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2014年5月29日 (木)

ブルーバックス『高校数学でわかる統計学』竹内淳

今や、理系でも文系でも必須の統計学をいまさらながら勉強しています。ブルーバックス新書2冊目の統計学入門書を読んでいます。高校数学でもわかる、と銘打ってますが、やはりぼくには数式は頭に入ってきません。残念ながら飛ばして読んでいますが、でも統計的な思考法や手法の一端は感じられていると思います。

本書で気になったところを要約して見ます。「確率が低くても影響が甚大な場合には期待値は無視できない。3.11の津波と原発事故から確率ではなく期待値を直視することの必要性を学んだ。期待値が本当に小さいのかをきちんと検証する必要がある」

これをぼくなりに解釈すると、さいころを一回振って得る数字の期待値は1×1/6+2×1/6+3×1/6+4×1/6+5×1/6+6×1/6=3.5ですが、もしさいころの6の面が6ではなく1000万とかで、その代わり重心が偏っているサイコロなので1000万の面が出る確率は1/1000だったら、このさいころを1回振って出る期待値はいくらになるかを勘案しろということだと思います。原発をやる・やらないはいろいろなアプローチの仕方があります。

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2014年5月26日 (月)

広井良典氏・定常社会

定期的に河北新報に掲載される広井良典氏の論考、楽しみにしている。5月15日付の論考の内容を短く紹介する。

・集団的自衛権とは、日本もアメリカの国防戦略を担うということである。

・TPPも集団的自衛権も、共通しているのは、アメリカと仲良くするために日本が負担を負うということだが、そこまでアメリカを厚遇し譲歩する必要があるのか。

・日本社会には米国信仰というべき意識が深く根付いており、それが誤った国際認識や行動を生んでいる。

・米国信仰は安倍首相をはじめ団塊の世代の前後に強い。米国信仰とは、アメリカは豊かであるばかりでなく優れた社会で、アメリカのような社会を作っていくことが望ましいというもの。

・アメリカの実情は、信仰者が思っているようなものでない。貧富の差が異常。治安が悪い。公共の場所が荒廃している。車社会で、歩いて楽しんだりくつろいだりする空間が少ない。食事は非健康的、平均寿命は先進国の中で短い。大量生産・大量廃棄で環境意識が低い。

・アメリカ信仰者はヨーロッパ=貴族社会と思っているがちがう。ヨーロッパは福祉政策を推し進めたので、社会の経済格差は小さい。町や人々の様子から実感できる。環境問題の取り組みが進んでいる。

・豊かな成熟社会のモデルとして視野に入れるべきは、アメリカでなく、ヨーロッパ。

・アメリカは、日本にとって遠くにいる片思いの相手。近隣アジア諸国との関係を建て直すべき。かかわりが今後大きくなっていくのは中国をはじめアジア。戦争を繰り返していてドイツとフランスが協調し、統合を進めたことを想起すべき。

・戦後の日本人を意識で規定したのは「限りない経済成長」と「アメリカ」この二つへの信仰。人口減少、成熟社会への移行を迎える今、こうした信仰を相対化していくべき。

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2014年5月24日 (土)

白井 聡氏の記事

5月21日付の河北新報に載った白井聡氏の論説に共感したので、紹介します。特に、「男の子は一般に戦争ごっこが好きだ。そのまま大人になった人たちが勢いよいことを言っている」というのは、「戦争」を声高に叫ぶあの人たちの幼い精神構造をズバリ指摘していると思いました。

以下、要約です。

・安倍首相の集団的自衛権容認の記者会見は、穏やかな言葉づかいであったが、手腕が巧妙なのであり、「戦後憲法への死刑宣告」であった。

・集団的自衛権行使の容認が既定事項でないかのごとき印象を与えたが、お手盛りの識者懇談会を作り、内閣法制局長も同調者を指名しておきながら、まだ仮定の話とは白々しい。

・自衛権行使は限定的との印象を巧みにふりまきイメージ作りをしたが、石破氏は自衛隊の海外派兵で死者を覚悟しなければいけないと発言している。

・平和憲法を積極的に評価しているポーズを作ったが、安倍さんはネット番組で「みっともない憲法だ」と発言している。

・国家・国民の安全を保つ手段は軍事だけでないという事実がまるで存在しないようにふるまう彼らは、戦争ごっこを楽しんでいるだけのようにみえる幼児性を露呈している。

・そういう人に限って、現実主義だと言って粋がる。マッカーサーはかつて「日本人は発展段階で12歳だ」と言ったが、こうした幼児性から抜け出すことこそ「戦後レジュームからの脱却」だ。

本当に「戦争ごっこ」は迷惑です。やるなら自分達だけでやってほしいが、戦争はそういうわけにはいかない。平和を守る手段は多様だし、国民それぞれがやるべきこと・やれることはいっぱいある。努力しなければ、ただで平和が守れるわけはない。その努力の方向性として安倍さんが考えていることは大いに疑問なのだ。5月25日(日)13時から仙台市の西公園で「安倍政権に私も言いたい」宮城県民大集会が開かれる。声を挙げなければ、異議なしとされてしまう。民主主義を守るためにも、声を上げ届けましょう。

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2014年5月22日 (木)

大飯原発差し止め裁判

福井県の大飯原発差し止め訴訟で原告側が勝利した。大飯原発には、具体的な危険性があり、原告が被害を心配して運転差し止めを要求するのももっともだということを認定した。原発の危険性を、客観的・論理的に判断すれば当然こうなるのであり、司法が政治に介入されていない証拠でもあり、この判決を出した、福井地裁の勇気に敬意を表したい。

被告人の関電は当然判決に承服しないだろうが、幹部の経済人としての合理性にぼくは期待したい。つまり、合理的経済人として、多数の従業員を抱えて経営し彼らの雇用を確保する責任がある人たちに、沈みかかった船に乗りそのまま沈んでしまっていいのですか、と問いたい。もしかした、あちらにはもっと先に行けるいい船があるかもしれない。そちらの方に乗らなくてもいいのですか、ということだ。

今までのお付き合いの経過上、自民党の先生方には献金をしなくちゃいけないかも知れないが、それも、経済合理性の上で判断してやってきたはずだ。すなわち、献金した金額の何倍もの見返りがあるからと判断してやったはずだ。急に船を乗り換えることが出来なければ、二股をかけるのはどうだろう。安倍さんの船は勝手に沈むに任せておいて、私企業は別に心中立てする義務なんてないのだから、あちらの船が沈んでも、従業員の雇用を確保するためにも、自分たちの企業だけは生き延びる方策を立てておくべきじゃないだろうか。

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2014年5月20日 (火)

言論統制

『美味しんぼ』をめぐる問題、表現の自由の後退や言論の統制が発動されることがないようであればよいのですが。スケープゴートを立ててそれを標的にして、社会の不満をそこに向けさせ、扇動する側が人気を得る、というのはナチスが合法的に権力を得た過程です。社会の雰囲気が第1次大戦後のドイツととても似ているように思われます。日本の場合は、そこに天皇制があるわけですから、天皇のご真影を拝まない奴は非国民として逮捕などという、天皇制ファシスムに回帰してしまうのでしょうか。まあ、しかし長い目で見れば、ものごとはずうーっと栄え続けるという理はないわけですから、こういうときは勢いを得て権勢を誇っているように見える人に突然死や事故死などということが降りかかりがちです。しかし、その人の強い思念は残るわけですから、情勢はさらに悪化するように見えるようになるでしょう。

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2014年5月18日 (日)

保守本流の行方

安倍首相の解釈改憲、集団的自衛権行使、海外で戦争できる国づくりには、自民党内部の長老で反対している人もいる。その一人は山形県選出の加藤紘一さんだ。加藤氏は、安倍首相のやり方を、保守本流ではないと言って批判している。

保守本流とはなんだろう。地方や田舎が持っていた古き良き日本の伝統。郵便局や地方の有力者に代表される、共同体や年功序列、男尊女卑などを重視する価値観。だが、地方のこういう層が日本の良き伝統と美しい農村の風景を守り、戦後の自民党政治を支えてきた、というのも認めないといけない。

その保守本流も、自民党自身が郵政改革や新自由主義経済政策で壊してしまった。だから、保守本流が支える自民党政治家も少なくなってしまった。いまは、安倍さんのように中国や韓国に勇ましい姿勢を示すことでネット上で支持を受ける保守政治家の方が主流だろうし、彼らはイメージ戦略がなにしろ巧みで、田舎の地盤の支持をうけなくても平気だ。冷徹に計算すれば、昔の保守本流を支えてきた人たちは、もう票の数としては大した数でないし、5年後、10年後の地方には、保守本流を支えてきた人たちの後を継ぐ人たちも残っておらず、地方社会は崩壊の運命にある。TPP推進と農協改革も、山形県と宮城県を一つの選挙区にすることも端的に言えば、役に立たなくなった保守地盤を捨てて、新たな支持基盤の繁栄を作ろうとするものだ。だがそれは、昔のように田んぼのような実体があるわけでなく、インターネット空間のようなバーチャルなものだ。

自民党は今般の選挙では圧勝しているが、自民党そのものが得ている得票数は減っている。地方の保守を支えてきた層がいなくなりつつあり、加藤さんのような政治家も忘れ去られる運命ということなのか。この国の保守政治はどこに行こうとしているのか。

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2014年5月15日 (木)

美味しんぼ

『美味しんぼ』の作者に福島県などが非難を浴びせている。『美味しんぼ』の作者は、原発事故前から、おかしいことにはおかしいと物申す人だ。特に日本の食やその素材を生み出す自然については、それを愛する心から言っているということは明らかであり、本当の意味での「愛国者」だと思う。政治家、官僚、業者は、日本の風土や国土を食い物にしているだけであって、『愛国心』があるとは思えない。そんな人たちが美味しんぼの作者を非難する権利などないと思うのだが。

原発事故については、まず事実を知りそれを認めるところが出発点だと思うのだが、そこが福島県・政府・国とはずれているのだ。事故後、どれほど土地が汚染されているかは測定すればわかることで、そこには数字という客観的な事実だけがあり、そこに価値観のようなあいまいなものは入り込む余地はないはずである。原発事故前と後を比べたら、明らかに放射性物質で汚染があることは事実なのであるから、そこを出発点にすべきである。だが、人はその事実を認めたくない。『事実を言えば、傷つく人がいる』それが福島県の言い分であり、日本の現在にいたるところに見られる風潮だ。(旧日本軍が中国大陸でした虐殺行為や、関東大震災で行われた中国人・朝鮮人の虐殺を認めたくない、そんな事実はなかったと思いたい心理と根は同じだ。事実を認める人には、日本を愛する心がないなんて言うのは幼稚な言いがかりだ)。確かに、あんな事故は起こってほしくなかった、あの事故がなければ依然と同じように暮らせたはずと思っている人が、あの事故をなかったものにしてしまいたい心理は分かるが、なかったことにしてそれで現実が変わるかと言えばそうでなく、残酷なようであるが、事実と向き合ってからでないと次には進めないのだ。

除染だって、客観的に事実として把握するしかない。除染前と後のデータの変化を比較し、費用対効果を検討すれば、除染の意義があるのかないのかは、ある程度事実としていえることだろう。ただ、除染については、効果がなくてもやることで、被災地を見捨てていないという姿勢を示す効果や、帰還できるのではないかという期待を生む効果もあるので、その事実を測る計算式のなかで考慮すべき要素を決めるのは確かに難しい。

健康被害の有無については、さらに政治的な要素がたくさん入って来るので、客観的な事実を決めるのはさらに難しくなる。福島県が『美味しんぼ』を非難するのに盾に取っているIAEAなどは、基本的に市民の健康を守るための機関ではなく、原発を推進するための機関である。「便利な原子力を享受しているのだから、これくらいの放射線量を浴びるのは我慢しろ」という哲学のもとに基準値が決められている。よって、推進側の国・電力・県の責任や賠償範囲が小さくなるように作られた基準値である。そういう基準値を採用することで『美味しんぼ』を非難することは、自己弁護にすぎないし、何しろ真の責任者、つまり真に責められ罰せられるべき人は誰なのかから、人々の目をそらすことに大いに役立つ。非難されるべきは『美味しんぼ』の作者ではないだろう。彼は、敵ではなく見方だ。非難されるべき人たちはいるのだが、いまだにだれも逮捕されていないし責任を取っている人もいない。そういう現状を『美味しんぼの』の作者は告発してくれているのだ。

また、健康被害と放射能との因果関係については、広島、長崎、チェルノブイリだけのデータでは、統計的、確率的に今回のことを論じるだけのデータが不足している、というのが現実だろう。だから、「ある」とも言えないし「ない」とも言えない。わからないのだから、福島県が非難するように風評被害を煽ると一方的に決めつけることもできない。「ない」ということにして、いちばんほくそえんでいるのが誰なのかを見極めなければならない。一般市民がすべきことは、あるともないともまだわからないのだから、とにかく記録、記述していくこと。それをしないと、本当に「歴史」の中で「なかった」ことにされてしまう。鼻血、異常な疲れやすさ、目の疲れ、心臓病などの突然死、身近なところで何があったかを記録し、あったことをあったこととして後世に証言していかなければならない。

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2014年5月12日 (月)

right of collective self-defense

According to the news report, U.S. has announced that they send the troops to Nigeria. In Nigeria, about 300 female students have been kidnapped by Islamic extremists, Boko Haram. They regard schools as a symbol of Western culture, so they are making repeated attacks on schools. The leader of Boko Haram says he will sell female students as a slave. If what is reported about this affair on media is true, it is serious violation of human rights. U.S. army is expected to intervene in this affair and save the captured students.

 

The problem is that if the U.S. army were to be attacked, would Japan self-defense force also have to be sent to Nigeria? When the right of collective defense is exercised without exception, they must be sent to wherever U. S. army begins war. The government says the exercise of the right of collective self-defense would be limited regarding areas, depending on individual cases. However, the government has begun to change the interpretation of the constitution in their own way without changing the constitution itself. Because they don’t think it is important to take an action according to the constitution, how do we believe the comment that the exercise of the right of collective self-defense would be limited? The right would be administered arbitrarily by the government.

 

If the self-defense force should be sent to all areas, even to the opposite side of the earth, soldiers involved in war would have very distressing experience and it would cause so great damage on their mentality as on the mentality of U. S. troops in Vietnamese war.  To approve the exercise of the right of collective self-defense means equally approving these negative impacts. Japanese leaders do not know the misery of war by themselves because they don’t have a real experience of war. However, they hope Japan will be a military power once again. They think by doing so, their pride will be recovered and their private hard feelings caused by the defeat in the W.W. will be settled. They are very immature as a politician.

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2014年5月11日 (日)

地球の裏側に行って戦争する

5月8日の河北新報の国際面に載った共同通信配信の記事によれば、アメリカが、ナイジェリアで拉致された女子生徒救出のために軍を派遣するとのことだ。ナイジェリアの女子生徒誘拐事件とは、イスラム過激派ボコ・ハラムが、学校を西洋教育の象徴とみなし襲撃し、女子生徒を拉致している事件だ。拉致された生徒は270人以上ということで、ボコ・ハラムの指導者は、生徒たちを奴隷として売り飛ばすと言っている。

ボコ・ハラムのやっていることは重大な人権侵害で、報道されていることが真実であれば、人道に対する犯罪として許し難い。そしてアメリカが、どのような動機であるかは知らないが、この事件に介入するという。そして問題は、日本が集団的自衛権を行使すればどうなるかということだ。ナイジェリアの奥地のジャングルでアメリカ軍が攻撃されれば、集団的自衛権を行使するのであれば、当然日本もナイジェリアの奥地に軍隊を派遣して、同盟国と命運を共にするということになるのだろう。集団的自衛権は行使するか、しないかであり、行使はするが、地域や日本に対する重大度によりその時々で判断するというのは詭弁だろう。

こうして日本は、石破氏が言うように地球の裏側の紛争にまで首を突っ込み軍隊を派遣することになる。日本に何の恨みもない人たちを殺し、その人たちから日本は恨みを買うことになる。派遣される自衛隊員や兵士たちだって、見ず知らずの人を殺さなくてはならなくなり、そこから受ける精神的ダメージは計り知れない。ベトナム戦争の悲惨さを描いた『地獄の黙示録」という映画を見たことがある。アメリカ側から描かれた映画であるが、ジャングルで闘う米兵たちの悲惨さが描かれていた。実際、ベトナム戦争で心に傷を負った帰還兵たちがアメリカにはたくさんいるし、近くはイラク戦争からの帰還兵たちの戦場トラウマも大きいことはよく知られている。

集団的自衛権を行使するということは、自衛隊員や徴発された兵士たちやその家族たちのこういう悲惨さも含めて、そこから起こるすべての結果を引き受けることだ。安倍さんも石破さんも本当の戦争の悲惨さを体験したことがない年齢の人たちだ。それを先の戦争に日本が負けたことや祖父が戦犯にされたことの怨恨や劣等感を、軍事力を振りかざし強い国になることで、振り払おうとするのは、実に精神的に幼稚な行為だと思う。

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2014年5月 8日 (木)

カエルノ話

3.11の震災・原発事故の後、仙台では「カエルノワ」という子育て中のお母さんたちが作ったグループがあり、選挙や原発など自分たちが興味を持ったことに対して突撃取材し、それを小さな新聞やブログなどで発信している。3.11後に起きた、うれしい動きの一つと言ったら、各地でこのように自主的な行動を始めたひとたちがいるということだ。政治や経済の大きな流れにはがっかりさせられることが多いが、ぼくには地域で起こっているこういう動きがとても貴重で英雄的な行動に思える。近頃手に取ったその「カエルノ話」新聞5号から女川原発に関して、反対運動をしてきた篠原さんにインタビューした記事を抜粋。

・女川原発建設時、漁民が反対していたのは放射能汚染よりも原発が出す温排水による環境破壊。

・女川原発は建設計画を明かさず、こっそり土地を買収。漁業権放棄についての巨額賠償による買収工作で、骨肉の争いも起り地域共同体を破壊。

・女川原発建設で女川は豊かになったと推進派は主張するが、人口は年々減少。働き盛りの青壮年は急速に町から消える。原発が来た町は事故が起きなくても、事故が起こった町と同じように老人だけが取り残される。

・女川町の自主財源は1割程度で後は、補助金。だが、箱物にしか使えない補助金で、その箱モノも7割が震災で破壊。莫大な固定資産は入るがやがてそれも終わり、次の財源を求め2号機、3号機、…と作り続けざるを得なくなる。立派な建物は立ち並ぶが、外部の企業がすべて吸い取っていき、あとに残るのは莫大な維持費。外から見れば豊かになったかのように見えるが、地域の産業は活性化せず、若者は出ていき、地域を活性化しようとする意欲がそがれる。

・原発城下町で、住民の本音を聞きだすのは難しいが、女川町に12人の町議のうち3人の反対派町議が誕生。地域づくりをどうするのか、今後も原発にすがっていくのか、議論のスタート。

カエルノワのブログはここです。

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2014年5月 6日 (火)

原発と経済成長

河北新報の2014年5月5日付の記事に「変貌30年、六ケ所村の今」という特集が掲載された。その記事の内容を紹介する。「青森県六ケ所村はやませの通り道で、夏に冷たく湿った風が吹く。かつては村民自身が、鳥も通わぬと呼ぶ荒涼な土地だった。核燃サイクル施設が建設され、それに伴い今はショッピングモールやコンサートホールがたち、平日の昼間には幼子を連れた親子連れの楽しそうな姿が見られる。建設関連会社の社長は、核燃が来る前はこういう平凡な風景さえなかった、とコメントする。かつて村に基幹産業はなく子供たちは中学を出ると集団就職で上京し、父親は出稼ぎという状態で、家族がそろうのは盆と正月だけ。今は、雇用者所得や企業所得の合計を人口で割った一人あたりの村民所得は1558万円で(2006年の記録)、その後も県内1位を維持。」

さて、ここからはぼくの感想と備忘録用のメモ。平凡にそして幸せに暮らしたいという人々の願いは決して無視されていいわけでない。六ケ所村の人たちの生活を考えることも重要だ。だが、原発にはどこか人倫に大きく反するところがある、いわば人道に対する犯罪という面もあるので、その点を今後もっと考えていきたい。また、安倍首相は今ヨーロッパを外遊し、しきりに「原発なくして経済成長なし」を主張している。安倍さんだけの特殊な考えでなく、多くの日本人の考えを代表したものだろうが、少数派のぼくも、それを上回る考えを提出できるように努力すべき。記事にもあったように、六ケ所村の人々は豊かさを手に入れた。でも本当にそれが「経済成長」と言えるのか。村民の所得になっている、もともとの原資である金はどこから来たものなのか?そもそも今の時代に経済成長を求めることにはどのような意味があるのか。経済成長を信奉している人たちの考えにも目をつぶらず、それを包摂し乗り越える考えを作る努力をすること。

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2014年5月 4日 (日)

丸山真男 生誕100年

政治学者の丸山真男氏の生誕100年に当たる。大学のゼミで丸山真男の著作を皆で購読し、そのすぐれた思想に影響を学ぶことができたのはぼくの中では大きな体験だった。4月24日付の河北新報で丸山真男生誕100年の記事があったので、その内容を要約する。

丸山真男氏の著作に影響を受けた上田紀行氏が講演で、戦前から配線が予想されながら戦争に突入したような日本の「無責任の体系」が、丸山の1949年の論文『軍国支配者の精神形態』で指摘されているが、その無責任体系は原発事故で繰り返されたと主張した。また非正規雇用で使い捨てにされる人々が生きる意味を失い、孤立を深める現状は、丸山が言ってきたことと悲劇的に近いとも、上田氏は指摘。上田氏は、丸山の1946年の論文『超国家主義の論理と心理』を挙げ、丸山は歴史を前に動かす主体はどこにあるのかと訴え続けた、と主張。

山口二郎氏は、日本の権力の腐敗を批判的に分析した丸山を、私たちはまだ乗り越えていないと強調し、原発事故に象徴される官僚組織や学者の無責任さは戦前から変わらないままで、現実と向き合わずに計画を立て、修正する力のないままに破局に至った「敗戦の構図」と同じだと批判。

三谷太一郎氏は、丸山は文学的価値を体現しているような文章を書く大文章家なので、ぜひ多くの人に読んでほしいと、発言。

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2014年5月 3日 (土)

In the article of a newspaper, C. W. Nicole, a writer who is very concerned about the environment issue, wrote about the different approach to natural disaster between two countries.

He was appointed chief director of the National Park in Ethiopia, which was built for the first time in the country. At the time, he foresaw a civil war and a famine due to the soil being washed away. After a long time, he visited the country again and was surprised to see a long trail of stone walls, the height was 1 meter. These stone walls were built for preventing soil erosion. Local people have to participate in volunteer work to construct these walls, but no one complains about it and proudly say that this work is done for the future. C.W. Nicole believes this project will benefit wild animals and nature miraculously will recover.

In contrast, Japanese Government is promoting construction of big coastal levees at the area which was destroyed by big earthquake and tsunami. The local fishermen, environmental groups, and all other people are against this plan, but the government will not stop the project. He believes this construction will not protect the environment, but, instead, it will destroy coast fishing, travel industry, biodiversity, and the livelihood of the local people. Coast fishing is thriving because of rivers which contain oxygen and flow fast to the sea, and because of underground water rich in  mineral from mountains. If the gigantic coast levees were constructed, they would stop the flow of underground water, and then the water would pool between the levees and the land. If the earthquake should occur, these levees and the buildings around the levees would sink and would do great damage again to this area.

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2014年5月 1日 (木)

森里海に学ぶ、CWニコルさんの投稿を要約

4月29日付の河北新報に載ったCWニコルさんの投稿を要約する。

彼はエチオピアで初の国立公園の初代公園長となり、その時の苦労話をつづった著作(1971年)の中で、大規模な森林破壊による土壌の喪失と干ばつによって、内戦の勃発と大飢饉の到来を予想した。このたびエチオピアをおとづれてみると、何千キロにも連なる高さ1メートルほどの石垣が目についた。村人たちの手で作られた雨季に農地の土壌流失を防ぐ土留めである。石と土を覆うように植物や木々が生い茂り、美しい緑の帯をなしている。住民は無報酬で石垣づくりへと参加を義務付けられているが、未来のための仕事として彼らは胸を張っている。エチオピアのこのプロジェクトは農業だけでなく野生動物にも恩恵をもたらし、自然再生へと奇跡を起こすとニコルさんは信じている。

これと対比してニコルさんは日本の現状に疑問を投げかける。宮城県が進めている巨大防潮堤は、地元漁民、環境保護団体など誰しもが反対する中、莫大な建設費をかけて建設されている。環境を守るどころか、沿岸漁業や観光資源、生物多様性、住民の暮らしを破壊する。日本の沿岸漁業が栄えているのは、酸素を含んだ河川が海へと注ぎ、山からしみだすミネラル豊富な地下水のおかげだ。巨大防潮堤は、海へと向かう地下水の流れをせき止め、行く手を阻まれた水は陸地側に貯留する。再び地震が起これば、そのせいで防潮堤やその近くの構造物は沈下し、再び甚大な被害をもたらす。だが、政府は地域住民の抗議にも専門家の意見も聞かない。

エチオピアは日本よりもはるかに貧しく、技術的には立ち遅れているが、指導者たちの知恵、人々が祖国の未来に対して抱く誇りと信頼は何倍も豊かだ。誰のため、何のための「公共事業」なのか?

以上が投稿記事からの要約。

日本の場合、公共事業と選挙での投票がバーター(取引)になっているという、この国独特の事情がある。政府や政治家は特定の業界・団体に予算を組んで金を流し、業界・団体はその見返りに特定の政治家に投票するという強固な仕組みがある。この仕組みは、ちょっとやそっとでは崩れない。だから、何をしてもこの国の政治は変わらないのだという、あきらめとしらけから日本の選挙では、約6~7割の有権者は選挙には行かない。投票率が下がれば下がるほど、しくみが有効に働くという仕組みである。

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