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2012年1月31日 (火)

破裂

寒波が襲来している。ここ5年では経験したことのない寒さだ。温暖化の中でほぼ毎年暖冬だったので、この寒さには心の準備も生活の備えもしていなかった。水道が凍結し破裂してしまった。

元栓の閉め方がわからなかったので市の水道課に電話をし元栓を止めてもらった。担当者に聞くと、500,600件も同様の事故があったという。水道工事業者もてんてこまいで、呼んでもすぐには来てもらえないという。

水を汲んで大事に使っている。震災直後のようなサバイバル生活がまた始まった。

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2012年1月29日 (日)

同窓会

群馬の高崎で高校の時の同窓会があった。卒業してから30年ということで、我々の代が幹事学年となっていたので、ご無沙汰していた同窓会に出席した。久しぶりに同級生や先輩・後輩に会うのは良いものである。ほとんどみなこの30年の間に無残な経年劣化を経ていて笑ってしまうが(もしくは愕然としてしまうが)、これはお互い様である。

高校の全卒業生を対象とする同窓会であるので、全体で1000人くらいの人数が集まり、盛況であった。その場で野球部の甲子園出場決定も報告され、大いに盛り上がった。野球部だけを特別視することもいいとは思わないが、やはり高校野球は特別で、皆の思い入れが強いのである。

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2012年1月27日 (金)

ストレステスト

原発の再稼働を認めるかどうかで、いまストレステストを行っている。数日前大飯原発のストレステストの検討会議が密室で行われていることに市民団体が抗議したことがニュースになった。

ストレステストとは、コンピューター上で、いままで想定していた地震や津波よりも大きいものが来ても原発が壊れないかをシミュレーションするものだ。これで安全のお墨付きを出すというのだが、これは、素人が考えても机上の空論だということがわかるではないか。

いままでのやりかたと同じで始めから「安全」という結論があって、それに専門家=御用学者がお墨付きを与えるという馬鹿げた儀式である。せめてもの救いは、大飯原発のストレステストの検討会に、後藤さんが呼ばれて密室での検討会には納得できないと退席したことだ。

そもそも、福島第一原発の事故原因がしっかりわかっていない状態で、その事故の反省も生かせない状態で、原発を再開したらまた同じような事故が起こるではないか。福島の事故で見逃せない要因は、地震と津波直後のパニックの中で、運転員が適切な行動や手順をとったのかという点だ。おそらく、極限状態の人間がすることだから、誤った手順を踏み、それが事故につながった可能性も高い。

だが、そういう事故原因もしっかり検証しないまま、コンピューター上でいくら安全といっても信じられない。そもそもコンピューターには極限状態になって人間がどのような行動をするということを計算して予想できるのだろうか。人間が極限状態でどのようなことをするのかわからなければ、そもそも原発のような危険なものを稼働させるのは間違っているのではないか。人間の行動や思考もすべて科学の力で制御できると思うのは人間のおごりではないだろうか。

いま私が書いているのは別に私の独創的なアイディアでなく、市民団体の人たちが指摘し、教えてくれていることだ。市民団体は、福島の事故の前から福島原発の危険性を正しく指摘し、そして、いまも事故の原因や経過を地道に分析している。誰の言うことが正しくて信じられるかと言えば、何らの利権関係を持たない市民団体の方の意見が客観的で信用できるし、原発事故で市民団体の指摘の正しさも証明されたわけだ。

宮城県でも女川原発の問題や六ヶ所の再処理場の問題に取り組んでいる団体がある。私は情報誌を送ってもらっていて大いに啓発されている。だが、市民団体は何せみな手弁当で、政府からの補助金なども一切ない。それこそ自覚ある市民一人一人が支えていくしかない。

私が応援しているのは「みやぎ脱原発・風の会」

http://miyagi-kazenokai.com/

会員となると情報誌『鳴り砂』を送ってくれる。会費は年3000円。賛同会員は1000円で、賛同会員でも情報誌を送ってもらえる。郵便振替口座は02220-3-49486である。

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2012年1月24日 (火)

