« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月31日 (日)

安保法案の国会審議

5月29日付「河北新報」に田中優子氏が、いま国会で審議されている安保法案をめぐり投稿している。その要点をまとめる。

天皇、皇后がパラオを慰問し戦後70年に寄せる平和への思いを頼もしいと感じている人を戒める。それは、天皇への依存であり利用である。政治による平和への努力ではないというのである。非戦を目指す人々は、非戦に向かって粘り強く政治や外交や交流など様々な運動を行うべきだと檄を飛ばし、権威に依存すれば必ず挫折が来ると説く。

そして、依存と挫折ののちには責任をとらない人々が大量に出現し、それを正当化するために断罪すべき人を断罪しないまま祭る行為によって、自らも断罪されないで済ます、という歴史が繰り返されると警告する。このあたり、田中氏は慎重な物言いをしているが、日本の歴史のある具体的な事実を指摘していると思われる。

アメリカに過度に依存することもよくないと田中氏は指摘する。依存はいかなるものであろうと責任を伴う対等な関係でなく、ついていけば大丈夫だ的な根拠の薄い怠惰な神話にすぎず、それはまるで原発神話と同じだという。日本は、アメリカだけでなく、近隣諸国、ASEAN諸国、インド、アフリカ諸国など、独自の深い関わり合いを持つべきで、そうでなければ、アメリカの軍・産・学複合体のミニチュア版になり、戦争を続けることでしか経済を維持できない泥沼に陥ると、警告する。

国会で審議中の安保法案については、戦争することを「安全保障」と言い換え、「平和」「安全」という言葉をちりばめいかにもありがたい法律群と思わせている。人類はこうして言葉をすり替え戦争を続けてきた。それは核の「平和」利用による「安全」な原発と同じ用法だという。そこで、もう「平和」という言葉は使えないのであるから、これからははっきりと「非戦」と言い換えようと、呼び掛けて田中氏の論文は終わる。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月28日 (木)

マスカーニ『カバレリア・ルスティカーナ』

メトロポリタン歌劇場ライブビューイング2015年版の最終回はマスカーニの『カバレリア・ルスティカーナ』とレオンカヴァッロの『道化師』だ。どちらのイタリアオペラも、イタリアオペラらしく、流れる旋律が美しい。「カバレリア・ルスティカーナ」の間奏曲は、やはり聞くと胸に迫る。

この2つのオペラはイタリアオペラの中で「ヴェリズモ」という流れの中で作られたとの解説があった。「ヴェリズモ」とは「リアリズム」ということだそうで、おとぎ話のようなオペラではなく、普通に暮らす人々の生の感情を音楽にしようとしたものだそうだ。文学における「自然主義」文学が、しばしば悲惨な庶民の生活をありのままに描くように、この2つのオペラは、どちらも不倫とそこから起こる殺人という悲劇を描いたものだ。

そこで、この2つのオペラを同時上演した演出家の意図がわかるのだ。主役の男性は2作品連続出演で、最初は不倫して殺され、そして次は不倫されて殺す役をやる。時代設定的には、『カバレリア・ルスティカーナ』が先で『道化師』はその50年後の同じイタリアの地が舞台というのが、何とも憎い。ただ、演出的に凝っているというよりは、人間の業の深さとか、輪廻転生とか、前世での因果や罪業といったもっと重いテーマを、ぼくはそこに感じてしまった。

「道化師」は、見世物一座の物語なので、劇中劇が素晴らしかった。その中で、演じている主人公カニオ(テノールのマルセロ・アルバレス)が、劇ということを忘れてだんだん夢中になって激昂していく演技が素晴らしかった。妻のネッダ(ソプラノのパトリシア・ラセット)に向かって、「親のない捨てられていたお前を拾って、ここまでしてやったのに…」と歌いかけるところは、昔見たフェデリコ・フェリーニがやはり旅芸人を描いた映画『道』を思い出して哀れだった。

メトロポリタン歌劇場ライブビューイングの2016シリーズのラインアップも発表された。スケジュールが合えばどれも見たい。妻を殺す悲劇となると、ベルディの「オテロ」もやる。やはり昔映画で見た、パバロッテイのオテロもよかった。ワーグナーは見たことがないので「ターンホイザー」も見たい。「ツウランドット「蝶々夫人」「トスカ」もやる。ヨーロッパ人が頭の中で考えたエキゾチックな東洋がどう演出されるのかも見てみたい。

