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2013年12月31日 (火)

年越しそば

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おせちつくりに励んでいます。おせち料理は、特別なものというより、和食の真髄だと思います。世界遺産にも登録された「和食」ですが、その和食を本家の日本人が作り食べていかないと、伝承されていきません。お手伝いをしてもらうことで、彼女たちも、やがて自分でつくれるようになるでしょう。そして、また、次の世代やまわりの人に日本食を伝えていってくれることと思います。何と言っても、安心な食材が手に入らなければ、和食の魅力はなくなります。食の安全にとってのいちばんよくない、原発の廃止を来年も訴えていきたいと思います。

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年越しそばは、知り合いの人にうってもらいました。角田で無農薬野菜や卵を生産していた人です。化学肥料も農薬も使わないやり方をしていた人なので、放射性物質が空から降ってきたことで、角田の農場は縮小・閉鎖して、仙台で蕎麦屋をやろうかなという話です。正式に決まっていないので、紹介できないのが残念です。

えび天のえびも、宮城に関係深い人から購入しました。原発事故前は、石巻に住んでいて、六ケ所再処理工場や女川原発の反対運動で中心的に活躍してくれていた武藤さんです。武藤さんは今、大阪に移住し、えびの輸入会社をしています。武藤さんのえびはここで買えます。世の中にとってはお金は大事です。でもその大事なお金がどう使われ、どうめぐるのかが大切です。お金のめぐり方が変われば、世の中が変わるかもしれません。

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2013年12月29日 (日)

群馬のパワースポット

群馬に帰郷してました。出発する日の朝、仙台は雪が積もっていましたが、群馬に行くと真っ青な空の快晴。そう、群馬の冬は、圧倒的に晴れていて、赤城の方からからっ風が吹き下ろしてきます。子供のころはいつも、こんな冬だったなあと思いだします。高校のころは、榛名山の方へ自転車をこいで行ってたものだから、風で目がにじんで山が紫に見えたように覚えている。

その榛名山には榛名山神社がある。大昔、この山の岩がご神体だったのだろう。ご神体の岩がそのまま礼拝されて神社になったのが榛名山神社だ。ものすごく神聖ですがすがしい素晴らしい神社だった。年の瀬によいところにお参りできた。来年が「平和」な年になりますようにとお祈りしてきた。

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2013年12月25日 (水)

焚書坑儒

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子供たちが手作りケーキつくり頑張りました。チョコで作ったバラが力作だと思います。さて、子供たちへのプレゼントは、

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『はだしのゲン』10巻揃えです。宮城県の生協「あいコープみやぎ」を通して購入しました。あいコープさんは、原発問題にも積極的に取り組んでいるので、購入しました。

表現の自由・思想・信条の自由などは、先人が苦労して獲得してきたもの。今生きている我々が、黙っていて簡単に享受できるものではなく、努力をしないと我々のもとから簡単に去っていきます。司馬遷の「史記」に焚書坑儒の話が載っています。秦の始皇帝は、自分の統治に邪魔な思想を弾圧しました。思想書と学者が集められ、書籍は焼かれ、転向しない学者は穴埋めにされました。貴重な書籍や歴史書がこうして後世に伝わらなかったのは、歴史好きのぼくにとってもとても残念でなりません。

では、どうして伝わらないはずの「論語」や「孟子」などが残ったかというと、各地に住む志ある人が、家の壁に塗り込めたりして、命がけで守ってきたからです。いま全てでないにしても諸子百家の書籍が伝えられているのは、そういう先人たちの努力や志のおかげと感謝しています。志さえあれば、思想や歴史の真実は滅びることなく伝わっていくのです。子供たちにも、『はだしのゲン』を読み終わったら、友達にどんどん貸してあげなと言っています。

読みたい人はどうぞ、我が家の図書室にお寄りください。

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2013年12月23日 (月)

『憂国』2.26事件

先日の河北新報(宮城県の地方紙)に、興味深い記事が載っていた(2013年12月18日付)。2.26事件で兄の青年将校を亡くした人のことだ。2.26事件は1936年のことで、太平洋戦争に突き進むことになった流れの中での事件であるから、この方も100歳になったのだそうだ。歴史の生き証人として、兄の真実を明かしたいと、遺品の日記や手記、周囲の証言をまとめた本を自費出版したのだそうだ。

