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2012年4月28日 (土)

ゴールデンウイーク始まる

天気にも恵まれた黄金週間が始まった。今朝、仙台駅に降り立つと、観光客の姿が目につく。復興支援ということで、多くの観光客が東北を訪れてくれるようである。仙台の並木の若葉も出始め本当にいい季節だが、引っ越しの荷物整理が、気が気でない。長く住んでいると、モノがたまってくる。旅行するときのことを思うと、人間が必要とするものなんて、身の回りのもの、ほんの少しでいいはずなのだが。

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2012年4月27日 (金)

桜、散り始める

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満開だった桜も今日の雨で散り始めた。

震災後1年は、あっという間に時間が過ぎた気がする。放射能汚染という現実の中で、どう生きていこうかと、いろいろ迷っていたが、縁があって仙台に住むことになった。仙台は、宮城県でも、運よく放射能がそれほど飛んできていないところで、いま住んでいるところの約2分の1くらいの放射線量だ。

今度の場所は仙台駅近くの、街中で、山も畑もないので、とりあえず、農業部門はしばらく見合わせになる。この間、放射性物質の動き等を観察し、今後の方向を再度きめようと思う。新しい住居は広瀬川のほとりにある。息が詰まったら、今度は広瀬川を眺めてほっとしようと思う。

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2012年4月24日 (火)

ようやく暖かく

ようやくこちらも暖かくなった。宮城では今日、明日くらいが桜が満開で見ごろだ。去年は、桜を見る余裕もなかったが、今年は桜を見る人出も多いようだ。

おとといの日曜日、少し肌寒かったが、大河原の一目千本桜と船岡城址公園の桜を見に行った。どちらも宮城では有名な桜の名所だ。人出も出ていたし、桜も見事だった。船岡城址公園は小高い山の上にあり、そこから眺める白石川やその土手沿いに植えられた桜は見事だった。

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2012年4月21日 (土)

太陽活動

太陽活動が弱まり、地球が寒くなるという予想が発表された。そういう記事を見ると、今年の冬の寒さも納得できる。こちらはようやく桜が咲き始めたが、まだ朝晩寒く、ストーブをたかないと肌寒い。少し前までは、人間活動で温暖化ガスが増え、温室効果で地球が温まるといわれていたが、太陽活動の弱まりと相殺されて、住みごこちが良い地球になるのだろうか。もし、そうると人間の傲慢さ(何をやってもかまわないんだという)がますます増長されはしまいか。それが少し心配である。

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2012年4月17日 (火)

梅は咲いたか桜はまだか

いま、こちらでは梅の花が満開である。ずいぶん遅い開花だと思う。桜は、まだつぼみだ。桜の名所では、例年通りに桜祭りを予定していて、花が咲いてないのに、出店が出ていて提灯が飾ってあったりする。何か、ちぐはぐな感じ。桜は今週末あたりから咲きだし来週見ごろを迎えそうだ。

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2012年4月15日 (日)

震災があぶり出す貧困

14日、仙台弁護士会館で「震災があぶりだす貧困」というテーマで、貧困問題に取り組んでいる弁護士さんたちなどのグループが主催する会合があった。私も、宮城県南の放射能汚染地で暮らす者の現状報告ということで、登壇する機会をいただいた。ゲストに湯浅誠さん、雨宮処凛さんの貧困問題でのこの国の第一線での活動家・オピニオンリーダー・論客をお招きしていたこともあって会場は、満員、臨時の椅子も出さなければいけないこととなった。

やはり湯浅誠さん、雨宮処凛さんのお話は大変興味深く伺った。現場で働いている人の発言は重い説得力がある。私は特に湯浅さんには頭が下がる。社会やマスコミが誰も注目してくれないうちから路上での活動を始め、そして社会を動かす大きな流れを作り政府の中枢にも登用された。今、彼は政府の委員をやめたが、震災で見えなくなってしまった貧困問題に息長く取り組んでいる。どうして、こういう持続力があるのだろう。でも、こういう持続力がないと運動は駄目なのだが、本当に頭が下がる。運動は山あり谷ありだから、あまり盛り上がりすぎてもダメ、という話をしていたが、本当にすごい人だ。頭もいい。別に学歴のことを言っているのでなく、話が理路整然としていて、大変わかりやすかった。

雨宮処凛さんは、お話が大変面白い人だった。しかし、冗談交じりのようなお話の中に本質を突くことを言っていた。この人は、物書きなので、以前から文章を拝見していたが、本質的なことを突いていると思っていた。飽きられて消費されていくような作家ではなく、この日本社会の本質的な部分を、今後も伝えていってくれるはずと、大いに期待する。彼女が、昨年東京で行われた脱原発デモの映像を見せてくれた。本当に楽しそうにデモしている若者たちが、映っていた。これを見ると、これからの日本に期待が持てる。私もこういう若者たちともつながっていきたい。高円寺の「素人の乱」のことを雨宮さんは言っていたが、ここから大きな反乱が起きていってもらいたい。ディープな東京の高円寺、そのうち訪問したい。

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2012年4月12日 (木)

原発再稼働

関西電力で原発を再稼働させようという動きが出ている。福島の事故で、見直した安全基準をクリアーしているとのことである。

 

 

 

これは茶番だと思う。そもそも福島の原発事故は収束していない。原因も解明されていない。原子炉の中身が見える状態でないからだ。

 

 

参議院の委員会で、元駐スイス大使の方が以下のように発言している。
 
ポイントは、
 
・使用済み核燃料棒のプールから、燃料棒を取り出し処理しないと、とんでもない大惨事となる。
 
・アメリカも、そのことに気付いている。
 
・今でも、福島原発からは放射能が排出されている。
 
 
 
外圧に弱い日本だから、アメリカが日本の原発をあきらめてくれるのであれば、全原発停止に向けていい動きだと思う。
 
 
 
この衆議院委員会での発言は以下の通り、引用する。
 
 
***********************
 
 
 
参議院予算委員会公聴会での村田光平氏の発言(2012年3月22日)
(村田光平 地球システム・倫理学会常任理事 元駐スイス大使)
 
 
 
動画アドレス
http://www.youtube.com/watch?v=9bq81boQL_Y
文字おこし(カレイドスコープさん)アドレス
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1198.html
 
 
 
このような場で発言させていただくことは、大変光栄に存じます。今日、ここに参りますに当たりまして、特に、みなさま方に伝えたいことがございます。それは、いかに現在、日本、そして世界が危機的状況に直面しているかということであります。人間社会が受容できない、この原発のもたらしうる惨禍のリスク、これをゼロにしなければならない、と私は福島事故は全世界に想起させつつあると信じております。
 
 
 
そして、このような事故を体験しながら、なお脱原発に躊躇するというのは倫理の欠如という誹りを免れないと、私は考えております。特に、この処理方法がいまだに発見されていない核廃棄物、これに象徴されるのは、今の世代の倫理の欠如と言えると思います。そして、これは人類が緊急に取り組まなければならない課題だと信じております。そして、この放射能汚染と、これを許すあらゆる行為は、計り知れない害悪を永久に人類と地球に残すものです。
 
 
 
私が出席した2005年のOBサミットは最終文書で、「未来の世代を含む、すべての人の認められる人権」ということで、未来の世代の人権を認めているわけですが、放射能汚染は、まさにそれを蹂躙するものであります。
 
 
 
原発の死角、使用済み燃料は過去に危機的な状況を何度も引き起こしてきた。特に今日、みなさまにお伝えしたいのは、福島4号機の危険な状況でございま
す。毎日、日本すべての国民は、余震が起きるたびに怯えております。この燃料プールが、もし崩壊して、1535本の燃料棒が大気中で燃えだした場合には、果
てしない放射能が放出されると。もちろん、東京は住めなくなるわけです。
 
 
 
この1353本という数字は、実は控えめでございまして、つい数日前、私が発見した数字がございます。それは、1号から6号、共有のプールがございまして、それは4号機から50メートル離れたところでございますが、そこに、なんと6375本の燃料棒が収められていると、いうことであります。まさに、この4号機が事故を起こせば、世界の究極の破局の始まりと言えるわけであります。
 
 
 
それにも関わらず、嘆かれるのは、危機感の欠如であります。
 
 
 
政治家にも危機感がない。こんなときにも笑っている議員がいるこの対策として考えられている燃料棒取り出し作業の開始が来年末以降というのは断じて理解できませんし、放置してはならないと考えております。国の責任が極めて重要だと信じます。
 
 
 
この点に関して、ついにアメリカが動き出したようであります。数日前、入った情報によりますと、この著名な核科学者が中立の評価委員会の設置の提唱を始めました。
 
 
 
これは、元国連職員で、世界中の著名な学者と連携を取っている松村昭雄さんが、米政府の元・上級政策アドバイザーで、使用済み核燃料の第一人者であるボブ・アルバレス氏、他の科学者たちに働きかけたものです。
 
 
この経緯については、2月に4号機プールにはチェルノブイリ原発の8倍のセシウムがあるで書いておきました。太平洋を越えて、アメリカ西海岸へも放射性プルームが飛んでいき、事実、多くのアメリカ人に重大な健康被害が出ています。
 
4号機プールが破損でもすれば、本当に北半球が終ってしまうので、米政府も、いまだに危機感もなく世界に対しての責任感もない野田政権と日本政府に業を煮やしたのです。そして上下両院の軍事委員会に、米軍の命の安全のための公聴会を開くように働きかけ出した、ということでございます。
 
 
 
次に日本から世界の究極の破局をもたらしうるものとして指摘できるのは、六ヶ所村の再処理工場であります。この六ヶ所村の再処理工場(が、いかに危険か)
につきましては、1977年の1月15日、毎日新聞が記事を書いております。
 
 
 
これによりますと、ケルンの原子炉安全研究所の発表では、極秘レポートでありますが、西ドイツの人口の半分、3050万人が死ぬであろうという報告でありま
す。そして、この再処理工場の恐ろしさは、実はヨーロッパでもシェルブールの停電事件としてグーグルで、すぐ出てまいりますが、欧州全土を滅ぼしうるものだったと言われております。
 
 
 
この再処理工場の危険性を、私は内外に伝えておりましたところ、先週、欧州の代表的な環境学者、エルンスト・フォン・ワイゼッカー教授から、その伝えを正式に支持するという連絡が入っております。
 
 
 
日本は、福島事故を経験しまして、民事・軍事双方の核使用の犠牲国となったわけでありますが、悲しいかな、今や世界的規模の放射能汚染の加害国にもなってしまっています。
 
 
 
毎日、いまだに毎時1億ベクレル近い放射能が出ているということも、さきほど東電で確認いたしました。毎時0.7億ベクレルでございますが、おびただしい量の
放射能がでているわけでございます。
 
 
 
これを聞くにつけ、私はメキシコの原油流出事故が止まらないときに戦慄したのを覚えております。まさに原油ならぬ放射能が同じような状況に置かれていると
いうことであります。
 
 
 
私は、福島を経験した日本は、民事・軍事を問わない真の核廃絶を世界に伝える歴史的責務を担っていると信じております。私が今まで、あちこちで講演する際、この主張に対して異論を唱える人は皆無でありました。
 
 
 
そして、私はこのような危機的状況、そして福島では、まさに、事故当初、作業員の全面撤退が考えられていた。もし、その全面撤退が行われていれば、確実に世界の究極の破局の第一歩が始まっていたわけであります。
 
 
 
このような認識が世界に正確に伝わるならば、脱原発というものが非常に早い時期に世界的に実現しうるし、また、そうしなければ今の危機的状況を回避できないと、そのように私は信じております。
 
 
 
私は、そういう中で、ひとつの希望を与えてくれるものは、お配りした資料に書いてあります「天地の摂理」であります。天地の摂理は人類と地球を守る、これが悠久の歴史から導き出される歴史の法則であると。しかし、そのためには惨い警告を与えてきました。
 
 
 
私は、1年半前、バーゼルの核戦争防止会議で、「次の大惨事は核惨事である。もし、これが起これば究極の破局につながりかねないので、人類の英知を導入して、これを未然に防ごう」という呼びかけを行いました。残念ながら事故は起きてしまいました。
 
 
 
そうした中で、この日本の事故の経験から、ほとばしり出る声は、ますます国際社会の心ある人からの支援の対象になりつつあります。
 
具体的事例を申しますと、一月ほど前、マハティール元首相(マレーシア第4代首相)から私に対しまして、いかに脱原発というものが正しいかと、マレーシアは、核技術-人類がまだ把握していない技術-を、断固拒否したという主旨の手紙を受け取っております。
 
 
 
それから福島の事故の教訓のひとつとして、これからは新しい文明作りを始めなければならないということでございますが、この新しい文明の突破口となるのが、地球倫理の確立である、ということで、国連倫理サミットの開催と言うのを呼びかけているのでございますが、これに対しまして、今月に入りまして、潘基文
(パン・ギムン)国連事務総長から、私に手紙がありました。
 
 
 
そして、加盟国が国連総会にこの議題を提出すれば、喜んで支持するという手紙をくださいました。そして、アメリカのルース大使を通じまして、私たちがやっているこの国連倫理サミット、それから今の文明を、力の父性文明から和の母性文明に変えると、こういう努力はオバマ大統領の提唱した「核兵器なきビジョン」が、そのために力をあわせていくことがいかに大事であるかということを想起させるものであるとして、私に感謝の意を表明する手紙を下さっております。
 
 
 
そして、この核廃絶、真の核廃絶、民事・軍事を問わない核廃絶、これは福島事故を契機に具体的な動機になってきましてた。それは、何と言えば、日本は、もし核廃絶が実現せず、中国がおびただしい数の原発を造る場合には、黄砂だけでも被害者は出てしまいます。これはなんとしてでも防がなければならないわけであります。
 
 
 
それから福島事故で、もうひとつ立証されたことは、いかに原発は核テロが容易であるかと、水と電気を止めればいいと。そして、防護されていない冷却燃料プール、これさえ襲えばいいと。そういう事実を世界に知らせてしまったということで、核保有国に取りましても、核廃絶は重要な、実質的な動機を与えられたということでございます。
 
 
 
そして、私は今までの経験から、核を進めようとしているフランス、インド、アメリカ等が、このような核廃絶を求める運動に対して、理解を示めしていると。中国
でさえ、天津科技大学が私に名誉教授の称号を与えました。
 
 
 
それからフランスは、昨年の国際会議に、私を招いてくれましたし、アメリカは、先ほどのルース大使の書簡がありますし、インド前石油大臣は、私にエールを送ってきております。パチャウリIPCC議長も、しかりであります。
 
 
 
このように私は、核を推進する国に対する最大の貢献は、その国を核の恐ろしさに目を向けさせること、これこそ、こういった国々に対する最大の貢献であると、そのような信念のもとに活動を続けております。
 
 
 
そして、特にこの際、みなさま、福島4号機の危機的状況、再処理工場の恐ろしさ、こういったものについて、ぜひ必要な危機意識を持って、これからその対処に、急いで、緊急に、もっと国が責任を持って、対処、対応できるような体制づくりに、ぜひご尽力いただきたいと思います。
 
 
 
以上であります。
 

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2012年4月 9日 (月)

犯罪という認識

東北の人はおとなしいとよく言われる。東北の厳しい風土の中で形成された、粘り強さと表裏一体となった東北人気質だと思う。震災や原発事故のようなこんな酷い目にあってよくおとなしくしていられると、いうふうに思われている。

東北の人がおとなしいのは、自然の畏敬の前にだけである。東北の人は、何より自然の中で生活してきて、自然の偉大さが分かっているから。今回の原発事故が、天災でなく人災であるという認識は、かなり広まっていると思う。

私は、そこから一歩踏み込んで、原発事故は犯罪だと考えるべきだと思う。そして、今度こそおとなしい東北人も犯罪の前では、しっかり怒らないとだめだと思う。東電の社長以下、原発を推進して来た官僚・政治家、電力会社から金をもらって電力会社の都合にいいことを言ってきた御用学者は、昔であれば、責任をとって切腹ものだと思う。

法治国家の現在では、まさか切腹するわけにもいかないだろうから、犯罪に対してきちんと処罰されたり、責任をとる必要がある。犯罪の責任の取り方として、法律が求めるのは原状回復維持だ。基本的には、犯罪が行われた以前の原状に復すること。原状に復することができない場合、犯罪の被害者とのバランスをとるために、初めて金銭的補償だったり、肉体的懲罰が必要となるのだ。これらが、行われなければ法的な平衡感覚が損なわれ、正義は実現されない。

犯罪の加害者が、勝手に自然環境を汚しておいてから、「そんなに気にすることもないでしょう」とか「気にするほうが健康に悪いですよ」などという権利はない。もし、殺人や傷害の加害者が、被害者やその遺族に向かって同じようなことを言ったら、どうだろう。もちろん、加害者にそんなことを言う権利はないのは、明らかだ。

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2012年4月 7日 (土)

岩波書店「世界」特集号

岩波書店から「世界」という雑誌が出ている。その特集号で「破局の後を生きる」が出ている。被災者の手記がたくさん載っていて、あの日何をしていたか、あの後どう考えて生きてきたか、東北に住む多くの人の声を伝えている。宮城県の南部、丸森町に住む、自然農実践家の手記も載っていて、その思いは胸にしみる。

子供たちがふと、あの日のことを口にした。揺れが恐ろしい状態ではあったのだが、あの日そのものは実は我が家で恐ろしい状態ではなかったのだ。仙台から何とか私が家に帰ることができ、夜は停電して真っ暗の中ではあるが、家族4人が薪ストーブを囲んで集まることができた。その日の食卓には、ちょうど送ってもらった北海道のカニがあって、真っ暗の中ホカホカと温かく、おいしいものを食べることができたのだ。そして、どうなるかわからないので、一つの部屋で皆で(ペットのインコも)固まって寝た。そういう記憶を、子供たちが楽しそうに語ったのだ。

原発さえこの世になければ、そして、エネルギーも政治も地方分権で地方が独立していれば、大地震も楽しく乗り終えられる可能性はあるのだ。都市部の仙台では都市ガスの配管がやられガスが止まったが、我が家はプロパンだから、そして薪ストーブもあるので調理に困らなかった。

岩波書店「世界」「破局の後を生きる」では、一本の電線につながれてエネルギーを送り込まれる生活が嫌だと、福島の武藤類子さんが述べている。中央が権力を持ち地方が従わされる愚かさを、福島の飯館村の酪農家も述べている。権力もエネルギーも地方分散型の世の中を作っていくべきだと思う。そういうことも改めて考えさせる多くの声が載っているのが、この「破局の後を生きる」だ。ぜひ、多くの人に読んでほしい。

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2012年4月 5日 (木)

初音

鶯の初音を聞いた。関西旅行中、滋賀の信楽ではもう鶯の鳴き声を聞いていて、やはり関西は早いなと思っていた。

福島原発の周辺では、鳥たちがいなくなっているという調査が日米の研究者たちによって行われている。『沈黙の春』さながらの不気味さだ。小さな生き物たちと人間とは別物だという、人間の傲慢さがレイチェル・カーソンの時代のアメリカで農薬の大量使用を招いた。原発推進派の経済人や政治家・官僚はなぜ人間と自然とのつながりが分からないのだろう。

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2012年4月 3日 (火)

帰宅

関西からの帰りは、また青春18きっぷで2日かけて、ゆっくりと宮城へ帰ってきた。寺社参りだけでなく、思う存分本を読むことも今回の旅の楽しみだ。行きの電車では、吉本隆明の『共同幻想論』を読み、堅い思想書には食傷気味したので、帰りは幸田文さんの『みそっかす』にする。

 

幸田文さんは、文豪幸田露伴の娘さんだ。祖父の代から江戸で暮らしているので、文句なしの江戸っ子だ。しかも、隅田川の近くで育っているので、江戸の下町言葉の使い手だ。関西旅行で、大阪や京都の言葉もよいと思ったが、幸田文さんが使う江戸の言葉遣いもまたものすごくよい。生活の中の言葉そのものを使って書いていて、とても生き生きとした随筆だ。

 

そもそも、思う。哲学や思想などの言葉は抽象的で、角々しく、そしてよそよそしくて面白くない。そういう言葉は、私は憎む。でも、幸田文さんが書く随筆の言葉は、暮らしの中でこなされてきた言葉で、ほっとするし、よく伝わってくる。

 

帰りの電車は行きと違い、日本語の美しさを楽しんだのだが、幸田文さんの随筆を読み終わっても、電車がつかないので、島尾敏夫『死の棘』にも、手を出した。これは大部の本なので、旅の電車の車中では読み終えず、まだ途中なのだが、救いようがなく暗い。でも、だんだん引き込まれて止められなくなる。主人公たちは東京暮らしなのだが、主人公の妻が南方の離島出身で、気がふれてくると、南の島の土俗が顔をのぞかせてきて、作品に呪術的な狂気が忍び寄ってくる、重層的な作品である。

 

 

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