マスカーニ : 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月26日 (火)

余剰次元と逆二乗則の破れ

そうまでして核発電をやりたい人の気持ちってなんだろうと思ったこともきっかけで、理系の本、すなわち数学や物理に関する本を読んでいる。講談社ブルーバックスという科学のことを分かりやすく紹介してくれる文庫本の村田次郎氏が書いた「余剰次元と逆二乗則の破れ」を読んでみた。文系人間であるぼくにも、宇宙のロマンというのはなんとなくわかる。宇宙にはてはあるのかとか、宇宙に時間的な終わりはあるのかとか考えるのは、何となく楽しいし夢中になる。そして、その宇宙の仕組みをきれいな数式でシンプルに表してみたいと思い、それに情熱をかたむける気持ちも何となくわからないでもない。

だが、『それでも地球は回っている」じゃないけど、宇宙の仕組みが数式で表現できてもできなくても、何らぼくらの生活は変わらず、昨日も、今日も、明日も人間は生き一生懸命生活していかなきゃなんないのは同じかなと思ってしまうのが、文系人間のだめなところなのだろう。だってアインシュタインのE=mc2という方程式のせいで、広島・長崎では一瞬にして何十万という人の命が奪われたのだし、核発電の事故で被害を受けているのだから。さて、宇宙には4つの力、すなわち電磁気力・強い力・弱い力・重力がある。どの力も距離の2乗に反比例して働く力が弱くなる。最初の3つの力は、統一的に数式で説明できるそうだが、重力だけは、その計算上からすると弱すぎるのだそうだ。4つの力を統一して説明する「大統一理論」という野望が物理学者の間にはあり、重力の弱さをうまく説明したいと理論作り・観測・実験とがんばっている。それにしても「大統一理論」だなんて、いかにも帝国主義っぽい野望が人間らしいところなのか。

うまく説明するためには、重力はほかの次元に力が伝わってしまい弱くなっているというモデルが作られている。いま私たちが住んでいる宇宙は3次元(時間を加えると4次元)空間だが、私たちにはそう見えているだけで、じつは5次元以上の空間があるかもしれないというのだ。あってもなくても素人には同じかなと思えるが、これで宇宙のことがすっきり説明できるとしたら面白いのではあろう。その余剰次元を説明するには、ごくごく短距離の間で働く重力が距離の2乗に反比例するという一般則が破れているところを観測し見つければいいのだそうだが、それを観測しようと筆者の村田氏は頑張っている。よく少年のような心を持った大人というが、村田氏も嬉々として実験の工夫や実験の様子を語る。確かに、何十ミクロンという微小な世界で、重力の法則が果たして効いているのかいないのか、測るのだからものすごい精度だし、確かに人間の技術は進歩しているのだと感心する。

もちろんこの本を読んでも村田氏が核発電に賛成しているのか、反対しているのかは、わからない。でも、科学というのは人間の止めようのない衝動なのかなとも思う。われわれ人間は、ただ自然をあるがままに愛するとか、その中で暮らしていくというのは、もう不可能なのだろうか。

にほんブログ村 政治ブログ 社会制度へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月23日 (土)

グランドシネマ「日本橋」

歌舞伎が映画で見れるという企画を松竹がやっている。わかりやすいし、直接劇場に行く機会の少ない地方在住のものにとってはありがたい企画だ。仙台では、昨日まで坂東玉三郎さん主演の「日本橋」(泉鏡花原作)がかかっていた。玉三郎さんは、女の意地というか意気地を出す役柄がとても似合っていると思う。「意地」というのは現代語では少し風情が失われているが、日本人が着物を着ていた時代では、芯の強さとか、潔癖さとかを意味するいい言葉だ。玉三郎さんは芸者のお孝の役をやり、関根恵子さん演じる芸者照葉と張り合う。

歌舞伎座でやる歌舞伎は、女性も男性が演じるのだが、「日本橋」は日生劇場で行われたものを編集したので、女性役を女性が演じている。関根恵子さんがため息が出るくらいきれいで、いい演技もしていて照葉役に似つかわしかった。彼女が、高校生として映画にデビューしたときの大騒動をぼくは物心がついていなかったので知らない。でも物心がつき、かつそういうことに興味を持ち始めてからは、スキャンダルなどで週刊誌をにぎわす女優さんというイメージがあり、美しい彼女の写真なども拝見してきたが、やっぱりきれいな人はいくつになってもきれいだということだ。