100ミリシーベルト以下の被曝

低線量被曝については今2つの立場があると思う。「100ミリシーベルト以下で病気になったという論文がないので、影響は気にしなくて良い」「100ミリシーベルト以下で病気になったという論文がないので、影響はわからない。だから注意した方が良い」

前者の立場は、福島県の健康アドバイザーの山下教授や政府を始め原発推進派の立場で、この立場から福島県民に福島にとどまるよう強く求めている。後者の立場は、子供を持つ親であったり、健康で暮らしたいと思う普通の人であったら抱く考えだ。

福島県の健康アドバイザーの山下教授は放射線医学のこの国の権威だ。その時代の頂点に立ち、権威者になるには政治力もいるだろうし、やはりそれなりに優秀な人には違いない。だが、権威者には一つの落とし穴があると思う。権威者は自分の時代までの知識については、誰よりも詳しく知っている人である。

だが、たとえば1940年代の医学の権威者にエイズ患者を見せ、この病気は動物のウイルスが人間に入り変形したもので、患者の免疫機能を破壊していると説明したらどうなるだろう。権威者は、動物のウイルスが人間に入るなんて聞いたことはないし、そんな論文が今まで世界のどこかで発表されたことはない、と言って否定するだろう。

つまり、ある時代の権威になってしまった人は、次の時代には徹底的においていかれるのであるし、次の新しい時代を切り開くものは必ず、権威の外に置かれて権威に挑戦する者の中から出るのである。これは、医学の歴史に限らず、すべての科学の進歩の歴史や明治維新をはじめすべての一般の歴史に当てはまることだ。

さて、政治について。政治は本来、山下教授のような立場に沿って行われるべきでなく、後者の」「100ミリシーベルト以下で病気になったという論文がないので、影響はわからない。だから注意した方が良い」と不安に感じている人たちの気持ちに沿って行われるべきだ。だが、放射能汚染の問題に限らず、いまの政治に欠けているのは、人々の一人一人の気持ちに沿って政治を行うという姿勢だ。

いまの政治が拾っているのは、声の大きい利権がらみ人たちの声だけで、国民の気持ちはすくいあげていない。だから政治離れや政治不信が起きるのは当然である。政治家が悪いと個人攻撃をしているのではなく、政治という仕組みがもはや時代遅れの遺物になっているので、この前世紀の遺物の中でどんなに政治家ががんばっても限界があると思う。時に、うまく民衆の声を拾い上げて人気を博す小泉元首相や、大阪の橋下さんのような人もいるが、あれは特殊な個人の才能や資質に頼っているので大きく政治自体を変える力になるかどうかは疑問だ。ヒットラーも民衆の気持ちをすくい上げる天才だった。

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2012年1月22日 (日)

かまくら

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岩手の一関に行った。朝目が覚めるとかなりの雪が積もっていた。子供達は喜んでかまくらつくりをはじめた。

だが、日中は案外温度が上がり、雪が解けてしまった。宮城に帰ってみると、宮城でも雪が。だが、温度が高いせいで湿った雪になっていて、そのせいでビニールハウスが押しつぶされてしまった。

後片付けのことを思うと頭が痛い。

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2012年1月20日 (金)

インフルエンザ情報

いま、宮城は寒くて空気がとても乾燥している。昨日、講演をしに行った仙台市内の高校では、インフルエンザで1クラスが学級閉鎖になっているという。再び、インフルエンザが宮城県ではやりだしている模様。

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2012年1月18日 (水)

守田さん来る

原発問題や内部被ばく問題に詳しい京都在住のジャーナリスト守田さんが、宮城県に来て、大河原の市民放射能測定室によってくださったので、会いに行き話を伺う機会を得た。守田さんは、市民放射能測定室の立ち上げの経緯などを、岩波書店発行の「世界」に書くことを依頼されていて、その取材とおよび京都で集めた寄付金を手渡しに来てくれたのだ。

今回守田さんは京都を出発し、横浜の世界脱原発会議に出席し、千葉や福島に立ち寄られた後、宮城へ来た。福島の高線量汚染地区の福島市渡利に関する話など、貴重な話を聞かせてもらった。

守田さんは、市民の手に科学を取り戻すという運動を科学者と連携して始めており、今度岩波ブックレットから内部被ばくに関しての著作を矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授との共著で出すということで、ぜひ手にとって読んでみたいと思っている。

被ばくの問題は、何ミリシーベルトまではいい、悪いという線引きの問題となっていて、そこで専門家の意見も分かれていて、一般の人も何を信じていいかわからなくなっている。しかし、どうやら低線量被曝というのはそういう問題ではないらしいということを守田さんから教わってきて、私はそれを信じられると思う。放射線を浴びれば(特に内部被ばく)、体の弱いところや免疫が弱っている人に影響が出る。だから、お年寄りなら何を食べてもいいし、被爆してもよいというのは間違いで、持病があったり免疫が弱っていたら、放射線の影響で持病が悪化したり、そのほか放射線とは一見関係なさそうな病気で死ぬこともありうるのだ。

このことを科学的に証明をするとしたら、ものすごい大規模調査となり結論が出るのに長い時間がかかり、科学者の間で論争が長引くであろう。しかし、科学的に証明されないことで、臨床的におかしいと思われれば市民や医療関係者が地道に事例を集めて行動していかなければならない。いまの医療者は、ICPR(国際放射線防護委員会)の作った教科書で教育を受けているので、(そしてこれはアメリカの核戦略や原発を推進する機関なので)、子供が鼻血を出したというような事例と、放射線との結びつきは認めない。

だが、守田さんが言っていたのだが、臨床の方が正しければ教科書を改めるチャンスだということだ。

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2012年1月15日 (日)

世界脱原発会議  二日目

昨日の世界脱原発会議の来場者数は6000人だったそうだ。本日も10時前にすでに会場の前には長蛇の列ができている。いい天気にも恵まれ、昨日以上の人出が期待できる。

さて、自分は急きょ、ピンチヒッターではあるもののゲストスピーカーとして主催者側から呼んでいただくという立場となり、10時からのイベント企画で登壇し発言することになった。企画は、子供たちを守るためのネットワークが各地でどのように活動していて、どうつながっているかを話すものであり、私は宮城県の南部で子供を持つ父としての立場で自分たちが置かれている状況を、訴えることができたと思う。

私のほかには、チェルノブイリ事故の時で9歳で、いまは現地で子供を守るNGOを運営しているロシア人、福島の有機農家のお母さん、横浜、滋賀のお母さんとが発言し、それを、東京の5年後10年後の子供を守る全国ネットワークの方がまとめてくださり、そしてグリンピースの方はこれまでの経緯や背景を報告してくれた。

広いホールの席が埋まるか不安であったがはじまると後ろの方の席まで埋まってしまった。

午後からは、知り合いが関係する持込み企画の会場を見て回った。まずは肥田舜太郎医師などが始めた市民と科学者の連帯する団体主催の内部被ばくに関する質問コーナーというのは大人気で立ち見がたくさん出た。

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そして、わが宮城県南部からはみんなの放射能測定室『てとてと』の皆さん。どうやって測るのかという三田さんからの熱演もあり、そして生産者としての今の気持ちを語るというコーナーもあり、皆さんが苦労して入念な下準備をしていたという事情も少し知っているので、聞いていて感動しました。

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さて、この会議では知り合いにもたくさん会えたし、新しい人とも出会えた、自分にとっても大変有意義なものだった。特に、会いたいと思っていた福島やまなみ農園の幸子さんがやはり会場に来ていたので、震災後初めて再会できてこれまでの経緯を聞くことができた。こんなにもたくさんの人が会場を訪れ著名人も脱原発を訴えている。(そういえば、昨夜のレセプショオンパーティーでは湯川れいこさんにお目に書かれて感動した。彼女は、僕らの世代にとってはビートルズを教えてくれたお姉さまだ)

原発のない日本と世界を実現していきたい。

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2012年1月14日 (土)

世界脱原発会議

横浜のパシフィコ横浜で、ピースボートなどが主催する世界脱原発会議が開催された。突然ではあったが、ピンチヒッターという形で、発言することになり、夕方会場に到着した。

