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2013年11月30日 (土)

特になし―あれこれ

昭恵夫人が、宮城県の大防潮堤計画はおかしいのではないかと発言したと、地元の河北新報は伝えている。一大公共工事が復興をもたらすという村井知事のやり方に異を唱えるものだ。村井知事は、自民党の安倍首相と考えも近いのだが、「夫は夫のやり方で日本をよくしたいと思っているし、私は私のやり方で日本をようくしたいと思っている」のだそうだ。

安倍首相もテレビと見るといい顔になってきた。実に堂々としてきた。ファシストの大物といったところ。「フランコ将軍」なんてあだ名をたてまつってもにあいそうだ。

宮城の村井知事も東北電力も女川原発再稼働に向けてやる気満々だ。電力さんは、お金をたくさんかけて原発を治して再稼働させようとしているけど、そのお金はどこから出ているのだろうか?そしてどうやって回収するのだろうか?やめた方が、結局「損切り」ができて、長い目で見たら得すると思うのだが。でも、「総括原価方式」は電力さんにとっては魔法の打ち出のこづちだから、いくら金がかかっても原発は再開するということなのだろう。

「原発ホワイトアウト」という小説があるということを新聞の書評欄で知った。匿名の官僚さんが書いた小説という触れ込みだが、「秘密保護法」が出来たら、こういう勇気ある内部告発者は逮捕だろう。小説では、再稼働した新潟の柏崎原発への送電鉄塔がテロで破壊されてメルトダウンが起きる。ということは、送電線・鉄塔もテロにかかわる情報なので、「特定機密」だろうなあ。地図会社の人たちは、現地に足を運んで建物・家屋の位置を確認して市販の地図を作っている。でも、「秘密保護法」が出来たら、女川周辺の地図は真っ白にしなければいけない。道路も送電線も橋も何もかも。テロリストが本当に原発を狙おうとしたら、攻めるところはいくらでもあるのだから、原発は全部『機密事項』です。

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2013年11月28日 (木)

西成の女性医師

原発事故があったため、西日本の人と縁ができた。ひょんなきっかけから労働者の町大坂西成の釜ヶ崎の人とも縁ができ、釜ヶ崎に泊まりに行ったりもした。釜ヶ崎は日雇い労働者の町だ。仕事とお金があれば、簡易宿泊所に泊まることができるが、なければ路上生活だ。そのような街で、若い女医さんが働いていた。釜ヶ崎のマザー・テレサと言われ、慕われていたという。この女医さんをめぐる事件があるということは、釜ヶ崎の人たちからなんとなく聞いていたが、昨日の「報道ステーション」が特集を組んでいたので、やっとその事件の内容を知ることができた。

2009年に女医さんは海で死体で発見された。西成警察署は「自殺」でかたをつけた。ところが、首に圧迫痕があった。警察は、第一発見者が遺体を海から引き合上げるのに鎖を使ったと説明。だが、発見者はそんなことをしていないというし、船着き場の管理者も鎖は一切置かないという。女医さんの部屋には、テレビの裏からもふすまの桟からも一切ほこりさえ出ない。つまり本人の指紋さえないほどきれいに掃除されていた。女医さんが遺体で見つかった日の朝、隣の住民が普段人を呼んだことのない女医さんの部屋から男の声を聞いている。そして女医さんの自宅の玄関は防犯ビデオが24時間まわっているが、警察は、その日に限って人為的ミスで防犯ビデオは回っていなかったと発表。しかし、ニュースステーションの記者は防犯カメラの管理人に、その日に限って回っていなかったということはなく、警察は半日かけて調べていたと証言。

こういう異常な状況に遺族はもちろん納得できるわけはなく、犯罪事件として捜査してくれと訴え、ようやく告発状が受理されたという。ニュースステーションは西成署にコメントを求めたが、警察はコメントできないというコメントだったので、いまぼくが書いたのはニュースステーション側だけの主張に基づいたものだ。

秘密保護法ができて一番喜ぶのは警察だといわれている。北海道警では不正裏金事件があったが、勇気ある内部告発者のおかげであの不正が明るみに出た。秘密保護法ができれば、内部告発者は逮捕されるし、ジャーナリストも事件を追わなくなる。警察は、めんどくさいことは嫌いだ。事件だと自分たちの仕事が増えるが、事故であれば仕事は増えない。こうして闇に葬られた事件や、犠牲になったストーカー殺人事件の被害者はどれくらいいるだろう。国民を守ることが仕事ではなく、自分たちの組織を守ることが一番の仕事だというのは、すべての官僚的な組織の暗黙の了解である。

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2013年11月26日 (火)

秘密保護法 衆議院通過

秘密保護法が衆議院を通過した。各省の大臣が、自分が国民に知られたくない事項を恣意的に秘密に指定でき、その秘密を探ろうとしたものが逮捕されてしまうという、民主主義国家の名に値しない社会を作り出す法律だ。自民党と公明党が選挙に勝ったのだから、民主主義にのっとった手続きを取った正当な法律、ということだろうが、民主的な社会の終わりの始まりの日、日本社会の運命への大いなる災厄の始まりの日として、この日をぼくは記憶しておこう。

 

それにしても、自民党と公明党が選挙で勝ったということを考えてみると、改めて選挙に行かなかった人、つまり棄権した人たちの存在の大きさに注目しなければならない。棄権した人たちが、この国の政情を実質的に決めている、つまりこの国の方向を決めているのではないかと思うのだ。今、日本の国政選挙では4割から6割の人が選挙を棄権する。自民党・公明党が組織している利益団体・業界団体・宗教団体の組織票を固めて、有権者の3割の票を取れば、選挙は絶対に自民党と公明党が勝てるということだ。というのも、何がなんでも自民党と公明党には反対で、かつ選挙に行くという人は全有権者の1割くらいだからだ。

だから、自民党と公明党がアピールすべきは全国民ではなく、というのも選挙に行かない人、つまり票にならない人はいないのも同然だからであり、戦う相手も、全有権者の1割の支持を集めるに過ぎない相手だけなのだ。だから、3割の支持さえ固めてしまえば、1割の相手には圧勝できるのであり、実際この3割と1割の違いは、実際の、例えば宮城県知事選では20万票近くの差となって、圧勝と目に映るのだ。

 

だから、自民党と公明党がアピールすべきは全国民ではなく、というのも選挙に行かない人、つまり票にならない人はいないのも同然だからであり、戦う相手も、全有権者の1割の支持を集めるに過ぎない相手だけなのだ。だから、3割の支持さえ固めてしまえば、1割の相手には圧勝できるのであり、実際この3割と1割の違いは、現実の、例えば宮城県知事選では20万票近くの差となり、圧勝と目に映るのだ。

議員数では、自民党と公明党で何をやってもよいくらいの勢力図だ。だが、実質は国民の3割の支持しか受けていないというところが、民意と政治のずれだ。そしてこのずれが大きくなればなるほど、政治に何を期待しても無駄だというあきらめと無関心を生み、次の選挙での棄権者を増やすことになる。そして、それがまた次の選挙での自民党と公明党の圧勝を生む。『多数決で決める』というゲームの中で、どちらにも全く投票しない人の存在の大きさを数学的に立証できないものだろうか。大学の授業でちんぷんかんぷんでわからなかった『ゲームの理論』の入門書はこの前読んでみた。本家本元のフォン・ノイマン達が書いた『ゲームの理論』は、積読状態で置いてある。ヒントがないか、いつか読んでやろう。

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2013年11月24日 (日)

仙台空襲と情報

地元の河北新聞の折り込みに、仙台の歴史が執筆、連載されている。今日の記事は「空襲」だ。仙台もアメリカの空襲を受けて町が焼失しているが、空襲の直前にアメリカ軍が空襲の予告のビラを空中から撒いている。当時は、そういう敵国のビラを拾ったら、警察や特高に届け出なければならず、その内容は口外することは禁止されている。当時のNHK放送局の人たちも無線を持っていたおかげで、空襲が来るぞという情報を察知していたが、「秘密」なので誰にも口外できなかった。軍の幹部の人たちの一部も、空襲の情報を知っていたらしいが、部下に「今夜は気をつけろよ」というようなあいまいな言い方で注意するだけで、はっきりと情報を伝えなかった。

情報が秘密にされたおかげで、空襲があるとわかっても仙台市民は避難することは出来なかった。空襲のその夜、軍人さんたちが芸者を上げてどんちゃん騒ぎをしていた、と記事にはあった。帝国軍人の中には、もちろん立派な方も多かったのだろうけど、記事に証言していた人によれば、戦争末期の軍人のモラルの低下はそんなものだったということだ。

国が守ってくれないとなると、自分の身は自分で守るしかない世の中が今来ている。だが、情報がなければ、国民はどうやって危険を知り、危険かどうかを判断すればよいのだろうか。

自民党・公明党の「秘密保護法案」に対しては、国連の人権委員会がついに懸念の勧告を出した。自由なジャーナリズムの活動による情報なしに、民主主義は成立しない。「秘密保護法」が成立したら、先進国の名も、民主主義の看板も外した方が良い。

政府は当然、国連の勧告は無視している。福島原発事故後に国連の調査団が来て、被曝によって人権が無視されているという査察官のレポートも無視している。松岡洋介が、満州国の調査報告書と勧告が気に入らないと国際連盟から脱退したときのようだ。

今後、人権無視も起ってくるだろうし、国が国民を守るつもりがないのであれば、アムネスティのような国際人権保護団体に訴え、自分たちの人権を擁護していくことが必要になるのだろうか。

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2013年11月21日 (木)

存在の耐えられない軽さ

出張の際は電車で本が読めるのが、(仕事以上に)嬉しい。大江健三郎さんが著者の名前を挙げていたのでいつか読んでみたいと思ていた、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」。

著者は、チェコ出身だ。『プラハの春』がソ連によって弾圧された時代を経験しフランスに亡命しフランスの市民権を得た人だ。(ああ、それにしても人は「現代史」を知らな過ぎる。学校の授業が原始時代から始まるので、たいてい学校では近現代史に入る前に終わってしまうのだ。現代史を知れば、もっと違った行動や考えもでき、日本の姿も違っているだろうに)

さて、内容は「軽さ」という表題に反して、重くてもの悲しい。30年来の読者として大江さんの小説のことが少しわかってきたのだが、小説とは、比喩や物語の形で傷ついた魂を癒す過程や行為なのだ。この世の人はみんなみんな傷ついているのである。そして、肉体を癒す医療行為などとは別に、小説や物語という形式の癒しの行為が確かにあるということなのだ。そういう大江さんがすぐれた小説家として紹介しているミラン・クンデラだから、彼の物語は傷ついた魂たちが、時間の流れの中をぐるぐると行ったり来たり過去に遡ったり未来に向かったりして、苦しみの中をたどっていく。最後に主要な登場人物の大半は死んでしまい、読後感は暗くなるが、でも何か大きな物語に触れて魂が癒された気もする。

この小説がすぐれていると思うのは、ソ連に占領されたチェコの政治家・官僚・市民たちのその行動が人類普遍の姿として描かれているところだ。つまり、こういうことは今日の日本でも必ず起こる。今の日本の姿、(もしくは近未来の日本の姿)だとはっきり想像できるのだ。共産政権下のチェコと、現代の民主主義国家の日本が同じだなんて馬鹿なことを言うなというかもしれないが、そこが現代史を知らない悲しさだ。歴史を馬鹿にするものは歴史から手痛い仕返しを受ける。

人を「支配する」ということについては、共産主義も何主義も関係ない。支配者が情報を握りそれを市民に知らせない秘密にすればよいのだ。そして、秘密を握るだけでは支配は完成しない。秘密保持とセットに必ずなっているのは、市民の監視だ。チェコではもちろん、盗聴・尾行・密告などの監視活動が行われた。特に、体制に反対していると目された市民たちがその対象となった。そして「どんな発言をしたのか」「どんな雑誌や新聞を読んでいるのか」「どのような人と付き合っているのか」などが調べられた。こういう社会では常に『署名』することが求められる。『署名』というのは比喩であって、良心に基づいて体制に反対するのであれば、声を上げ行動で示して反対する。でももちろん、その最悪の結果は拷問されて死刑だ。反体制の知識人などは、仕事を奪われ、田舎の集団農場に追いやられる。

では、長いものにまかれて従順そうなふりや無関心を装っていればよいのか?いや、それもできない。今度は賛成の『署名』が常に求められるのだ。メーデーの行列に熱心に参加し、政治家や官僚がたっているお立ち台の前に来たとき熱狂的に指導者を賛美する声を出したかなどがチェックされる。

いま、政治など自分には無関係だと思っている日本の人たちも、安穏な生活は保障されないのではないか。「中立」は許されなくなる。なぜなら、賛成の『署名』をしなければ、すなわち「反対」したことになり、「反対」した人にはそれ相応の迫害や不利が待ち構えているからだ。

小説の中の主人公トマーシュはインテリの医師で、政治なんてどうでもいいと思っていたのだろうが、最後は田舎の集団農場で事故で死んでしまう。もちろん、小説全体は魂の救済が問題だから、政治そのものは単なる時代背景なのかもしれないが、チェコであった物語は、日本でもありうるとあまりにも生き生きと想像できた。

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2013年11月18日 (月)

太郎さんの言葉 ― 続き

自分がそうであると公言することは、決して得することではありません。およそ、その反対です。ことに日本では、自分では言わないで人に言わせるというのが権威になる条件だからです。

公言は公約です。…すべてそれ以降の災いはおのれにだけ降りかかってくるのです。だまっていれば無事にすんだものを。しかし、ノッピキならない立場に自分を追いこまなければいけない。言ったばかりに徹底的に、残酷なまでに責任をとらなければなりません。

自分を積極的に主張することが、じつは自分を捨ててさらに大きなものに賭けることになるのです。だから猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任を取って問題を進めてゆくべきです。

よかれあしかれ、何ごとにつけても、まず飛び出し、自分の責任において、すべてを引き受ける。こういう態度によってしか、社会は進みません。

しかし、飛び出すことによって、自分の責任を取るということは、容易なことではないのです。だから、皆「だれかがやらなければいけない」とか、「そういうときが来たらやるが、まだ時期ではない」とか言って、時代に先んじ、自分ひとりの信念で物事をやる人がいない。

個人個人に会ってしたしく話をすると思いのほか純粋で、情熱的に、「やらなくちゃいけない。あなたのような人こそ大事なんだ」と言う。しかし、本当に社会的に、効果的に発言し、力を合わせた人が、いったいあったでしょうか。こちらが公認されるまではおそらく、決して危険なコトアゲはしないでしょう。きわめて誠実に、そして謙虚に、みんな時期を待っているのです。

以上、前回に続いて、岡本太郎「『今日の芸術』よりの引用。太郎さんの時代もそうだったかもしれないが、今日こそ勇気を持って発言しないといけない時代だと思う。また、太郎さんの言葉は、ぼくのようになまぬるく生きている人間に対する叱咤激励でもある。

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2013年11月16日 (土)

岡本太郎の言葉

木曜日はかまくらで有名な横手に出張した。秋田新幹線は、盛岡を過ぎて山に入ると雪が積もっていた。盆地の横手では一面の雪だった。こんなに早い時期の雪に驚いた。秋田まで行って日帰りの出張は本当につまらない。秋田に行くと、なんかおいしい日本酒が飲みたくなる。ましてこの雪である。そして、町にも、おいしい麹菌たちがいっぱい漂っているのに違いない。だから無性に一晩ゆっくり泊まって飲みたくなるが、日帰りの出張なのである。ああ、つまらない。

秋田に出張で行くときは、新幹線で本を読む時間がある。雪が降るし、ローカル線もしょっちゅう故障したりして遅れるので、早めに出て、本を読みながら行く。今回は、岡本太郎のあの有名な書『今日の芸術』を携えていく。書かれたのは1954年だ。でも決して、古くない。今を生きる我々が、今日的問題として、太郎さんの言葉と対峙し、対決して、生きていかなければならない。太郎さんの言葉を引用する。

「自分がやると公言すること。私は謙虚というものはそんな、人のまえで、おのれを無にするとか低く見せることでは絶対にない、むしろ自分の責任において、おのれを主張することだと断言します。つまり謙虚とは権力とか他人に対してではなくて、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことです」

「日本的道徳では、一人でやるというのはよくないことのようです。どんなに正しいことでも、一人主張したら絶対に成功しない。成功しないようなものは道徳的にも悪いのだと考えるのです。なるほどこれでは、まっ先にやったものは、ひどい目にあいます。だから、一人でやる、先鋭に、おのれを主張するということはないのです。したがって、この国の文化には責任の所在がどこにもない。奇妙なことです。戦争中、悲愴なおももちで、聖戦を一手にひきうけたような勇ましさだった文化人が、終戦、とたんに、まるではじめから戦争反対者だったようなことを言う。 ― そう言えるという雰囲気は驚くべきです。国を滅ぼしても責任はないなんて、まったくもって、結構なお体裁にできあがっています。しかも引きつづいて権威の座に謙虚におさまっているのです。戦争に協力した、しないの事実は別にしても、おのれの責任ということを抜きにして、文化なんて、まったくチャンチャラおかしい」

「自分がやると公言すること」、本当に強い言葉だと思うし、太郎さんの強い決意が表れていると思う。これからの日本社会を考えると、自由に考えを言うことがますますはばかられような世の中になっていくだろう。その時、俺はこう考えると、まわりの人間皆が沈黙しているときに、自分は言う勇気があるだろうか。いや、あらねばならないと、太郎さんの言葉を読んでそう思う。

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2013年11月12日 (火)

再生エネルギー電力買い取り費用

再生エネルギーが普及するために、電力料金制度はどうあるべきか?自然エネルギー財団と立命館大の研究を河北新報が報じていたので、自分の勉強のためにまとめてみた。

再生エネルギーを電力会社が買い取るように義務付けた「固定価格買取制度」が、はじまったことは大きな前進だと思う。ただし、電力会社が買い取った電気の料金は、我々の払う電気料金に上乗せされている。

電力会社は、買い取った分は自社で発電しなくていいので、燃料などが節約でき得している。だから、電力会社が電気料金に上乗せできるのは、全体の買い取り費用から、節約できた分の差額だけだ。ところが、エネルギー財団と立命館の研究では、節約できた分が低く見積もられている、つまり、必要でない分までが電気料金に上乗せされているのではということだ。

いま、火力発電の燃料費(石油)は高い。原発を再稼働する推進派の根拠もそこだ。だったら、買い取った自然エネルギーの分だけ、コストの高い火力をやめればいいのに、コストの安い水力や石炭火力をやめたことにして、自然エネルギーを買い取ってはいるが、あまり自社発電では節約ができていない形にして、電力料金を高く徴収しているのだという。

もちろん、経産省側の反論も河北新報には載っていたが、あとは、各自で調べてみてください。

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2013年11月 7日 (木)

すでに国税の行方も秘密です

国際環境保護NGOのFoE Japanの満田さんの報告書の内容を紹介する。

日本は、安倍首相を先頭に立て世界中に原発を輸出しようとしている。福島の事故の原因も究明されておらず、また、事故を収束させることもできていないにもかかわらずである。ベトナムにも輸出されて、計画が進んでいる。何も知らされていない、ベトナムの漁民に、一日本人として、事故があった時、なんとお詫びしたらよいのだろう。

いま、ベトナムの建設予定地の調査に、国税25億円が投じられ、そのうち5億円は復興予算の流用である。復興予算の流用は、特に、今も自宅へ帰れない福島原発の近隣の人の気持ちに逆らうのではないか。

さて、その現地調査であるが、実施主体が日本原子力発電株式会社である。この会社は敦賀原発を所有しているが、自社原発の地下の活断層すら見分ける力もない会社である。そして、原発が止まって、経営破たん寸前である。

さて、25億円も血税を使うのだから、国民はその金がどのように使われたのかを知るのは当然の権利だろう。だが、NGOが経産省に情報開示を求めたところ、『エネルギー市場分析、電力系統分析、経済性評価、財務分析、敷地周辺調査、敷地内地質調査、等」と開示されただけで、調査項目の詳細や調査報告書は何度公開を求めても公開されなかった。

エネルギー市場調査だけで何十億円の金が必要なんだろうか?詳しい情報がないので、そもそも税金が適正に使われたのか、(現地の有力者に渡ったのではないか?)、復興予算まで流用する必要があったのか、ということは議論することが不可能だ。

情報は公開されて、日本とベトナムの両方の人たちが、第三者も交えて、検証できることが、必要だ。

いまでさえ、政府と省庁は情報を公開したくないし、市民や外部の者に検証されることをとても嫌う。ここに、さらに、秘密保護法である。秘密の指定は、省庁の幹部が任意でできる。隠したいものは隠し放題で、しかも、何が秘密だかは秘密なので、それに触れようとしたものは逮捕される。

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2013年11月 3日 (日)

ニューヨークタイムズの社説

ニューヨークタイムズの社説でも、日本の「秘密保護法」は民主主義に反する危険な法律だという指摘がなされた。「秘密保護法」が施行されれば、日本は民主主義国家の名前を返上しなければならない。

民主主義が成り立つには、国民が情報を知っていることが大前提だ。正しい情報に基づいて、国民一人ひとりが自分の判断で言論と行動を行うのが民主主義だ。その前提がなければ、国民は正しい判断もできなければ、正しい自立した行動もできない。そうなれば、もう民主主義国家ではない。

今後原発事故のような重大な事故が繰り返して起こるだろう。その時に、政府は「知らせれば国民がパニックになる」と言って、情報は出してこないだろう。政府が、こういうときに情報を出さないということは、先の原発事故でも証明されたし、歴史をさかのぼっても証明できる。何が秘密であるかさえ秘密にされ、事故・災害・戦争の時に重大な情報に一般国民はアクセスできない。民主主義の危機である。

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2013年11月 1日 (金)

怖い映画

職場の人から『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)というビデオを借りた。これは、ベルリンの壁の崩壊前の東ドイツの話で、秘密警察が市民を監視していたという事実を基にした映画だ。自由を求める芸術家たちだが、表現の自由は、一党独裁の上層政治家が決める。その政治家に逆らう芸術家は、東ドイツ社会では生きていけないのだ。そこで、密告・裏切りなどが出てくる。そういう人間ドラマを描いたもので、盗聴や監視社会といった歴史的事実だけでない、見所があった。

こういう恐ろしいことが、自分たちには起こってほしくないと、誰でも人は願うだろう。だが、こういうことがあったという歴史的事実を教訓として自分たちに生かしていかないと、誰もよそからは守ってくれはしないのだ。

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