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2013年1月31日 (木)

社会科学について考える

心理学者でノーベル経済学賞を取ったDaniel Kahneman氏の”Thinking, Fast and Slow”を読了した。なるほど、彼の研究してきたことは、社会科学の分野である経済学で生かされることなのだと納得した。いや、経済の分野だけでなく、政治や国全般の運営にも生かすことができる。社会科学の分野は、自然科学の分野と比べれば、科学としては断然遅れている。自然科学の分野は、客観的な実験によって理論が検証され、そしてその理論を現実に応用して、我々が現実に見たり享受できたりする技術という形でわかりやすく私たちの目に触れている。

ところが社会科学の分野では、理論についてはそれなりに昔から様々な人によって案出されてきているが、なかなかそれを自然科学のように実験や現実世界で確かめることができない。だから、個人的な信念である「ドグマ」や「イデオロギー」もしくは単なる思い込みや思い入れになってしまい、客観的に何が正しく何が間違っているかの検証が容易ではない。まして、理論を現実に応用して世界の進歩に役立たせるなんてことは容易でないし、その理論を適応してみて本当に成果があったのかどうかというのが、自然科学のようにはすぐにわからないのだ。結局、壮大な歴史的実験のもと、成功したか失敗したかは後世の人間の判断に任せるというのが、社会科学、とくに経済学や政治学の現状なのだ。

ところが、Daniel Kahneman氏の著作を読んでいて、社会科学の分野も自然科学にははるかに立ち遅れているものの、科学として理論の検証と、現実への応用ができるのではないかと、いう明るい気持ちになった。アメリカでは、社会科学者の提言が少しずつ受け入れられて実現されているそうだ。アメリカは、日本と違って歴史が浅くしがらみがない国だ。だから、いいと思ったことは、どんどん取り入れやってみるという実用的な(プラグマティック)な精神がある。そういう点では、アメリカは素晴らしいと思う。日本は、何しろしがらみが多すぎてそういう、いいから取り入れるということはなかなかしないだろうし、自然科学は世界的水準だとは思うが、社会科学の分野は相当立ち遅れている。私が、学生だった30年前は、社会科学の分野は欧米の植民地だったが、今でもそんなに状況は変わってないだろう。

さて、Thinking, Fast and Slowから、感心したことや、そこから考えたことをいくつか。

「幸福」の度合は測ることができる。心理学的な実験を工夫して、個人が1日の中でどのような活動をしてそのときにどんな気持ちでいたかを評価してもらい(「幸せだった」「悲しかった」など)それを記録し、統計にすることができるのだそうだ。これを大規模に調査すれば、国民の幸福度を測ることができる。何に幸せを感じるかは個人的に差はあるだろうが、少なくとも、「不幸せだ」と感じる行動や、感じる個人の時間を減らすようにすることができるし、それを目指すのが政治だという。かくして「最少不幸」の社会を目指すことができるわけだ。菅元首相が言っていたのもこれなのだ。民主党が目指していた、理念自体はぜんぜん間違っていないと思う。

人間の直観がいかに間違いやすいか。例えば、がんの治療法を下のAとBから選択するとする。

A「1か月後の生存率は90パーセントである」。

B「治療後最初の1か月で死ぬ確率は10パーセントである」。

この実験をほんものの医者たちにやってもらったところ、8割以上の医師が治療法Aを選んだそうである。だが、よく考えてみると、これはAもBも統計上同じ確率を言っているのであって、科学的には全く同等の治療法なのである。だが、人間はAのように提示されると、Aの方を好むバイアスが働いてしまい、どんなプロフェッショナルな人でも、そういう人間的な弱点を逃れることができない。こういうことが分かったので、社会科学者がオバマ政権のアドバイザーになり、飲料の表示に「90パーセント脂肪カット」と書いたら必ずその横に「10パーセント脂肪含有」と表示させる規制ができたそうだ。

こういうふうに、よく工夫された客観的な実験によって、人間の心理的な欠点や限界がわかって来る。そうなると、古典派経済学以来の伝統、そしてサーッチャー、レーガン、小泉、竹中さんなど「市場経済万能主義者」が受け継いできた大前提「自由な個人が各人の利益が最大になるように、自由競争が保障されている市場で活動すれば、市場の万能の力(=神の見えざる手)によってすべてはうまくいく」は、嘘だった(=崩れてしまう)ということがわかるのだ。そもそも人間は、上で見たように、自分で理性的に判断していると思ってもできないし、何が自分にとって最適かということを判断できる生き物なのかということも怪しくなってしまう。

