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2012年3月31日 (土)

雨のち虹

神社仏閣めぐりの最後の日である。明け方寝ているうちから、外に雨音が聞こえはじめ、起きてみるとかなり強い雨風となっていた。今日は、京都市内でゲストハウスが取れなかったこともあり、滋賀の方へ移動しながらお参りをする。

まずは石山詣で。『枕草子』をはじめ平安時代の作品を読むと「石山詣で」の話がしばしば出てくる。そこで、前から訪れたいと思っていた石山寺へ詣でる。名勝「瀬田の唐橋」を通って、まずは近江の国一宮「建部神社」にお参りをする。

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そして、石山寺に参詣。ここは、紫式部が「源氏物語」の構想を得たところと言われていて、ちょうど「源氏絵巻」の展示がしてあり、54帖のあらすじを改めてたどってみて、この物語の偉大さに思いを致す。ぜひ、またもう一回全巻とおして読んでみたい。

石山寺は建物と庭園もとても素敵なところであったが、あまりに感動していて写真を撮るのも忘れてしまった。

さらに、琵琶湖を北上し国宝彦根城を見学する。美しい天守閣を見ることも目的であったが、雨なのでじっくり博物館に寄り、日本の近代史を考えてみたかったのだ。

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彦根城は、江戸幕府の大老井伊直助が藩主を務めたところだ。教科書を読んでいた限りでは、彼は攘夷派を弾圧し、恨みを買い桜田門で暗殺されてしまった悪者という印象であったが、もちろんそれは皮相な見方であった。井伊直弼は14男でそもそも、殿様になれる見込みがなかったのに、運命の転変で殿様になれたことを初めて知った。彼の手紙が多数残っていて、彦根藩の仁政に心を注いだことや、茶の湯などの優雅な趣味の持ち主だったことを知った。開国するかどうかの未曾有の政治的危機の時代に居合わせたが、人間臭さを持ち合わせた人物であったのだということも分かった。

城内には水戸から送られたいう桜が咲きかけていた。

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空を見上げると激しい雨もやみ始め、大きな虹が出ていた。今回の旅ではたくさんの神仏に参拝し、個人的な願い事もたくさんしてきた。原発がなくなりますようにとも、祈ってきた。最後に、それら願い事が神様から嘉されていると、感じた。

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2012年3月30日 (金)

神社・仏閣めぐり

知恩院。ここは法然上人ゆかりの寺。浄土宗の本山である。

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知恩院の近くには円山公園があり、もうすぐ桜が咲きそう。もう、すでに場所取りをしている人たちもいる。その隣は八坂神社。

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八坂神社の近くに建仁寺。臨済宗の本山。栄西禅師の開山。双竜の天井画が公開されていて、その迫力に感動。

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伏見稲荷。千本の鳥居で有名。参道は山の中。1周はしきれなかった。

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御香宮神社。ここは昔から清水が湧く。伏見の銘酒をはぐくんだ場所。

今朝、新聞を読むと京都知事が関西電力の大飯原発の再開に反対していた。多くの人の支持で再開を止めよう。

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2012年3月29日 (木)

パワースポットめぐり

京都のゲストハウスには外人さんも多く泊まっている。フランスから来たカップルと話したのだが、かれらは北海道に行きたかったのだが、東北は放射能の影響で通れないので、西の方を旅行することにしたと話していた。

原発は利権を持つ人にとっては一時的に金が転がり込むが、長い目で見て、そして全体的に判断して、人を幸福にしないし、一国の経済にとっても大打撃を与えるというのは、この話からも明白だ。なぜ、一部の人の利権のかげで、多くの人やこの国全体が不幸な目にあい、沈まなければならないのか。原発は理不尽な存在としか言いようがない。

原発事故の前に、反対派は国内の危うい原発として福島や福井の老朽原発を指摘していた。推進派の御用学者がみな真実に目をつぶっていたことが分かった今となっては、反対派が指摘していた福井の原発も相当危ういはずだ。もし福井がメルトダウンすれば、京都の観光業は終わりだろう。どれくらいこの国の経済にとってマイナスになることだろう。

