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2014年11月30日 (日)

三島由紀夫『近代能楽集』

三島由紀夫の書いた『近代能楽集』より「葵上」「班女」「卒塔婆小町」の朗読劇が仙台であった。(出演:安藤敏彦・伊藤富士子・今野智子・山井克馬・佐藤聖也 場所「サロン・ド・ミーゴ」)三島由紀夫のファンとしては彼の演劇がどのように表現されるのか楽しみで見に行った。朗読を聞き、近代能楽集を久しぶりに読み直した気分だ。この年になると昔読んだ時とはまた違った感じ方がある。昔は三島の言葉の奔流にただ圧倒されたが、今はその知性のきらめきが鼻につかなくもない。だが、日本の伝統芸能である能の精神をよく近代劇の中に生かしているのはさすがだ。

能の世界は、西洋近代の世界と違い時間が直線的に進むのではない。自然と人間は対立しないし、征服や観察の対象ではない。人間を含め生きとし生けるものはすべて自然の一部だ。近代的な因果関係では説明できない。だから、劇中の登場人物は死んだものが亡霊の姿で生きていたり、時空を超えて死んだり生きたりする。それがよく表れていたのが「卒塔婆小町」だ。この作品が能の精神や世界をいちばん表現していたものと思う。日本には、能や歌舞伎など西欧とは違う価値観で作られ日本人の感性や思想を表現してきた演劇がある。こういう伝統を受け継ぎ大事にしていき、それを現代という条件のもとに表現する。それが現代人のやらなくてはならないことだろう。世阿弥の能には必ず最後は救済があったが、三島の近代能楽集には最後、救済がない。三島が割腹自殺を考えていたからだろうか。

そんなことを考えていると、今日の河北新報2面に安倍首相の本が大きく宣伝されている。幻冬舎文庫から出た「安倍晋三試論」だ。そこに三島が自衛隊に向かって決起を促した演説が引用してある。「諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法おだね、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ」。こうして悲願の改憲を目指す安倍首相を三島になぞらえ賛美している。

三島は始めから自衛隊がクーデターを起こすなんて思っていない。ナルシストの三島は自分が割腹自殺することだけを考えていた。だが安倍さんは日本の方向を決めることができる地位にあり、国民に号令をかけることができる。それに三島が現代に生きていたら、安倍さんのことを本物の愛国者だというだろうか。そこは三島は手厳しいと思う。

自民党が各放送局に選挙に関しては公平にニュースを作るようにというお達しを出した。NHKなどはかわいそうなくらい萎縮している。選挙のニュースは後回しで、扱いも小さく、実に差し障りがなく、掘り下げて報道する姿勢がまったくない。この国の方向を決める大事な選挙なのだから、マスコミは大いに盛り上げ、争点を深めて国民に分かりやすく説明し、多くの人が選挙に足を運ぶようにするべきだろう。それなのにそのほかのニュース扱いでは、選挙があるなんて気づかない国民だって出てくる。投票率が下げって大いに有利になるのは自民党と公明党だから、それを狙ったお達しだったのだろうか。

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2014年11月29日 (土)

解散の大義どこに

作家雨宮処凛さんの論評が11月21日付の河北新報に掲載された。今度の衆議院選挙のことを論じている。共感できる部分がままあるので、彼女の論評を要約してみる。

安倍政権の2年間に対する国民の審判を下すべき時がやって来たわけだが、安倍政権がこの2年で何をやって来たかを確認することが大事。それは、廃案を求める人々の声を無視して特定秘密法の可決、同じく反対世論を押し切って集団的自衛権の行使容認、武器輸出解禁、川内原発再稼働。何一つ私たち国民に「信」が問われたわけでないのに、いまなぜ「国民の信を問う」解散なのか?

いま安倍さんがやろうとしていることは何か?それは残業代ゼロ、カジノ、生涯にわたって派遣労働者から抜け出せない不安定雇用づくりといった、「命よりも金」という徹底的なやり方。安倍のミックスの恩恵は大企業と富裕層のみで、庶民には恩恵ゼロ。実質賃金は下がり続け貯蓄ゼロ世帯は3割超。求人が増えてもその中身は非正規のみ。安倍政権ができて正社員は31万人減り、非正規は129万人増える。生活保護費を引き下げ、弱者を切り捨てるなど、一切当事者の意見は聞かない。

忘れてはならないのは、2年前の選挙禹で自民党は秘密保護法・集団的自衛権に一切言及せず、TPPには反対と言って大勝利した。これで国民に「信」など問える資格があるのか?(以上、要約)

現在の与党2党が選挙で勝てば、やはり選挙公約でいわれなかったことが実現される恐れがある。徴兵制から国軍創設、憲法改正までが視野に入ってくる。勝てば官軍とばかり、好きなことをやってよいものだろうか。民主主義の世の中なのだから、わが党は選挙で支持してくれればこういう政策を実現しますと、国民に約束するのが筋だと思うが。

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2014年11月25日 (火)

連休

連休中はどこも人出でにぎわっていたようだ。我が家にも京都からお客さんがあったし、東京にも出かけた。京都の方と一緒に塩釜神社に行った。勤労感謝の日、すなわち新嘗祭なので、神社では神楽が奉納されていたし、七五三や初参りなどでとてもにぎわっていた。震災以来あまり海を見たり行ったりするのは気が進まないし、震災直後の映像や写真を見るとあの当時のことが思い浮かんできてつらい気になる。だが、塩釜さまは海の神様だ。昔から東北の人は海からひどい目にもあいながら、その恵みも受けてかかわりあって生きてきた。その信仰が塩釜様に現れているのかなとも思う。

復旧した松島の観光船に乗った時は、被災の語り部さんが乗って乗客に話をしていた。奥松島で被災し、人々は避難所の小学校に一生懸命逃げたのだが、そこに津波が来て多くの方が亡くなったという。連れ合いの方も亡くしたそうだが、3年たってあの津波は起こるべくして起こった必然だと思えるようになったという話が心に残った。こんなふうに東北の人の海とのかかわり方や信仰が、長い間培われてきた。自然からの災害は立ち直ることができるが、原発が引き起こした人災はわたしたちの自然とのかかわり方を根本から変えてしまうし、人間的なスケールの時間単位では復興は不可能だ。本当に原発は罪深い。

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2014年11月22日 (土)

男の子

京都で沖縄と東北の被災地をつなぐ活動をしている方が来仙し、我が家に泊まってくれている。4歳の男の子を連れての訪問だが、小さい子と遊んでいると癒される。人は人でしか癒されないのだなと思う。そして、男の子を見てて思うこと。それは、自分も小さいときは絶対にこういう面があったと思いだす、そういうところ。人前で裸になり、チ○チ○を見せて受けを狙うなんていうお調子者の面というのは、男の子特有のもので、女の子にはないのではないだろうか。しようもないなと思う反面同類として大いに共感するところもあるのだ。どうして、男というのはこんなにしようもないのか?ぼくは女の子しか育てたことがないのでわからないが、男の子というのはそういう面がありますよね。まあ、それが可愛いと思うのだが。

モーツアルトのオペラ。台本ははっきり言ってしようもない。下ネタのオンパレード。でも音楽が素晴らしい。死ぬということはモーツアルトのオペラが聞けなくなること、と言った天才科学者の言葉の通り、本当に素晴らしい音楽と歌。でも、彼は小学生の男の子が「う○ち」とかの下ネタで受けてるのと同じくらいのレベルの無邪気さがある。そういう人でないとああいう天国の音楽みたいものを書けなかったのかな。

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2014年11月20日 (木)

核心評論―原発再稼働を考える

11月18日付の河北新報の「核心評論」では、川内原発と火山のことについて論じている。参考になるのでポイントとなる点をまとめてみる。

まず現在の火山の予知レベルであるが、御岳山の噴火でもわかるように「火山学の実力はまだ社会が求めるレベルではない」と火山噴火予知連絡会の会長が認めている。それにもかかわらず、九州電力は原発稼働中に次の巨大噴火が起こる可能性は十分低いと断定し原子力規制委員会もただそれを追認してしまった。さらに九電は巨大噴火が起こるとしても事前に把握できると主張しているが、火山学会では予知など不可能だと言っている。記事は、川内原発の再稼働は科学技術に基づいて安全性を判断したなどというべきでないと主張しているが、まったくその通りだと思う。

原発の事故後ぼくは数学や確率、科学の問題について改めて考えてみた。確率○○パーセントと言っても、それは何百回と試行を繰り返して平均したらその事象が何回起こるのかを数学的に計算しただけであって、一人の人間の実存にとって数学的な確率は意味がないということが分かった。たとえ10万分の一の確立でも、その10万分の1の出来事が明日その人に起こるかもしれないし、10万年後まで起こらないかもしれないし、もし明日起こればそれはその人にとってとても重要な意味を持つことであるのだ。原発を稼働するということは、そういう人生の実存的な意味は捨て、たとえ事故があったとしても10万分の1の出来事がたまたま起こってしまったので、事故にあった人たちは我慢しろと言って、一切事故に会う人たちのそれぞれの実存を無視するものだ。そうでもしなければ原発というものは動かすことができないはずのものなのだ。

今度国政選挙があるが、安倍さんは一切原発の再稼働・輸出・秘密保護法などの言論統制・憲法改正と国軍創設等のことは言わないで選挙に臨もうとしているが、選挙公約にないことを実行するのが安倍さんのやり方である。安倍さんが消費税増税を延期すると言っているし、これなら何も争点がないので選挙に行かなくていいやというのが、いちばん安倍さんを喜ばせるやり方だ。投票率が低ければ自民党と公明党の圧勝で、公約になかったことを次々と実行してくるだろう。とにかく原発は嫌だ、安心して暮らせる環境が欲しいという意思表示を国民の多くの人がすることを望む。

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2014年11月18日 (火)

沖縄県知事選

沖縄県知事選では辺野古に米軍基地を作ることに反対する候補が当選した。沖縄の人たちの意思が示された素晴らしい選挙結果だと思う。自民党と安倍首相、そしてその周辺のブレーンの方々が進める国づくりに待ったをかける選挙結果で、いい話があるとは思えなかった政治状況の近頃の動きの中では久々にいい結果だったと思う。雨がようやく上がろうとして虹が出るような。

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中央からじゃぶじゃぶ流れてくる金よりも、自立の道を選んだ沖縄の人たちに敬意を表したいと思う。ヤマトの人たちがあまりにも沖縄を踏みつけにするのなら、沖縄の独立をぼくは支持したいと思う。基地も原発も嫌なものを押し付けるという構図が沖縄も東北も似ているとは思うが、安易に東北と沖縄は同じだということは言えないと思う。沖縄の人たちは、もうごめんだという意思表示をしたが、東北の人たちは、黙って原発を受け入れてきた。もちろん、反対運動もずいぶんしてきたが、結局結果としては原発を受け入れた。事故があっても、沖縄のように意思表示をせずに、事故の結果も受け入れている。沖縄の人たちからは、私たちとは違うでしょー、自分たちで受け入れて反対もしてこなかったんだから、そうなっても仕方がないよ、と言われたらその通りだ。踏みつけられてきた東北はいつ意思表示をするのだろう。

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2014年11月15日 (土)

核心評論

河北新報13日・14日付の記事に共同通信編集委員井田氏の「核心評論」が掲載された。原発の再稼働をめぐり論点が整理されているので大変参考になった。まず13日付の記事では、九州電力川内原子力発電所再稼働の問題点をこう指摘する。

「大規模噴火のリスク検証・災害弱者を含めた避難計画・事故時の放射性物質の監視と住民への情報提供の仕組みつくりなど多くの問題が棚上げされたままで、そして事故で大きな被害を受ける可能性がある30キロ圏外の住民の意見がほとんど顧みられないままの再稼働は、まるで福島原発事故がなかったかのようで許されない。」

世論の脱原発の願いとは裏腹に、原発を促進する動きについてもこう指摘する。

「経産省の委員会では、電力の自由化が進めば原子力は不利な状況に置かれるので、会計基準の改定や原発由来の電気を優遇する新たな料金制度の導入といった支援策が検討されているが、市民につけを回すこのような仕組みは受け入れられない」

最後には、エネルギー政策の無定見を批判し、原発を終わらせるための仕組み作りを提案する。

「電力自由化を進めながら原発支援策を検討する。再生エネルギー拡大を目指しながら、買い取りをストップし、原発を推進する。これでは持続的なエネルギー社会は実現できない。原発の延命を図らず、原発の役割を終えられるための仕組みつくりをすべきだ」

鹿児島県を始め原発立地自治体もそのような仕組みがあれば、その間に自立する方向を考えることができる。

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2014年11月12日 (水)

