、日本社会の維持や発展に不可欠だとさえ思う。時代が変われば(あと5年だろうか、10年だろうか)、世界で人材の奪い合いが起こる。世界中から様々な背景を持った人たちを日本にきちんと受け入れることが、日本の安全保障にも大いに役立つと、ぼくは思う。


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2015年10月 9日 (金)

非戦への思い

今上陛下が、戦争法案に御名御璽をなされるのに忸怩たる思い、という週刊誌の見出し記事を見て、この夏の陛下の非戦への思いを河北新報が幾度かまとめていたのを思い出した。そこで、スクラップを取り出し、陛下の非戦への思いをまとめてみる。

陛下自身が戦争を知る最後の世代だ。陛下の幼い日の記憶は、戦争の記憶から始まる。3歳の時の、昭和12年盧溝橋事件から始まり昭和20年の敗戦まで、戦争のない時を知らないで育った、と語っておられる。アジアへの侵略とアメリカとの戦争が終わる昭和45年には、空爆を避けて奥日光へ疎開し、そこで昭和天皇の玉音放送を聞く。当時11歳だった陛下が帰郷してみると東京は焼け野原。信じられない光景が広がっていて、陛下は翌年の書き初めで「平和国家建設」と大書する。

陛下は、沖縄戦終結の6月23日、原爆が投下された8月6日、9日、終戦の8月15日をどうしても記憶しなければならない特別の日として、特別の思いを皇太子時代から込められてきている。沖縄を訪れ、犠牲者の霊を慰め、琉歌(沖縄の伝統的な和歌のようなもの)までお作りになり自分の思いを述べる陛下は、沖縄を踏みつけにしている我々ヤマト人とも違うし、安倍首相のような空疎な言葉も吐かない。戦後70周年の節目に向けて慰霊の旅として、沖縄、広島、長崎、学童疎開船対馬丸が撃沈された跡、太平洋戦争の激戦地パラオ、東京大空襲の犠牲者の遺骨を納める慰霊堂、日本軍に徴用された船員の追悼式典参加などをたて続けに行った。

これらの行為を、側近は、「戦争で命を落としたすべての人々の霊を慰めることを生涯をかけて果たすべき務めとしている」と述べる。そして、ご自身、「満州事変の始まる戦争の歴史を学び、今後の日本の在り方を考えること」の重要性を訴えておられる。そして、終戦から70年となる夏の全国戦没者追悼式典。ぼくはラジオで生中継の陛下の声を聴いていたが、本当に陛下の気持ちが表れていて、すごい迫力だった。現行憲法の枠内にとどまり象徴として、政治行為に携われないギリギリのところで、陛下が発しているメッセージ、安倍首相に対する叱責のようにぼくには思えた。

新しく加えられた「先の大戦に対する深い反省」の文言と、今日の繁栄「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」という文言、特に後者は安倍首相に向かって、あなたは、私の平和への思いがわかっているのですか、という陛下からの問いかけのようにぼくには感じられた。陛下は、戦争責任者が靖国神社に祭られてからは、靖国参拝も取りやめておられる。ここにも、陛下の平和への思いを見ることができる。平和を思う陛下の思いと国民の思いが合わされば、忍び寄る戦争の影を押し戻すことができる。この際、愛国を自任する人にも聞いてみたいが、陛下の思いを裏切る者こそは、「逆臣」ではないか。真の愛国右翼の方々にも立ってほしいと思う。

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2015年10月 1日 (木)

松竹シネマ歌舞伎「海神別荘」

歌舞伎座公演を映像に収めて、映画のように劇場公開している。もちろん、生の舞台は見たいが、だが、こちらの方も映像特典もあるし、なかなか見ごたえがある。坂東玉三郎さんは、泉鏡花の作品にとても思い入れがあり、いくつかを舞台化して演じている。シネマ歌舞伎では、まず冒頭で玉三郎さんによる鏡花作品の解説や、ご自分の鏡花作品に対する解釈なども聞けて、舞台に対する私たちの理解を深めてくれる。着物を着ていない玉三郎さんもとても素敵だ。こんな歌舞伎のスーパースターと同時代で生きて、その人を拝見できるというだけでも幸せなことだ。

鏡花の「海神別荘」は幻想的な作品だ。だからこそ、これを見て「これは歌舞伎なのか?」という思いが湧く。玉三郎さんは「歌舞伎に対して、新派というのが出てきたのだけれど、本当は旧派も新派もないのだ」と、述べていた。確かに、その通りで、あるのは良い芝居とそうでない芝居だけだろう。だが、これを歌舞伎の本拠地歌舞伎座でやるというのは、なかなかの挑戦だと思う。映像では、舞台稽古の場面なども写っていたが、そこで玉三郎さんが入念に作りこんでいるのがわかり、やはり玉三郎さんの思いの強さを感じることができた。

三郎さんが演じる人身御供にされた姫と、海老蔵演じる海神の王子の美男美女や、幻想的な舞台は見ごたえがあった。そこで鏡花の台本について思ったのだが、知が勝りすぎていると感じた。海の底の海神たちの価値観を通じて、人間世界の欲得を描こうとしたのかもしれないが、近代芝居にありがちな、理屈まさりのようにぼくには思えた。理を超えたところの情や運命など、どうにもならない大きなものに押し流される古典的な歌舞伎芝居もあらためて見たいし、そういうものに価値があるのだと思った。ただ、「海神別荘」のような挑戦がなければ、そういう古典の価値にも気づかないわけだから、玉三郎さんの挑戦も、もっともっと見てみたい。

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