観光は人と人が交流し、文化交流や相互理解が進む。数字に表れる経済効果以上のものを観光業はもたらす。原発で儲けるより、観光で儲けた方がよほどいいと思う。京都の人も本気で脱原発を訴えてほしいものだ。

さて、神秘のパワースポット鞍馬山に行く。

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鞍馬山は仏教の寺ではなく、天と結びついた不思議な宗教の根拠地である。本殿前の参道の中心に立つと、見える人にはあるものが見えると、こちらで会った神秘心霊研究家の方に言われたのだが、残念ながら、そういう方面は一切見えたことのない私には、やはり見えなかった。しかし、鞍馬山から貴船神社まで山中を歩き大変心地よかった。

京都市内に戻ってきて下賀茂神社に参詣する。ここは由緒正しい神社でもあるし世界遺産にも指定されている。私がいいと思ったのは、この神社は付属の「糺すの森(ただすのもり)」を守ってきたことだ。よく古文を読んでいると「糺の森」が出てくるので行ってみたかったのだが、森を切らずに残していて、相当古い時代の稙相だということだ。

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我々は何を後世に残すべきなのか。「糺の森」のような自然ではないのか。何の利権も生み出さないが、大都市のまっただ中にあり、多くの市民や観光客に静けさと安らぎを与える森こそ世界遺産にふさわしい。森の代わりにだれが原発を欲するというのか。

下賀茂神社の後には上賀茂神社に参詣する。

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2012年3月28日 (水)

子供保養キャンプ

脱原発会議で知り合った方たちが滋賀で子供保養キャンプを開催してくれていて、子供たちを参加させている。甲子園の帰りその様子を見学する。

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こんなふうに近くの小学校で思い切り遊ぶ。

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大道芸をやるお姉さんを呼んでくれた。(たくさん企画を考えてくれているようで、準備がさぞかし大変だったろうと思う。それにちょろちょろする子供たちばかりで、主催してくださっている方たちは本当にご苦労だと思う。ありがたいことだ。)

さて、キャンプには1泊させてもらい、京都へ向かう。比叡山にお参りしてから京都へ行く。門前町の坂本へ。ここは馬借や酒蔵などが勢力を持ち、中世には栄えたところだ。

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比叡山のふもとにある日吉神社にお参りする。

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ここからケーブルカーで比叡山へ上る。途中、琵琶湖が眺められる。

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比叡山延暦寺は、奥深い山の中にある。延暦寺の偉大なところは、日本の主だった仏教者がみなここで学んでいることだ。源信、親鸞、日蓮、栄西、道元など。つまり浄土宗も、日蓮宗も、禅宗も、すべてはここから生まれたといっていい。奥深い山の中東塔、西塔、横川と歩いて回り、荘厳さ、神秘さを肌で感じた。

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2012年3月27日 (火)

信楽にて

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信楽焼きで有名な信楽に来ている。脱原発世界会議で知り合いになった信楽の人を訪ね、この地域の人たちとの交流を持った。みな、環境問題や原発問題などに関心の高い人たちで、滋賀で行われる子供たちの保養キャンプの受け入れのため、準備をしてくださった人たちだ。地域で地に足をつけて生きている人たちが、こんなにもいるということを知ることができ、日本や世界のためにもとても頼もしく思えた。原発で断ち切られた人々の連帯を、再びつなげていける希望が持てた。

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2012年3月25日 (日)

いよいよ

甲子園の試合が雨で2日も延期になり、そのあいだ西成に泊まっている。沖縄の「土の宿」で知り合った西岡さんに、案内していただき、ディープな大阪の一面を知る良い機会だった。実はここは通天閣にも近いところでもある。

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試合の前に住吉神社に必勝祈願する。

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そして試合開始。残念ながら負けてしまったけれど、後輩たちの頑張りは、大したものだと思う。よくやった。負けても、何も言うことない。

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2012年3月24日 (土)

甲子園応援と名所旧跡めぐりの旅の続き

母校の試合は、第3試合午後2時からである。そこで、午前中は大阪城見物に出かけた。

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この石垣がすごい。圧倒される。この石垣を持つ城がなぜ落とされたのか。それが不思議に感じられるほど素晴らしい石垣だ。大坂城はこれを見るだけでも価値がある。

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本丸と天守閣は最近再建されたものではあるが、作られた当初もこのように金ぴかで当時の人々の目を引いたのだろうなと思わせる。太閤さんらしいと大坂の人には人気であったのだろう。場内は、屏風絵まきの展示などがあり、当時の京・大阪の人々の暮らしぶりがよくわかり、非常に興味を持った。

さて、お城を降りてくるとにわか雨が降りだし、おやと思う。さっきまでは晴れていたのに。

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さて、ついに31年ぶりに来ました。ここも新しくなり、昔のツタが生えていた甲子園球場とは違う。

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そしてスタンドからの眺め。とてもいい。ついに試合開始。見ているこちらもドキドキした。しかし、すでに雨が相当降っていて、外野は選手が球を追うと水しぶきが上がる。悪いコンディションの中、後輩たちは落ち着いてプレーし、いい雰囲気になったところで、雨脚が強くなりついに降雨ノーゲーム。これで2日延期だ。これも初勝利までの生みの苦しみなのだろうか。明日こそは、初勝利が見れるはずだ。

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2012年3月23日 (金)

雨で試合は順延

母校が甲子園に出るのを楽しみに大阪にやって来たが、雨で今日は試合が中止となり。試合は明日へと順延になった。大阪は一日中雨が止まず、ときより風雨が強まった。無理な状態で試合をするよりは、いいコンディションで明日試合をしたほうが良いだろう。甲子園観戦は明日の楽しみにとっておく。

そこで、関西旅行のもう一つの目的である、神社仏閣・名所旧跡を訪ねる旅を雨の中行った。

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宿の近くの大阪天満宮。菅原道真公ゆかりの神社だ。

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緒方洪庵の適塾。ここは福沢諭吉も学んだ私塾だ。大坂は町人の町だが、こうした自由や自治を重んじる気風もあって、こういう私塾ができたのだろう。

そのほか、曽根崎心中のお初・徳兵衛が心中した神社など、たくさんの神社仏閣があり、大坂の人たちの信心深さが感じられた。

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2012年3月22日 (木)

青春18きっぷの旅

今日は青春18きっぷの2枚目を使って東海道線を東京からひたすら西へ移動する。一緒に電車に乗っていて、東京あたりの人は早春の景物を求めて熱海や湯河原や伊東あたりに旅行をするんだなということがよくわかった。確かに湘南あたりに来ると、日差しがもう明るくて気持ちも何となく浮き立つ。今年のように寒かった冬は、一足早い春が見たいというのが人情だろう。

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途中富士山の景色はやはり雄大でいいものだ。とてもまじかに見えた。大阪に着いたのはもう夜の8時過ぎ。12時間近く電車にのっていたことになる。その間、吉本隆明の「共同幻想論」を読んでいた。バナナのお父さんには受験生のころさんざん悩まされ、もう2度と読むものかと思っていた。でも、先日亡くなったので、追悼の意を込めてこの本を購入して旅に持ってきたが、やはりよくわからない。バナナの本も持ってきたので帰りはバナナの本を読んで帰ろう。

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2012年3月20日 (火)

関西へ行きます

ここ東北は相変わらず寒い。昨日などは冬型の気圧配置で寒風が吹き荒れ、電車がストップした。こんなに寒くて、野球などできるのかなと思うが、関西では春の選抜高校野球甲子園大会が始まる。母校が30年ぶりに出場するので、明日から青春18きっぷで関西方面を目指す。気持ちだけは当時の18歳に戻り、甲子園のスタンドで、後輩たちを応援してくる。何と言ってもうれしいのは、同級生が監督として、野球部を率いていることだ。

さて、昨日までは、我が家は賑やかだったが、また家族4人だけに戻った。木村さんと介助の方が泊まっていたが、沖縄に帰ってしまった。あいちゃんという、いつも我が家を手伝ってくれる子が、木村さんの介助も手伝ってくれてしばらく我が家に滞在していたが、また仙台へと戻ってしまった。タイマグラから陽子さんが我が家を訪ねてくれたが、1泊しまた岩手へ戻っていった。

こんなふうに、田舎の広い家なのでお客さんをたくさん受け入れてきた。あいちゃんのように、長く滞在していってくれた人もいて、なんとなく家族と同じようにいても特に気を使わない自然な関係になった人もいる。

文化人類学の言葉に「拡大家族」という言葉がある。血縁以外の人たちも含んで集団が大きくなって一緒に暮らしをしている人たちのことだ。農のある暮らしがベースにあると、この「拡大家族」のような形が生まれやすい。食料が自給であることがその要因の一つだと思う。この6年間さまざまなかたちの「拡大家族」を体験させてもらった。この経験はまた次に生かしていこうと思う。

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2012年3月17日 (土)

内部被爆

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ジャーナリスト守田敏也さんが、岩波ブックレットから『内部被爆』という本を出版した。ぜひ多くの人に手にとってもらいたい。守田さんは、震災直後から、被災地に入り私たちに寄り添ってくれて、話を聞いてくれた人だ。岩波書店の『世界』に宮城県の有機農家たちから聞いた話をまとめてくれた。

守田さんが批判していること、それは今のジャーナリズムが自分で調べたり確かめたりしないで記事を書いているということだ。今回の震災、原発事故でいえば、政府や東電の発表をただ流しているだけで、それにどういう意味があり、どういう矛盾があるのかということを考えようともしていないことを、守田さんは指摘している。

ところで、我が家ではコンバインと田植え機を業者さんに引き取ってもらった。農業部門は縮小し、身辺整理を始めた。いままでコンバインを置いていたところがぽっかり開いてしまったのはなんだか寂しいが、もう一度原点に戻って次のスタ-トを切るべき時だと思っている。

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2012年3月15日 (木)

14日の木村さん

14日は角田の子供図書館に木村さんをお連れした。私もはじめて行ってみたが、とてもいい施設で館長さんのお話も聞けて、この町の文化政策についても理解できた。角田で人形劇をやっている『てんたんさん』がよいおもちゃを普及する活動をやっていて、ちょうど子供たちにおもちゃを見せてくれていた。『てんたんさん』のお話にも感心すること大であった。

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虹の園でやっているジャムなどの加工品場を見学させてもらった。やはり私自身も始めて足を運んだ。地場の果物を加工しておいしいジャムにしている。

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夜は、仙台長町のビスターリで、地元で活動している多彩な人たちに集まってもらい、自分たちの活動の話をしてもらって、交流した。パレスチナ支援をしている人、福祉法人でおいしいクッキーを作っている人、丸森町の養蜂家、名取のせり農家さん、古本カフェをやっている人などなど。せり農家さんが出荷しているせりの入ったスープが出たが、根っこまで食べるせりに木村さんも驚いていた。でもこれがとてもおいしかった。忙しいスケジュールで木村さんもさぞ疲れたであろう。ご苦労様でした。

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木村さんは15日午前に宮城をたち、東京へ向かった。東京の三鷹に60年代安保の人たちがやっているとても素晴らしいところがあるということで、今夜はそこに泊まるという。東北の現地に行き、肌で感じ、今後どのようにしていったらよいのか考えたいと言っていた木村さんに、少し協力することが出来たであろうか。木村さんは沖縄に帰っても、福祉法人のことで忙しく活動しなくてはいけないようだし、6月にはオーストラリアにある『土の宿』に行くという。木村さんの姿勢には、私も学ばせてもらった。いろいろな縁が重なり、今回木村さんを東北で受け入れることが出来た。不思議な感じだが、たくさんのご縁に感謝だ。

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2012年3月14日 (水)

13日の木村さん

13日は、木村浩子さんをと一緒に地元の福祉法人『虹の園』を訪問した。作業風景などを見学させてもらった後で、ピザをご馳走になった。

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そのあと、隣町の山元町に行き、海岸沿いの風景を見た。

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夜は、仙台泉の教会で、牧師さん夫妻を初め集まっていただいた信者さんたちとお話会をした。いい出会いが出来たと木村さんも満足の様子だった。

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2012年3月11日 (日)

3.11

あの震災から1年がたった。とにかく原発はいらない。原発と幸せな人間の生活とは共存できない、それを毎日感じている。この節目の日に、福島の郡山で脱原発の集会とデモがあり、沖縄から来た木村浩子さんとここで待ち合わせた。

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主催者側の発表では1万6千人の人たちが詰めかけた。会場の開成山野球場の観客席は満員。

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加藤登紀子さんのコンサートと大江健三郎さんの連帯のメッセージがあった。木村浩子さんはおときさんのファンだそうで、おときさんは「土の宿」にも来たことがあるそう。私と言えば10代のころから大江さんは読んできたので、とても思い入れがある人だ。すぐ間近で大江さんを見たので、さらに親近感を抱いた。

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セレモニーの後は町にデモに出た。今日はとても寒い日だったので、車いすの、そして沖縄から来た木村さんには酷かなと思ったので、もう帰りますか、と聞いたら、行きましょう、と力強い声。

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木村さんは脱原発の気持ちが強い。今回もこの東北でいろいろな人の話を聞いて帰り、本にしたいという。

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宮城でもきっと人と人とのいい出会いがあると思う。

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2012年3月10日 (土)

再び大雪

雪が降り始めた。天気予報によると、今シーズン最大の積雪になるかもしれないとのこと。いま、農業はストップしているけれど、もしやっていたとしても今シーズンのこの雪の降りようでは、収穫が望めず出荷できるものはなかったであろう。

さて、東北ではこんな大雪になってしまったが、沖縄の土の宿から木村浩子さんが東北にやってきている。福島県の郡山市の10日、11日のイベントを紹介したので今はそちらへ行っている。11日から16日までは宮城に来るので、我が家で過ごしてもらい宮城県で交流をしていってもらう予定だ。

木村さんは、脳性まひで車いすの生活だ。でも、自分でどんどん外に出ていくところがすごい。今回の東北旅行は、脱原発を訴えたい、東北の現地を見てみたいという気持ちがあったようだ。そういう気持ちが、すぐに行動につながってしまう。いわゆる健常者である我々も見習うべきところがある。

私は介助や介護は初めてなので、どうしたらよいのか戸惑うところもある。今、思っているのは、できない人に何かをやってあげるということではないのではないかということだ。木村さんが東北に来るにあたっても、本人が自分で計画を立て来るというので、とくにこちらで宿泊先を手配することはなかった。やれることはやればいいのだし、出来ないことは出来ないといって、すぐその場にいる人を巻き込んで一緒にやればいいのではないか、それが一つの「福祉」の形だということを、木村さんは身を持って実践しているのだと思う。

これは「迷惑」ということとはまた少し違うと思う。我々は、つい「迷惑だから」と遠慮してしまうが、人間どんな人も多少は迷惑をかけあって、自分の得意なことはやり、苦手なことは人から助けてもらって、生きているのではないか。そういう、人と人とのかかわり方もあるのだということを、木村さんは教えてくれる。「福祉」なんて、考えたことがあまりなかったが、「福祉」は特別な人のためだけにあるのではなく、世の中全体の人のかかわり方なのだと気づかせてくれる。

さて、宮城に木村さんがいるあいだ、木村さんに会いたいという人や、昼間介助でおつきあいしてもよいという方はいませんか。介助についても、特別な経験や知識はいらないと思う。どうして欲しいのか本人に聞いて、それをやればいいのかなと思う。

さて、木村浩子さんや民宿「土の宿」については下記を参照にしてください。

土の宿はhttp://blogs.yahoo.co.jp/toto12237/folder/987559.htmlで見れます。

浩子さんの姿はhttp://blogs.yahoo.co.jp/toto12237/folder/734353.htmlで見れます。

木村浩子さんの紹介はhttp://www.arsvi.com/w/kh11.htmで見れます。

 

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2012年3月 8日 (木)

ケーキ・薪ストーブ

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最近下の娘はケーキつくりに凝っている。仲の良い同級生で、パテシエなみの子がいるそうだがその子に影響されているようだ。お母さんのバースデーケーキを作った。

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これは薪ストーブの実験。岩手県の葛巻(風車の発電で有名な町)から、ペレットストーブ用のペレットを購入してみた。ペレットそのものには放射能が測定されていないということを確認したうえでの購入だ。ペレットは地元の山から切り出して作るので、私が購買したことで、ささやかながら地場産業と地元の人の雇用に貢献したことになる。変なお金のまわり方をするよりはよほどいいお金の使い方だと思う。

さて、それを薪ストーブに入れて焚いてみた。薪ストーブとペレットストーブは構造が違うのでもちろんうまくはいかない。しかし、5キロのペレットで1時間半くらいは温まり久しぶりに薪ストーブの感覚を味わい得た。出た灰については市民放射能測定室でもう一度図ってもらうつもりだ。

コスト面では正直言って、続けることは難しそうだ。ペレットは送料込みで10キロで約900円。10キロのペレットは上記の実験によると3時間くらい燃やせて暖をとれる。一方、灯油18リットルは約1400円。18リットルの灯油はおそらくストーブで30時間くらいは燃やせるだろう。

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2012年3月 6日 (火)

お知らせ

3月20日、仙台の錦町公園で14時から、「STOP!女川原発アクション」というもよおしが行われます。福島原発の陰でよく知られていませんが、宮城の女川原発は、昨年3.11の地震で外部電源1系統を残して電源を喪失しています。火災も起きていますし熱交換器も水没しています。福島原発の同じことがあわやという寸前までおっこっていたのです。

また、その後の余震でも電源が喪失しています。このような危険極まりない女川原発は廃炉にしていくべきだと思いますが、原発再開をもくろむ人たちももちろんいるわけです。

実は昨年の大地震は、必ず来るといわれていた『宮城県沖地震』ではありません。宮城県沖地震はまだ来ていません。宮城県沖地震が本当に来たら女川原発はどうなってしまうのでしょうか。原発が地震に弱いということは証明されました。原発の複雑な配管は何10キロにも及びます。工事は下請けの下請けにやらせているので、配管からは放射能漏れが危惧されます。

イベントには福島の川俣町で自然農をやっていた佐藤さんもゲストスピーカーで登壇します。川俣町は飯館村の隣で、町は汚染され、佐藤さんたちは何10年と続けていた農業をやめて避難しています。

農業は少しずつ大地に根を張っていくような生活です。1年1年の積み重ねで徐々に根が深くなっていくのです。その生活を根こそぎにされる、そのつらさ無念さに思いを致すと胸が痛みます。汚されたとわかっていても、農業をやって来た人は、そう簡単に根を張った生活を捨てたくないのです。多くの農家がその地にとどまり以前と同じ生活をしたいと望むのは当然の気持ちです。

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2012年3月 4日 (日)

バリ島

『六ケ所村ラプソディー』という再処理工場を扱ったドキュメンタリー映画を上映する会があった。そのグループがその後、再処理工場や原発の勉強などを継続していき「わかめの会」というのを立ち上げ、いまも活動を続けている。その会の活動の中から2組のカップルが誕生し、昨日は皆でお祝いの食事会を開催した。

その一組はココペリ・リエさんだ。リエさんはなんとこの4月から二人でバリ島に行って住むという。長くバリにいる知り合いがいたので、住む家も見つかり1年分の家賃を前払いしてきたという。放射能を避けて暮らす一つのいい生き方だと思う。

バリは私も滞在していたことがある。暖かく物価も安いので暮らしやすいと思う。観光地を離れると棚田が広がり、自然も多く良いところだった。リエさんがバリにいる間我が家も訪ねて行ってバリに滞在してこようと思う。

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2012年3月 3日 (土)

大雪

昨日から激しい雪が降りはじめ、今朝起きたら30センチくらい積もっていた。屋根から雪が落ちてくる音がどさどさとする。

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雪が降ると放射線がさえぎられるので、そういう点では今年雪が多いのはよかったかもしれない。あさっては啓蟄だが、これでは虫も土から出てこれそうにない。

さて、東北大の川島氏が「宮城県南部で暮らすリスクは、たばこを吸って癌になるリスクよりもはるかに小さい」と県から頼まれて講演して回っている。当地で暮らす人々はもちろんこれを聞けば嬉しいわけだが、放射線に対して必要な注意を怠らせ、余分な被爆をさせるという点では、川島氏の罪は重いのではないか。

そして、学者として良心にかけて真実を言っているのか、疑問に思う。私の疑問点は以下の通りだ。

タバコ等ががんを引き起こすというのは、いままで大規模な疫学的調査が行われてきて、ほぼ世界中の専門家が認めているリスク要因である。タバコを吸う被験者群と吸わない被験者群を、1000人とか、10万人という単位で、5年、10年、20年とその人たちの生涯を追っていき、両群のがんになる割合が統計学的に見て有意の差があるから、たばこは癌を誘発する要因の一つであるということが学問的に証明されるわけだ。

ところが、それと同じだけの大規模な疫学的調査(低線量地帯で暮らすリスクや、内部被ばくのリスクに関するもの)が、行われたことなどないというのは、素人が考えても分かるはずではないだろうか。だから、そもそも川島氏のように「放射線のリスク」と「たばこのリスク」を比べるのはナンセンスなのではないだろうか。

私が、いままで勉強してわかったことで、低線量被曝や内部被ばくについての調査が行われてこなかった原因は以下の通りだ。

そもそも、人類が核エネルギーを手にしてから、大きな出来ことが3度起こっている。広島・長崎への原爆投下と、チェルノブイリ事故、そして今度の福島原発の事故だ。もし大規模な疫学的調査が可能となるのであれば、最初の2度の悲惨な出来事を教訓とするために、その時やるべきであったが、行われることがなかった。その理由は、

・アメリカが自国の核戦略を有利にするため、核の悲惨さを隠そうとして、内部被ばく等は一切ないものとして扱い、占領軍の命令として日本が調査することを禁じた。

・日本人の医師の中にも、原爆投下後に広島などに入り放射線障害を受けている人がいるということに気付いた人もいたが、もちろんそういう知見を述べることは禁止された。また、日本人の医師たちは、広島・長崎で治療に当たりかなり知見やデータも持っていたが、これを自ら進んで占領軍のアメリカへ渡してしまい持ち去られてしまった。なぜかというと、中国での細菌兵器の開発などに携わっていたので、軍事裁判を恐れアメリカの心証を良くするため。(このへんの事情はNHKでも番組が作られ報道された)。したがって、日本政府も内部被ばくや低線量被曝は一切ないものとして、原爆症の範囲を極めて狭く認定し、被害者の救済が不十分だった。

・水俣病でも加害者のチッソを救うため、水俣病の認定が極めて狭い範囲で行われた。裁判で国側の証人になって国策企業のチッソを助けたのが広島の重松という人物だ。

・この広島の重松氏が事故後のチェルノブイリに入り「放射線による健康被害はない。それよりもいけないのは放射線を心配することによるストレスによる病気だ」と国際機関で発表し、この見解がいまの川島氏や福島の健康アドバイザーの山下氏の見解及び日本政府の見解につながっている。重松氏の調査により、防げたはずの被爆が防げなかったこともあろう。

・ウクライナなどの医師は、もちろん目の前で起きていることから見て、重松氏の国際機関が出した数字や見解に異議を出した人もいた。

私の勉強したところによると、ざっとこのような流れになっているということだ。

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