玉三郎さんは、鏡花の作品に思いれが深い。鏡花の作品は、耽美的でどこか普通の世界からは変調している。「日本橋」も、姉の面影をしたう男の物語で、最後もどこか救いがない。でも、老人役をはじめ、役者さんたちはみな巧者で、この異常な幻影の世界がいつまでも映画館の暗闇の中で続いてほしいと思わしめるのだ。

鏡花短篇集 (岩波文庫)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月21日 (木)

プラチナくるみん

仕事と子育ての両立支援に積極的な企業を認定する制度として「プラチナくるみん」という制度がある。仕事と子育て支援に積極的な会社とは、つまり女性が働きやすい会社ということだ。そういう人が働きやすい会社というのが長い目で見たら、利益も上げられるし、社会的にも評価されると思うので、この認証制度、そんなに悪いものでもないと思う。5月18日付の河北新報に、東北から認証制度を受賞した「ホシザキ」と「オイルプラントナトリ」の紹介があったので、要点をまとめてみる。

・認証を得るには…男性の育児休業取得者が13%以上などの基準を満たし厚労省が認定

・ホシザキの場合…育休取得率女性100%、男性35%

・なぜホシザキはそんなにも数字が高いのか…育休中に家族と過ごす写真や感じたことをつづる育休リポートを出す。それが社内限定インターネットで見られ、従業員470人で共有する。ほほえましいレポートを見て育休への理解が深まり、他の人の育休取得につながる。会社からも育休取得者に5万円の奨励金あり。

・効果…育休推進を始めて売上3割アップ。離職者の大幅減。休暇をきちんと取って生産性が向上。魅力を感じて入社する新卒者の増大。

・オイルプラントナトリの場合…休暇届所の理由欄には、病院付添いにくわへ、入学式、授業参観、メモリアル、バーゲンなどの項目があり、会社公認で申請しやすい。

・効果…休みを取るため社員は自ら考え、段取りをつけて仕事をする。それが会社のためにもなる。

これは以前知り合いに言われたのだが、マスコミをたたくのは簡単だが、マスコミが良い報道や特集をしたときは積極的にほめよう。励ましのファックスやメールをその部署に送ろう。それと同じように、ブラック企業や不祥事を起こした企業をたたくのは簡単だが、地味に頑張っている企業を応援するのも、この記事を見て大切だと思った。ホシザキは業務用厨房の会社で、飲食店でアルバイトをしていた時から親しみがある会社だったし、教え子が就職したので、今回特にこの記事に目が行った。

奇跡の職場 新幹線清掃チームの働く誇り

にほんブログ村 政治ブログ 社会制度へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月18日 (月)

大阪都構想―住民投票

昨晩は、大阪都構想の是非を問う住民投票の速報があり、つい報道に見入ってしまった。是非は拮抗しており大激戦だった。開票速報の途中までは、最大で1万票くらい「賛成」が上回っていたが、途中で突然「反対が」多数になるとの「確定」報道が出て驚いた。それなりのノウハウがあり、結果を正確に読んだのであろう。

この住民投票はいろいろな面で注目されていた。ぼくは憲法改正の是非を問う国民投票のリハーサルだと思ってそういう点で注目していた。僅差だったとはいえ、都構想が否定されたということは、憲法改正の国民投票も、いまのところ「否決」される可能性が高いということで、安倍さんには一定の痛手だろう。だが、憲法改正の国民投票では、安倍さんもメディアの総動員など、ありとあらゆる手段を使って来るだろうから油断はできない。

都構想の住民投票には、そのほかにも現在の日本を表す特徴が出ていた。まずは、「格差」が投票行動の差に出ている。大坂の区ごとの賛成・反対の集計が出ていたが、経済的に裕福な地区は賛成が多く、余裕がない地区は反対が多かった。つまり、「上」の人は自分が納めた税金が、生活保護の不正受給などに使われるのはごめんだと「改革」を支持し、「下」の人は福祉関連費用が削られるのはごめんだと「反対」票を投じた。金持ちは○○党へ、貧乏人は○○党へ、という本格的な階級・格差時代が日本にも来ているような気がする。

もう一つは、高齢者の投票行動やがんばりだ。都構想が否定された最大の原因は高齢者が「反対」したからだ。1970年に安保闘争などを経験した、団塊世代の人たちが、いま政治的に頑張っている。原発・憲法集会などにいっても、いちばんがんばっているのは、65~75歳くらいの人たちだ。この人たちは、他の世代よりも投票率は高いし、人口も多い。70年の彼らの行動は、何も日本を変えられなかったと揶揄されるが、彼らの挫折は決して無意味だったのではなく、いま日本の政治が大きく変わろうとしているときに、彼らは大きな力で日本が悪い方向にかじを切っていくのを体を張って止めているのだ。

おそらく憲法改正の国民投票でも、彼らの世代ががんばってくれるだろうが、40歳代以降の若い世代では、橋下さんや安倍さんの支持が高くなる。ただ、若い世代は、ネットで中国や韓国への悪口を言って安倍さんを支持していても、移り気で選挙には行かなかったりする。だから、団塊世代の投票行動と影響力にはかなわない。だが、長期戦となり団塊の世代が退場していき、いまの40代以下の世代が主流となった時は、憲法改正の安倍さんの野望も実るかもしれない。安倍さんもその時は、政界を退場しているだろうが、安倍さんの執念が養子に受け継がれていけば、その時の日本の方向性はわからない。

憲法九条は私たちの安全保障です。 (岩波ブックレット)

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月17日 (日)

論考2015

河北新報5月14日付、西谷修氏執筆の「論考」が状況を考察するのにとても役立つので、内容を以下に要約する。

4月28日は第2次世界大戦を終結させるために日本が戦争相手である連合国とサンフランシスコ講和条約を結んだ日である。安倍首相にとっては日本の「主権回復の日」として祝うべきことかもしれないが、沖縄の人にとっては、この日は日本から切り離されてアメリカの統治下におかれた日なのだから、沖縄の人にとってのこの屈辱の気持ちを安倍首相はわかっていない。

安倍首相の戦後70年のビジョンは偏っている。日米関係ばかり強化しているが、中国との和解の努力はない。日本の大軍隊が長期的な戦争を繰り広げ甚大な被害を与えたのは、米国ではなく中国に対してなのにもかかわらずだ。

どうしてこのような状況になったのか?西川氏の歴史分析ではここからがとても参考になる。

日本は敗戦後、6年半アメリカに占領され、その間に中国は国民党と共産党に分裂してしまった。東西冷戦が深刻になり、アメリカは日本を自陣下に置く必要があった。そこで、中国侵略を推進した日本の旧指導層はアメリカに許され、アメリカの日本コントロールに利用されることになった。それが安倍首相の祖父であるのだから、当然安倍首相もその方向で行っているのだ。

西谷氏はアメリカと付き合うことの危険性を指摘する。アメリカは、自国の国益にかないさえすれば、どんな価値観の国とも手を結ぶ。「自由と民主主義」は、自国のごく限られた人にしか通用しない。独裁政権だろうが、傀儡政権だろうが、アメリカの国益にかなえば利用し、価値がなくなれば切り捨てる。そんなアメリカと同盟強化をうたう安倍首相には、近隣に友好国が一つもない。だから、鎧で身を固め「この道しかない」と叫ぶ。

日本の戦後処理は安倍首相により、終わりどころか置き去りにされている。同じ敗戦国のドイツでは、歴史の教科書をぬりかえようともしないし、「美しい国を取り戻す」と叫んだりしない。ナチスに蹂躙された近隣諸国との信頼を醸成しているが、安倍首相はそのような姿勢を「自虐的」といって非難する。戦争のたえない世界で独自の在り方を築いてきた「非戦」という私たちが強い意志で勝ち取った在り方が、アメリカとの同盟のために放棄されようとしている、大きな危機だ。

憲法九条は私たちの安全保障です。 (岩波ブックレット)

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月15日 (金)

西郷南洲遺訓

明治の元勲や維新の志士の思想を読んでいる。理由は、「日本を取り戻す」と主張し、国防軍の復活と世界規模の軍事展開を支持する人たちに、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が好きな人が多いような気がするからだ。これはもちろん、ぼくのこれまでの経験や直観なので、何ら客観的な根拠はないことをお断りしておくが。軍事力を強化して日本のプライドを取り戻したい人たちのあこがれの時代が、日本が上り坂で大国ロシアを破った日露戦線までの時代だったから、ちょうど彼らの心情がそこにひかれると思うのだ。ぼくから言えば、「勝ちは負けであり」(そして、その逆の負けは勝ちなので)、日露戦争の勝利こそは、日中戦争や太平洋戦争の悲惨な結果の第一の出発点なのだが、そもそも明治維新を作り上げた人、そして日清・日露戦争まで国を引っ張り突き進んだ人たちの考えや生き方はどうだったのか、それが本当に今の軍事力を強大化したいと考えている人たちが祭り上げたいと思っているように’英雄’なのかを知りたいのだ。

