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2011年10月29日 (土)

子供の健康調査

原発事故による、子供の健康調査を福島県のように、宮城県でもやってほしいと期待していたが、しょせん原発推進派の知事がいる宮城県では期待すること自体が無理なのだ。

宮城県では、5名の専門家(多くは東北大学でたぶんの県の息のかかった)の、非公開会議で(つまり「民はよらしむべし、知らしむべからず」)「健康被害はない」という結論が出た。

ただし、以前から、地域の人が熱心に活動していた宮城県最南端(福島より)の耕野と筆甫という2つの地区の小・中学生にのみ実施することに決まった。過疎の地域なので小学生の数でいえば数十人(もしかしたら十数人)だけである。

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2011年10月27日 (木)

和訳の課題

1.Expenses which are free from being taxed like money borrowed to buy a house are always allowed against husband's income, even though the expenses may be paid by both husband and wife.

2.Women can now pay a full insurance contribution which gives them independence from their husbands when they do need to claim money, but women who do not work have to depend on thier husband's payments.

この課題は、生徒たちには難しかったようで、うまく訳せたものは少なかった。1は、住宅ローンのような控除の対象となる必要経費は、夫の収入に対してのみ認められる、ということ、2は、女性でも保険料を満額払っていれば、保険金が自分のものになるという趣旨であるが、税や保険の仕組みを、学生が理解するのは難しいことに違いない。

「控除」なんて言葉は聞いたことがないだろうし、「保険料」と「保険金」の違いも分からないだろう。本当は、こういうことは「英語」や「数学」以上に大事なことなのかもしれないから、小さいときからお金に関する教育をする必要があるというのは一理あることだと思う。(株の売買のシュミレーションをやらせるよりはよほどいいと思うのだが)

そして、この英文に書いてある大事なテーマは、女性が置かれている不平等ということだ。これからどんどん日本は人口が減りかつ高齢化していく。女性の能力をフルに発揮できないような社会では、この先の日本の将来はすごく暗いと思うのだが。

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2011年10月24日 (月)

読書ノート

電車通勤することの良いことの一つは本を読めることだ。いま網野嘉彦氏の「日本社会の歴史」(岩波新書)を読んで、南北朝の騒乱、足利義光の将軍就任まで来た。網野史学の特徴は

・西日本と東日本の歴史や社会の成り立ちの根本的に違うことを強調すること。

・日本の社会には、海上民、山民、女性の商売人などの非農業民である自由民がたくさんいたことを強調すること。

これが特色だろうか。この史観によって、硬直的でつまらない歴史の描写を、躍動的で生気あるものとして描くことに成功していて、読んでいて面白い。これを読むと、農業にこだわらず自由に生きるのもいいかなと思わせられるし、関東に生まれ東日本でしか暮らしたことしかない東男の私も西日本に住んで、その独自な世界に触れてみたいという気もしてくる。

歴史が教えてくれること、それはこの世に変わらないものがないということだ。権力の交代を見ても分かるように、驕れるもの久しからずで、必ず衰退と没落が待っている。となると、戦後社会に絶大な権勢を誇り社会を牛耳ってきた電力会社に、やや衰退の兆しが見え始めたのだろうか。

権力が衰退するとき、権威を盲信する人たちの間に疑問が芽生え、権威を支えてきた神話が通用しなくなる。網野氏の著作を見ると、日本の社会や人々は動乱・混乱を通して生き生きとその生のエネルギーを発散してきたことがわかる。それに比べると、今の日本人は本当におとなしい。電気を選択することを選べず、不当に高い料金を要求されても、何も怒らず、電力会社に反対する意見はマスコミに一切登場することができず、少しでも批判する芸能人は仕事を奪われるような、異常な事態を素直に受け入れてきた日本人の祖先がこんなにも活き活きと生きていたのかとわからせてくれる網野史学の最終巻ももう少しで読み終えてしまう。

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2011年10月21日 (金)

稲刈り終了

のんびり稲刈りがやっとこさ、昨日終わった。道行く地元の人に、今年はお客さん来ないの?と何回も聞かれたが、地元の人に放射能のことを話すのも気が引けて、ただ、来ないんだ、と答えるだけだった。

明日からは、天気が悪くなるらしい。その前に稲刈りが終わってほっとしている。天気が回復して、しばらく乾燥した日が続けば、稲も乾燥してくるだろう。そうしたら、今度は脱穀だ。

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2011年10月18日 (火)

稲刈りのまた、続き

Pic_0689

昨日は報道によれば、群馬の高崎などで30度以上の気温が出たという。ずいぶん暖かいものだ。こちらも、乾燥して暖かく、過ごしやすい天候だ。稲刈りのはせももう少しで埋まるくらいのところまで稲刈りは進んできた。

まわりも秋景色。ススキの穂も銀色できれいだし、柿も赤く色づいてきた。

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角田市役所で、食品の放射能測定をやってくれるので、申し込み、検査してもらった。我が家の畑で取れたジャガイモと、かぼちゃだ。結果は「不検出」。しかし、これにはからくりがある。角田市の機械は30ベクレル以下では、すべて不検出と出るのだ。だから「不検出」といっても29ベクレルという可能性も否定できない。角田市や宮城県が、測定しているものは、何らかの意図があるのではないかと、疑念がわく。

市民の中で、自主的に食品の安全性をきちんと測れる組織が出来てこないと、本当の安心とはいえない。

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2011年10月16日 (日)

稲刈りの続き

昨晩の強い雨が午前中にはやみ、晴れ間が出てきた。午後から、稲刈り再開。周りの稲刈りは終わってしまい、ついに残されたのは我が家の田んぼだけ。のんびりやっていこう。
しかし、はせがけの稲がある風景が、私は好きだ。このはせというのは、本当にすごい知恵だと思う。力がうまい具合に分散して、どこから力が来てもうまく逃がして、倒れないようにしている。剛構造ではなく、柔構造なのだ。
このはせの組み方を教えてくれた岩手の専業農家のお師匠さんには本当に感謝している。時代遅れの天日干しに稲刈りだが、この知恵を絶やしてはいけないと思う。
秋の日は、つるべ落とし。暗くなりそうなので稲刈りを中断。来週中には何とか決まるだろう。汗を書いた後のまき風呂は、心地よかった。

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2011年10月13日 (木)

読書ノート

高校生に小論文を指導する仕事のためということもあって、加藤周一氏の著作を読んでいる。(加藤氏の著作は大学入試の現代文・小論文では根強い人気がある)。昨日は、戦前・戦中の知識人の戦争責任を論じたところを、非常に興味深く読んだ。なぜなら、原発事故以来の、言論統制や世論操作が日中戦争・太平洋戦争戦時下の状況を思いこさせないではないからだ。

戦前・戦中の知識人の言い逃れとして絶対に許されないのは、「私も知らなかった」「私も国民と一緒にだまされていた」と言うことだ。国民の一部が政府にだまされ、そしてろくに情報も与えられない状況下で、この戦は聖戦であり、絶対に勝つと信じていたのはある程度やむをえないだろう。しかし、それは知識人であれば、絶対に言ってはいけない言い訳だ。(原発事故が収束せず、国土が汚染され、それでも電気業界、政治家、官僚が原発を推進しようという状況下で、知識人は事実を知らなかったで、済ませられるのだろうか)

「知らなかった」では済まされない戦前・戦中の知識人はどうしたか。積極的に反対するにはまったく言論の自由はなく、投獄される恐れがあった。こんな戦争は間違っているし、絶対に負けると思っていたものは、沈黙した。そうでないものは、積極的に賛成の言論を公にした。こうして、知識人、文学者、芸術家たちが「○○報国会」などと組織され、政府の戦争に協力していく。(原子力安全PRに駆り出されて電力業界の広報誌や新聞の広告欄に登場した有名人たち)戦前・戦中の彼らの言論が記録として残っている、というのが今の我々にはありがたく、参考になる。それを見れば高見順が何を考え、亀井勝一郎が講演でいかにひどい発言をしていたかがわかる。

もちろん、我々は戦争責任をしっかり考えてこず、あいまいなままに終わらせてきた。(1億総懺悔で、おしまい)。だから、また、同じことが今、繰り返されているのだろうか。今、我々が、しとくとよいことは、知識人・専門家の発言や行動を記録しておいて、後世に伝えることだ。どの知識人も専門家も5年後10年後に子供や人々が病気になっても、誰も責任を負おうともしないだろうが、言動を記録し後世の人に評価してもらい、後世の人がどう考え行動するべきかの指針にすることが出来る。そうすることにより、同じような悲劇を防ぐことが出来るかもしれない。

福島県立医大の副学長に就任し福島県の健康を守る立場になった山下氏は「100ミリシーベルトまで放射線を浴びても平気」と発言した。脳トレで有名な東北大の川島氏は、今、宮城県から頼まれて宮城県中を講演して、安全だから大丈夫と発言している。今は、幸いにインターネットやツイッターがあるので、知識人や専門家の言動を、多くの人が監視し記録することが、戦時中よりもはるかに容易になっている。

参考:加藤周一『日本人とは何か』講談社学術文庫

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2011年10月11日 (火)

稲刈り

稲刈りを少しづつ始めている。この前の日曜日に、京都からお客さんがあり、京都の方でも農家との交流などを手がけ、自分たちで大豆などを作っていた人だったので、稲刈りを手伝ってもらった。もちろん、遠くから来て疲れるだろうから、作業は1時間くらいで、話をしながら二人で楽しく作業をした。

それから、合間を見てはちょっとづつはせを作り、稲を刈っては干していく。今年は原発事故に気持ちが負けて、田の手入れを怠ってしまった。てきめんに出来に反映する。改めて、農業は奥が深く、面白いと思った。

角田市役所でも予約して農産物を持っていけば放射線量を測ってくれる。野菜や米の放射線量を計ってもらおう。

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2011年10月 5日 (水)

薪ストーブ

このところ、急に寒くなり、ついに昨晩は薪ストーブに火を入れた。大好きな薪ストーブも、残念ながら、今シーズンでお別れしなければいけないかもしれない。薪は、一年前から翌シーズンの寒いときを思いながらせっせと作ってきた。だから、今ある薪は去年の薪だ。つまり原発事故前の、汚されていない自然から頂いたものだ。

今年は東北の森に大量の放射性物質が、電力会社の犯罪によって勝手にばら撒かれてしまった。私が、汚染された森からまきを取ってきて、来年ストーブで燃やしたら、放射性物質が拡散し、家族の健康やそして、広く日本の人たちの健康も損なわれてしまうのではないだろうか、それを私は懸念する。

これから東北は紅葉と落葉の季節を迎える。実は、森の除染が大問題なのだ。新聞報道によると、福島では森の除染をなんらかはやるらしい。しかし、女川原発推進の村井知事の宮城県では、県境からこちらには放射能は飛んできていないという態度であるからして、森の除染は一向に考えていない。そもそも、細野原発大臣が約束した、みやぎ県南部の子供たちの健康調査も、宮城県はする気がない。

東北の森の汚染問題をどうするつもりなのだろうか、せめて実態がどうなっているのか、調査することから始めるべきではないだろうか。

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2011年10月 2日 (日)

六ヶ所再処理工場

仙台でフォトジャーナリストの広河隆一さんと、岩手で六ヶ所再処理工場に反対している会の代表永田文夫さんの講演があり、聞きに行った。広河隆一さんは、チェルノブイリ事故の報道もしつつ、救援活動もしている。DAYS JAPANという雑誌を発行している。この雑誌は、良心的な雑誌だから、こそというべきか、大手企業などの広告が付かないので、経営としては大変なのではと心配する。しかし、そういう良心的な人だからこそ、福島や宮城の人たちに、放射線測定器や何百万円もする食品検査機を寄付してくれている。

今の世の中矛盾だらけだと思う。広河さんのようないい人ほど、ボランティアで、手弁当で、自分のことはさておいて、人のために行動してくれる。その一方で、原発の地元説明会では、電力の社員たちがきちんと時間外手当などをもらって賛成意見を述べに出てくる。人の命を脅かし自然を破壊する仕組みにはたっぷりお金が回り、善意の人たちはみんな自分の生活を後にして頑張っている。

こうなっては、不謹慎であるが、日本の国債が暴落して、国家財政が破綻してくれるのを祈りたくもなる。そうなれば、がん細胞に栄養がいかなくなればがんも消えるように、原子力村の面々にも金が行かなくなり、安心して暮らせる世の中が近づくのかなとも思う。

微力ながらDAYS JAPANを1冊購入させてもらった。真実を知りたいのであれば、こういう良心的なジャーナリズムを応援しなければだめだ。

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2011年10月 1日 (土)

核廃棄物中間処理施設

福島の原発事故で出た放射性廃棄物の中間処理施設を宮城県にも作るという報道がされた。事故の痛みを福島県民にだけ押し付けるのはよくないからということらしい。感情論的に言うと、そのような環境を汚染するものを身近に持ってきてほしくない。(原発推進派の宮城の村井知事は、補助金や裏金がもらえれば、喜んで引き受けるといっているのかもしれないが…)

福島の人には申し訳ないが、福島原発の周囲は事実として「死の町」だ。原発から出た廃棄物は、原発の近くに置いてもらい、全国に汚染が広まらないようにすることこそが、日本の将来のためには大事なことだと思う。

そして、さらに感情論的に言えば、放射能のごみをどこにも持っていくところがないのであれば、安全だといって推進してきた、自民党本部の地下、国会の地下、経産省の地下、電力会社の社宅の庭などに埋めるのが、責任のとり方であると思う。もちろん、さすがにこれらの人たちだって嫌がるだろう。では、そんな誰もが嫌がるものが出て、誰にも処理することが出来ないとわかっているものを、どうして推進してきたのだろうか。

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