再生エネ契約中断

東北電力が再生可能エネルギー買取りを中断したことに関して、東北電力の主張の虚偽性を指摘する記事が、11月3日付の河北新報に投稿された。投稿主の杉山丞氏の指摘をまとめてみる。まずは、東北電力が再生可能エネルギーの買取りを中断した理由をおさらいしてみる。

「菅内での太陽光1087万キロワットと風力200万キロワットをすべて送電網に接続すると、供給力は低需要期の970万キロワットを上回り、最悪の場合大規模停電に至る」

さて、東北電力の主張のごまかしを杉山氏は以下のように指摘する。

・太陽光発電は小さな雲が移動するだけでも細かく変動するので、東北全体に配置された太陽光パネルがすべて同時に1087万キロワットの出力をするわけではない。天気が良い日でも最大出力の7割で、低需要期の電力を上回る恐れはない。

・買取り認定された発電設備の中で、現時点で実際すでに導入されたものは72万キロワットにすぎず、今後毎年80万キロワットずつ導入されても14年かかる。つまり認定された再生エネがすべて導入されるまで10数年かかるうえに、すべて導入されたとしても低需要期の最大電力を超過する心配はない。

ではなぜ、東北電力は無理にでも再生エネルギーの買取りを中断するのか?それを杉山氏は以下のように推測する。

・350万キロワットある原発を再稼働させるためである。低需要期の電力供給を原発が多く占めてしまうため、残りは火力、水力などにしか割くことができず再生可能エネルギーが割り込む余地はない。

・しかも東北電力が言っている低需要期に970万キロワットというのはからくりで、実際は低需要期の昼前後であれば必要電力は700万キロワットしかない。これではますます原発由来の電力が需要枠を満たしてしまい、再生エネルギーが入り込む余地がない。

なるほど、杉山氏の解説はよくわかる。数字のごまかしは官僚・企業・御用学者の常とう手段だが、これほどわかりやすく解説してくれれば、そのごまかしはよくわかる。再生可能エネルギーの導入が進まないのは、導入したくないから、原発を温存したいためなのである。杉山氏は、私たちは何を選択するべきかを問うて、新聞への投稿を終えている。「事故リスクと廃棄物処理コストの高い原発と運命を共にし続けるのか?次世代への投資として再生エネルギー拡大を優先するのか?」

原発にしがみつく人たちは、時代遅れであるし、倫理にももとる。現に東北の自然を広範に汚染した原発とは共生できないのだし、現世代だけが享楽し、つけはすべて次世代に回す仕組みは原発は世代間倫理にも大きくもとるものだ。

ふつう、杉山氏が河北新報に投稿すれば、東北電力の役員さんがすぐに反論の投稿をし杉山氏の主張が虚偽や誤解に満ちていると主張するのだが、今回の杉山氏の投稿については東北電力側の反論投稿をまだ、ぼくは見ていない。

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2014年11月 8日 (土)

川内原発再稼働

川内原発が再稼働する。再稼働に同意した鹿児島県知事と県議会議員の名前は長く記憶にとどめられるべきだ。特に、近い将来事故が起こった時、この時点がぜひ振り返られるべきだ。原発は火山・地震・津波だけでなく、ほんのちょっとしたことでも冷却が止まり大事故につながる。事故が起こり立ち退きを迫られ、自然環境が汚染された時点から、現在を振り返り人は何を考えるのか?

再稼働に同意した鹿児島知事は、実に宮城県の知事と思考と立ち場が類似する。鹿児島知事の再稼働に賛成する理由は、「国が安全に責任を持つと言ったから。国がいざというときは面倒を見ると言ったから」。本当に事故があった時、国が対処してくれると思っているのだろうか?国が確実にしてくれることは、「棄民」だ。事故があっても、何もしないし、事故のあとにも責任は取らない。そもそも所管大臣が、原発の名前を間違い「かわうち」と呼んでいるくらいなのだから、国は地元民の安全になんか興味がないことは明白だ。

11月7日付の河北新報には、今も続く福島原発の影響が報告されていた。東北では昔からマタギなどの文化があり、野生動物を狩り食べることは、縄文から続く東北人らしい自然との共生の在り方だ。今風でいえば「ジビエ」と言って、野生動物の肉は、おしゃれでグルメなことで、スローフード運動の中でも見直されている。ところが山形県小国の熊肉、岩手県五葉山の鹿肉など原発から100キロ200キロ離れたところでも、肉に放射性物質が検出され販売ができない。東電も国も賠償すらしない。宮城県丸森でも事故前から猪肉を扱う寿司屋が有名だったし、事故前には地元の人ががんばって猪肉の処理場を作り町おこしに大いに役立ちそうな期待が膨らんでいた。もちろん原発事故で、イノシシ肉は食べられなくなり、東北が続けてきた文化・人の生き方・自然との共生が消えようとしている。東北一円の広大な山に降った放射性物質だけはこれから何百万年もの間循環・輪廻を続け、罪のない動物・植物・そして人間の体をかけめぐっていく。こうなったらもう止めようがない。川内原発も事故があれば隣県どころか福岡・沖縄・四国にだって影響が及び、そこの自然はダメになる。原発から500キロ半径の人が当事者となり合意する権利を行使しないというのは不条理だ。

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2014年11月 6日 (木)

少子高齢社会を考える

参考図書「家族社会と経済分析」山重慎二著・東京大学出版会

 少子高齢社会は、今後の日本社会がチャレンジすべき大いなる課題だ。しかし、少子高齢化を悲観すべきこととだけ考えるのもよくない。人口が減り、住環境や自然環境も改善されるという見通しだってあるのだから。大事なのは、どのようなビジョンを持って社会を作っていくかということだ。こういう時にこそ、社会科学系の学問は役に立つと思う。某国の首相のように、大学の文系は全部つぶして理系だけでよいと考えるのは、それこそ亡国の考え方だと思うのだが。「家族社会と経済分析」山重慎二氏の著作を見て、ぼく自身も日本社会史をふりかえり考える際に大いに参考になった。以下、ポイントをまとめてみる。

1.人口置換水準=人口が減らないために一人の女性から生まれる子どもの数は2.08である。1974年以降、現在まで出生率は人口置換水準を下回り続け2010年からは人口減少側面にはいった。この時期におこった人々の考えの変化に注目。

①以前:多くの人が貧しく、十分な資産をもてない状況では、結婚し子供を持つことが人生のリスクに備える唯一の方法。だから人は結婚し子供を持った。

②以降:経済発展とともに、資産蓄積が進み、市場で何でも買えるとなると、将来リスクも市場で備える。だから無理に結婚して子供を持つ必要はない。親の扶養も、昔ながらの規範「子どもが親の面倒を見る」に縛られるよりも、よい仕事を見つけ蓄えを増やす。だから若者は親を残し地方を捨て都会に出て高い所得が得られる仕事に就く。

※経済が発展するとどの国も少子化という現象が起こるが、日本の場合を社会経済的にうまく説明できていると思う。

2.政府の福祉政策と出生率低下のとの関係:

福祉の充実を求める人々と政府の福祉政策⇒1960年ごろ、子どもという試算を失った地方の高齢者が政府に生活保障を求める。経済成長で税収が豊かだった政府もそれにこたえ、1961年皆保険・皆年金が実現する。1973年政府は「福祉元年」を宣言し、社会保障制度の拡充を図った。⇒これがさらに家族の弱体化を図り、老後の生活は家族でなく政府が保障してくれるので、結婚出産の意欲がますます低下⇒家族が弱体化し、高齢者が貧困に陥るリスクが高まり社会保障が拡大⇒婚姻率・出生率の低下

※福祉政策との関連で出生率を論じる論調が少なかったので上記の見解はぼくにとって斬新な気がした。

3.政府の政策と共同体と少子化の関係:

市場経済が発達し、政府が市場の失敗を緩和するような役割(例:失業保険の給付や生活保護)を拡大させると、人々の共同体への依存度が低下⇒地域共同体の弱体化と共同体内での相互扶助の減少⇒政府の役割の拡大⇒共同体の役割りの低下・高齢者の独り暮らしが増え貧困リスクはますます高まる⇒政府の役割の拡大は公債で賄っているので将来の少ない生産年齢人口で公債=借金は返せるのか?

※共同体や家族主義が残っている国、例えばイスラム圏では出生率が高く人口が増加しているということをこれで説明できる。

4.山重氏が提案する少子高齢対策

政府の拡大が、家族や共同体を弱体化させるという副作用を持ってきたことを明確に意思し、副作用を緩和する政策を取りながら、新しい定常状態を目指すべきだ。

※これにはぼくも共感する。経済成長や原発を夢みる政治家がいるが、これからの日本にはそぐわない。昔ながらのやり方にしがみついているから、この日本の歴史的な転換点を曲がりきれない。

細かい政策だが非常に本質を突いている議論:①子育て支援は児童手当のような現物給付が良いのか?それとも②保育サービスなどの現物給付が良いのか?⇒この2つは同じ効果があるものの異なる派生効果がある。

①児童手当の充実は子どもをたくさん持つほど収入が増えるので、労働供給が少なくなる[=働き手として社会参加する人が少なくなる]移民受け入れが容易で、女性が働かなくてもよい国は①がよい。

②日本のように移民受け入れに抵抗があり、女性も社会貢献をしたいと思っている国では②がよい。ただし、子育ての労働の両立が可能になる社会を作る必要あり。

 

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2014年11月 4日 (火)

宇治と源氏物語

源氏物語の後半、光源氏亡き後、その息子たちの世代に物語は移っていく。宇治を舞台としたその物語を「宇治10帖」という。前半の光源氏の華麗な女性遍歴よりも、ぼくはこの宇治10帖が好きだ。宇治10帖は近代小説につながるような、個人としての人間の苦悩がある。それは主人公の薫が自分の出生の秘密に悩まされているからだ。薫の出生は、光源氏が若き頃犯した罪の因果の結果なのだが、その罪の因果は単に当時の人が信仰していたありきたりの仏教の教説で説明できないようなもっと大きな人間的な真理のような気がする。悩んでいる人は薫だけではない。二人の貴公子に求愛されて浮舟は宇治川に身を投げる。

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ここが彼女が身を投げた宇治川。浮舟は、だが、横川の僧都に身を助けられ、比叡山のふもとにかくまわれ出家する。彼女のようなすばらしい恋愛をだれもが経験できるわけではなく、恋愛に関しては彼女は選ばれた人間であるわけだが、(そして彼女はその恋愛に深く傷つけられたのだが)、救済を求める彼女の心情は、人間に普遍的なものだと思う。ぼくも近頃、本当に救われたい、出離したいと思うことがしばしばある。

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そして、救済の世界を現実の世界に目に見える形で現前させるだけの此の世の権力を持っていたのが、藤原道長の息子頼通。宇治の平等院が今年修理し終わり当時の姿さながらの鮮やかな姿でよみがえった。もちろん当時は藤原氏の私的な場所で、ぼくのような下賤のものの立ち入れる場所ではなかったろうが、今は一般公開されて大人気、長蛇の列である。見物客は確かに多すぎるが、でも建物はやはり一見の価値がある。それに、内部に飾り付けてある来迎図、つまり臨終のときに雲に乗ってお迎えに来てくれるさまざまな菩薩や天人たちの彫像が何と言っても素晴らしい。来迎図に取り囲まれて、本当に救済の時が来るのを待ち望んでいたのだなと思う。

こんなふうに先月、宇治見学に行く機会があったので余韻に浸っている。京都の街中もよいが、京都から少し離れて自然の多い宇治もよい。源氏物語ミュージアムもあり、源氏物語の勉強もできるし、その世界にもひたれる。戻ってきてからは、いま、改めて「紫式部日記」を読んでいる。冒頭、道長の娘彰子についに男児が誕生するがその時この平等院を作った頼通は17歳。今でいえば高校生の男の子である。

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2014年11月 2日 (日)

うーん、納得いかないかな

10月31日付の河北新報を見ると、東北電力の15年3月期の純利益が680億円になるという。ほかの地域独占型電力会社も軒並み黒字になるらしい。これらの電力会社は、かかった経費に一定の利益を上乗せして商品を売ることができる特別な利権を有しているし、ほとんど好きなように値上げをしてもいいし、でも買い手はその値上げを拒むことができない、という環境の中で経済活動をしている。原発が止まっているので、電気が足りなくなるし、経営も苦しいので電気料金を値上げさせてもらいますと言っておいて、ほら見なさい、原発がなければ電気が高くなってあんたたち苦しいでしょう、困るのはあんたたちなんですよと脅しをかける。その一方で、太陽光などの自然エネルギーの買取りはかたくなに拒んでいる。何かおかしいような気もするが、きっと頭がおかしいのはぼくの方なんでしょう。「原発ホワイトアウト」という匿名の経産省官僚が書いた小説には、「原発は自動的に金を生む機械なんだよ」という趣旨の発言をする電力会社の幹部が出てくるそうですが。

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