« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月29日 (木)

選挙が近い

衆議院選挙が近い。脱原発を目指す人たちが投票できる受け皿ができたのは喜ばしい気がする。

全国の地方地自体の選挙の結果が新聞に載っていたりするが、栃木県知事選、宇都宮市長選、鹿児島市長選など、なんと投票率は30パーセント台で、自民党と公明党が推す候補が圧勝だ。投票率30パーセントで、民主主義が機能しているのだろうか。投票率が低ければ低いほど、業界団体、医師会などの圧力団体、宗教団体が推す候補が当選する。

今度の国政選挙でこの国の方向は変わるのだろうか。変わってほしい。電気事業連合会も、お金をかけて原発の宣伝をまたし始めている。森永卓朗氏も、原発文化人として、原発の宣伝を始めている。若い人も、きちんと選挙に行かないと、徴兵と戦争への徴発が待っている。まずは、選挙に行かないとこの国は変わらない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月27日 (火)

雪がちらちら

北日本は大荒れの天気のようです。仙台は晴れていますが、風が強い。温度も冷えてきて、山の方から雪がちらちら飛んできています。今シーズンの初めての雪と観測されるのでしょうか。もう、12月がまぢかです。時がたつのは早いものです。いつもいつも同じ感慨です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月25日 (日)

告発の行方

原発事故により、里山に抱かれた自然の多い場所での自給的な生活をあきらめざるを得ず、転居したことによる精神的苦痛および経済的損失の補償を求めて、東京電力に申し入れをした。先方の弁護士から、国による強制避難の指示があった場所以外は自主避難にあたるので補償はできないとの回答があった。先方の対応は、もちろん予測していたことだ。

 

 金銭的な補償という考えは置いておいても、そもそも福島の原発事故は、私たちの生活に対する犯罪なのではないだろうか。今までの生活を破壊して、健康被害をもたらし、これからの長い年月を不安で暗澹たるものとしている。そう思う有志たちが、まず福島県で声を掛けて、東電などを刑事告訴・告発した。そして、福島以外からも、なるべく多くの人が声を上げて、告訴・告発に加わり検察に圧力をかけようという呼び掛けがあり、私も今度、この告訴団に加わった。

 

 正直言って、この刑事告訴は厳しいだろう。つまり、検察も本気で取り上げてはくれないだろう。しょせん、検察も官僚組織であり、東電、御用学者、経産省と同じ穴のムジナだろうし、何しろ官僚組織というのは余計な仕事が増えるのを嫌う。本気で告発するのであれば、証拠集めが大変になる。証拠になるようにと、我々がどれほどひどい目に合ったか、めいめい陳述書を書いたのだが、検察はどこまで本気で取り上げてくれるのか。

 

 だが、この告訴には意義がある。やられっぱなしで決して黙っているだけではないのだぞということを、知らしめる意義がある。声をあげていかなければいけない。問題の所在を知らせなければいけない。そういう思いで、私も陳述書を仕上げた。田や畑が汚染されたこと、薪が汚染され薪ストーブが焚けなくなったこと、悩んだ末に、子どもたちをより放射線量の少ない所へ転校させ、子どもたちを悲しませたこと。

 

 漫画家の萩尾望都さんが、震災後、小学館から「なのはな」という作品集を出している。原発と津波で非難しなくてはならなかった福島の農家のことが描かれている。この漫画を見て、あらためて失われてしまったものが多かったということを感じた。そして、自分が失ってしまった自給的な生活の素晴らしさにも思いを巡らせた。

 

 日本の自然は素晴らしい。そこで暮らす農家や酪農家の生活も美しい。昔、中国や韓国を旅して船で帰って来て、日本に近づきその山々を見て、なんて日本の自然は優しいのだろうかと、「ふるさと」という言葉が実感できたことがある。大陸や半島の自然はどこか荒々しく荒涼として、力強い。だが、日本の自然はやさしいのだ。そして、特に東北の自然は優しく美しいのだ。萩尾望都さんは上述の漫画の登場人物たちに福島の言葉をしゃべらせている。東北弁は、このやさしい東北の大地とは切っても切り離せない。東北弁を使った作品だからこそ、原発事故による喪失の大きさに、余計に悲しみがこみ上げてきた。自然だけではなく、私たちの生活や文化、それを根こそぎ壊すのが原発だということを萩尾望都さんの作品は訴えている。この悲しみは、ほかの地方の人にも感じてもらえるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月22日 (木)

日本ハム 高校野球の監督をコーチに

プロ野球日本ハムが、高校野球の監督をコーチに招へいした。これだけ聞くと、びっくりする人事だが、高校野球の監督は元プロ野球選手だったのだ。

私がこのニュースに興味を持ったのは、その人が元ヤクルトで活躍した阿井選手だったからだ。阿井氏は、群馬県の東京農大二高の出身。私が、高校生のころはしょっちゅう甲子園に出場した野球の名門校だ。向こうはそうとは思っていないだろうが、こちらは打倒東京農大二高を目指して、ライバル視していたものだ。

阿井氏と私は同学年である。だから、試合をしたことがある。特に夏の県予選前に農大二高のグランドで練習試合をしたことをよく覚えている。阿井氏は当時キャッチャーで4番打者だった。体と態度が人一倍でかく、どこか人懐こそうな顔も覚えている。野村さんのように、打者の注意をそらそうと、いろいろ話しかけてくる。

阿井氏は当時から注目されていた選手で、ドラフトで指名されてプロ野球へと進んだ。地肩の強さを買われてプロでは投手として活躍した。投手に転向したときは、しょうじき驚いたが、彼の活躍を本当に心から応援した。プロ野球引退後は、高校野球の指導者となり、そして、今度またプロ野球に復帰したのだ。

来シーズンは、またプロ野球を見る楽しみが増える。阿井氏がどのように日本ハムを指導していくか楽しみである。楽天と日本ハムの試合ではどちらを応援したらよいか、迷ってしまう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年11月20日 (火)

原発がやめられないわけ

日本の税制には「減価償却」という制度がある。新しい建物や機械は値段が高い。しかし、古くなると価値がなくなる。新品で100万円だったものも、10年後には価値0円になるとすれば、1年に10万円ずつ価値が減じていくという計算だ。こういうふうに、1年ごとに資産の価値を、計算上減らしていっていいというのが減価償却費で、日本の税制上に、様々な影響を与える。

地方自治体は、資産の価値に対して固定資産税をかけるので、新しい建物や機械にはたくさんの固定資産税をかける。減価償却で価値が減じてくると固定資産税も安くなり、自治体としては収入が減る。

原発のある自治体も、原発建設当初は莫大な固定資産税が入ってくるが、原発が老朽化してくると固定資産が安くなり、税収が減る。すると、自治体はどうするか。原発からの安定収入に頼っている自治体には、もう何か新しいことをやって、自前の収入の道を見つけようという気力も能力もなくなっている。そこで、(そしてそこに、国と電力会社からも悪魔のささやきが来るのだが)、新しい原発を建設させて、莫大な固定資産税をもくろむことになる。

現在の福島県知事も、福島原発周辺の自治体も、今でこそ、原発すべて廃炉と言っているが、もともとは原発賛成で7号機、8号機の建設は間近だったのだ。福島だけでなく、一度原発が建ってしまったところは、原発から抜けられなくなり、原発銀座と言われる集中立地地区になっていく仕組みがここにある。

女川市が、ついに国から地方交付税をもらう自治体になってしまった。地方交付税は、国が地方に配る金で、貧乏な自治体が出ないように、日本全国どこでも同一の行政サービスが受けられるようにするというのが建前だ。原発で潤っている自治体は、政府から地方交付税をもらう必要はない。女川市は、今まで地方交付税をもらう必要はなかったのだが、ついに減価償却のせいで、交付税をもらう自治体になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月15日 (木)

女川原発再稼働反対(3)

11月3日に行われた、「女川原発の再稼働を許さない」2012みやぎ秋のつどいの最後の報告を。

田中三彦氏の講演に続いて、宮城県(特に女川町から30キロ圏内に入る自治体)の元町長さんや議員さんから、地元での取り組みの報告があった。特に女川町の女性議員の阿部さんの報告に私は注目した。

原発がある女川町で、阿部さんは震災後の選挙で初当選した。「原発反対」を表明して当選した唯一の議員さんだ。原発で暮らしを立てている地元の自治体で、反対の声を上げることの大変な勇気を想像してみてほしい。そして、その阿部さんが当選できたという地元の変化にも注目してほしい。

阿部さんが、地元の漁村を回り今回の「再稼働を許さない」のつどいのチラシを配りに行ったところ、「どっちのチラシだ?」と漁師さんから聞かれたそうだ。つまり「賛成派のチラシか?反対派のチラシか?」ということだ。その漁師さんは、「賛成派のチラシならいらねえど」と言ったそうだ。

そうなのだ。すべての原発立地の漁村で、原発建設当初は反対運動があったということも、原発の歴史として知っていてほしい。漁師たちは、原発によって海が汚されてしまうことを知っているのだ。しかし、ほとんどすべての反対運動が、電力会社や国の買収によってきりくづされ、賠償金とともに、漁業権放棄で終わったことを知っておいてほしい。

女川でも、原発の計画が出てきたときは、大変な反対運動がおこった。しかし、漁協の総会では、買収された組合員が賛成に回り、原発が建設されてしまった。事故を起こした福島原発も六ヶ所村も同じことだ。しかし、こういう歴史がありながら、地元の漁民の中には、反対の感情が根強く残っていたのだ。

津波にも襲われた、女川町の住民は、原発の中に避難した。そして、しばらくは原発の敷地内で避難生活を送っていたのだ。これは、美談とも伝えられているが、阿部さんによると、東北電力は住民に恩を売ったのではないかということだ。実は、女川原発の敷地内は、線量が高い。宮城県も東北電力もこれは福島から飛んできたものだと言っているが、敷地内に相当汚染が高いところがある。その汚染があるということは始めからわかっていたのに、しばらく住民をそこにとどめていたのは、どうしたことだろう、そして、途中から急に体育館へ避難してくださいと住民を移動させたのはどういうわけだろうかと、阿部さんは疑問を呈していた。

女川の地元でも、原発はもういらないなという声が出ている。そして、事故があれば、被害を受ける近隣自治体の議会関係者の中にも、女川原発の再稼働に反対する動きが出てきている。この動きが、大きな力となり、宮城から原発をなくしていきたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月10日 (土)

復興予算の行方

大震災関連と称して、いろいろ怪しいことにお金が使われている。この金は、増税して集めたり、国債発行で集めた、みんなの善意の金だ(そして、子供たちみんなに残る借金だ)。

この金が、ベトナムへの原発輸出のために使われるというのは、原発の被災者にとっては、本当に許せない。(東京新聞の記事より)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012102902000111.html

東北では、山のキノコが放射能汚染のせいで食べれなくなった。海の魚も汚染されて食べられない。福島県のコメからは今年もセシウムが出ている。こういう状況の中で、原発の再稼働・輸出が被災者の心情とは関係なく進められていくのはおかしいのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 8日 (木)

女川原発再稼働反対―その2

11月3日に行われた田中三彦さんのお話から、なぜ女川原発を含め、他の原発を再稼働してはいけないのか、その要点を伝える。

・シビアアクシデント対策は出来ない。原発再稼働の条件として、シビアアクシデント対策(重大事故対策)が課されている。その中で、緊急時の訓練というのがあるのだが、その訓練というのは、中央制御室にいてやっているだけで、実際の緊急事態に陥っている現場で訓練することができない。福島原発の事故でも、電気が一切通じない中で、真っ暗の中現場に行き、バルブを手作業で開けなければならなかったが、それができなかった。

(こういう、異常事態が、他の原発で起きたら、やはり人間では対処しきれないと、私も思うし、本番と全く同じ緊急訓練は原発では絶対にできないだろう。中央制御室に座っていて、コントロールできるという想定で訓練しても、いざ事故となったら役に立たないだろう。事故となったら、影響力が大きすぎる技術からは撤退することが必要だ。それが、車や飛行機といった科学技術と原子力技術との根本的な違いだ)

・女川原発が助かったのは偶然中の偶然。女川原発は、地震で被災した原発という認識をしっかり持つことが大事。女川は福島よりも、ある意味条件が悪い、危険な原発。女川はリアス式海岸の半島の先にあり、原発に行くのに2本の道しかない。いわば、陸の孤島である。実際、今回の地震では、両方の道がくずれた。外部からの電源車が駆けつけることができない。女川がフクシマにならなかったのは、本当に偶然。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 4日 (日)

女川原発再稼働反対

女川原発の再稼働を許さないための集会が仙台で行われた。元メーカーの原子力発電所の設計者で、福島原発の政府の事故調査委員も務めた田中三彦さんに講演をしていただき、問題点を教えていただいた。これは、多くの人に自分の暮らしている地域の問題としても、伝えなければいけないと考えるので、要点をまとめてみた。

・原発に反対というと、そういうならお前は車にも乗るな、飛行機にも乗るなと、原発反対はすなわち文明の恩恵の拒否と曲解する人がいる。しかし、それは違う。自動車事故や、飛行機事故は確かに不幸なことであるが、個人の死という不幸だが、核の事故は種全体の存続の危機にかかわる問題である。原発に反対するのは、人間という種全体の幸福、未来の子供たちの幸福まで考えてのことである。

・技術、機械というものは絶対に事故を起こす。地震・津波・台風という自然災害だけが原発事故を引き起こす要因ではない。むしろ、機械というのはうまく運転が行っているときこそ、事故が起こる。原発推進派は原発の事故の確率は10万年に1回の割合と言っているが、商業原発の40年の歴史ですでに3回大事故(スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマ)が起こっている。そのうち、2回は地震と津波と関係ない。これからも、必ず世界のどこかで原発事故は起こる。

・福島原発の事故の原因が分からないのに、女川原発の再開は許されない。福島原発は、線量が高くて、どのようになっているかはわからないし、事故調査員の立ち入りも東電が妨害して、なかを調べることができていない。東電は、証拠(配管や金属破片や断面など)がこのまま、調査されることなく、時がたち腐食するのを待っていて、すべては想定外の地震のせいだということにして、他の原発への波及や追及を避けようとしている。

・そもそも、福島原発は古くに建てられた原発で、新しい耐震基準を満たしていないことは分かっていた。保安院もうるさく言わなかったし、東電も耐震補強は、金がかかるのでやるのをさぼっていた。

・福島原発は地震で事故になったのである。しかし、地震に耐えられない原発ということになると、全国の原発の運転が不可能になるので、ぜひ想定外津波のせいにしたい。しかし、東電が発表している津波到達時刻は、沖合の波浪計で測ったもので、実際の原発への津波到達時刻は東電発表よりも2分ぐらい後ということになる。すると、非常用ディーゼル発電機は津波で水没したのでなく、地震で軽油を送る系統が壊れたりして、使えなくなった可能性がある。そうなると、他の原発で津波が来ないところに非常用発電をおく対策も、意味がない。

・原子炉を冷却できなくなったのも、津波のせいでなく、地震で配管が壊れ、冷却材が抜けてしまった可能性がある。特に1号機では、非常用の圧力弁が開閉する音を運転員が聞いていないのは、配管が壊れて圧力が違うところに漏れてしまったからという、推測がたつ。1号機以外では、非常用圧力弁が作動したが、しかし、このとき逃れた高温の蒸気が、原子炉の機器を痛めてしまい、結局冷却水が抜けてしまった可能性もある。そういう原子炉の欠陥をアメリカのメーカーの技術者が、すでに事故のかなり前に証言していたが、東電は機器の補強をしていなかった。

(大事な点がたくさんあるので、次回以降に続く)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年11月 1日 (木)

読解力

年を取ってよかったと思うことは、読解力がついてきたということだ。もちろん、新しく覚えることは難しくなるし、記憶力では若い人にはかなわないだろう。しかし、本を読んでいても、自分の体験から納得できたり、具体的事例を当てはめて理解できたりするようになるので、内容に対する理解力は、若い時よりも上がっていると思う。

日本語の文章でも、英文でも、若い時は、その内容が何を言っているのやらぴんと来ないものが多かったが、経験を積み重ねてきて、その経験の中に、具体的事例を探ることができるようになった。「わかる」というのは一つには、あてはめて一致させることであると思う。若いときは、一致させるべき自分の中のものが少なかったので、わからないことが多かったのだろう。

先日も英文解釈の問題でthe problem of a child beginning to speak云々という問題が出た。結局、ここがどういうことを言っているのかぴんとこない塾生が多かったが、私は、言葉にそもそも興味があるので、自分の子供がしゃべれるようになる過程を興味深く観察していた。しゃべれない生き物が、言語を操れるようになるのは、とても不思議で、興味深い。

我々は、母国語を自然に誰でも話せるようになると思っているが、実は母国語話者でも、間違うことはもちろんある。そして、子供もたくさんの言い間違えや文法ミスをして、母国語を習得していくのだ。私が、覚えているのは日本語の授受動詞のむずかしさだ。すなわち「あげる」「もらう」だ。

これらの語は、補助動詞でも使う。そして、どの人に立場に立つかによって使い分けなければいけない。「○○ちゃんのおかあさんからしてもらった」というべきところを「○○ちゃんのおかあさんからしてあげた」などと、誤文になってしまうのだ。ネイティブにとっても、難しいこういう使い分けは、外国語として日本語を学習する外国人もつまずきやすいところだ。

「あげる」「もらう」を瞬時に使いこなしている日本人は、実は人間関係を把握してそれを言語化する能力が大変優れているのである。というか、人間関係を把握して、関係を調節しないと、この社会ではやっていけないという、強い文化的規範を背景に持つ人たちなのである。だから、例えば、英語圏の人にはそもそも「あげる」「もらう」を補助動詞にして、それをいちいち表現しようという欲求がないので、当然それにまつわる語彙や言い回しは発達しないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »