« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月29日 (水)

原発は地震に弱い

「チェルノブイリの原発事故は、ソ連のような科学技術の遅れた国で起こるもので、日本のような技術の進んだ国では絶対に原発事故は起こりません」というのが、3.11前の政府、経産省、電力会社の宣伝(プロパガンダ)だった。われわれから取り立てた電力料金を勝手に使ってこんなうその情報をマスコミを牛耳って流していた。

しかし、チェルノブイリは未熟な技術のせいで爆発したのではない。ロシア科学アカデミーの最終報告書では「爆発事故の16秒前に直下型地震が発生しており、そのために制御不能になり爆発した」とある。この報告書はロシアの有名な新聞「イズベスチア」でも大々的に取り上げられたが、もちろん日本では、政府、経産省、電力会社の原子力村の住民たちにより葬られてしまって、日本国民は知ることができなかった。

(この経緯については「原発震災が大都市を襲う」船瀬俊介・著 徳間書店・発行 に詳しい。この本では、日本で原発を始めた正力松太郎氏、中曽根康弘氏の責任も追及している)

さて、原発は地震に弱いのである。地震大国の日本に54基の原発を立てているのは気が狂っているとしか思えない。

東電と保安院ががフクシマ原発の事故報告書を出している。気をつけなければいけないのはこの報告書が事故は「津波のせいだ」としていることだ。かれらはもちろん、都合の悪い事実を隠している。それを暴いたのは、元原子炉設計者の田中氏だ。データを追っていくと、フクシマ原発は津波で壊れたのではなく、すでに地震で壊れていたのだ。(田中氏のように、東芝や日立の元社員の人たちが、どんどん内部告発をして、日本の原発政策を停止させてくれることを望む。東芝も日立も原発をやめても、代替エネルギーで十分食っていけるではないか)

その映像は以下の「原子力情報資料室」のホームページで見ることができる。

http://www.ustream.tv/recorded/15524200

原発が地震で壊れたという事実は、原子力村の村民たち(原発マフィアと船瀬氏の本では呼んでいるが)には都合が悪い。なぜなら、日本には地震がこないところはないので、原発が建てられなくなり、自分たちのおいしい利権も味わえなくなるからだ。

佐賀県の原発を再開しようとしている。日本の西にある原発は特に危険だ。事故が起これば、偏西風で、被害は福岡、大阪、名古屋、東京に及ぶからだ。推進派は、小手先の津波の被害対策をして、再開しようとしている。フクシマ原発は津波でなく、地震で壊れたのにである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月27日 (月)

誰が信じられるのか

今ここに二人の人がいるとする。

・A氏の言動は、すべて自分の利益につながるような言動ばかりである。

・B氏の言動は、B氏本人とっては何の得にもならない言動である。

さて、どちらの人の言っていることとやっていることとが信じられるかというと、不思議に思うかもしれないが、B氏のほうなのである。まさに、原発事故の前の、反原発派の人たちがそうで、みな、自分の直接の得にもならないことを、無給のボランティアで一生懸命活動していた。

推進派の人たちは、自分たちの利益を守るため、都合のいいことを言って、巨額の金で世間と反対派をねじ伏せていた。原発の公聴会のときも、反対派は自分の仕事を放っておいても、無給で駆けつけ、原発の危険性を質問した。それに対し、推進派は電力会社の社員が、たっぷりの給料とおそらく時間外手当などももらって、たくさん出席して、反対派に対する嫌がらせをした。

ここから導かれる興味深い、人間の行動に対する真理は、「人間は、人類愛や同胞愛などの、崇高な目的のためであれば、たとえ金が払われなくとも、真摯に努力し、働く」ということだ。裏を返せば、「金を払われる労働は、虚偽の世界へ堕落する可能性がある」ということである。

政治家を「ボランテイア」にしたらどうだという意見がある。利権に敏感な政治家ほど「とんでもない。そんなことにしたら、金を儲けるために政治家が働かなくてはならなくなり、政治は堕落する」という。