西郷隆盛の思想や生き方が分かり、多くの人に長く読み継がれてきた本が「西郷南洲遺訓」だ。彼は、明治維新の大功者だが、征韓論で意見が合わず下野して西南戦争では「賊軍」となって明治10年に死ぬ。この本からは政治的な彼の思惑や事態の成り行きはわからず、彼の言行や詩文が記録され、そこから彼の人となりが分かる。やはり、西郷さんは、基本的に人となり高潔で、「私」よりも「公」を重んじた人だということがわかる。勝海舟が、「敵」である西郷をべた褒めしたのも分かる。

国のために死ぬのをいとわず、という思想は見えるが、それは、時代や彼の思想の限界で、のちの政治家が都合の良いところだけ切り取って、国のために死ぬことを強制するのは許されない。そういう強制するような政治家には、西郷さんのような「公」の思想がなく、「私」心から行っているからだ。それに、西郷さんの思想の限界は、江戸時代では中国の思想しか学ぶことができなかったからだ。だが、ぼくは、明治維新こそは、中国の思想があり、それを日本人が物にして行動したからこそ、できたことであって、そういう思想的な恩恵を忘れて、安倍さんをはじめ改憲派・国防軍創設賛成派が、中国をやたら敵視しているのが分からない。あなたたちが大嫌いな「シナ」がなければ、あなたたちの大好きな維新の志士なんか生まれなかったのですよ。西郷南洲遺訓を読んで、そういう客観的な事実は認識すべきだと思う。

最後に、西郷さんの詩でぼくが大好きな詩を引用する。

幾歴辛酸志始堅 丈夫玉砕愧甎全

一家遺事人知否 不為児孫買美田

(苦労を経てこそ本物の志が分かる。大丈夫たるもの何も行動しないでいるよりは、まずは行動する。そうなれば家のことは顧みることもできないが、子孫の為に金を残すのは、子供たちのためにもならない)

とこんなふうに、ぼくはこの詩を都合よく解釈していて、あまり子供たちを楽させてはいけないと、(だから金もやれないし、金も残せない)と、現状の言い訳にしている。

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月14日 (木)

希望のつくり方 ―その2

玄田有史氏の「希望のつくり方」(岩波新書)を読みおえた。これは、東日本大震災前に書かれた本だ。「希望学」のフィールドワークのために、震災前の釜石市で調査している。釜石市を選んだ理由は、津波に何度か襲われ、第2次世界大戦中は、艦砲射撃をうけ街をめちゃくちゃにされ、戦後は鉄の町として復興し、新日鉄釜石を中心に大いに町が栄え、ラグビー部も何度も日本一を経験したが、そんな釜石も製鉄所の閉鎖で一時のにぎわいが去り、そんな中でもものつくりを中心に頑張っている人たちがいる、という理由で調査の対象としたということだ。この本が出版されたのは2010年10月、半年後に起こることをだれも予想は出来なかっただろうが、その後釜石の人たちはどのように「希望」を復興させたのだろう。

ぼくが釜石に興味を持つのは、近くに住んでいたことがあって、実際に釜石をおとづれたことがあるからだが、釜石のことはこれ以上立ち入らない。「希望のつくり方」で、印象深かったのは、「希望は与えられるものではなく、つくるもの」というところだ。その通りだと思う。与えられるのを待っていてはだめだ。逆に与えられるのを期待するから、失望もするのだ。だから、政治に期待や希望を求めてはダメ。そう思うと心が軽くなった。政治には失望させられることが多いが、それは期待するから。そこに希望を見出したいと思うから。この本にも政治への言及がある。引用する。

「希望は苦しい状況の中でこそ、必要とされます。希望を語る以前に政治がまずやるべきことは、何よりその苦しみに対する想像力を持ち、共感しようとすることです」

「希望が多様化している以上、その一つ一つを政治がすべてかなえることはできません。政治の力で何でも希望をかなえることができるといった、甘い言葉を巧みに使う政治家に対しては、冷静な視線と判断力を、私たち国民が持つことも必要です」

