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2015年7月 6日 (月)

「わかりあえないことから」

コミュニケーション能力がこれほど求められる時代はない。経団連が調査している、企業向けアンケートによれば、企業が今の学生に求める力で、もう何年間も不動の1位になっているのが「コミュニケーション能力」だ。だから、就職率を上げようとする大学も、そして、グローバル時代に立ち向かう子供たちを作るように文科省から命令されている小・中学校、および高校でも、学生たち・子供たちにコミュニケーション能力をつけさせることに躍起となっている。コミュニケーション能力が必要なのは、子供たちだけではない。会社で若いうちは、年上の上司とのコミュニケーション、自分が上司となれば、若い部下とのコミュニケーション、そしてリストラされて再就職するとなれば、再就職に必要なのはコミュニケーション能力と、いまの時代強迫観念のようについて回る。たぶんそんな風潮にまず、問題意識をもって書き始めたのが、平田オリザ氏の「わかりあえないことから」だ。

題が秀逸だと思う。コミュニケーションの目的は「わかりあう」ことに決まっている。わかりあえなければ、コミュニケーションは失敗だ。誰でもそう思うだろう。だが、「わかりあえないこと」から出発する。こういう、逆説的なところから出発する、でも、本質を突く、これも平田氏が「演劇」の仕事をしていて、いかにも優等生的なことを言うような人でないからだろう。ぼくも、前から「わかる」ということは不思議な現象だと思っていた。例えば、まったく異なる言語を話している二人は、どうやって分かり合えるのか。完璧に異なっていれば、まったく接点がないから永遠にわかりあえないはずだ。たとえば、先を走る亀に追いつくために、アキレスは二者のちょうど中間点を通過して追いつこうとする。中間点を通過すれば、また二者の中間点を通過しなければならない。こうして、中間は永遠に分割できるから、アキレスはカメに永遠に追いつかない。だが、現実はアキレスはカメを楽々と追い越す。そんなように、完全に異なる言語を話す二者でも、そのことなりのどこかにズレがあったりして、わかりあうことがはじまる。

この平田氏の「わかりあえないこと」は、本人も書いているように、雑誌に、少しずつ掲載していたものを文庫本にまとめたものだ。だから、正直言って、まとまりや深さはない。でも、現代社会を考えるヒントは満載だ。平田氏は、演劇人だが、いま大阪大学でコミュニケーションについて教えている。そして、全国の学校で演劇ワークショップをしている。だから、この本は、教育に関しての視点も参考になる。そして、氏は韓国に留学して、日本語を教えていた経験もあるので、「日本語」という観点からも、示唆がある。面白かったのは、氏の不自然な日本語の指摘だ。日本語は、本来強弱アクセントの言語ではないし、アクセントの強弱で意味を伝えてはいない。日本語は助詞のおかげで語順が自由だから、語順を変えることで強調すべきことを伝えているのだ。ところが、近代演劇はチェーホフから始まり、その近代演劇を明治の日本人は苦労して直輸入した。ヨーロッパの言語と日本語との違いを無視して。だから、日本の新劇のセリフは、いわゆる「お芝居臭く」、それが一般の人から演劇が胡散臭く見られている原因だという。なるほどと、腑に落ちるところもあり、面白かった。

わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

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