本当だろうか。

政治家が基本的にボランティアである、北欧は、国民の幸福度が高いことで知られているし、電気は国民が自由に選べて買える。

政治家にかなり高額な給料が払われている日本では、国民の幸福度が低く、年間3万人の自殺者がいて、電気は独占企業から、原発で作られた汚れた電気しか買えない。

自分に何の得にもならないことを、崇高な意思のもとに行ってきた信頼できる人物に肥田さんという医師がいる。広島に原爆が落とされたとき軍医として働いていて、その後もずっと、広島で内部被爆した、政府から見捨てられてきた人たちとともに歩んできた人だ。90歳と高齢の方だが、核は絶対にいけないと発言するその元気な姿に、勇気付けられる。

肥田医師の発言の要旨が以下で見れるので紹介する。

http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/495.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月23日 (木)

福島県前知事

福島県前知事の佐藤さんが原発事故後にマスコミに登場することが多くなった。(今の福島県知事も佐藤氏だから少しややこしい)。前知事の佐藤さんがここに来てにわかに注目されているのは、彼が知事時代、原発の「プルサーマル計画」受け入れを拒否したからだ。危険な「プルサーマル」を受け入れなかったことは大英断だったが、代償は大きかった。彼は、贈収賄事件をでっち上げられ逮捕され、身近な人を自殺で失うなど追い詰めれていった。

3.11以前「プルサーマル」は、電力会社と国によって、われわれの払った電気料金と税金をかけて大量のコマーシャルが流され大宣伝をされていた。推進派の甘言は「プルサーマルとは、原発で出たごみを処理するリサイクルで、環境時代の今日、そして資源のないわが国にとってこんなよいものはありません」ということだった。

良識派の市民の反論はこうだ(常に良識派市民は手弁当のがんばりなので、われわれの意見はマスコミにも載らず、国民には届かなかったが)

・核燃料リサイクルの技術は確立しておらず、不可能だということでどこの国も手を引いている。

・リサイクルすれば核の猛毒性はさらに増し、そんなことをするのであれば、原発のごみを地下深く埋めるほうがまだまし。(地層処分を受け入れる自治体はまだ日本にはないが、大量の補助金で、金に困っている自治体が手を上げる恐れがある)

・現在、日本の原発のごみはイギリスとフランスで処理してもらっているが、その処理場周辺では白血病の子供などが増えていて、反対している母親たちの運動がある。フランスの処理場などは少数民族が住んでいる辺鄙な場所に立てられ、そのような人たちが犠牲になる仕組みのうえに、原子力発電は成り立っている。原発は必ず、差別の構造の上に成り立っていて、誰かが差別され不幸にならなければ成り立たない。

・再処理を外国にばかり任せているわけにも行かないので青森の六ヶ所村に処理施設をつくったが、未熟な技術と事故続きでめどが立たない。試運転をしただけで、周辺地域の放射能レベルが上がった。(これは面白いことに、文科省が3.11以前から各地の放射線量を測っているのだ。法律で文科省の仕事と決められているから、図っているだけなのだろうが、こういうところは日本の役人は優秀だ。原発推進派の国交省は、絶対にデータを隠そうとするだろうが、役所が縦割りのおかげで、六ヶ所村周辺の土地と海が汚染されていることがわかった)もし、再処理工場が本格稼動すれば、処理場周辺の住民のがんは増え、海が汚染され、岩手県、宮城県も被害を受ける。

・「プルサーマル」で処理した原料をまた原発で燃やすわけだが、この処理した燃料を燃やすと、毒性のさらに高い放射能が出る。もし、原発事故が起こったら、通常の原発よりもさらにひどい事故になる。(その事故が福島第一で起こってしまった。福島県は結局「プルサーマル」を受け入れ、福島第一原発からは、プルトニウムが飛散した。この猛毒物質について国は測っていないが、それは「測る」という法律がないからだそうだ。なんともばかばかしいお役所の論理だが、民間の研究者たちや国外の情報によれば、プルトニウムはすでに検出されていて、東京にも飛散してきている。もうどこにも逃れようがない、悲惨な事故である)

電力会社と国に反対すれば、どんな結果になるかを見せ付けられた、青森県や宮城県、佐賀県の知事たちは「プルサーマル」を受け入れた。宮城の村井知事などはまだ若く、娘さんがいる。肉親に害が及ぶのを恐れて「プルサーマル」を受け入れたのも仕方がないと同情もするが、県民の命を守るためにも是非「プルサーマル」受け入れを撤回し、脱原発の方向に歩みだしてほしい。村井知事は女川原発を再開し、プルサーマルを稼動させようとしている。

