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2015年2月27日 (金)

フクシマ・アクション・プロジェクトへ参加しませんか

フクシマ・アクション・プロジェクトの会員になっているので、総会資料などが送られてきた。フクシマ・アクション・プログラムの活動により、大手新聞やマスコミ、テレビが報じない、原発事故が地域に与える影響を知ることができる。何らかの形で、原発事故に一番苦しんでいる地域とかかわりを持ちたい人や、今後原発が再稼働されていき事故が起これば、日本全国で福島で起こっていることはひとごとではないと思っている人は、ぜひ、フクシマ・アクション・プロジェクトの会員になってほしい。ホームページは、ここだ。

さて、フクシマ・アクション・プログラムが教えてくれる、原発事故の現状を以下にまとめる。原発事故とはどのようなことかを多くの人に知ってほしい。

まず、国と福島県は、事故は過去のものとして、帰民、誘客、誘致の「安全キャンペーン」に躍起だ。線量の高いところでも形だけの除染を行い、避難指示を解除し、いま帰れば90万円の特別補償を上乗せするが、帰らない人には支援を打ち切る。こうして、「帰宅困難地域」「居住制限地域」も次々と解除していくつもり。

サッカーのJヴィレッジは、原発から20キロのところにあり、事故の時は対策拠点となっていたが、福島県に返還されるにあたって、福島県は国に50億円の財政支援を求め、東京オリンピックに向けて運営再開を目指している。

原発の事故現場では1日7000人の作業員が事故収束に向けて作業をしているが、労働災害で2日連続の死亡者が出るなど、労働環境は劣悪。汚染水の管理はずさんであちこちで漏れ続け、海水を汚染しているが、汚染水放出はやむなしの雰囲気になりつつある。

除染で出た放射性ゴミはあちこちで野積みになっているが、破棄物の処理に行き詰まっているので、これらを焼却して減容化する計画が出ている。こんな危険なことはチェルノブイリでも行われなかった。放射性ゴミを燃やせば、放射性物質を含む微粒子が放出され、人が気管からそれを取り入れてしまう。

健康調査では福島県内18歳以下の約38万人が対象とされ、87人ががんと確定診断された。平常では100万人に1~2人とされている発症率からすると、異常に高い数値であるが、県の検討委員会は放射能の影響とは考えられないの見解は変えていない。

200億円かけて、「福島県環境創造センター」が作られ、原子力についての情報・教育施設とされようとしているが、ここには原発を推進する立場である国際原子力機関が常駐する。福島県からは、国際原子力機関に発言や申し入れを一切することができない状況下で、この「環境創造センター」には、県内の小学5年生がすべて行くことになっており、どのような教育がなされるかが疑問。

フクシマ・アクション・プログラムでは、「チェルノブイリ・28年目の子供たち」の映像報告をしてくれた白石さんを招いて総会を行った。白石さんは、28年たって、子供の健康状態は悪いとの現地報告を行った。

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2015年2月24日 (火)

多様な意見

河北新報2月20日付の記事に、想田和弘氏へのインタビューが掲載された。氏は、ISが後藤健二さんを殺害したとされる人質事件を受けて、非常時こそ多様な意見をと呼びかけている。そのきっかけは、安倍氏の「罪を償わせる」という発言で波紋が広がったことだ。

この件については、もと経済産業省の古賀氏がニュース番組で安倍氏の対応を批判した。想田氏から見れば妥当な批判であったが、このニュース番組には政府からも抗議が入り、報道の自由を委縮させたし、売国奴とかテロリストの仲間などと糾弾された。また、非常時に政府を批判するのは利敵行為だという理屈もあったが、想田氏はこれはまずいと思い、「翼賛体制の構築に抗する声明」を呼びかけたという。

想田氏が問題とするのは、日本人はもともと一色になる傾向が強いということだ。テロや暴力は根が深く、解決が困難であるからこそ、いろいろなアプローチが必要であり、多様な意見は非常時にこそ必要になる。しかし、70年前の戦争では、無謀なままで戦争に突入し原爆投下まで降伏しなかった。異論は言いにくいのだ。特に近頃は、異論や反論を排除する傾向が強い。民間でもその傾向は強まっているが、特に政府が先頭に立って、異論つぶして反論は一切許さないという強い態度をとっている。日本人のもともとの傾向と相まって、このような風潮に想田氏が警鐘を鳴らしたといえよう。

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2015年2月22日 (日)

積極的平和主義を考える

河北新報2月20日付の「持論時論」に投稿された河相一成氏の論考を基に「積極的平和主義」について、考えてみる。まず、河相氏の考える積極的平和主義とは、日本国憲法第9条の「戦争放棄」「武力不保持」「国の交戦権を認めない」という規定・思想だという。一切の軍事行動を認めず、国際的紛争が起これば「話し合いで解決する」という思想が積極的平和主義だという。

また、日本平和学会の藤田氏を引用し、積極的平和主義の概念は、暴力の否定を意味し、専守防衛の徹底、災害救助および非暴力平和隊への積極的改組、紛争転換・調停・和解への積極的関与こそ、積極的平和主義だという。

さて、このように積極的平和主義を定義した上で、安倍氏が唱える積極的平和主義は、言葉のすり替えであり、彼が唱えていることは、軍事行動を国際的・集団的に積極的に行うことを目指しているとする。そのうえで、平和の言葉を用いて国民をごまかしているか、あるいは軍事行動のことを平和主義だと思い込んでいるとしたら、無定見であると非難する。

さらに注目すべき点として、アフリカのジブチに自衛隊は海賊対策のために拠点を置いているが、ここを中東全域で行動を展開するための恒久的基地機能を持たせる方針を安倍氏が決めたことだ。そもそもジブチに自衛隊が海外拠点をおくさいには、国会で何の議論もせずに、一片の公文書の交換だけで済ませた。

ジブチに日本の軍事基地があるのは、ぼくも知らなかったのでショックだ。アメリカ軍の基地により、沖縄の人をはじめ日本人も苦しめられているのに、その苦しみを他国の人にも味あわせるのである。憲法9条は、世間知らずのナイーブな平和主義ではない。9条の平和主義こそ、長い目で見れば、紛争たえない地球に平和をもたらす、人類の宝だと思うが、自民党の改憲手続きもいよいよ具体的な日程が決まってきた。選挙に行って意思表示する人は少ないし、若者の間では安倍氏の人気は高い。本当の意味の「平和主義」を、どうしたら多くの人に分かってもらい、賛同者を増やしていけるのか。

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2015年2月19日 (木)

宮城県選出国会議員・和田正宗氏

宮城県選出の国会議員和田正宗氏が、中東で日本人が殺害されたことを受けて、「憲法9条を亡くして、自衛隊を海外に派遣できるようにして、日本人を救出できるようにしろ」と、安倍首相に国会で質問した。安倍さんも、自分の意に沿った質問と、まってましたとばかり、「自民党でも9条をなくす憲法改正案を考えているんですよ」と応じた。

結局政治家は、その国の国民のレベルを反映した人しか出ないとよく言うが、政治家を責めるよりも、まず選挙民である、我々が自分のことを反省すべきなんだと思う。和田さんを選んでしまった、宮城県の主権者、それは選挙となれば、6割から7割の人が、投票所に行かないのであるとしても。

さて、この和田さんの国会での質問についてはいくつか思うところがある。まず、殺害されたとされるジャーナリストの後藤さんだが、彼は、戦場の陰にひそむ見えない人、弱い立場の人たちによりそって、真実を伝えることを信条にしていたといわれる。後藤さんが、事件に巻き込まれていずにジャーナリスト活動を続けていたとしたら、和田さんをはじめ「報復だ」「テロリストを追い詰めろ」「軍隊を派兵しろ」と勇ましいことをいま言っている人たちは、果たして後藤さんの活動に共感して、後藤さんを支援しただろうか。勇ましいことを言っている人たちの信条は、もっとも後藤さんのような人とは、かけ離れているように思えるのだが。

そして、もう一つ。いま、頭の中だけで戦争モードに突入している人たちが、まったく考えていない人たちのことに、ぼくは思いをはせる。この人たちは、政治家が勇ましい論戦をしていても、立場上、意見も言えないし、態度を表明することもできない。いちばんたいへんな立場に置かれているのは、自衛官の人たちとその家族だ。和田さんをはじめ、勇ましいことを言っている人たちは、絶対に自分が傷つく立場に立つことなんかはない。自分は安全なところにいて、「兵隊」を駒のように派遣するだけなのだから。本当に、日本人が殺されたことで愛国心に火がついたのなら、単身中東に乗り込んで報復したらどうだろうか。単身が怖いのなら、安倍さんとお二人で。

いよいよ戦争が現実味を帯びてきて、自衛官の人たちにも動揺が広がっているというのは、2月16日付の河北新報の記事でもわかる。防衛問題の専門誌で「朝雲」は自衛隊員やその家族の間で読まれ、約25万部を発行しているという。その「朝雲」に、「自衛隊が人質を救出できるようにすべきだとの国会質問は現実味に欠けている」との記事が出たという。世界最強の軍隊を持つアメリカでさえ、特殊部隊を投入したが、人質救出に失敗しているのである。われわれは、直接、発言できない自衛隊員やその家族の人たちのためにも、発言していくべきではないか。

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2015年2月17日 (火)

神話の果てに

河北新報が掲載している「東北から問う原子力」の第69回の記事をまとめてみる。原発を行うべきかの議論の土台として電気事業連合会が主張していた、「クリーンなエネルギー」、つまり原発がCO2を排出しない夢のエネルギーということについて、この69回目の記事は「合理的な愚か者」と評している。

どういうことかというと、発電時の二酸化炭素排出量は、石炭火力、コンバインドサイクル式液化天然ガス等と比べれば、低い。しかし、環境面で懸念されるのは温室効果ガスだけでないのに、全体を見ないでCO2排出量だけを主張することを「合理的な愚か者になる」という。原発には放射性物質による汚染リスクが付きまとうし、現に福島の事故では広大な土地が汚染された。原発を維持すれば、燃料採掘から、使用済み燃料の再処理までの全過程で環境負荷がかかる。そこで記事は、最後に、放射性物質を大量に出す電力業界が「クリーン」を主張するのは筋違いであって、印象にとらわれず全体を見渡して、原発の是非を見極めるべきだと説く。

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2015年2月15日 (日)

山形県が新電力会社設立へ

2月14日の河北新報の記事から、山形県が新電力会社を設立するという記事を紹介する。山形県は、県内の再生エネルギー事業者など民間企業と共同出資して、地域電力会社を新年度の設立する方針を固めたという。原発に頼らない、電力を地産地消する仕組みを構築するということなので、ぼくも大いに期待している。

山形県は注目の女性知事吉村氏がいる。その吉村氏が「卒原発」を掲げているので、この地域新電力の設立はその政策の実現に向けての重要な一歩ということになろう。山形では、福島原発事故時に県内で大規模停電が起こったということもあり、東北電力の供給体制に頼りすぎないという名目もあるようだ。電力の地産地消はそのような災害時のバックアップにも役立つだろうし、山形県に豊富にある自然の力(太陽光、風力、バイオマスなど)の潜在力を生かすということもあろう。

現在、電気の固定買取り制度が見直され、再生エネルギー導入に歯止めがかけられ、原発発電分の枠を確保しようと必死である。送電網はもちろん、地域独占企業に握られている。だが、本当に電力の自由化が実施されれば、こうした山形の地域電力会社も、家庭に小売できるようになる。自分で電気が選べる夢のような時代が来るかもしれない。さて、いま各自治体では新年度の予算編成の時期だが、山形の吉村知事は、徹底的に若者と女性に手厚い予算を組んだのだそうだ。隣の芝生だから青く見えるのかもしれないが、とにかく、政治の場にいる女性の数が少なすぎるということは言えそうだ。

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2015年2月13日 (金)

原発は安全なのか

高浜原発は、審査に合格したから安全なのだそうだ。すべての原発の審査が同じであるとは言えないだろうが、審査や点検の書類がどのようなものかを推測させる事態にこんなのがある。東北電力でも、女川原発再稼働に向けて、まっしぐらに進んでいるが、設備健全性確認点検で、構造的に存在しない部位207件を、点検していたと記載する書類を作っていた。そもそも、原発内部に、そんな個所などないのに、「はい、安全です。一丁上がりー、てなもんだ」という勢いで、作った書類なのだろう。もし、事故になって、設計図などを見ながら修理しようとしても、「あるべきはずのあれがない。あれはどこだ?どこだ?」となる。でも、書類上の審査で、安全であれば、安全なのである、日本の原発は。

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2015年2月 9日 (月)

自給で地域の自立を図る

2015年2月7日付の河北新報「座標」に会津自然エネルギー機構代表理事の五十嵐氏の見解が掲載された。氏の見解をまとめてみる。まずは、安倍自民党政権に代わってからのエネルギー政策をこう評する。2030年までのエネルギーミックスをどうすべきかの議論で、原発を再稼働させベースロード電源(基礎にする電源)にしたいという姿勢が見えたとする。経産相の有識者会議で「原子力は発電コストが安く、温暖化ガスの削減に有効だ」という評価が出たことに対して、この福島原発の事故がまるでなかったかのような態度に唖然とすると氏は言っている。

氏は原発事故の現状をこう述べる。メルトダウンした原子炉とその周辺施設では終わりのない後始末が、毎日8000人の作業員を動員して延々と続いているが、事故による死者も出たという現実は認識されていない。

さて、氏は福島県の歴史を振り返る。原発が誘致された浜通り(福島県の太平洋岸の地域)も電源開発のためダムが作られた只見川流域も、産業の乏しい農村であった。発電所工事のために人口と金が流れ込んできたが、その賑わいは一時的なものであり、できた電気もすべて東京に送られ、福島は電力の植民地であったという。

では、この構造から抜け出すのにはどうしたらよいのか。エネルギー源を再生可能エネルギーにしただけではだめだ。(奥会津の水力発電ダムの例を見ればわかる)地域の力でエネルギーを作り出し、地域で経済が循環することが重要であると氏は説く。合図での地域循環型の自然エネルギー事業、全国の先陣を切る成功例になってほしいと、私も願う。

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2015年2月 4日 (水)

後藤さんの思いをつなぐ

「敵を追い詰めて、必ず代償を支払わせる」。これは、世界一好戦的な国アメリカの大統領にこそふさわしい言葉で、実際ブッシュ大統領は何度もこの手の趣旨の発言をした。だが、この言葉が出たのは、長く平和を保ってきた国、日本の首相からである。はたして、これが殺害されたとする後藤健二さんの意思にかなう言葉だろうか。いや、絶対にそうとは思わない。安倍さんは、「平和」という言葉も私たちから奪い、勝手にその中身をすり替えて使っているし、後藤さんが願ってきたことを、勝手に自分の思いにすり替えて使っている。後藤さんが願ってきたことは、もっとも安倍さんの思いとは離れたことだ。この安倍首相の発言は、平和な歩みを続けてきた日本の本当に大きな転換点になる。たとえば、日中戦争のきっかけが盧溝橋事件であったように。

2月3日付の河北新報には、バラバラの面に様々な記事が載っていたが、それをつないでいくと、今日の日本が見える。まず4面に板垣雄三氏の、「邦人殺害事件」の背景を教授する記事。板垣氏は、日本と中東との関係を振り返る。イスラエルのパレスチナ占領に警告を発した1973年の二階堂談話以来、中東の市民に日本への信頼が醸成された。その努力は2001年の河野洋平氏の提唱による、イスラム世界との文明間対話などにも継承されたが2012年にこの流れが打ち切られ、安倍政権のもとではイスラエルとの関係強化が際立つようになった。安倍氏は、ホロコースト記念館で、特定民族への差別や憎悪の残酷性に言及したが、イスラエルがパレスチナ人に対して行う民族浄化や追放には触れなかった。イスラエル国旗をわきにして「テロへ屈伏しない」と強がり、いくら「国際社会とともに」と力んでみても、ムスリム市民にとってこれは「日本は欧米、イスラエルとともに行動する」というメッセージを送ったのであり、日本へ敬愛を抱いてきた日本に対する認識が変わってしまった、と事件の背景を解説する。

2面では、安倍首相が「同盟国が先制攻撃したときも、集団的自衛権を行使し、自衛隊を海外に派遣する」という安倍首相の国会での答弁を載せる。先制攻撃するような同盟国(そして無差別に子供や市民を殺戮する国)と言ったらアメリカしかいないが、そんなアメリカが勝手に他国を攻撃したときでも、自衛隊が海外に駆け付けてアメリカ軍を援護しなければいけない。いったい、安倍さんの頭の中はどうなっているのだろう。勝手に「戦争モード」になっている。イラクやアフガニスタンで、確たる証拠もないのに言いがかりをつけ、子供や非戦闘員を殺害するアメリカ軍に味方するというのだ。「私たちは、安倍首相とは違うんだ」と言っても、イスラム教徒の日本人への憎悪は掻き立てられる。

8面では、野村総研のアンケート調査の結果を掲載し、アベノミクスによる景気回復をまったく実感していないと答えた人の割合が大都市圏よりも地方で多く(関東で30パーセント、東北・北海道で40パーセント台)、正社員よりも派遣社員で多かったとのこと。そして1面では、原発が過酷事故にあう確率が、政府や原子力推進委員会が100万年に1回としていたのに、それがなぜ現実には31年に1回なのか(福島原発の1~3号機を3回の事故と数えれば10年に1回)となるか)の特集記事のスタートで、100万年に1回という机上の空論がどのような計算式で導かれたかを紹介していた。

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2015年2月 2日 (月)

人々の思い

例えば、世論調査で国民全体を対象にしてみたところ、憲法の改正を望んでいる人が全体の40パーセントだとしても、これが改正を望んでいる国会議員となると80パーセンを超えるのだそうです。つまり、民意と代表の考えの間には「ねじれ」があるということです。民意が代表に反映されていないということです。もちろん、そこには選挙制度設計の悪さなどもあるでしょうが、私たちも、自分たちの思いを実現してくれる人を政治の場に送ろうとしてこなかった、そういう努力をしていないということは、反省すべきです。私たち市民が、政治にかかわっていないし、関わろうとしていないのです。

私たちの思いはこうです。私たちは平和を望んでいるし、別に戦争なんて望んでいない。異なる宗教や文化の人たちともできるだけ仲良くしたいし、別に誰か特定の宗教の人たちを恨んでいるわけではない。

でも、私たちの願いや思いが反映されてない政治の状況ではどうなるのか。ある特定の国、例えばアメリカやイスラエルと特に同調することを選択し、ある特定の宗教や民族の人たち、例えばイスラム教徒やパレスチナ人に憎悪を向けようとする。同朋が殺害されれば、軍隊を派遣して武力で解決しようとする。

ぼくはもちろん、理由のない暴力行為には反対しますが、今回の人質事件を幸いな口実として、海外への軍隊の派遣が常態化しないことを願っています。軍隊の派遣という世論を誘導するために、人質を見殺しにしたという、影のシナリオなんてなかったと信じたいですが…

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