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うまく写真が取れなかったが会場はこんな感じで人でいっぱい。後で主催者に聞くときょう5000人くらい入場者があったそうだ。東北からも六ヶ所村再処理関係でブースを出している人などもあり、懐かしい顔と再会できた。とにかく、多くの人がこの問題に興味を持っているのはうれしいことだ。母校の大学のサークルも出店していたので、できの悪いオービーだけどもと、言って学生さんと話ができてよかった。

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世界中で愛と平和を訴えて行脚するあこちゃんともここで再会できてうれしかった。ピンチヒッターではあるが、ゲストスピーカー扱いなのでレセプションパーティにも出席させてもらいおなか一杯になるし、桜木町前のホテルは取ってもらえるしと、いまの自分には贅沢をさせてもらった。

本番は明日10時からだ。せっかくなので宮城県の状況や子供たちの現状を全世界に伝えていきたいと思う。そのあとは、興味深い企画がめじろおしだし、宮城県からは市民放射線測定室『てとてと』も参加しているので応援に行こうと思う。

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2012年1月13日 (金)

天童出張

昨日は各地で今シーズン一番の冷え込みだった。そんな中、山形の天童に出張に行った。太平洋側で、きつく冷えて晴れていれば、山形ではどか雪なので、たどり着けるか不安であったが、何とか電車も立ち止まらず無事天童に到着した。(宮城と山形の県境は、雪にうずもれ山の高いところまで真っ白で、そのまま空との境が分からなかった)天童で乗ったタクシーの運転手さんたちも口をそろえて「今朝は寒かったですね」

天童は自分にとって実は思いで深いところなのだ。30数年前の中学校の修学旅行で一度訪れ、確か名物の人間将棋などを見たような記憶があるのだ。でも、なぜ群馬の高崎の中学校が東北の地を修学旅行に選んだのか。これも記憶はあいまいだが、当時、伊豆沖で大地震が来る来ると、そんな不安が社会に流布されていたように覚えている。そこで、先生方が安全な東北地方に行先を変更したようないきさつがあったとは思うが、何せ昔のことでよく覚えていない。(中学校の同級生とそのことについて、話してみたいものだが)

さて、懐かしい天童だったが、寒くて雪が積もっており、とてもどこか観光してみるという元気もなく、無事に宮城の家に帰りつけるかという心配ばかりで、早々に帰路についた。(寒さにすっかり弱気となり、年をとるのは本当に嫌だと思う)

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2012年1月11日 (水)

京都からの訪問客

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朝目が覚めたら、雪。子供たちは皆、車で学校に送っていった。

さて、京都から二人の訪問客を迎え、我が家に宿泊してもらった。京都精華大の卒業生たちで、昨年のゴールデンウイークと夏休みに、京都子供キャンプを立ち上げ運営してくれた中心メンバーだ。まったく、経験もない、資金もない、ノウハウもないという中で、被災地にのことを本当に心配して、できる最上のことをしてくれた。とても感謝している。

運営は本当に大変だったはずと、推察する。同じことが自分にできるかと言えば、正直躊躇するだろう。それを、まだ年の若い経験もない彼女たちが実行してくれたのである。

京都で縁があって、我が家を訪ねてくれた人はこれで3人となる。震災や原発事故がなければ、決して知り合うこともなかったはずなのにと思うと不思議な気がする。貴重なご縁をいただき、今後も大事におつきあいしていきたい。人が癒されるのは、人によってなのだと本当に感じた。

彼女たちは、さらに石巻、福島、そして経産省前で座り込みをしている福島のお母さんたちを訪問して京都へ帰る。

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2012年1月 9日 (月)

ダウン

沖縄から子供たちをつれ、無事帰宅したが、沖縄でもらってきた風邪でダウンしていた。沖縄は中途半端に寒かった。確かに、日中など晴れたら20度近くになり宮城県に比べたら格段に暖かいのだが、しかし、この時期、天気が悪くなり北風が吹けばそれなりに寒い。でも、沖縄の家は夏の暑さのために考えられて作られているし、そして、本土の人間はつい暖かい沖縄という幻想に過剰に期待してしまうので、どうにも中途半端な寒さの中、年末年始の不摂生もたたって風邪を引いてしまった。(聞いた話では、宮城から12月に修学旅行に来た生徒たちは海で泳いでいったのだそうである。せっかく来たのだから青い海で泳いで行きたいという気持ちはわかるのだが…)

明日から子供たちの学校も始まる。宿題が全部終わっているか点検してやらねばならない。私も、机に向かって原稿書きの仕事からはじめてペースを取り戻さねばならない。

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2012年1月 4日 (水)

土の宿を出発

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昨日、一昨日と伊江島は天気が良かった。伊江島を出発し子供たちに会いに沖縄本島東村の牧場に向かう今日は、空も海もどんより曇りそして風も強く肌寒い。

土の宿の宿主の木村浩子さんから相談され、「原発はダメ。子供を守れ」という訴えをしたいといわれ、宮城県に来てもらい原発廃止を一緒に訴えていきたいと思う。それにつけても、木村浩子さんを介助者とともに沖縄から送り出し、被災地で受け入れるのに資金も必要になることだし、多くの協力者が必要になる。平和・福祉・原発廃止を願う多くの人に力を貸してほしいと思う。

合わせて宮城県や東北の人に木村さんの生き方や活動を知ってほしいと思う。木村さんは山口県出身。2歳の時の高熱が原因で、体が不自由で言葉もうまくしゃべることができない。幼少時は戦中なので学校にも通わせてもらえなかった。しかし、木村さんは何でも学びたい、何でも自分でやってみたいという気持ちを持ち、それを母親も祖母も「障碍者だから無理」と言ってとめることは決してなく、やってごらんと励ましたという。

だから木村さんは自分で何でも勉強したし、短歌も作ったし、足で絵も描いた。短歌も絵も一流だ。そして、話をしていると彼女が一流の知性の持ち主であることがわかる。

自分でできないといって、壁を作ってしまういわゆる健常者である私たちも木村さんのなんにでも挑戦する精神を見習うべきだ。障碍者が施設の中で暮らすのが当たり前だったとき、木村さんは独り暮らしがしたいと大分の施設を逃げ出し山口で、アパート探しをする。でも当然誰も貸してくれない。そこで県庁の前で座り込みをし、一人暮らしが実現する。

京都に友人たちと宿泊に行った時、障碍者が泊まるようにはなっていないからと、電話で予約していた宿に断られたのをきっかけに、山口に障碍者でも泊まれる「土の宿」を作り、全国からたくさんの人が泊りに来るようになる。

木村さんが亡くなったお母さんの日記を読んでショックだったことがある。戦争中、母親のところに軍人が青酸カリを持ってやってきて、「戦いになったら、障碍者は足手まといだからこれを飲ませるように」と言ったという。母親は木村さんを連れて山中に3か月逃げ隠れたという。

こういう体験が木村さんに平和の尊さに目を開かせ沖縄に向かわせたに違いない。沖縄の伊江島に「土の宿」を開き30年になるという。

その木村さんが、私に、「原発はダメ、子供を守れ、でもどうしていいかわからない、知恵を貸して」と言う。木村さんを宮城に呼んでその生き方をみなに知ってもらい、一緒に原発廃止を訴えたらいいのではないかと、私は思う。宮城および東北に木村さんを呼ぶにあたって、ぜひ多くの協力者が必要になる。ぜひ皆さんお願いいたします。

土の宿のホームページはこちらです。

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2012年1月 1日 (日)

伊江島の様子

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31日は年越しそばを食べる。そばといっても沖縄そばだから、本当のそばではなく、むしろうどんかラーメンに近い。

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元旦は「土の宿」のヒロコさんのおせちをいただく。

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伊江島では菊栽培などをしている。いま作ると本土の春のお彼岸に間に合う。お彼岸に咲かせるために電気を当てる。電照菊である。

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10年前にはなかった大きな風車が立っていた。

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さときび畑も多い。正月休み明けには刈り取りだそうだ。穂はまるでススキの穂のよう。

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伊江島で一番標高が高い(174メートル)「ぐすく山」に上り、そこから見た島の風景。ここには「御嶽(うたき)」があり、初もうでをする。

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伊江島は太平洋戦争の地上戦が行われた場所でもある。砲弾の痕が残った建物が残っている。愚かな指導部の判断ミスと思考停止のおかげで県民に犠牲が出た。

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