だが、そういう人間の限界が科学的に明らかになった方が、人間は謙虚になれるし、科学としての社会科学が真剣に政治や経済の政策に応用され、客観的にその成果が検証されるというサイクルになっていくのではないだろうか。もちろん、残念ながら日本の政治や経済が、そういう科学的な方向で、成果を出そうとやられているわけではないし、そういう発想もないことは明らかだ。公共事業を派手に行えば、思惑で政権の支持率は上がり一時的に株価も上がるかもしれない。だが、道路や無駄な施設を以前の通りたくさん作って、果たして経済に何パーセントの影響があり、国民の「幸福度」が何パーセント上がり、「不幸度」が何パーセント減ったのか。そういう検証が一切されないままに、不毛に資源や貴重なものが浪費されていっているように思える。

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2013年1月29日 (火)

お金の使い道

また、お金(公金)の使い道を考えてみたいと思う。税金として、国や自治体にお納めるお金が、本当に有効に使われているかどうかは、納税者が常に気になるところだと思う。お金を使うことで、世の中が自分の望む方向に行ってほしいと願う、そういうお金の使い方もある。今までは、税金を通して、その税金の使われ方で、世の中が良い方向へ行ってくれと、願うしかなかったわけだが、「公共」の担い手は、何も政府や自治体ばかりではない。納税額の何パーセントかを、自分が指定するNPOなどに回すことが可能となる制度を、埼玉の志木の首長などが言い出して、世の中がこれで変わるのか、と期待したこともあった。(民主党の凋落で、地方分権は今ではすっかり鳴りを潜めてしまったが)

自分の税金を、自分の思いを実現してくれるNPOなどに振り向ける制度が現実には、ハンガリーなどにはあるそうだ。さて、今日は「公共」の目的のためには、よさそうなことであるが、実はそうもうまく話がいかないという事例も記しておきたい。都会の人は知らないかもしれないが。各市町村には「社会福祉協議会」なるものがある。「福祉」という名を掲げているので、悪いことをしているという印象はない。半官半民のようなところなので、田舎では信用がある。たぶん、上の人は役場からの天下りだろうが、職員は多分縁故採用。田舎では、福祉協議会の名のもとに、赤い羽根募金などは、強制的に各戸ごとに徴収される。「善意」も「強制」されると、違和感を感じるが、5人組の名残がある田舎で、大ぴらに反対する人は、よほどの変わり者か、よそ者。

さて、この社会福祉協議会、確かに民間企業がやらない尊い仕事もしているが、会計の不祥事が非常に多い。半官半民のようなところだから、不祥事があれば、必ず新聞に書きたてられてしまうので、私が「多い」と感じるのかもしれないが、おそらく、民間企業の何10倍、何100倍という確率で、会計の不祥事が発生している。職員による使い込みや持ち逃げが多いし、それを管理職が見抜けないのだ。

被災地の現状を書いて、善意のお金がどうなったのかを書いておかなければならない。宮城県の山元町の社会福祉協議会で、数千万円の使途不明金が出ている。職員が流用したことを認めているらしいが、そのお金には、津波被害への寄付金も含まれているらしいとのことだ。

お金の使い方・使われ方を通して世の中を変えていくというのは、容易なことではないが、でも、これからの未来にとっては大いに可能性があることだ。お金を託すことができるところはどこか、信用できて、本当に人々の思いを実現してくれるところはどこかを見極める必要があるし、お金を託されたところも、襟を正す必要があるだろう。

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2013年1月27日 (日)

HaTiDORiの報告

若い人たちが主体で開催した原発や放射能を考える集いであるHaTiDORiに、昨夜、参加してきた。会場は小さなところであったが、100人くらいの参加者がいたのではないかと思う。参加者にも、普段このような場所ではあまり見かけないのではないかという、若い人たちや、髪を染めたギャル風(?)の人たちもいて、今後の可能性が感じられた。そして、何より主催者側の人たちの、思いがこもった、そしてその思いが随所に見られた心温まる、いい催しだったと思う。