「成熟社会における政治の最大の役割は、希望とは反対に、未来に起こるかもしれない絶望を避けることです。そしてそのための最大の努力を、いますることです」

この本の中では、「壁」の話も印象に残った。人生の壁に行き当たった時どうするか。安易に「乗り越えろ」などというのではなく、「壁の前でうろうろしてみる」。そうすれば、何もしないよりもチャンスがあるかもしれないし、うろうろしていたからこそ偶然に助けられることがあるかもしれない。そんな、手探りや試行錯誤の中で、「希望」は見出され、そういう体験のなかから、「希望」を人にも語れるようになると。

希望のつくり方 (岩波新書)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月12日 (火)

小さき声のカノン

仙台フォーラムで「小さき声のカノン」が上映中。このドキュメンタリー映画、見ているとちょっと辛くなる。というのは、この仙台や宮城がやはり純然たる放射能汚染地だということに向き合わざるを得なくなるからだ。でも、ぼくはそれが次に前向きに生きていくためのほんとうにだいじな第一歩かなと思う。そもそも放射能汚染はごまかしようがない。山の恵みである山菜や獣たち、川魚などから放射性物質が検出され、事故前のように自然の恵みをいただく(獣たちの命をいただいて)自然とのバランスを取って生きていくという生き方は出来なくなってしまったからだ。

ここには放射なんて飛んできてないんだ、もしくは飛んできていたとしても気にすることはないんだという、いきかたも可能だろう。でも、そういう現実に目をつぶるいき方は、けっきょく宮城県知事のように、今度宮城の地元の原発を動かすときは、立地自治体だけが合意すればいい、なぜなら福島の事故だって被害はごくせまい地元だけなのだからという態度につながる。

「小さき声のカノン」にも描かれていたが、原発事故でははっきり言って「棄民」されているのだ。そういう意味では、チェルノブイリ事故から30年近くになろうとしているベラルーシでの国家あげての子供の保養はうらやましく感じた。ただ、政府や国家が何かしてくれると思ってはダメだし、するわけはない。今後日本で起こるであろう、原発事故の未来の被災者にも言っておきたいけど(ぼくも、再び被災するかもしれないが)、政府は必ず棄民する。でもそれに絶望するのではなくて、そういう中で、英雄的に働いてきた無名の人たちがいたし、いまもいるということが希望をくれるのだ。

ベラルーシだって、はじめからこどもたちをまもる取り組みがあったわけではない。それにかかわって奮闘して来た人たちがいるのだ。福島にだって、放射能が降り注いだところにだって、政府がやらないことに取り組む人達がいるのだ。そういう名もなき英雄たちがたくさんえがかれていた「小さき声のカノン」に希望を感じることができたのだ。

原発の、その先へ ミツバチ革命が始まる

にほんブログ村 政治ブログ 社会制度へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 9日 (土)

無限を読み解く数学入門

読書の記録。文系人間のぼくでも、つとめて理系の本を読むことにしている。それは例えばなぜかと言えば、核発電を生んだ近代科学技術の事やその背景である科学的思考について知りたいからだ。

角川ソフィア文庫「無限を読み解く数学入門」小島寛之著。文系人間でもわりととっつきやすいし、無味乾燥だと思わずロマンを感じられるのは、数にまつわる「無限」の話。そこから自然数や実数や無理数といった数字の話。確かに「数」には不思議な魅力や性質があり、古代ギリシャ人、とくにピタゴラスが数の神秘に夢中になったのはわかるような気がする。天体の並びが数学的に神秘な調和のもとに配列されていて、運行のたびに天上にきれいな音楽が鳴り響くなんて、なんとも素敵なイメージだ。

さて、無限を考える第一歩に小島氏は、ゼノンのあの有名な詭弁を持ち出す。「アキレスは、亀に絶対に追いつけない」。何故かといえば、先に出発したカメに追いつくためには、アキレスはカメが出発した地点にたどり着かなければならない。アキレスがたどりついた時には、すでにカメはその少し先に行っている。そこで、またアキレスはカメに追いつくためには、亀がとだりついていた地点にまず辿り着かなければいけないが、すでにその時カメは、また少し前に進んでいる…。こうして、距離という線は、いくらでも無限小の点に分割されるので、アキレスと亀との距離は一向に縮まることはないのだ。

