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2015年8月27日 (木)

ジェーン・エア

イギリスのブロンデ姉妹の傑作小説『ジェーン・エア』と『嵐が丘』を岩波文庫で読んだのは、もうかれこれ30年前だ。どちらもとても面白く、読み始めたらやめられない、むさぼるように読んでしまった。それにしても姉妹でこの才能、イギリス文学、いや世界文学に名前を残すのだからすごいと思う。それで、ぼくの方は大変記憶力が悪いので、話の細部はすっかり忘れてしまったのだが、印象に残っているのは、小説の舞台となるイギリスの風土。ヒースという小灌木しか茂らない荒れた土地で、(アジアモンスーン地帯の日本人にはそういうイメージ)、雨が降ったり嵐が来たり天気はいつも曇っていて荒れている、それがすっかりぼくのイギリスに対するイメージとして定着してしまった。そして、そういう荒涼とした土地で繰り広げられる異常な愛憎劇。というのが、ぼくのブロンデ姉妹の小説に対する印象だ。

異常というのは、アブノーマルな愛というのではなくて、情念が濃いのだ。日本の近松浄瑠璃のウエットな心中劇とももちろん違う、イギリスの荒涼とした隔離された土地での、曇りがちな天候のもとで繰り広げられる情念の濃い人たちの愛憎劇なのだ。果たして、ブロンデ姉妹の体験談が反映されているのかどうかはわからない。そして、30年ぶりにぼくが『ジェーン・エア』に出会ったのは、2011年イギリス・アメリカ合作で日系人のキャリー・ジョージ・フクナガ監督の映画作品。映画のいいところは、ぼくが頭の中で想像していた、ヒースの生い茂る荒涼とした土地の風景が、映像で見れるところ。これがそうなんだという感慨があった。

映画を見ていて思ったのは、これは一種の女性の自立の戦いでもあるということだ。時代はエリザベス朝時代だ。今のように女性が外に出て働ける仕事があるわけでもない。そんなときに、女性が自立できる仕事といえば家庭教師だ。貴族の家で住み込みで働くのだ。しかし、そういう家庭教師のような職業婦人は、働かなくてもいい身分の同じ女性からも嘲笑の的になるのだ。主人公のエアは、自由や自立についてしっかりした考えを持っている。そういうかわったところに、ロチェスター氏も引かれる。主人公のエアは、小説の中でも、そんなにきれいでない普通の容貌の女性ということになっている。よく、日本の少女漫画などもそういう設定で、多くの少女たちの願望を反映しているが、実際映画になると「可愛い」女優さんが演ぜざるを得なくなり、そこに違和感がある。だが、映画ジェーン・エアでは、その普通の容貌という微妙なところを、ミア・ワシコウスカがとてもよく演じていたと思う。きれいに見えないような髪型にいつもしているということもあるだろうが、とても存在感のあるいい女優さんだった。

さて、結末は意外な展開、ドラマが待っている。昔本を読んだストーリーはすっかり忘れているので、この意外な展開も映画で十分堪能した。ロチェスター氏は失ったものがあるが、それで得たものがある、そういう象徴的な結末だった。

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