年を取れば、つい「今の若者は…」というような愚痴を言いたくなるような罠に、ぼくも陥っている。(何しろ、100年生きる予定で、今年はその折り返し地点に来たのだから)。でも、「今の若者は…」と嘆くのは間違っていると思う。育った環境が世代ごとで全く違うのだから、違う考えや感性を持っているのは当たり前で、上の世代が下の世代に文句を言うのは間違いで、上の世代が下の世代に歩み寄り、彼らの感性に学ばせてもらい、どういうことが好きなのだが教えてもらうべきだろう。

人前で発言するというのは大変なことだろうが、20代ともなれば堂々と自分の思いを伝えることができ、さすがにいろいろな経験を積んでしっかりしているものだと感心した。彼らが伝えたいこと、伝えたい思いはしっかり伝わった。そもそも自分が、20代だったころ、そんなにしっかりした人間でなかったことを思うと、反省したくなる。労組の幹部で、若い人がなかなか参加してくれないと嘆いていたり、どうやって若者と付き合っていいかわからないという大人たちは、こういう集まりに来て、若い人の考えていることを、学ぶとよいのかなと思った。

さて、会場からも発言が出て、こんな話が印象に残った。子供がいるお母さんが、PTAの集まりで、「給食のことが…(=食材の残留放射能が心配だ)」「学校行事が…(=校庭のほこりから摂取する放射能が心配だ)」と発言したら、あとで数人のお母さんに囲まれて「東北電力の奥さんたちもPTAの中にいるのだから、そういう発言は今後よしてくれ」と言われたそうだ。

もちろん、放射能が心配だということと、原発を営む東北電力を批判することとは、まったくの別問題で、東北電力の奥さんたちに気を遣うお母さんたちの論理は飛躍していると思う。だが、これが仙台の現状であるし、福島では、「給食が…」「学校行事が…」と発言すれば、「そんなにいやなら、福島から出ていけばいいじゃない」と言われるそうだ。批判するお母さんも、されるお母さんも、誰も悪くはないと思うのだが、こんなふうにお互い傷付つけあわずにいられない状況が、原発の被災地では起こっているのだ。これは、事実として、原発を稼働するということがどういう結果まで伴うことなのだかということを、被災地以外の人にも客観的に知ってほしい。

問題を整理しよう。東京電力や東北電力のだれに対しても、個人的に憎いと思っているひとはいないだろうし、不幸せになれなどと思っている人はいない。ただし、原発というのは、どういう問題なのだろうか。「何となく、うまくいっているときは、ある一部の人だけが巨利を得、失敗したときは、利益にあずからなかったものも含めて、一様に不利益を被るそういう性質のもの」といえるだろうか。だから「戦争」と「原発」は性質が似ているものと思うのだが、そういう点でも、この二つは取りやめていただきたいと願っているだけだ。

そして、原発をやめれば、東京電力や東北電力の社員さんたちが、直ちに不幸になるのだろうか。大きな会社なのだから、その一部門が縮小したって大きな影響ないだろうし、廃炉ビジネスは半永久的に続く。ソニーやシャープなどの家電大企業だって、市場からお宅のその部門の商品はいりませんと言われれば、撤退するしかないのだから、電力さんも旧部門を廃して、新部門に人員配置換えをすることが可能だろうし、企業のトップこそは、安易に首を切らず、市場の変化に合わせて何としてでも雇用を守るようにすべきだろう。

さて、HaTiDORiに戻る。催しの最後の方では、舞踊と音楽の披露があった。原発集会では、普通見られない感性だ。でも、原発を考えることと、芸術表現は同じ次元のことではないかと、若い人たちが教えてくれた。音楽や美術のような人を解放させる感性を押し殺して、ひたすら発展してきたのがこのいまの男性中心の日本社会だと思う。そして、行きついた先が原発事故を引き起こすような社会だ。若い人たちは、本能的に何か違うなと思っているのじゃないか。

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2013年1月24日 (木)

秋田出張

寒い日が続いています。仙台でも、今年は雪が多く、日陰の道には雪が解けず残っています。太平洋側の仙台でもこれなのだから、日本海側では、今年の雪は大変でしょう。

覚悟を決めて、秋田出張に行ってきました。幸い、新幹線は1時間程度の遅れで秋田に到着しました。もちろん、そんなこともあろうかと、2時間くらいは早めに出ているので大丈夫。秋田の人に聞くと、今年は去年の4倍くらい雪が多いそうです。

日帰り出張で、時間に全く余裕がなく、どこにも寄ってこられませんでしたが、秋田っていいところですよね。雪国ってなんとなくロマンチックです。でも、毎日暮らしている人は、大変なんでしょうかね。ゆっくり行って、日本酒、飲んで来たい。(どこも、経費削減で厳しいでしょうから、そんな出張、なかなか許されないのでしょうかねえ)

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2013年1月23日 (水)

HaTiDORI

1月26日(土)18時から、仙台メディアテーク7階スタジオbで「HaTiDORi」という催しものが開かれます。放射能と原発、日本の今について、わかりやすいお話があり、原発、放射能問題に取り組む市民団体の活動記録が紹介されるそうです。

特筆されるべきは、この企画が20代の二人の女性が中心となって行われることです。彼女たちは、原発・放射能問題がもっと広い世代に知られ、気軽に話し合われてほしいと願っているそうです。

企画をした一人の方のお話しよれば、文化人類学を専門とした卒業論文のフィールドワークのためにも、原発・放射能問題について、仙台の街中で街頭インタビューをしたそうです。しかし、この問題は、宮城ではタブーらしく、顔を背けられたりで、話してもらうのに苦労したそうです。農業・漁業への影響が直接的で、女川原発がある宮城では、この話題はタブーなのでしょうか?

もう一人の方も、どのような経緯でこの企画をしたのかを語っています。それはこちらでどうぞ。

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2013年1月22日 (火)

失うことの大きさ

ノーベル経済学賞を取った心理学者が書いた"Thinking, Fast and Slow "に示唆を受けています。人というのは、「得ること」よりも「失うこと」に大きな反応をしてしまうそうです。それは、生物学的に進化の過程を経て得られたもので、本能的に組み込まれているらしい。危険なもの・こと、捕食者など生物にとって、危害を加える物・事に対して鈍感な個体は生きられなかったことと関係しているとのこと。

だから、人間は「10億円得る」ということよりも「10億円失う」ということに、過大な心理的反応を示すのだという。これが、どの組織、企業、政府、官僚組織でも、改革が失敗する理由だそうだ。「改革して得ること」と「改革して失うこと」を比べて、それを数字で評価して同等であっても、「失うこと」に対する人間の心理的抵抗ははるかに大きいのだという。

さて、原発はなぜ止まらないのか?以上の考察を踏まえると「失うもの」が大きい人が、抵抗しているからだ。彼らは、何十億、何百億円の失うものを持っている。原発をやめて、得られる平穏で安心な暮らしよりも、彼らにとっては、失うものがはるかに大きなものに映るのだ。

意見が違う相手、意見が異なる相手を、どう包摂していくのかがこれからの運動の課題だろう。そのためには、まず相手を知ることだ。彼らの目に見えている世界がどうなっているのか、どこに行けば同じ世界が見えるのか、そういうことも知ろうとする必要がある。同じ世界が見えているところでなければ、意見の対立は解消しないだろう。

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2013年1月19日 (土)

核燃サイクル再開

昨日の新聞だっただろうか、経産大臣が青森県知事とにっこり握手している写真が出ていた。自民党政権が、核燃サイクルを再開・維持することを青森県に約束したというのだ。後世の青森県民は、(そして私たちも)この日が何の日だったのかを記憶しておくべきだろう。「終わりの始まり」の日だったのかも知らない。

青森県知事は、青森県を核の最終処分場にしないという前提で、核燃施設大歓迎の姿勢だが、常識的に考えて、最終処分場にしないという約束など守られるわけがない。歴史的に見て、強者が弱者を踏みにじるということは、そういうことだし、青森県も虫が良すぎる。何もしなくて、金がじゃぶじゃぶともらえる施設だけ受け入れておいて、そこから出るごみや全国から青森に集まったごみは、よそに持っていかせるなんてありえない。残念ながら、端的に言えば、青森は「核のゴミ捨て場」になる。

縄文の誇り高き青森県人の誇りはどこへ行ったのだろう。中央よりも、はるかに豊かだった生活がそこにはあったのに。もちろん、青森県だけを責めるわけにはいかない。青森をそういう状況に追いやっているのは、私たち一人一人にも、何らかの責任があるのだから。

誇り高き人たちが、この国にいないわけではない。現に、和歌山や三重の人たちは、原発の誘惑をはねのけて、後世の子孫に大切な贈り物をしてくれている。山口県の祝島にも、誇りに満ちた人たちがいる。今度、岩波新書で、祝島の人たちのことを紹介した本が出た。多くの人に読んでもらいたい。

「原発を作らせない人びと」岩波新書

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2013年1月17日 (木)

復興増税をご存知か

皆さん、増税を実感できているでしょうか。私は、確定申告で、税金を払っているので、自分がどれくらい収入があり、どれくらい税金を納めなければならないか、把握しています。民主党政権時代にも、子供手当などという飴がありながら、各種の控除の廃止で実質増税になっていたことを感じましたが、今度、復興増税が課されていることが実感できました。

原稿料や講演代の税率は10パーセントだったのですが、復興増税で、10パーセントから少し上乗せされるようになりました。私にとっては、その分だけ手取りが少なくなることを意味します。例えば、前は1万円もらえていたのが、9000円しかもらえなくなるわけです。

人間は、現状を参照点として、そこから失うものについては大変敏感で、既得権を失いたくないと強く思うそうです。(これは、いま読んでいるDaniel Kahneman氏(彼は、心理学者でありながらノーベル経済学賞を受賞した)"Thinking, Fast and Slow"に書かれていました)

さて、私が言いたいのは、復興のためにお金を払いたくないというのではなくて、税金を払うことに痛みを感じる人がもっと多くなれば、税金の使い道に、もっと人は敏感になるのではないか、ひいては、日本の政治的状況を変えられるのではないかということです。

日本人は、よくおとなしいと言われます。ほかの国であれば、暴動が起こるような状況の中で、よく我慢しておとなしくしていられると。この日本人の従順さは、一つには、自分が税金を払っていることに関する人々の無関心と、それに伴う税金の使われ方に関する無関心があると思います。

この無関心を生んでいるのは、収入の申告制度にあると思われます。たぶん、日本人の8割くらいの人は、会社などで自動的に税を取られて(納めて)いて、税金を納めているという感覚がないのではないでしょうか。

私は、税金を納める「痛み」を忘れないために、金融機関や役所の窓口に直接払いに行き、そのたびに「痛み」を感じます。だから、自分が納める税金が、少しでも自分が嫌なことに使われることに「痛み」を感じます。復興増税が、原発輸出企業の補助金に使われるのは、納得できません。

もっと、多くの人が確定申告をして、自分で直接納税すれば、この国は変わると思うのですが、それを最も恐れているのは為政者でしょう。先述のDaniel Kahneman氏によれば、実験に裏打ちされた心理学的理論により、人間は強く「現状維持」を望むということがわかるそうです。

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2013年1月14日 (月)

どんと際

大雪の中、お正月飾りなどをご近所の愛宕神社に納めてきた。ご近所というか、愛宕神社の山のふもとに今住んでいる家はある。神社の門前みたいで、ご利益がありそうでいい。どんと祭りで燃やした灰の放射能はだいじょうぶだろうかということも少し頭をよぎるが。

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家の前、ちょっとだけ雪かきをした。久しぶりにスコップを持った。

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2013年1月13日 (日)

初期被曝を探る

昨晩NHKで、震災直後の、住民の被爆状況がどうであったのかを探る番組が放映された。3月11日の大地震直後から、我々がどれくらい被爆させられたのかは詳しくわかっていない。

理由の一つは、放射線ヨウ素は半減期が8日と短く、1年後、2年後のホールボディカウンターの検査や尿検査では、検出されないからだ。また、地震直後の津波などで原発周辺のモニタリングポストが破壊され、大気中の放射線量の記録がなくなっているからだ。また、そのほかの理由としては、文部省などが測定をやめさせるように圧力をかけたからだ。

為政者や官僚側が、市民に情報を知らせたくないというのには、いくつか理由があるだろう。例えば、「住民が無用の混乱を招く」。この考えの背後には、為政者側の、人民は無知だから下手に情報が伝わるとパニックになる、という前提がある。いわゆる「寝た子は起こすな」論理だ。また、住民の側にも、余計なことは知りたくない、ことを荒立てるなという「ことなかれ主義」がある。

しかし、まず、正しく事実を知ること、それが大事だ。正しい事実に基づいてこそ、今後の正しい行動が生まれる。市民側の、健康調査では食生活に気をつけている人とそうでない人との間では、尿に含まれているセシウムの量が違うということが分かってきている。正しい事実を知らないと、生活や行動への意識を変えられないのだ。

私自身、自分や子供たちが3月11日の直後にどれくらい被爆しているのか、ずっと正しく知りたいと思っていた。いま振り返ると、津波が来なかったことと食料と薪があったことなどで、あまりにものんびりした過ごし方をしていて、放射線に対して無防備だったことが悔やまれるのだ。

震災直後の、被ばく量をどうやって推定したのか。番組では、手弁当で頑張る科学者たちの活動を伝えていた。当時の風向きのデータや、各地で観測された放射線量のデータ、新たに発見されたモニタリングポストのデータ、弘前大の先生が被災直後に現地に入り人体の被ばく量を測定した貴重なデータ等を投入してシミュレーションして推定できたのだ。

そのシミュレーションで3月11日から16日くらいまでの放射能の拡散シミュレーションを番組では流したのだが、(そしてそれが一番じっくり見たいところだったが、多分影響が大きいということで番組では少ししか見せてくれなかったが)、結論から言うと、宮城県はかなり被曝している。そして、宮城県と同じくらいの被曝を東京でもしている、ということがわかる。

当時静岡のお茶からセシウムが検出されたという事実とも符合するし、市民側の測定で、関東の街路樹の下などでは、かなり放射線量が高いということが分かっている事実とも符合する。

また、爆発があった12日以降、特に16日が最大の放射線放出量だったことが、番組ではグラフで示されていたが、11日にもすでに放射線の放出があったことを、番組ではさりげなく伝えていた。これは、市民側が、原発は通常運転でも常に放射能をまき散らしているという指摘や、福島原発は津波ではなく地震で壊れたという指摘とも符合する。

市民側も、これからますます科学的リテラシーを身に着け、原発推進政策の矛盾を、感情論で反対するのではなく、冷静な事実と科学的議論で反対できるようにならなければならない。

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2013年1月11日 (金)

アクセント

NHKのアナウンサーが東京の六本木のクラブで起こった殺人事件の原稿を「クラブ」と読んだ。これは、本来正しいとされている「ラブ」ではなく、若者の間で一般化した、新しいアクセントだ。(若い人が、「れし」を「かれし」と平板化したアクセント読むのと同じ現象。)公共放送の担い手が、こういう迎合した読み方をしていいのか、アナウンサー教育がどうなっているのか、ということが頭をかすめたが、面白い現象ではあると思う。

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2013年1月 8日 (火)

あすのわしんぶん

滋賀県で、暮らしを見つめなおし環境問題、原発問題を考えるグループがあり、「あすのわしんぶん」を発行している。私は、「世界脱原発会議」の時に、メンバーの方と知り合う機会があり、それをきっかけに子供を滋賀で保養させることもできた。その「あすのわしんぶん」を送ってもらった。それを読むと、映画上映会や暮らしを見つめなおす催し、がれき処理問題の勉強会、オーガニック・マーケットなど、多彩な活動をしていることがわかる。各地でこんなふうに頑張っている人たちがいるというのは勇気づけられることだ。思いを持った人たちが横につながっていけば、確実に世の中を変えていく力になるのではないだろうか。「あすのわ」さんの活動はここで見ることができる。

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2013年1月 5日 (土)

京都から訪問客、そして石巻へ

京都の子供保養プロジェクト「ゴーゴーわくわくキャンプ」のメンバー3人が福島、宮城の被災地の声を聞こうと、我が家にも立ち寄ってくれた。京都精華大の学生や卒業生を中心に、放射線量が高い地区の子供の保養を受け入れるプロジェクトを、原発事故後すぐに立ち上げてくれて、我が家の子供たちもお世話になってきた。息の長い活動と、被災地とのお付き合いがどういう形でできるのかということを考えるために、実際現地に足を運んでくれたのだろうが、本当にありがたい。こういう形で、私たちのことを思ってくれている人たちがいるということと、つながれているという実感が、一番勇気がもらえ、未来へ向かって頑張ろうという気持ちにさせてくれることだ。

我が家に1泊してもらい、今日は一緒に石巻を訪れた。石巻の「高橋徳治商店」さんという練り物屋さんは、メンバーの一人と仕事上のお付き合いがあったようで、被災した工場を訪問することになったのだ。私は、震災後一度も石巻や気仙沼を訪ねていない。津波被害のことを考えるのは、住んでいる近くの仙台沿岸や宮城県南部の亘理・山元の現実を震災直後から見ていて圧倒されていたので、県北部のことは新聞・ニュースではよく目にしていても考えたり、訪問する余裕はなかったのだ。

だが、実際に訪れてみて、社長からじかに話を聞いてみると、同じ宮城県に住んでいても、ぜんぜん石巻が抱える問題は分かっていなかったのだ、と反省した。震災前は、石ノ森章太郎の漫画館を子供と一緒に訪ねていたので、それが再開したというニュースを聞いて喜んでいたが、今日行ってみると、漫画館の回りは、津波をかぶった時とあまり変わっておらず、「あれに金をかけるのだったら…」というのが地元の人の反応だった。

「高橋徳治」商店さんは、練り物屋さんの中では異色の業者さんといってよく、無添加のおいしい練り物を作り続けてきた。だから、生協関係との取引が多かった。工場が被災し、今はライン1本でやっている。別の地区の高台に新工場を建てるが、あらたに借金もしなければならず、大変そうだ。練り物屋さんで添加物を入れないとうのは、農業でいえば無農薬栽培農家と同じだ。だから、「高橋徳治」商店の社長は製品つくりに妥協がない。そして、石巻漁港であがる魚の「放射線量調査」を、率先して提唱したそうだ。そして、そういう人が地元では、悪く言われてしまうのも、農業の世界と同じだ。

3.11以降、我々はもう違う世界を生きているのだ。ああいうことを体験して、何も変わらないのでは、亡くなった人に申し訳ない。高橋社長の話を、ゴーゴーわくわくキャンプの若いスタッフと一緒に聞きながら、希望の形を若い人たちと協力して作っていきたいと思った。

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石巻の中心街では2メートルを超す津波が押し寄せた。

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高橋徳治商店さんの工場を見学させていただいた。

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2013年1月 3日 (木)

伊香保

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伊香保神社へお参りに行く。階段を上ったうえにある。この伊香保温泉というのは、源泉を山の斜面に沿って、滝のように落とし、その両側に人家や温泉宿を配した『都市計画』に沿って建てた温泉街だという。こういう温泉街もあるのだと、また一つ勉強になった。

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2013年1月 2日 (水)

ミカン狩り

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高崎に帰省している。高崎にミカンの木が生えている。冬の空っ風に耐えて、たくさん実をつけた。子供たちと一緒にミカン狩りだ。

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2013年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

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明子さんと子供たちが昨日からおせちを作り、元旦の今朝いただきました。だし巻き卵など上手にでき、おいしかったです。たづくりはバリ島のココペリさんからもらったイワシです。

振り返ると、昨年の正月は、子供たちが沖縄の牧場へ保養に行き、家族バラバラで過ごしました。放射線量の低い仙台の街中に引っ越してきて、子供たちの部活動も忙しくなり、保養へ出す機会も少なくなってしまいましたが、生活空間の回りから放射能がなくなったわけではありません。仙台でも街路樹の下の土や側溝の中などに放射性物質がたまっていて、高い放射線量を示しているところがあります。

福島の原発事故以来、日本中どこでも多かれ少なかれ放射性物質が身の回りにあるという暮らしが当たり前になってしまい、それがこれから何十年、何百年と続くのです。目に見えない放射性物質が環境中のどこにあるのか、どういう食べ物に潜んでいるのかは、機械で測定してみなければわかりません。人々は、放射能のことを考えるに疲れてしまい、ないと考える方が気持ちも楽なので、関心も薄れがちです。

しかし、事実を正しく認識してこそ、次の正しい行動が生まれるので、地道に放射能測定をして結果を発信し続けることが大事になると思います。そういう、地道な仕事をしているのが、市民放射能測定室です。宮城県では『てとてと』など、頭の下がる仕事をしてくれているところがあります。そういう人たちと連帯して、脱原発の流れを少しで大きなものにしていきたいと思います。

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