もちろんこれは、詭弁であり、現実の世界では、アキレスが亀をひょいとまたいでしまえば、すむのだ。だが、理論的にゼノンを論破することはむずかしい。それを論破するには、十数世紀も歳月を要し、ヨーロッパの一流の知性がこの問題に取り組み、そこから数学の思わぬ分野が発展してきたというのだ。

個人的にはこのゼノンの詭弁はなかなか愛嬌があって面白いと思う。これにならって、ぼくも詭弁を作ると、「分かり合えない人間同士は、絶対に分かり合えない」。なぜかといえば、分かり合えないということは、共通点がないからであって、理解に近づくと見えて接近したとしても、その間には無限小に見えて実は無限大の距離があるので、分かり合えない人間同士は、決して分かり合えないのである。つまり、お互いに永遠に交わることのない2つの直線を平行線と定義したように。まあ、屁理屈ではあるのだが、何で今の世の中コミュニケーションが断絶することがあることが多いのかと思うからこんな屁理屈を作ってみたのだが、その一方で絶対に交わらないと思っていた2点が現実の人間世界では交わることもあり、そういう「混沌」とか「不条理」とか「思わぬ変化」を数学的に表現することも可能なのかと、ちょっと興味深く思うのである。

無限を読みとく数学入門 世界と「私」をつなぐ数の物語 (角川ソフィア文庫)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 7日 (木)

定期戦

仙台一高と二高との伝統の定期戦が行われます。それに先立ち、アピール行進と応援合戦が行われました。こういう、ばかばかしいことも真剣に行うことが大事じゃないかなと思うのです。馬鹿なことができた自分自身の若いころを多少懐かしく思い出しながら、そう思いました。

150507

青葉繁れる (文春文庫)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 5日 (火)

憲法を考える

5月3日は憲法記念日。安倍さんと自民党は本気になって改憲を仕掛けてきている。国民はその重要性を知るべきだが、憲法なんて国民生活に影響しないでしょう、影響しなければ自分には関係ないね、とお人よしの国民は思っているのでしょうか。3日付の河北新報で、自民党改憲案の内容が紹介されていました。

いきなり9条の改憲はハードルが高いと自民党さんも思っているのでしょう。まずは、環境権の創設など口当たりのいいところから攻めてきます。しかし、本当に彼らが自然環境などを大事にする人だとは思えません。大事にする人なら、最大の環境汚染で、国土を汚してしまった核発電所などは憲法違反でしょうし、彼らが言っている「愛国心」にも大いに反します。だから、自民党改憲案には、どうしてもその奥にひそむ「本当の狙い」が気になります。

注意しなければいけないのは、自民党が提案している「緊急事態条項」です。これは大災害時に首相が緊急事態宣言をすれば、国民の権利を停止できるのだそうです。自民党の人たちは、国が攻められたらどうする、大災害が起こったらどうするっていいますが、3.11の大震災のときだって略奪や暴動は起こらなかったでしょう。災害には普段から備え、戦争は起こらないように外交努力をするのが、本当の積極的平和主義ではないですか。もしかしたら、自民党さんは、戦前の関東大震災の時の社会主義者や朝鮮人虐殺のようなことを想定して、国民の権利を中断しようとしているのでしょうか。しかし、自民党さんの歴史教科書には、朝鮮人虐殺は存在しないはず。だとしたら、やはり「本当の狙い」は、災害を口実に反対派の逮捕・投獄や独裁体制の完成なのでは勘ぐりたくもなります。民主的なワイマール憲法下で、ヒットラーが体制を完成させていくのにも、緊急事態条項が利用されたそうです。

伊藤真が問う 日本国憲法の真意

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 3日 (日)

松島水族館

松島マリンピア水族館が閉鎖されます。仙台の幼稚園などでは、必ず見学に行く、そういう地元に愛されてきた水族館です。現代風な水族館ではなく、ちょっと懐かしいような感じもよかったのでしょう。震災の時も、津波が押し寄せてきて被害を受けましたが、普段から自前で設備を整備してきたので、自力で電気などを復旧したそうです。京都から子連れの人が仙台に来てくれましたので、ぼくも松島水族館にお別れと思い、一緒に見てきました。

P5030074_1024x768

東北子どもと楽しむ日帰りおでかけガイド

にほんブログ村 環境ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »