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2014年8月29日 (金)

気になる県知事選

気になる県知事選が2つ控えている。一つは沖縄だ。自民党と創価学会が推す現職の仲井真知事が再選を目指す。仲井真知事は、基地建設のための辺野古の埋め立てについて記者に聞かれ、「そんなことは分からない。国に聞いてくれ」と言った人だ。その態度は宮城県の村井知事を彷彿とさせる。つまり、住民にとって一番身近な県知事には、なにがなんでも県民を守るという発想はなく、知事の役割は国から予算を取ってきてそれを自分の支持者に分配するという発想である。つまり、下を向いて仕事をするのでなく、上を向いて仕事をするのが知事の仕事だ、ということだ。

県知事選には辺野古に基地移設を反対している対立候補翁長氏も出馬する予定。沖縄県民の意思として基地は沖縄に要らないという声がどれくらい大きくなるかが注目される。もちろん基地に賛成の沖縄県民も多いだろうから、選挙は対立候補が簡単に勝てるものではないだろう。8月28日付の朝日新聞の報道によれば(朝日なので虚報かもしれないが)、辺野古がある漁協では基地のための埋め立ての補償として、漁民一人当たりに2000万の補償金が出たそうだ。埋め立てられるのは辺野古沖だが、その辺野古沖で漁をしてなくても、漁協組合員だからという理由である。基地も原発もこんな風にじゃぶじゃぶとお金が流れてくる。2000万という大金、お金に弱いぼくも決して断れる金額ではない。

もう一つは福島県知事選だ。現職の佐藤氏が再出馬しないことになったので、にわかに情勢が変わった。現職佐藤氏も決して良い人でなくプルトニウムをまき散らした張本人ではあるが、民主党系なので、曲がりなりにも自民党・創価学会の対抗軸だったのだが、これで福島県知事選はおそらく自民党・創価学会系の候補の低投票率下の圧勝になるだろう。そうなれば、福島第2原発は無傷だったので再稼働しましょう、という悪夢が悪夢でなくなる可能性もある。また、福島にはせっかく地方を中心にしたエネルギー自給を目指し自立する動きなどもあったのだが、結局お金を中央から引っ張ってきて、除染ビジネス、汚染物質受入れやその関連の補助金がたくさん流れてきて、金まみれでずぶずぶになるだろう。結局、原発が動いていても、事故を起こしても、とにかく中央からお金が流れてきてそれで生きていくというだけになる。青森や福井のような原発から足を洗えないところも、結局第2の福島になるだろう。

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2014年8月26日 (火)

石垣りんさんの詩―つづきの続き

石垣りんさんの詩を最後にもう一つ引用。これは単に好きなので。

幻の花

「庭に

今年の菊が咲いた。

子供のとき、

季節は目の前に

ひとつしか展開しなかった。

今は見える

去年の菊。

おととしの菊。

十年前の菊。

遠くから

まぼろしの花たちがあらわれ

今年の花を

連れ去ろうとしているのが見える。

ああ、この菊も!

そうして別れる

私もまた何かの手にひかれて。」

今日なぞは小雨まじりで肌寒い。あれほど暑かったのにまた夏はいってしまうのだろうか。

もうすぐ菊の季節にもなる。

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2014年8月24日 (日)

石垣りんさんの詩―つづき

もう一つ石垣りんさんの詩を引用する。

『挨拶』原爆の写真に寄せて

あ、

この焼けただれた顔は

一九四五年八月六日

その時広島にいた人

二五万人の焼けただれの一つ

すでに此の世にないもの

とはいえ

友よ

向き合った互いの顔を

も一度見直そう

戦火の跡もとどめぬ

すこやかな今日の顔

すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき

私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して

生と死のきわどい淵を歩くとき

なぜそんなにも安らかに

あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ

何かが近づいてきはしないか

見きわめなければならないものは目の前に

えり分けなければならないものは

手の中にある

午前八時一五分は

毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝

一瞬にして死んだ二五万人の人すべて

いま在る

あなたの如く 私の如く

やすらかに 美しく 油断していた。

(1952・8)

日付から分かるようにこの詩は、戦後間もないころに書かれた。本人のお話によると、職場の労働組合で原爆の写真に詩をつけるということになった時に、作るよう急遽依頼されて作ったのだという。最後の2連がぼくは特にいいと思う。あの福島原発が爆発したとき、ぼくも「やすらかに 美しく 油断していた」。宮城県沖地震が来る、来る、と言われ続けていて、県内では広報でも大きな地震の発生確率が非常に高まっているということを震災前からさかんに言い続けていたので、地震が実際に来たときはついに来たのか、と思っただけだ。(ただ、考えていたのとは桁外れに揺れの大きさと長さが違ったが)

原発事故については、震災前には全く考えてもいなかった。自宅と福島原発とがどれくらい離れているのかなんて考えてもみなかった。これから、全国で再稼働がどんどん進み,川内でも、女川でも、また同じように「やすらかに 美しく 油断していた」なんてことがあってほしくない。だから、今日脱原発仙台金曜デモ100回記念のデモに参加してきた。ライブあり、県内外からの訴えありで楽しい企画だった。デモの参加所は300人くらいいただろうか。デモは途中から雨に降られてしまったが、みな濡れながらも最後まで原発のストップを訴えて歩いた。

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2014年8月22日 (金)

私の前にある鍋とお釜と燃える火と

石垣りんさんの詩を引用する。

私の前にある鍋とお釜と燃える火と

「それは長い間

私たち女のまえに

いつも置かれていたもの、

自分の力にかなう

ほどよい大きさの鍋や

お米がぷつぷつとふくらんで

光り出すに都合のいい釜や

劫初からうけつがれた火のほてりの前には

母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは

どれほどの愛や誠実の分量を

これらの器物にそそぎ入れたことだろう、

ある時はそれが赤いにんじんだったり

くろい昆布だったり

たたきつぶされた魚だったり

台所では

いつも正確に朝昼晩への用意がなされ

用意のまえにはいつも幾たりかの

あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて

どうして女がいそいそと炊事など

繰り返せたろう?

それはたゆみないいつくしみ

無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた

女の役目であったのは

不幸なこととは思われない、

そのために知識や、世間での地位が

たちおくれたとしても

おそくはない

私たちの前にあるものは

鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で

お芋や、肉を料理するように

深い思いをこめて

政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく

全部が

人間のために供せられるように

全部が愛情の対象あって励むように。」

こういう情念というか怨念がこもった言葉を言えるのは近頃であれば、武藤類子さんの「私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です」の名演説しか思い出さない。日本の女性たちも東北もいつもいつも踏みつけられてきた。今も平気で被爆させられていて、張本人たちは知らん顔で次の金儲けへとひた走る。私たち鬼にならでかは。仙台の脱原発デモが100回の節目を迎えます。8月24日(日)に会いましょう。詳しくは、こちらのサイトで。

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2014年8月20日 (水)

戦争に協力しないために

パレスチナの戦争、シリア、イラクの戦争。いずれにせよアメリカが戦争に大きくかかわっていますが、こういう戦争をなくすにはどうすればよいのでしょう。アメリカが戦争すれば、安倍さんが日本の自衛隊を戦争に参加させる危険が増すことでもありますし。われわれ庶民にできることなんてある?実は直接でなくとも、できることはあるのです。戦争に協力したくなければ、預金先を変えるのも一つの手です。ぼくは「労金」に積み立てています。そういうお金と戦争の関係を雑誌が特集しています。

日刊SPA

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2014年8月19日 (火)

『父と暮らせば』―続き

井上ひさし作の『父と暮らせば』仙台公演(宇都宮祐三氏構成・演出)の、感動さめやらず感じたことをもう少し書いてみます。まず、役者さんの生、というか肉体の力強さを感じました。女優さんは、体も細く小さかったように思えましたが、でもそういう体格とか筋力とは別の次元の力強さというのを感じた。演劇の良さ、人が夢中になるところというのはそういう「生身」「肉体」というところなんだと思った。

そして『父と暮らせば』というこの作品は古典であると。お芝居で「古典」というのは例えば『忠臣蔵」のようなもので、誰でもそのストーリーを知っていて、あの場面のあそこは泣けるよねと話題にすることができ、そしていろいろな役者さんがその劇の役に挑戦し、誰が演じるどの役がこんな風によかったけど、でも別の役者が演じるあれもよかったなんて話題にでき、役者の方でもその劇のだれ役を演じることができるのが誉れで、というふうなお芝居だ。『父と暮らせば』も、これからますます演じられる必要があるし、日本の古典になる、しなくてはいけないお芝居だと思った。

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2014年8月17日 (日)

『父と暮らせば』を見る

17日16時から仙台市民活動サポートセンターで行われた井上ひさし原作『父と暮らせば』の公演を見た。娘の福吉美津江役に板垣桃子さん、父の福吉竹造役に若林正さん、構成演出が宇都宮祐三氏。単なる朗読劇ではなく、準朗読劇で、役者さんたちの熱演が素晴らしかった。初めてこの作品を知り、講演を見たのももちろん初めてだったがとても感動した。原爆投下直後の広島を扱ったこの作品を毎年8月15日前後に公演を行い、広島であったこと、広島で人々がどのような思いをしたのかを、語り伝えていくことは出来ないだろうか。

安倍首相をはじめ安倍さんに共感する人たちは、東京裁判が勝者による押しつけだと主張し東京裁判を認めない。もちろん押し付けに決まっている。戦争なんて力の強いものが勝つのだ。しかし、もし日本が戦争に勝っていたら、日本は敗者に対してアメリカよりももっと寛大な裁判をすることができたのか?もっと民主的な手続きを踏んだ裁判をすることができたというのか?勝者による一方的な裁判だからあの裁判は無効で戦犯はいなかったというのでは、日本がアジアに対してした野蛮で残酷な行為もなかったことになるし、アメリカの戦争犯罪や人道違反行為も告発できない。日本はアジアに対していいこともしただろうし、悪いこともした、それを認めたうえで、アメリカの原爆投下行為や無差別市民殺傷の空襲なども告発していけばいいと思うのだが、安倍首相をはじめ彼に共感する人たちは、日本の罪には目を閉じ、アメリカに盲目的に追従する。中国と韓国を仮想敵国にし、本当に独立を勝ち取らなければいけないアメリカに対してはそこから人の目をそらせる。やはり、東京裁判を認めること、つまり日本の敗戦を受け入れるところが、ぼくは第一歩だと思う。ぼくたちは敗戦国に生まれ、その敗戦の状態はいまも続いていて独立も自由もぼくたちにはないのだ、と認識することから、独立や自由の獲得という課題や目標が出て来るのではないか。

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2014年8月16日 (土)

父と暮らせば

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8月17日(日)、仙台サポートセンターB1Fシアターで、演出宇都宮祐三氏による『父と暮らせば』が上演される。『父と暮らせば』は仙台ゆかりの作家井上ひさし氏のもの。そして演出の宇都宮氏もここ仙台で10数年仕事をしてきたゆかりの人であります。今年の夏も、あの8月の日が巡ってきましたが、演劇を見て戦争や原爆のこと、さらには震災、原発事故のことを考えてみませんか。公演は13時と16時の2回。当日券を入口で買うこともできますし、連絡いただければチケットの予約・取り置きもできるそうです。当日・予約ともに2000円だそうです。連絡は演出の宇都宮氏までどうぞ。

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2014年8月12日 (火)

パンドラの約束

原発推進を強く訴える映画「パンドラの約束」(Pandora's Promise)を見てきました。ギリシャ神話では、パンドラが箱を開けるとありとあらゆる悪がこの地球上に飛び出してきたが、最後に箱の中に残ったものは「希望」。推進する人々にとっては「原発」こそが希望ということでしょう。上映されたのは仙台の街中にある「桜井薬局セントラルホール」。いい映画をやっているのですが、何せ人の入りが悪い。ところが平日の昼間だというのに、いつもより混んでいます。きちんとした格好のいかにも大企業に勤めている人たちの集団が。ぼくの推測ですが、映画の鑑賞券を大量に会社で購入して、「見に行くように」という社内命令で来たのではないでしょうか。電力の本社さんも近いことですし。まあ、これで桜井薬局さんも一息つけたでしょうから、これを元手にまたいい映画を(見る人が少なくても)がんばってやってください。

さて、映画の紹介をします。これは、バリバリの環境保護活動家でかつて原発に大反対をしていた人たちが、原発の良さに気付いて過去を懺悔し、推進派に転向し原発の良さを語るというものです。映画で語られていた原発を推進すべき理由を以下に列挙します。

・原発が怖いという大衆のイメージは無知に基づくものだ。地球には自然放射能があふれている。鉱泉からも放射能は出ている。ブラジルの海岸では毎時25マイクロシーベルトの自然放射線が出ているが、この海岸で人々は砂浴をし、健康になる。

・地球温暖化を止めるためには、原発しかない。

・再生可能エネルギーは不安定で、風が吹かない日もあれば、日が照らない日もある。風力や太陽光を動かすのにも天然ガスを燃やさなければいけないので、現在の地球で消費されているエネルギーは圧倒的に化石燃料である。

・いま地球で一番伸びているのは石炭産業で恐ろしい勢いで消費されている。石炭を燃やしたせいで大気汚染がおこり、これで死ぬ人が毎年何百万人もいるが、原発で死んだ人はいない。原発は一番安全なエネルギーである。太陽光よりも安全で、太陽光発電は製造過程で猛毒をまき散らす。

・チェルノブイリの事故は、遠い時代にソ連という特殊な場所で特殊な原発で起こった特殊な事故で西側諸国では起こらない。チェルノブイリ収束事故に携わり死んだ人は70数名で、がんの増加はない。

・チェルノブイリ事故立ち入り禁止地区には事故後すぐに人々が戻って生活をはじめている。誰も病気になった人はいない。(ぼくには映っていた人たちはみな老人ばかりに見えましたが)

・チェルノブイリの事故で廃墟となった都市プリピャーチの映像がよく映し出されるがあれは原発の爆風とかでああなったのではなく、時間のせいだ。

・福島の事故は一般的でない。普通はああならないので、他の原発は安全だ。

・原発大国のフランスは、空気がとてもきれい。原発をやめるドイツの2分の1しか温暖化ガスを排出していない。

・核の廃棄物は環境運動家が考える問題ではない。フランスの核廃棄物は一部屋分の量しか出ていない。

・核廃棄物をどこかに穴を掘って金をかけて何百万年と保存するような馬鹿なことを考えないで、乾式キャスクに保存して裏の駐車場に置いておけば安全。

・軽水炉型は、確かに問題があるので改良しようと科学者と技術者は頑張っていた。絶対に事故が起きない「一体型」をアメリカでは開発していたのだが、共和党と民主党の政治争いのネタにされ計画が止まってしまった。わるいのは政治だ。

・第4世代型の原子炉は夢のようで、燃やした燃料をまた再度燃料に使えゴミが出ない。原発の建設には確かに金がかかるが60年から80年運転できるのだから経済的には安い。

・電気のない国は人々が短命だというデータがある。これから途上国が発展してよい暮らしをするためには電気がぜひとも必要。先進国の人たちだって節電できっこない。生活水準を落とさないためにも、エネルギー源が絶対必要。

・原発は平和産業である。アメリカはソビエトから核弾頭を1600発買い入れてそれを原発で燃やしている。原発を核兵器と結びつけ民衆は怖がっているが、原発が平和を作るのである。

この映画で提起された問題に、いちいち反論するのがぼくの主意ではない。自分たちに都合の良い事実や統計だけを持ち出してくるのは、賛成派も反対派もお互い様だからだ。反対派の人たちも彼らの主張に耳を傾け、それを包摂して乗り越えていかなければ本物でないと思う。地球温暖化の問題や途上国の人々の暮らしをどうするかということに目をつぶって、自分たちの住んでいる近くからだけ原発がなくなればいいというのではないだろう。間違いなく地球規模で今転換点が来ている。要はどちらが転換点の後のより包括的なビジョンを示せるのかということだ。それが推進派の人たちなのか、反対派の人たちなのかということだ。生活の中で自らビジョンを示していかなければならない。

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2014年8月11日 (月)

女川から未来を考えるつどい~加藤登紀子トーク&ライブwith小出裕章

8月10日(日)、女川であった、加藤登紀子さんのコンサート、小出さんの講演は、大きな体育館が満員になるほどの大盛況だった。およそざっと見渡したところ1000人を超える人たちが集まったのではないだろうか。この立派な体育館が東北電力の寄付で原発立地自治体に建てられた箱物だということは皮肉だが、有効利用させてもらった方が、建物のためにもなるだろう。原発反対の声を上げにくい地元で、これだけの集まりができたことは今後のことで明るい展望を持てるのではないかと思った。

もちろん、地元の人だけが集まったのではなく、私のように仙台からも、そして近県からも、遠くの県からも人が来ていたのは事実だ。これを見て、原発推進派の人たちは、よそから人が来て騒いでもらっちゃ困る、大事なのは地元の人の同意であって、女川の人たちはみんな原発再開を望んでいるのだ、というだろう。だが、原発と戦争に関しては、すべての人が当事者で異議申し立てをする権利がある。事実、福島原発の事故では半径30キロの自治体住民どころでなく、広範囲に土地を汚染し健康被害をもたらし、人々の生活を根底から覆した。それに、昨日は地元の漁協関係者、養殖漁師さんたちも発言し、原発のない自分たちの住む街の復興の形を訴えた。

女川が過疎の町で、客観的に見て生活が大変だろうなということは、昨日久しぶりに女川をおとづれて実感した。石巻の平地から山に向かって入っていき、開けた平地がほとんどない、山と海に囲まれた、豊かな自然環境に恵まれた半島の町だ。日本では子供の教育に特に金がかかる。勤め口がない場所で暮らして、どうやって金を稼いで子供を進学させるのか、なんて言ったらこれは大変な問題だ。でも、これはぼく自身の課題でもあるのだが、原発のような勤め口に頼らず、どんな場所でも稼いでいける力というのを考えて付けていかなくはならないだろう。

とにかく原発というのは矛盾が深い。原発が止まっているから、火力発電の燃料費がかさみ国富は失われ、やむを得ず電気料金も値上がりして皆さん自身が苦しんでいるんですよと、政府も電力会社も一生懸命宣伝しているが、その燃料費については他国よりは何倍も高い燃料を買っておいて、その中間マージンで過去最高益を挙げ、国難を機会に儲けているところがあるくらいに、原発というのは矛盾だらけだ。

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2014年8月 8日 (金)

女川で会いましょう

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女川で小出裕章さんの講演と、加藤登紀子さんのライブが8月10日(日)にあります。原発がある女川町に、震災後原発反対と声を上げて議員に当選した女性がいます。その方の熱意もありこのイベントが実現しました。原発のあるおひざもとの自治体で、原発に反対の声を上げるその勇気をみなさん考えてください。まして、女性です。まだまだ男性中心の社会で女性が声を上げ活動しているその勇気をみなさん考えてみてください。

ぼくは宮城県民として女川原発に関心があり、その廃炉を願っています。福島原発の事故の原因も分からず、終息をさせる技術もないくせに、どうして同じように地震で壊れそうだった原発を再開するのでしょう。女川で事故があっても、住民は逃げ切れません。現在避難計画すら立っていません。すでに汚染されている宮城の大地がさらに汚染されます。人々がよりどころとしている自然や人々の暮らし以上に大事なものが、他にあるのでしょうか。それ以上に大事なものが女川原発にはあるのでしょうか。教えてほしいものです村井知事。では、みなさん女川で会いましょう。

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2014年8月 2日 (土)

東北 広がる再生エネ

東北も梅雨が明けて、毎日が暑い。なるべく涼しくなるような工夫をしてエアコンを使わず電気を使わないように頑張っている。なにせ、電気の購入先は選べず、地域独占企業は、経費を節約しようという努力をせずに好きなだけ値上げができるからだ。わが東北電力さんも最高利益を上げた。さて、そんな中で一服の清涼剤になるのは、河北新報に定期的に投稿する東北大特任教授杉山丞氏の論考だ。今日は7月24日付の持論時論からその内容を要約する。

・13年末で世界の再生エネが17%増加し、日本の太陽光発電も2倍超になった。

・固定買取り制が始まった1昨年の7月から今年の3月までで、原発68基分に相当する6884万キロワットの発電設備が認定され、制度開始前の導入量との合計は1億2000万キロワットと、再生エネルギーだけで最大需要の8割近くになる。

・もともと東北の再生エネルギー比率は全国平均を上回る17%だった。これに固定買取り制度によって認定された発電設備を加えると、再生エネルギーだけで1500万キロワットになり、昨年の東北の最大需要量1250万キロワットの1.2倍になる。こうなると天気の良い日中は再生エネルギーだけで電力需要をほぼ100%満たすことができる。

・発電量も再生エネルギーだけで昨年度の全電力量の4割近く達する。認定設備の導入が完了している2030年ごろには人口減と省エネによって電力需要が2割減少するので、再生エネが全電力量の5割を占める。

・ドイツでは今年5月に正午の電力の75%を再生エネが占め、スペインも1~5月の全電力量の53%を再生エネが供給している。変動の激しい再生エネと共存するため、スペインでは48時間先までの電力を予測する技術を開発し、制御センターを設置している。1時間後の誤差が1%以内、24時間後でも4%以下という正確な予測のもと、ガス火力・石炭火力の出力調整も行っている。原発は出力調整できないので、需要の少ない夜間は余り国際市場で安く買いたたかれている。

・東北でも再生エネルギー比率が5割に迫る2030年ごろには出力調整のできない原発は淘汰されていく。さらに、人口が4割減少する2050年ごろまでには蓄電コストの下落と合わせて再生エネルギーだけで電力を100%自給できる。

夢のような話かもしれないが、どうせならいい夢を見たい。人口が減っていくという話は少々さびしいが、次世代の命を大切にしないような国では人口が増えないのも仕方ないかなと思う。減ったと言っても、江戸時代とか明治の初めに戻るだけの話で、新たな出発点として前向きにとらえるといいとぼくは思う。

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