妹さんの記憶で忘れられないことは、陸軍刑務所での処刑後まで及んだ軍の異様な扱いだということだ。遺体が暖かいのに火葬を強制され、憲兵が郷里の青森までの列車内、実家での葬儀を監視し、参列者も追い返し、墓の建立すら許さなかったという。事実を知ろうとするものや異を唱える者は特高に引っ張られる治安維持法の時代で、特高が商人を装ったり、どこで何を聞かれるかわからぬ恐怖で、反対を言う人は誰もいなくなったそうだ。

2.26事件は、戦争へと取り込まれたしまったが、事件そのものは、青年たちの純粋な気持ちから起こったという評価も可能だと思う。当時、農村の貧困はすさまじく、財閥と癒着した政治を正そうという青年将校たちの訴えを、軍の上層部が弾圧し、彼らを逆賊扱いした。青年将校たちが暴力に訴え、高橋是清らを暗殺した手法は、許されないが、青年たちには純粋な憂国の心情はあったと思う。現代でも、地方が疲弊し、若い人たちには非正規の仕事しかなく、ブラック企業で食い物にされる状況を見れば、憂国の心情がわくのは、太平洋戦争前の状況と変わらないと思う。

治安維持法に比せられる『秘密保護法』は強行されたが、まだまだぼくたちの抗議運動は続く。声を上げることが、自由に発言できる社会を維持することそのものにつながる。宮城の秘密保護法反対のネットワークには、だれでも参加できる。現にぼくは、ただの憂国の一個人として参加している。これまでの活動で、赤字を抱えながらの運動だ。多くの人が、ビラ配りなど、参加できることがあれば参加してほしいし、志や浄財はありがたく受け入れている。

【カンパ口座】 

七十七銀行 JR仙台出張所 店コード190 

普通預金 口座番号5122082 

名義 STOP秘密保護法ネットワーク宮城

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2013年12月20日 (金)

森林とセシウム

宮城県の調査で、杉林の落ち葉層と土壌の放射性セシウムの濃度が時間とともに上昇していることがわかった。福島原発の爆発事故では、放射性物質が大量にまき散らされた。田、畑、山林、学校の校庭などいたるところを放射能で汚染した。放射性物質は、半減期のせいで、普通は時間の経過とともに安定物質へと遷移し、放射線を放出しなくなるが、広大な山林に降った放射性物質はどうやら違う動きをしているらしいということだ。チェルノブリの事故と福島の事故では、国土の植生などが違うので、この福島原発の事故は決して「終わった」ことにしないで、何十年、何百年の間事故の検証と被害調査を継続していかなければならない。それが、「科学」の正しいありかたでもあるし、被害者の願いでもある「二度と同じような苦しみを味わう人がいませんように」との願いに応える道である。

杉林のセシウム濃度が上昇する仕組みはこうらしい。葉が入れ替わるのに5年かかる。ということは、原発事故当時の汚染物質が、今の杉林の葉には大量に降り注いでいる。それが雨で流されて林床の落ち葉層や土壌に浸透する。データによれば、落ち葉層で1キロあたり4万2759ベクレル、土の層では3225ベクトルで、それぞれ1年前の調査よりも増加している。とんでもない汚染度だ。杉林は、ぼくの生活では、焚き付けの好材料である杉の葉をたくさん集めていた。それが、やはりこんなに汚染されてしまって悲しい。しかも、時がたつにつれますます汚染度は増していくのだ。里山に依拠した薪ストーブや薪風呂の生活は、最先端の生活だと自負していたが、そういう生活を根底から壊してしまうのが原子力発電だ。

とにかく、これから何十年、何百年とデータを取り続けて、原発の是非の科学的根拠にしないといけないし、そもそも学者っだって初めてのことで、環境中の放射性物質の振る舞いなんて知らないのだし、どんな教科書にも書いていない、まさに最先端の科学的知見なのである。政府が自分たちに不利になるそういう調査を継続してやっていくとは思えないし、宮城県も続けてやっていくだろうか。私たち市民が、力を合わせてそういう調査をやっていく必要がある。そのためにも、各地にできている市民放射能測定室を、皆で支えていく必要がある。

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2013年12月18日 (水)

新たな神話

安倍首相と自民党は、原発を重要な電源と位置付け再稼働をどんどん進める方針を打ち出し、原発新設・輸出に突き進んでいる。原発被災地に住んでいて、自然環境が汚染され海や山のものが食べられなくなり、自然に寄り添った暮らしをしていた人たちが抱く、「もう本当に原発はこりごり」という気持ちは、感情論として切り捨てられる。放射線による健康被害についても、「ありえないので検査しない」という方針だし、さらには念を入れて、知り得た情報を言ったら逮捕という、脅かしで予防線を張っておくことだけは忘れない。安倍さんと自民党には、ぼくらの気持ちは伝わらないのだろうけど、これに対抗するのは、市民同士の横のつながりだ。健康調査が行われない宮城県に、鹿児島から来てくださっている医師もいる。自民党の人たちが「テロ」だと言って恐れているこの横のつながりを日本全国で強くしていくことが、原発をなくすための大きな力となる。

自民党の原発政策が発表された日、NHKラジオで原発をめぐる討論をしていた。賛成派の投書で、「原発がなくなれば電気料金が値上がりし経済が衰退し、失業者がたくさんでる。その時になって反対派の人は後悔しても遅い」というのがあった。このあたりが新たな神話として持ち出されているようだが、神話の出所はどこの誰なのだろう。そもそも、右肩上がりの経済成長をいまだに「古き良き時代の夢」として抱えていらっしゃるようだが、人口構成や人々のライフスタイルの変化によっても、絶対に「古き良き時代」が再現されることはない。原発にしがみつくことで、新しい時代に対応した柔軟な経済・社会構造を構築していくことが、100年も、200年も遅くなる。いや、歴史はそんなに悠長に待ってくれない。その前に破たんする。

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2013年12月16日 (月)

民主主義考

わたしたちの秘密保護法反対のネットワークには、「日本は北朝鮮などのスパイがやりたい放題なので、スパイ防止法や秘密保護法が必要なのだ」という抗議が来たりする。また、「人権派の人たちは、北朝鮮のNo2が死刑になったことになぜ抗議の声を上げないのか」という揶揄をここぞとばかりされる。

もし、北朝鮮の側近の処刑が報道通りであるとしたらもちろん重大な人権違反だから、抗議する。北朝鮮だけでなく、世界中の人権違反には抗議する。ただ、他国のことでなく、自分が住んでいる国の人権や民主主義が脅かされているときに、今自分たちが声を上げなければならないと考えるから声を上げているのだ。

北朝鮮が何をするかわからない怖い国だというイメージを世間で持たれているのは否定することは出来ない。その恐怖のイメージは、民主主義がないこと、つまり、決定のプロセスや情報が隠され、時間をかけて多くの人が議論に参加できないこと、自由に意見を言えないこと、警察や統治機関が国民を監視しているということからきている。

ひらかれた民主主義の国であれば、勝手に他国に戦争を仕掛けるような怖いイメージはもたれないだろう。ひらかれた民主主義の国では、誰かひとりの独裁者の意向で、戦争に突き進むということはできないだろうし、政策決定のプロセスや情報は国民もすべて知っていて、国民が直接、政府首脳とは違う自分たちの意思表示をすることも可能だから。

日本はアジアで一番開かれた進んだ民主主義を目指せばよいではないか。日本にいれば、外国人だろうが日本人だろうが、法的な平等が保障され、令状なしの逮捕もされないし、秘密裁判にかけられることもない。そういう開かれた民主主義で、すべて手の内を透明にした方が、国家の安全保障上もプラスになる。隠すこと、手続きが透明でないことが、疑心を生み、暗鬼を生む。

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2013年12月14日 (土)

利休にたずねよ

市川海老蔵さんのファンなので、映画「利休にたずねよ」を見てきた。ぼくは、役者さんはうまければいいと思っているので、海老蔵さんが六本木でいくら暴れていようとそういうことには関心がない。以前、団十郎さんの弁慶、海老蔵さんの富樫で「勧進帳」を見たけど、海老蔵さんの富樫、とてもよかった。坊主頭のところにも親しみを感じる。(坊主頭ファッションは、ぼくの方が先輩だが)

さて、映画「利休にたずねよ」だが、利休の茶室がなぜ、3畳くらいとあれほど小さいのか、躙り口(にじりぐち)からはって入らないといけないのか、その秘密がこの映画で解き明かされる。もちろん、これは原作者の仮説なのだろうが。

そして、ここで描かれているのは、日本と朝鮮半島との交流だ。茶道では、朝鮮半島の焼き物などが珍重されたのは事実である。当時の朝鮮半島・琉球・堺などの関係が反映されている。

この映画、自民党の安倍さんや石破さんが見たら、気に食わないだろうな。朝鮮との交流やかかわりが利休の美意識に大いに関係しているという筋書きだからだ。仮想敵国を作り、不満を外に向けることで、国内政治を取りまとめていくというのが、ナチス以来の伝統的手法なので、中国・朝鮮半島の国家とは敵対するというのが、安倍さんたちの方針のようだ。川崎の朝鮮学校への補助金もついに打ち切られてしまった。政治とは関係ないところで、民間交流や芸術表現の自由は守られ行われなければいけないが、そういう自由も意を決して守らなければ消されてしまうということは忘れてならないと思う。

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2013年12月12日 (木)

共謀罪

共謀罪というのは、陰謀の実行犯だけでなく、陰謀に加担したものはすべて芋づる式に逮捕するという罪だ。共謀罪は、独裁政治などで、反対派を弾圧するためにもちいられる常套手段だ。権力を盤石に保つため、小さな芽のうちに反対勢力は摘み取っておくに限る。疑わしきは罰せ。己にたてつくものは、一網打尽にできるのだ。

この共謀罪を自民党は刑法で強化するという方針だということを新聞で伝えきいた。秘密保護法の次は共謀罪である。また公明党も自民党に賛成するのだろうか。

秘密保護法と同時に「がん新法」というのも自民党と公明党は今回作ったが、これは癌患者の情報を国が一元管理し、秘密を洩らした関係者を罰するものである。そもそも医師を始め普通の職業には、守秘義務があるのだから、知り得た情報をむやみに話す人はいない。しかし、この時期にこのタイミングでこの法律を作るというのは、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。がん患者の急増というような政府にとって不利な情報を隠したいというのだろうか。勇気をもって何かを告発したい医師にそれをさせないための脅しなのか。

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2013年12月10日 (火)

民主主義考

理想の民主主義制度というものはあるのだろうか。究極の理想があり、劣った不良品からまっすぐに理想の形まで進化するという、一直線の進化論的な考えは当てはまらないと思う。その時代ごとに、制約条件は違って来るので、その諸条件になるべく多くの点で対応しているまあまあ良い制度というのが、結局は良い制度ということになるのだろう。

現在の日本の民主主義制度である、間接制議会民主主義も、時代の諸状況に対応しきれていないいくつかの点がある。まずは、国民の、それも有権者の少数の意見が国の方向を決める総意として数えられてしまうということだ。簡単な数理モデルを作った。この国では有権者の60%は棄権して投票行動に参加しない。各選挙区は、最高得票数を取ったもの1名のみが議員になれる小選挙区制である。ある選挙区でA政党のA議員が有権者の25%の票を得、B政党のB議員は10パーセント、C政党のC議員が5%それぞれ得票するとしたら、この選挙区ではA政党のA議員が当選である。すべての選挙区でA政党が有権者から同じだけの支持を得れば、全国での小選挙区の議席割り当ては、全部A政党のものになってしまう。たとえ、それが全有権者の25%の支持しか得ていないとしてもだ。そこで、A政党に果たして国会で議決をして国の方向を決める正当性があるのかどうかということに疑義がでる。

6割も有権者が棄権するのがいけないのだから、投票率を上げる工夫をすればどうか。外国などには棄権した人に罰則が科せられるところもあると聞く。罰則をちらつかせて、選挙に強制的に行くように恫喝したとして、果たしてそれが有権者の自由な意思表示と言えるのか。そこにも正当性に疑義が出る余地がある。

では選挙で代議員を選ぶ制度が機能しないのであれば、直接有権者なり国民全体が国の意思決定に加わる直接民主制はどうか。科学というのは、まず言葉の厳密な定義から始まる。そうでなければ、議論がそもそも成り立たないし、立証することも追試することもできないからだ。科学と違って、政治学などの人文系の学問は、そもそも言葉をめぐる定義があいまいだ。各人が自分の思いれで議論しているので、科学のような厳密な「真実」が立証できない。そもそも「民主主義」とは、言葉の定義としてなんだろう。そこがずれていれば議論はかみ合わない。民主主義とは、国民が国の方向を決める意思決定をする制度であるというのは、いまぼくが勝手に前提として持ち出したものであり、もしかしたら、「国民一人一人が意思決定する暇もないし、能力もないし、それだけの情報や判断材料も持ち合わせていない。だから、民主主義とは、国民の代表者に意思決定をゆだねて、国民がその意思決定に従う制度である」という定義で論を進める人もいるかもしれない。

そして、そもそも「民主主義」は、他の政体、例えば「独裁制」よりもはたしてよい意思決定ができるのかという問題もある。衆愚政治という言葉あるように、たくさんの愚者よりも、ひとりの賢人や哲人がすべて国の方向を決めた方がはるかに良い方向に行くかもしれないという可能性は否定できない。いまの日本の制度では、棄権する人、つまり票にならない人は全く存在が無だから、投票に行く人だけのある特定の利害がある特定の政党の特定の政策に反映される。ある利害だけを反映したある特定の政策が、非常に近視眼的で、長期的に見たら、国全体の利益に反することであっても、その近視眼的な政策は実行されることがままある。(例えば、環境を保全することが長期的に見れば国民全体の利益になるとしても、短期的には開発した方が、利害団体の利害になる)

国民の声が届かないと思うと、ますます政治に無関心になり、何をしても政治は変わらないと思うので、ますます人は選挙に行って意思表示をしなくなる。国民の思いを汲んでくれる受け皿がないと言って、政治家や政党の魅力が薄れ、ますます政治に関心が薄れる。主義を掲げ政策を主張をする政党や政治家ももっと、国民の関心を高める努力をする必要がある。例えば、国民の選挙の棄権率によって、国会の議員定数が減るという連動制度も、もしかしたら正しい民意の反映かもしれない。

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2013年12月 7日 (土)

『医学的根拠とは何か』津田 敏秀

岩波新書の新刊の広告が出て、すぐに欲しくなったのが『医学的根拠とは何か』津田敏秀著だ。本屋に行ったが、売り切れており、アマゾンに注文しても届くのが遅かった。こういう本が売れるのはうれしい限り。日本の全国で、いろいろな場所で市民たちが自主的に知るために、勉強しているに違いないと思うと、心強くなる。『知ろう』とすることが罪になる時代だ。でも、踏ん張りどころはこれからが、なんといっても本番だ。わたしたちは、どんどん勉強して、どんどん『知ろう』、そして、わかったことを、声を大にして伝えていこう。岩波書店のような、良心的な出版社を、購買することで市民が応援し、この会社が、市民が知り勉強するための出版を続けられるように買い支えよう。

今日は岩波書店の臨時宣伝部員となり『医学的根拠とは何か』を宣伝させていただく。新書の帯についている広告文を以下引用する。個人的に、そして各地の勉強会・学習会でどんどん使われて読まれてほしい。

『人間を対象とする統計学を用いた研究を知らない多くの直感派の医師や医学研究者は、多いことや少ないことや発生するとかしないとかは、形容詞や副詞的表現でどうにでもごまかせると考えている。このような積み重ねは、公害事件などにおいて確信犯的な医学者のつけ入る隙を作ってきた。放射線による健康影響の問題では、もはや確信犯なのかそれとも無知なのかもわからない状況を作り出している。』

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2013年12月 5日 (木)

大防潮堤計画

12月4日の朝FM東京で宮城県の村井知事の大防潮堤計画が報道されていた。これでもっと全国のこの問題についての関心が強まればよいのだが。昭恵夫人の発言のおかげなんだろうか、村井知事を支援する自民党の本部からも、大防潮堤計画の見直しという声が出ているとの報道があった。これも、地元からゼネコンだけが儲かり、自然を無視したこんな計画はおかしいという声をあげてきたのも力になったのだろうと思う。何しろ無人島にも大防潮堤を作るというのだから。

村井知事は県民の30パーセントの人に支持され、対立候補に圧勝した。棄権した人が大量にいるからだが、昔ながらの、つまり自然を壊してでも公共工事をやり、そこで政官財でお金を回すやり方に執着する支持者たちの組織的支援を受けている。だが、そういうやり方がもう通用しなくなっているということは明らかだ。目覚めた民衆はもっと違う方向を見ている。大防潮堤で自然と人との交わりを遮断してしまうのでなく、例えば、広葉樹の防潮林を植えて、もっと長く人と自然が付き合っていける方向を見ているのだ。

今までの「仕組み」がなくなってしまうことに対する抵抗勢力の抵抗は大きい。最後のあがきが、「秘密保護法」などの「目隠し作戦」で、民衆がこれ以上目を覚まさないでということだろう。

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2013年12月 3日 (火)

石破氏の市民運動テロ発言

自民党の石破さんが、デモで声を上げることをテロだと発言した。やはり自民党の先生方には市民運動がテロリストの活動に映るようだということが今更ながらわかり、残念であるが、こういう統治者と市民の意識の違いはどっちみち不幸なことだ。

本来の民主主義というのは、一つの議題を巡り言論で問題点を明らかにしていき、その問題点を克服して合意に至るものだと思うのだが、そもそも相手のことが(為政者は被統治者を、被統治者は統治者を)心底理解できないというのであれば、議論が生じる余地がないようであるし、この国が良い方向に行くとは思えない。だから、お互いが分かり合えず頭からその存在を認めたくないというのは不幸なことだと言ったのだ。

そもそもなぜ市民を声を上げるようになったのだろう。これは絶対に原発事故以降の顕著な現象で、一つの歴史の転換点だと言ってよい。ぼくもこれまで、デモに参加し声を上げてきたし、この1か月は仙台市中心部で「秘密保護法に反対です」と声を上げてビラまきをしている。声を上げないで黙っていれば、何もないものとみなされ、情報と権力と金力を握った一握りの人たちの思いのままになると気づいたのが、原発事故だったからだ。原発事故がなく、自民党の先生方が、ぼくたちを黙っていても夢のようないいところに連れて行ってくれるのであれば、誰も声を上げる人はいないだろうけど、原発事故は黙っておとなしくしていても被害だけは平等無差別にきっちり味あわせられるということが分かったのだ。だったら、知らないふりをしてないで、嫌なものは嫌とはっきり言うべきだと多くの国民が思ったのではないだろうか。

そしてこの「声を上げる」ことは、この国の民主主義とも関係している。この国は国民が国会議員を選び、国会議員がこの国の方向を決めるという「間接民主制」を取っているが、この間接民主制がうまく機能していないとしたら、主権者である国民はどのような行動をとればいいのだろうか。自民党・公明党の先生方は有権者の3割の人からしか支持を得ていないのである。しかし、選挙区割りや大量の棄権者や、供託金が高すぎて新人が立候補できないというようなもろもろの事情で、民意と国会の意思決定とでずれがあるとしたら、そこに直接制民主主義の出番もあるのではないか。その直接制民主主義の一つの形が、民衆が街に出て自分たちの主張を述べるというもので、民主主義政体の国では極めて健全なことだと思うのだ。

自民党の先生方も、市民運動が大嫌いというだけでなく、原発事故以降の民衆が力をつけてきていることに本能的に恐れをなしているのかもしれない。その焦りが「テロ発言」になったのだろうか。

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2013年12月 2日 (月)

状況はコントロールされている

福島原発内部で働く『ハッピーさん』という人が、原発の事故現場の状況を伝える本を出した。「福島第一原発収束作業日記 3.11からの700日間」

この人が指摘しているのは、今現場ではベテラン作業員が少なくなっていて、素人が増えているので簡単な作業ミスが起こってしまうということが一つだ。ベテランさんは、線量を浴びてしまっているのでこれ以上作業できなくなっている。ベテランさんが班長のようになって、新人さんを教育していくものだが、受け持ちの新人の数も増えていちいち詳しくは教えてあげられないというのが現状だそうだ。ベテラン原発作業員は、今までもそうしてきたが各地の原発を渡り歩いていて、もしほかの原発が再開されれば、危険な福島にいるよりは、そちらの方に皆いくだろうから、現場はますますダメになるということだ。

素人のぼくには、こういう話を聞くと原発再稼働がいかに馬鹿げたもので、まずは事故を収束するのに全力を挙げるべきだと思うのだが、もちろん、専門家さんや、政治家さん、官僚さん、電力さんの見方は違う。

こうした現場の情報が出てくるのも内部告発や情報提供が許されているからだ。情報をみなが広く知って議論してより良い到達点や着地点を目指そうというのが民主主義の理念だが、民主主義が嫌いなお方には、こうした情報の公開はとんでもなく苦々しいものだ。

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