さて、電力会社と国の原発政策がいかに滅茶苦茶であるかは、福島県の前知事佐藤氏のことを書いた週刊誌の記事を引用する。多くの国民がこの滅茶苦茶さを知ってほしい。こんな滅茶苦茶な人たちに自分たちの命をゆだねて、安心して生活できるのかということを多くの国民が知れば、時代の方向も変わるのだ。

以下は引用。

佐藤栄佐久・前福島県知事が告発 「国民を欺いた国の責任をただせ」(週刊朝日 3月30日)

 福島第一原子力発電所の事故は周辺の土壌や海水からも大量の放射能が検出され、世界を震撼させる事態となっている。原発の安全性に疑問を持ち、一時は東京電力の原子炉17基をすべて運転停止に追い込んだこともある佐藤栄佐久・前福島県知事(71)はこう憤る。「諸悪の根源」は経済産業省であり国だ──。

 今回の事故の報道を見るたびに、怒りがこみ上げてきます。一部の識者は「想定外の事態だ。これは天災だ」というような発言をしていましたが、だまされてはいけません。これは、起こるべくして起こった事故、すなわち“人災”なのです。

 私は福島県知事時代、再三にわたって情報を改ざん・隠蔽する東電と、本来はそれを監視・指導しなければならない立場にありながら一体となっていた経済産業省に対し、「事故情報を含む透明性の確保」と「原発立地県の権限確保」を求めて闘ってきました。しかし、報道を見る限り、その体質は今もまったく変わっていないように思います。

 端然とした表情で語る佐藤氏の自宅は福島県郡山市内にある。地震から2週間以上経過した今も石塀は倒れたままになっているなど、爪痕が生々しく残る。もともとは原発推進論者だったという佐藤氏が日本の原子力政策に疑問を抱き始めたのは、知事に就任した翌年の1989年のことだった。

 この年の1月6日、福島第二原発の3号機で原子炉の再循環ポンプ内に部品が脱落するという事故が起きていたことが発覚しました。しかし、東電は前年暮れから、異常発生を知らせる警報が鳴っていたにもかかわらず運転を続けていたうえに、その事実を隠していました。県や地元市町村に情報が入ったのはいちばん最後だったのです。

 いち早く情報が必要なのは地元のはずなのに、なぜこのようなことがまかり通るのか。私は副知事を通じ、経産省(当時は通商産業省)に猛抗議をしましたが、まったく反応しませんでした。

 日本の原子力政策は、大多数の国会議員には触れることのできない内閣の専権事項となっています。担当大臣すら実質的には役所にコントロールされている。つまり、経産省や内閣府の原子力委員会など“原子力村の人々”が政策の方向性を事実上すべて決め、政治家だけではなく原発を抱える地方自治体には何の権限も与えられていないのです。 

 国や電力会社は原発に関して、地元自治体を「蚊帳の外」にしただけではないという。佐藤氏が「8・29」と呼ぶ事件がある。2002年8月29日、原子力安全・保安院から福島県庁に「福島第一原発と第二原発で、原子炉の故障やひび割れを隠すため、東電が点検記録を長年にわたってごまかしていた」という恐るべき内容が書かれた内部告発のファクスが届いたのだ。

 私はすぐに、部下に調査を命じました。だが、後になって、保安院がこの告発を2年も前に受けていながら何の調査もしなかったうえに、告発の内容を当事者である東電に横流ししていたことがわかったのです。

 私の怒りは頂点に達しました。これでは警察と泥棒が一緒にいるようなものではないか。それまで、東電と国は「同じ穴のムジナ」だと思っていましたが、本当の「ムジナ」は電力会社の奥に隠れて、決して表に出てこない経産省であり、国だったのです。 

 この事件で、東電は当時の社長以下、幹部5人が責任をとって辞任し、03年4月には、東電が持つすべての原子炉(福島県内10基、新潟県内7基)で運転の停止を余儀なくされました。

 しかし、保安院、経産省ともに何の処分も受けず、責任をとることもありませんでした。

 それどころか、福島第一原発の所在地である双葉郡に経産省の課長がやってきて、「原発は絶対安全です」というパンフレットを全戸に配り、原発の安全性を訴えたのです。なんという厚顔さでしょうか。

 今回の事故でも、記者会見に出て頭を下げるのは東電や、事情がよくわかっていないように見える保安院の審議官だけ。あれほど、「安全だ」と原発を推進してきた“本丸”は、またも顔を出さずに逃げ回っています。

 さらに、佐藤氏は3月14日に水素爆発を起こした福島第一原発3号機で、「プルサーマル」が行われていたことに対し、大きな危機感を持っているという。

 なぜメディアはこの問題を大きく報じないのでしょうか。「プルサーマル」とは、使用済み燃料から取り出したプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を使う原子力発電の方法で、ウラン資源を輸入に頼る日本にとって、核燃料サイクル計画の柱となっています。

 これに対して私は98年、MOX燃料の品質管理の徹底をはじめ四つの条件をつけて一度は了解しました。

 しかし、判断を変え、3年後に受け入れ拒否を表明することになりました。

 福島第一とともにプルサーマルの導入が決まっていた福井県の高浜原発で、使用予定のMOX燃料にデータ改ざんがあったと明らかになったからです。

 そして、核燃料サイクル計画には大きな欠陥があります。青森県六ケ所村にある使用済み燃料の再処理工場は、これまでに故障と完成延期を繰り返しており、本格運転のメドがたっていません。この工場が操業しない限り、福島は行き場のない使用済み燃料を原子炉内のプールに抱えたままになってしまう。今回の事故でも、3号機でプールが損傷した疑いがあります。これからも、この危険が残り続けるのです。 

 昨年8月、佐藤雄平・現福島県知事はプルサーマルの受け入れを表明し、30日には県議会もこの判断を尊重するとの見解をまとめました。このニュースは県内でも大きく報じられましたが、その直後、まるで見計らったかのように、六ケ所村の再処理工場が2年間という長期にわたる18回目の完成延期を表明したことは、どれだけ知られているでしょうか。

 福島第一原発の事故で、首都圏は計画停電を強いられる事態となっています。石原慎太郎・東京都知事は00年4月、日本原子力産業会議の年次大会で、「東京湾に原発をつくってもらっても構わない」と発言しましたが、この事態を見ても、同じことを言うのでしょうか。

 私は06年に県発注のダム工事をめぐり、収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕されました。控訴審では「収賄額はゼロ」という不思議な判決が出され、現在も冤罪を訴えて闘っている最中です。その経験から言うと、特捜部と原子力村の人々は非常に似ています。特捜部は、自らのつくった事件の構図をメディアにリークすることで、私が犯罪者であるという印象を世の中に与え続けました。

 今回の事故も重要な情報を隠蔽、管理することで国民を欺いてきたと言えるでしょう。今こそ国の責任をただすべきときです。 (構成 本誌・大貫聡子)
(引用終了)

≪参考≫
佐藤栄佐久氏が福島県民の安全のために国などに物申しし、その結果どういうことになったかを田中良紹氏が詳しく書かれています。ぜひお読みください。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/04/post_254.html(天罰)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月22日 (水)

原発文学

日本文学―源氏物語にせよ、谷崎の「細雪」にせよ、川端の「雪国」にせよ―は、西洋文学的な意味では見せ場もなければ、盛り上がりもなく、思想もない文学である。春になったら花見に行って、夏になったら涼みに行って、秋になれば紅葉狩り、冬になれば雪が降るという年中行事とその永遠の繰り返し、そしてその舞台の中での「もののあはれ」と自然と人間の交情が描かれているだけ。だが、こういう日本文学の「もののあはれ」という伝統が3.11以降、本当に大事になっている。人為的ミスによる原子力事故の目に見えない恐怖が突然人々の日常生活と幸せを奪うということがわかった3.11以降、日常生活の中の「もののあはれ」を描く日本文学の伝統が、今こそ求められている。

原子力推進派の政治家、官僚、財界人は、文学なんて一銭の得にもならなければ、誰の腹も満たさない、というだろう。「もののあはれ」の文学よりも、過疎の町に原発を建てれば、(放射能被爆する下請け労働者も含めて)3万人の雇用を生むんだ、とうそぶくだろう。

だが、日常生活の幸せな営々の繰り返しが明日も続く保証がない、突然放射能の恐怖によって断ち切られることがわかった今こそ、「もののあはれ」の文学の大切さを認識すべきだ。

ただし、3.11以降の文学は、もう以前の文学と同じではない。広島、長崎の後に「原爆文学」があったように、3.11以降は「原発文学」があるし、それに取り組むのが文学に携わるものの義務だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月20日 (月)

1000万人署名にご協力を

坂本龍一さん、内橋克人さんなどが呼びかけ人となって、脱原発の署名を呼びかけている。日本での脱原発の真のオピニオンリーダーたちの呼びかけのなので、この運動はぜひ大きなうねりにしたい。

音楽界、出版界を始め、原発の悪口を言い、電力会社の不機嫌を招くことがどれほど恐ろしいことかは、その業界に関係する人ならみなわかる。すぐに仕事を干されるからだ。

そのような中で反原発をずっと主張してきた硬派な人たちの呼びかけで、日本のエネルギー政策と社会の大きな転換になってほしい運動である。

署名はこちらのホームページから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月18日 (土)

若い人たちに何を残すのか

私たちは高度経済成長の過程で、水俣病のような化学物質による公害病などを引きおこし、環境を汚染してきた。そして今は、何十年、何百年たってもきれいにならない汚染された大地を次の世代に残そうとしている。

その時代その時代に生まれてくる子供たちは前の世代が残してきたもののただ中に生まれ、そこに育っていく。その環境を受け入れ、そこにあるもので生きていかなければならない。

子供たちや若い世代の人たちをいとおしく思う普通の心の持ち主であれば、よりよい環境、彼らが安心して暮らせる環境を残してやりたいと思うのではないだろうか。

だが、なぜ原発を推進し、その仕組みの中で自分たちだけが儲かる仕組みを作ってきた人たちは、そのような人間らしい感情もなく、苛酷な環境と放射能という猛毒を子供たちや若い世代に押し付けようとするのだろうか。

おとなしいといわれている日本の若者たちもさすがに変わってきていると思う。声を上げなければ、自分たちは醜い大人たちのエゴの犠牲になり、悪いものを押し付けられる。そう気づいた若い人たちが、今までにない形で抗議の声を上げ、彼らのやさしいやり方で世の中を変えようとしている。

敵の力は強く、彼らは手にした利権を手放そうとはしない。どのように彼らに対峙するのか。銃を向けるものに対し、その銃口に花束を差し込んでやろう。現世利益主義者の彼らは、そんな花など馬鹿にするだろうけど、最後は愛と平和の思想が対立を超え、多くの人の心を捉えるはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

イタリアの脱原発

イタリアの国民投票で、原発を廃止することが決まった。ヨーロッパの主要国ではドイツ、スイス、オーストリア、イタリアなどが脱原発を決めた。ヨーロッパの人たちは、ヨーロッパ連合を作り通貨を統一するなど、時に無謀にも見える理想主義を追求していく。今度の脱原発の動きも彼らのそうした理想主義がなせる業だろうが、今世界をひっぱていくのは、そうした理想主義なのではないだろうか。

電気が足りなくなるだの、自然エネルギーなんて使い物にならないなんてぐずぐずいっていないで、日本でも草の根市民レベルから原発廃止の風を起こして、国の命運を変えていかなければいけない。

もちろん、日本では一握りの政治家、官僚、経済界の人たちが国を動かしているのであって、草の根レベルの力はでは国を動かすのにまだまだ足りない。

われわれの力の無力さを自覚し、敵の力がまだまだ圧倒的に強いことを意識しつつ脱原発の力を大きくしていかなければならない。

原発推進派も、いま力を入れだしている。今日の朝日新聞で大江健三郎氏が中曽根氏の発言を引用している。この発言は、反原発派の人たちもしっかり胸に刻んで、脱原発が日本ではいかに容易ではないかを自覚し、困難な闘いに改めて腹をくくる覚悟を促すものだ。

以下、引用。

「大変な被害を受けたけれも、今度の事故にかんがみて、よくそれを点検し、これを教訓として、原発政策は持続し、推進しなければならない。それが今日の日本民族の生命力だ。世界の大勢は、原子力の平和利用、エネルギー政策を否定していない」

