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2012年5月30日 (水)

原発事故調査

 

 管元首相は、事故を振り返りつつ、この国は強固な原子力ムラが支配していて、まるで戦前の軍部のようだといい、解体することが日本の将来の安全にもつながるという。

そういっている間にも、原子力ムラは秘密会議を繰り返していて、今後の原子力政策を自分たちに都合の良いように(つまり、関係者だけが永遠に利益にあずかれる)体制を作り上げようとしていた。原発事故前であれば、こんな秘密会議は当たり前で、マスコミも報道などはできなかっただろうが、これが日の目を見て批判されるようになっただけでも、少しの進歩だと思う。

事故調査委員では、枝野氏も監視も東電は持ち場を放棄して全面撤退すると申し入れたという証言をした。もちろん、東電はそんなこと言っていないと言っているが。

真相は藪の中かもしれない。しかし、東電が事故の原発から全面撤退するといったのは、ありうることだと思う。

所詮、利益のためだけに集まった原子力ムラの人たちには、いざとなったら、国全体や国民や、そして世界全体や自然環境を守るという気概などないのではないだろうか。彼らは「原発はいい、いい」と言って恋着するが、それは自分たちだけが永遠に儲かるからで、自分たちさえ良ければ、他の人たちや子供たちや、これから来る未来の人たちはどうなってもいいと考えているのではないか。

 

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2012年5月28日 (月)

都会っこ

仙台の街中に引っ越してきて、子供たちも少しづつ生活に慣れてきたようだ。上の子は、日曜日など学校の友達と、仙台の駅前の方へ歩いて出かけて行って、アニメの店などに行っているようだ。部活の練習試合では、駅前から一人でバスに乗り継ぎ相手中学校に無事にたどり着けたという。

中学校では野外活動があり、山形に出かけ、田植えをしたり、農家さんのところへ民泊した。田植えMVPの賞状をもらっていた。経験者だったので、ほかの子と比べ速かったそうだ。

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2012年5月25日 (金)

電気事業連合会

電気事業連合会の動きが再び活発になっている。電気事業連合会は、それぞれの地域で独占的に電気供給事業をやっている会社、つまり東京電力や関西電力などが作っている事業体だ。電力会社から人員を出向させているが、もちろん通産省からの天下りもたくさん受け入れている。

そして、何をするところかというと、原発を推進するところである。大震災以前は、とてもひどいことをやっていた。大量の金を使って、テレビ、ラジオ、新聞に広告を打ち、「プルサーマルは、リサイクルで環境にいいし、資源のない日本では夢のエネルギー」『人間からも放射線が出ているので、放射能を怖がることはありません』という荒唐無稽な広告だった。しかし、毎日大量のCMが流れると、核燃料サイクルはとってもいいことなんだと思えてくるから不思議だ。

しかし、この広告費と天下りの人件費が誰が払っているかというと、国民が払っている電気料金だ。日本では、原子力で発電された電気は買いたくありませんと拒否したり、うちは自然エネルギーの電気を買いたいという自由が許されない。電気会社は好きなだけ電気料金に得体のしれないカネを上乗せして請求できる。本当は、そんな金など払いたくなどないのだが。

さて、そんな電気事業連合会も危機感を持って、反撃に出ている。仙台リビングという主婦向けの情報誌があり、フジサンケイグループが発行している。そこで、主婦の代表が、「今年の夏の電気は足りるのか心配」などという質問を出し、それにエネルギー系のNPOの代表が答えるという紙面を、電気事業連合会の提供で作っている。エネルギー系のNPOというと、いかにもよいことをやってそうだが、実態は経産省からの天下り役人で、新しい形の隠れ蓑だ。

そして、主婦の質問に対して、経産省の元役人が「自然エネルギーといったって1パーセントの量しかまかなっておらず、原子力を動かさないととても間に合わない」とか「火力は原料を買うのにお金がかかり、金がどんどん外国に流れて行ってしまう」とか答えているのである。

こういう動きを我々はしっかりと監視していくべきではないだろうか。

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2012年5月23日 (水)

日食

仙台では晴れて、日食を見ることができた。その時間になると、辺りが暗くなり、いかにもという雰囲気になった。曇っているように暗いのに、太陽を肉眼で見ても、欠けているなんてわからない。もちろん直視などできない。

広瀬川沿いを歩いていると、親切なおばさんが「もう見ましたか」と声をかけてくれて日食メガネを貸してくれた。眼鏡を通してみると、はっきりと食を起こしていることが分かり、神秘的なものを見ることができた。

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2012年5月21日 (月)

矢ケ崎先生と守田さんの講演会

20日、仙台のドレメ学院をお借りして、矢ケ崎先生と守田さんの放射能に関する講演会を行った。守田さんは昨年の震災以来、しばしば東北を訪れ被災地の声を聞いてくれたフリージャーナリストだ。大手マスコミよりも、守田さんのようなフリーのジャーナリストが、真実を拾い上げてくれると思うし我々の気持ちに寄り添ってくれ嬉しい。

矢ケ崎先生は、放射能の内部被ばくに警告を鳴らし、市民の自主的な放射能測定を支援してくれる。内部被ばくや低線量被曝がないという立場の学者や医師に反論している。

二人は、宮城県の市民放射線測定室を訪れ、その後福島県を訪れ、現地の様子を探る。震災後にはなかった、突然死や鼻血といった変化を地道に拾っていくと、真実が見える。良心的な研究者とジャーナリストの頭の下がる努力だ。

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2012年5月17日 (木)

『うれしや』さんオープン

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『マクロビ庵』の後に『うれしや』さんがオープンした。宮城県登米市米山の「かのファーム」と、仙台の街づくりで頑張っているchicacoさんとの出会いで実現した食堂だ。宮城のおいしいものを仙台で食べるというのがコンセプトだ。

chcacoさんとは、坪沼で家庭菜園をしていたころからのお付き合いなので、オープン初日、ランチを食べに行った。豆腐のキッシュは「かのファーム」のお母さんが作ったもの。とてもおいしかった。イチゴのジュースは登米のイチゴ農家の「雷宝」という品種だそう。この品種はふつうスーパーなどで目にすることはない。酸味がありジュースにするととてもおいしい品種だ。

驚く出会いがあった。どこかだ見たことがある人がいると思ったら、いつも職場で会う人だった。chicacoさんがとにかくお付き合いの広い人なので、こうして思わぬところでつながっていたのだと、お互いがびっくりした次第だった。

『うれしや』さんは仙台市若林区新寺3-12-32にある。ホームページはhttp://ureshiya.da-te.jp/

宮城の農業が元気になるためにも、うれしやさんには繁盛してもらいたい。

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2012年5月15日 (火)

住所変更

住所変更の手続きで忙しい。今は、免許証が身分証明書替わりなので、まずは免許証の住所を変更した。幸い、近くの警察署に出向き簡単に手続きは済んだ。その後、それを身分証明書として郵便局などへ。

こんなふうに用足しをして歩いたわけだが、改めて今度移り住んだところは、街中の便利の良いところでどこに行くのも近くて便利だ。今日は雨が降っていたので車で用足しをしたが、天気が良ければ自転車で回っても気持ちよいだろう。

都会には都会なりのエコな暮らしがある。なるべくそれを実践しよう。

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2012年5月11日 (金)

沖縄の風

沖縄「土の宿」のスタッフのM子ちゃんが、来仙。沖縄は、もう梅雨で、暑くてじめじめしているそうだ。ところが、仙台は昨日あたりから少し冷えている。M子ちゃんの半袖、少し寒いのでは?

昨日は、M子ちゃんを案内して太平洋側の被災地を見る。名取の閖上、仙台の荒浜は何度見ても泣けてくる景色だ。仙台港は、工場や施設がほとんど復旧して瓦礫も片付き、ここに津波が来たとは信じられない。

夜はM子ちゃんにシェアハウスに泊まってもらう。オーナーのM川さんも「土の宿」に泊まっているので、夕食は皆で話が盛り上がる。

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2012年5月 9日 (水)

転居

あわただしく引っ越しが終わり、ようやく家の中が落ち着いてきた。最初は部屋の中に寝る場所を確保するのがやっとであったが。

新しい家は仙台駅にも近い、街中だ。仙台市内で以前から働いている場所には、通うのが大変楽になった。朝も余裕であるし、帰りも余裕を持って仕事の区切りをつけたうえで帰ってこられる。

嬉しいところは毎日山を見て過ごせるところだ。家の前に愛宕山があり、いまはちょうど新緑の季節で緑が美しい。

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そして、毎朝広瀬川を眺めて歩けるのもうれしい。広瀬川の岸辺の崖にはミサゴなどの貴重な鳥も営巣していると聞く。

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橋を渡れば、すぐ仙台の都心だ。

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2012年5月 4日 (金)

市政だより

市政だよりに地元の医師からの投書が大きく載った。東北大の川島教授の、この程度の放射能であれば全く心配することないという考えに、まったくそのとおりである、という賛意を表したものだ。

放射能問題については、専門家の間でも賛否両論がある。川島教授のように低線量被曝は全く問題ないとする人もいるが、その一方で逆の立場をとる人たちもいる。

例えば、広島で軍医をしていて自ら原爆を体験しつつ、被爆者をたくさん診療してきた肥田医師。原爆で直接死亡した人以外にも、原爆投下後の広島に入り低線量被曝した人たちや内部被ばくをした人たちを診療し相談に乗ってきた。肥田医師によると、被害者の研究は禁じられ、データはアメリカ軍に提出され持っていかれてしまったそうだ。

いま、宮城県南部では子供たちの間でインフルエンザが流行っている。学校からのお便りで注意が呼びかけられている。季節外れのインフルエンザの流行。何が要因なのだろうか。子供たちの抵抗力が落ちているのだろうか。

肥田医師や、内部被ばくに詳しい物理学者や、チェルノブイリの臨床医師たちによると、放射線の影響は癌や白血病になるというだけではないという。科学者として学問的良心に従うのであれば、謙虚に事実を見つめデータを取りその意味を探り、検討していくことが必要だろう。

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2012年5月 1日 (火)

被災した沿岸部

ゴールデンウイークになり、先日の日曜日は、高校時代の友人が家族と一緒に遊びに来てくれた。白石に迎えに行き、白石温麺の店で食事をしたが、さすがゴールデンウイーク中で、たくさんのお客さんで混んでいて、店の人もてんてこまいだった。温麺はこちらの名物なので、旅の一つの思い出になったのではと思う。

その後うちに寄ってもらい、山や畑を見てもらう。いい陽気となり、改めて自分でも素晴らしい自然環境だと思う。やはり、自分は山が好きなのだと思った。いつか、また山での暮らしがしたいものだ。

我が家を後にして、沿岸部まで案内した。隣の山元町は、地震直後に炊き出しボランティアにも出かけたところだ。その頃は国道6号線から田圃を見ると津波が押し寄せた位置が分かり、車がコロコロ転がっていたりしたが、その後片付けが進み、今回行ったら、津波の後はほとんどわからず、もし知らない人が見たら、初めから何もない只の平らな土地だったと思うかもしれない。

イチゴ農家の新しいパイプハウスも次々と建っていて、あれから確かに時間が進んだのだということが感じられた。自分の中では、この1年、時間がどう進んだのかわからないような気持ちだが、客観的にみると、確かに事態は前に前に進んでいたのだ。

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