大江氏はベルリンの新聞記者からこう聞かれたそうです。

「再びフクシマがおきても、君たちは、日本民族の生命力は不滅というのか?」

若い世代の人たち、子供たちが安心して住める、日本を作るために何が必要なのか、国民一人ひとりが考え、正しい選択をして、行動すべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月13日 (月)

管さんがんばれ

管さんが首相をやめさせられることになったのは、電力業界の巻き返しなのではないかと思っている。菅氏がずっと首相の座にいれば、原発ができなくなるのでやばい、ということで、原発推進派の議員も相当動いているはずだ。

菅さんはもともと市民運動の中から出てきた政治家だ。政治の世界の中で汚れてしまったのかもしれないが、市民感覚を持ち、金権政治には反対し、心の中では原発は賛成できないものだと考えてると、私は信じたい。

原発推進派に担がれた人が首相になるよりは、ぜひ管さんにがんばってもらい、浜岡以外の原発も順次止めていってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月11日 (土)

青森の県知事選

青森の県知事選は、原発推進派の知事が当選し、大変残念な結果になった。今なお進行中のフクシマの悲劇を見ても、青森の人は原発に執着することを選択したのだ。これは地元青森の人の民意で、民主主義の結果であるのだから仕方がないのか。問題は2つある。

1つは、民主主義は最良の政治形態であるとはいえないこと。むしろ衆愚政治に陥る危険を常にはらんでいる。

2つ目は、投票率40パーセントで民主主義といえるのか。ご存知のとおり、投票率が低くなればなるほど、組織票が有効になる。何が何でも選挙に行く(行かされる?)人たちといえば、建設業界、電力関係者、宗教団体だ。こういう一部の人たちに押された人が、正当な民主的な選挙のプロセスを経て選ばれたといってよいのか。

原発については、青森に住んでいない人間にも一言言わせてもらう権利がある。原発事故はひとたび事故が起これば、原発を推進したものであろうと、反対したものであろうと、どこに住んでいようと(距離による多少の違いはあれ)、被害をこうむり、幸せな生活をめちゃくちゃにされるからだ。

「人に迷惑をかけないのであれば、自由に自分の好きなことをやってよい」というのが、自由主義社会のルールだが、原発はその逆で「反対していた人、無関係な人にも、健康被害をもたらし、人の生活を不幸にする」。

原発で儲けていた、官僚、学者、政治家、電力関係者、ウランを採掘し運んでくるのにかかわった商社などの業界の人たちだけが、健康被害にあい、不幸な目にあうのであれば、原発を作ろうが、どうしようが構いないが、原発は無関係な人をも巻き込む社会的不正義である。これが許せない。

さらに、フクシマの事故直後に東電幹部の家族が東京をいち早く離れているように、推進派の人たちは何かあったら真っ先に逃げられる準備をしているのも許せない。何も情報を知らされない庶民は、知らずに留まり被爆させられるだけである。太平洋戦争の末期に、ソ連軍が進行してくることをいち早く知った関東軍の幹部がいち早く家族を逃がし、満州の開拓民は塗炭の苦労をして帰国した。

歴史は繰り返されるのか。そして日本の歴史を考えたとき、日本は自分から自分を変えることができず、外からの力で変わってきた。原発を自分からやめる力が、この国にはやはりないのだろうか。

青森の人も、仕事がない苦労はよくわかる。だが、原発の代わりに自然エネルギーの工場が立地すれば、その恩恵で建設の仕事も入り、施設維持で地元民の雇用も長く続く。そして、施設に納入する商店街の仕事だって出てくるだろう。自分たちの健康や子供たちの健康を損なってまでも、東京の官僚や政治家に金を儲けさせていい思いをさせてやる必要などないのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 5日 (日)

産経新聞の記事

中学生の娘が、社会の授業で新聞スクラップをするので、新聞がほしいといったので、夜遅くコンビニに行ったが、産経新聞だけが一部残っていた。その産経新聞の記事(6月4日付)によると,福島の浪江から東京に避難した人が,福島ナンバーの車に乗っていると、「お前らのせいで、めちゃめちゃにされた。どうしてくれるんだ」と罵られたと言う。

もちろん、福島の人が東京の人の加害者ではなく、東京の人の為に犠牲になったのは福島の人なのである。だが、これがある種の人たちの本音のかもしれない。

今日は青森で県知事選が行われている。青森の地元では、中断されている原発建設工事を早く行ってくれと申し入れている人もいる。だが、もし万が一(想定外の)ことが起こったのなら、「やっぱり、ああいうものは青森に作っておいてよかったな」と言われて片付けられてしまうのだ。そんなに安全なものであるなら、何故国会の隣だとか、電力本社の地下に作らないのだろうか。切り捨てられるのは、青森の人なのだからなんとか青森の人たちが、今度の福島の事故で目覚めて行動に移ってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 1日 (水)

鎌仲ひとみさんの発言

鎌仲監督は「ヒバクシャ」「六ヶ所村ラプソディー」「みつばちの羽音と回転」というドキュメンタリー映画で核の問題を取り扱ってきた人だ。六ヶ所村に再処理工場というとんでもないものが出来、子供の好きな三陸産魚介類が食べられなくなるかもとわかってから、鎌仲さんの映画を見て問題点が何かを勉強してきた。その鎌仲さんの最近の発言が注目されている。ぜひ、鎌仲さんの発言内容が多くの人に伝わってほしい。

************

鎌仲ひとみ監督トークin東本願寺
http://www.youtube.com/watch?v=h3H2zjCkfeY&feature=player_embedded

************

時間がない、動画は見られない、という方たちのために、文字起こしをしました。完全に正確なものではありませんし、途中までですが、ぜひともお読みいただければ、と願っています。

以下、書き起こし・・・

「直感」・・誰しもが持っている。

でもテレビに自分の好きな女優さんあこがれの俳優さんが出てきて、原発はCO2も出さないし、私はいいと思います!というと、どうですか?

原子力プロパガンダ、そう私は呼んでいるが、

東電は年間270億円も使ってあらゆる文化人、俳優、女優、タレントを使って
「安心です」「クリーンです」と原発に対していいことしか言わない、原発に対して批判的な人はテレビに出さない。ということをやり続けてきたので、
この人がこう言ってるんだから、と
皆さんの「直感」、というものが簡単にどこかに行ってしまっているのでは?

情報操作をされているのでは?実際これまでされてきたんです。


イラクの子どもたちのことを編集してNHKのプロデューサーに見せたら、「・・アメリカの言ってることと違う!」

プロパガンダを作っているメディアの人たち自身が自分自身を染め上げていて、そこからはみ出そうとしない、というのが大きな壁。

もうひとつの困難は、

情報操作が意図的にわれていて、それは非常に美しく巧妙に行われているために、それに身をゆだねるとみんなそうだから非常に心地がいい。

その心地よさの中で
「・・これはひょっとしたらまずいんじゃないか、あぶないんじゃないか、命に関わることなんじゃないかな、でもそんなこと怖くて言えないよ、だってみんなそうだって言ってるんだもん!!」という風になっている。

そんな中で、「いや、やっぱりそれは違う!!」というと、

「あら、あの人なんか、宗教でも始めたのかしら?」
(会場笑)・・本当にそうですよ。
巧妙に、「共産党じゃないかしら?」とか
「ちょっと変わってるのよねぇ。」

貧乏くじを引くのです。

原子力を研究する業界の中で、「こっち(原子力)にすすめるべきではない」、と言い続けていた人たちは、すべて出世できていません。そればかりか迫害される。

立命館大学の平和研究所にいる安斎(育郎)先生は、かつて東大にいて、原子力の研究をしていた。彼が「原子力は危ない、慎重にやらなくてはならない」といったとたん、

彼の職場でだれ一人として彼と口をきかなくなった。11年間そこにいて、誰とも口をきくことなく、そこをやめた。

今ちょっとテレビやラジオで意見を聞かれている小出(裕章)先生は、「六ケ所村ラプソディー」にも出てらっしゃいますけど、彼もはっきりと原子力の危険を言っていますが、もう60に近いのに助手。助教授にすらなれていない。

つまりこの日本で原子力に異を唱えるということは、経済的な貧乏くじを引くということ。何の得にもならない。それでも自分の『直感』にしたがって生きるのか?

となると一定の覚悟が必要となる。


私たちに求められているのは覚悟、だと思う。


その覚悟の中身はどんなものか?


森達也さんという映画監督、彼の作品を尊敬している。

地下鉄サリン事件を扱った映画
の中で、どうしても忘れられないシーンがある。
今回の福島の事件でもこのシーンを思い出した。

サリンを吸って階段で倒れたり苦しんだり、くの字になっている人たちを、

次のサリンをまかれなかった電車がついてばーっと降りてきたサラリーマンが、
「ちっ、」といって苦しんでいる人たちをまたいで、仕事に急いで行ってしまったんです。

善なるもの、「会社員として会社に遅刻してはいけない」ということが、そこに倒れている人にどうしたんですか?だいじょうぶですか?と声をかけることより優先する、そんな社会に自分は生きていて、

これは恐ろしいことだな、と思いました。


今回よく、テレビに出てくる原子力保安院の人たちとも「六ケ所村ラプソディ-」を創る中で密接にお付き合いがありました。
みんなとてもいい人たち。良いお父さんなんだろうと思う。

わざとこういうことを起こしたわけではない、とも思っています。


でもたとえば、去年の夏、福島に行ったんです。

福島3号機にプルサーマルを受け入れるという。市民グループと抗議に行きました。

福島県原子力安全管理課 課長が出てきた。

すっごい見るからにいい人。善良な人なんだろうな~というような雰囲気がにじみ出ている。

そのかたに、「今回、こんな古い原子炉にプルサーマル燃料を入れてしまって、もし、核が暴走したら、どうするんですか?そのために設計した原子炉でなく、これまでも不具合が起きているのに、大丈夫なんですか?よしんば事故を起こさなくても、出てきたら、これまでと全く違う毒性の高い、どこに持っていくともきまっていない使用済み核燃料が出てくる。50年もプールで冷やしておかなくちゃいけない。そんな危険なものを福島に持ってくることを、福島県民にちゃんと説明したんですか?」

黙って、うつむいて、一言も返していただけなかった。

彼は無力・・を感じていたんですよね。


なんで、じゃあ、受け入れたのかというと、

「7月までに受け入れた自治体には20億円(※正しくは25億円)やるよ」、と経産省が言ったんです。
7月までに受け入れなかったら20億円やらない、と。(会場、ざわざわ)

それまで抵抗していた原発を持っている自治体が、じゃあしょうがない、と受け入れた。

その20億円の引き換えに差し出したものは何なのか、

県民の命ですよ。


福島県知事の前の佐藤栄佐久前知事がプルサーマルを撤回したとたん、
収賄疑惑をかけられ、側近が3人自殺しました。

彼の妹は着のみ着のままつれさられ、1週間帰ってきませんでした。持病もあり息も絶え絶えで帰ってきた。

彼が自分の罪を認めなければ、こんな犠牲が続くと判断して、彼は自分の身に覚えのない収賄罪を認めて、有罪になりました。
それは、「知事抹殺」という本に書かれています。


そういうことが現実に行われていて、見て見ぬふりをする人たちがたくさんいて、この土台・・原子力は絶対すすめる、原子力は絶対安全・・という土台、テーブルの上でしかものを言えない ということが横行してきたんですね。

それを一生懸命進めている人たちは、倒れている人たちをまたいでいく、仕事熱心で、まじめな、自分の家族のために一生懸命稼いで働く、そんな人たちなんですね。

それは、私だ、と。



わたしは「六ヶ所村ラプソディー」を作ったときに、
この劣化ウラン弾を生み出してきたのは、私が日本で電気を使う暮らしだったと気がついたときに、

イラクの子どもたちを殺しているのはだれだ、

私だった。

私がそこに加担していたのだと気づいたときに、

私が私自身を撃たなければいけない、と

それはすごく難しいことなんですね。

今たくさんの人が、「放射能がこんなに出ても安全だ」と、本気で信じているとは思えないんですけど、そう信じたほうが、今までの暮らしをあきらめなくていいから、

ただ、だまされたふりをしているだけなのかも、しれない。

でも、私たちは、

メディアリテラシー、エネルギーリテラシー、

メディアを読み解く力、エネルギーについて学ばないと、
自分のいのちを守れないと、思うんですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »