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2011年4月28日 (木)

チェルノブイリ事故

政府は今回の福島原発の事故が、いかにチェルノブイリの事故に比べたら、軽微なものかを盛んにアピールしているが、私は、チェルノブイリと同等の世界最悪の原発事故だと思う。

チェルノブイリの事故から5年位後、現地に入って取材した日本人ジャーナリストがいて、その方が当時の櫻井よしこさんの報道番組で現地で起こっていることを報道していた。その映像を見て知ったのだが、チェルノブイリで爆発があった後に、現地入りした国際原子力安全委員会の責任者は広島大学の「重松」という日本人だったそうだ。

国際原子力安全委員会は

・放射線量の高い危険なところへは自らは立ち入らず

・外国から食材を携えてきて、現地のものは口にせず

早々に安全宣言をしたそうだ。

その結果、4年、5年たつにつれて小児の甲状腺がんや白血病などが増加した。地元の人は何故、食べ物や土地が危ないと警告してくれなかったのかと憤っているそうだ。

私は、日本人はナチスに追われたユダヤ人を逃がした外交官のように、正義を重んじる高潔な人も多いのだと思っていたが、チェルノブイリ直後に安全宣言をした国際原子力委員会の団長が日本人だと知って残念だ。

この映像は多くの人に見てほしい。若い櫻井よしこさんを見たい人も歓迎だ。ここにリンクを張っておく。

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2011年4月26日 (火)

菜の花

いま畑では、あぶら菜科の植物が一斉に菜の花になって黄色い花を咲かせている。本当なら、3月の頃、花芽を摘んで食べていたのだが、今年は地震や原発事故の影響で、出荷も収穫もできなかったので、そのままになってしまったのだ。

さて、チェルノブイリ事故の跡地には菜の花や向日葵を植えて、土壌汚染を取り除くというプロジェクトがある。これは、菜の花などが放射性物質を吸収する性質があるからだそうだ。

それを聞いたので、わが家でも、今咲いている菜の花が実を結ぶくらいまでほおって置いて、それを刈り取り集めておけば、土壌中の放射性物質はかなり除かれるのではないかと思うのだ。菜の花と共に、表土も少し削り、そのあとに徐々に野菜を植えていくという計画を立てている。

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2011年4月23日 (土)

学校での放射線量

学校で子供たちが浴びてよいとされる放射線量が年間20ミリシーベルトと決まりました。この数字がどのような経緯で決まったのかが大変よくわかる動画がこちらです。

動画はここをクリック

ここには福島県の「やまなみ農園」のお母さん幸子さんが登場します。「やまなみ農園」は東北では一番の自然農の実践農家で、何十年の活動の中でこの農場で研修生として学び各地へ旅立った人たちがたくさんいます。

私も仙台にいた頃1年間、学びの会に参加して、たくさんのことを学ばせてもらいました。幸子さんは、何事にもパワフルで本当に尊敬できる人です。その幸子さんのやまなみ農場は福島の飯館村の隣、川俣町にあり、これまで築き上げてきたものがあの事故で台無しになってしまいました。5人のお子さんのお母さんでもある幸子さんの苦しみ、福島の人たちが置かれている人たちの苦しみが伝わってきます。ここ、宮城でもそうです。余計なことでみなが苦しんでいます。

ソフトバンクの孫さんが、私財10億円を投じて「自然エネルギー財団」を作りました。いまAUの携帯を持っていますが、ソフトバンクに乗り換えようと思っています。孫さんと比べたらほんのわずかな私のオカネですが、意志をもったいいオカネの使い方をすれば、世の中は変わっていくはずです。

孫さんは、独占だった電話に自由競争を仕掛け風穴を開け、結果的に以前よりも楽しい世の中を作ることに貢献してきた人です。電話線を独占していて、無理だろうと思われていた電電公社の独占が崩れたのです。

今、電気は電線を独占している電力会社から買うしかありません。原発をやっているそんな会社からは買いたくないと言っても、他からは買うことが出来ないのです。しかし、孫さんが太陽光発電の新しい電力会社を作り、電線の独占をみんなでやめさせれば、私は孫さんの会社から電気を買いたい。

今まで、無理だと思っていたことでも、実現するのです。

孫さんの会見はここから見れます。

この会見が「自由報道協会」主催というのがとてもいいです。記者クラブ所属の「朝日」「読売」など、大本営発表をそのまま流している大新聞はもう今後信じません。

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2011年4月19日 (火)

天気予報で言っていたとおり、今日は夕方から雪が降り始めた。数日前は初夏のような暖かさだったから、この気温の変動は激しい。最も、東北ではゴールデンウイークあたりまで雪が降ってもおかしくないのだから、驚くべきことでもないのかもしれないが。

宮城県の南部で自然農や有機農業をやっている人たちのグループが、東京電力に要望書を提出に行った。自分たちの野菜や畑が果たしてどれくらい汚染されているのか客観的な事実を知りたいと考えてのことだ。そのような検査を自分たちでやろうとすれば、費用もかかるし、そして今頼んでも順番待ちだそうだ。工業製品でさえ、日本から輸出する際には放射能の値を証明させられる時代だ。

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2011年4月17日 (日)

子供たちを放射能から守る

お隣の丸森町の有志が、教育委員会に校庭の放射線量の調査や、屋外での活動には気をつけてほしいなどの要望書を出した。その動きを参考にさせてもらい、ぜひ角田市でも事実として学校がどれくらい汚染されているものか知りたいので、申し入れをしたいと考えている。

関心がありそうな人たちに声をかけたら10人以上の方が集まってくれて、情報交換や意見交換をすることが出来た。政府は放射線に関する各種の基準値をこの事故以来上げてきているので、その範囲では学校も安全ですよという、結論をはじめから用意していて、宮城県をはじめ各市町村も、国が安全だといっているのでなんら問題はないということで済まそうとするのだろうが、子供たちのために何も行動しないで後悔するよりは、何か行動を起こした方がよいと思っている。

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2011年4月14日 (木)

入学式・始業式

大震災で学校の開始が遅れ、思わず長い春休みになったが、今日中学校の入学式、小学校の始業式があった。

長女の入学式では,割り当ての順番が回ってきたため,新入生を代表して『誓いの言葉』を述べることになり,聞いている親も緊張したが、落ち着いてしっかり述べることが出来た。中学校となると親も初めての経験で勝手が分からず不安が多い。でも、子どもはそんな不安を感じさせず、堂々とやってくれそうだ。

次女の小学校では、学校全体で福島県から4人の転校生がいたそうだ。原発事故の影響がこんなところにも出ているのに改めて気づかされた。

こちらでは、原発や放射能のことは、引っかかっている人はいるのだろうが、表面的には一切誰も口にしないまま日常が過ぎていく。農作業にあまり気乗りもしないまま、暖かくなり季節はどんどん進んでいく。あと10日もすれば早い人は田植えを始めるだろう。

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2011年4月11日 (月)

水道

役場からは何の連絡もなかったが、夜蛇口をひねってみると水がちょろちょろと出た。これで、久しぶりに風呂に入れると喜んで風呂をたいた。ただし、水は頼りないくらいしか出ない。やっと風呂に水をためて、家族のものが気持ちよさそうに風呂に入った。さて、私も体がかゆいので風呂に入ってこよう。

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2011年4月 9日 (土)

余震

なんだかいつも揺れているような気がする。これを『地震酔い』というのだそうだ。実際にあの大震災以来余震はものすごい数が起こっている。おとといの晩は震度6の余震が起こり、また水道がとまってしまった。

給水所に水をもらいに行く生活がまた再開したが、しかし、このサバイバル生活にもずいぶん慣れてしまって、あんまりなんとも思わなくなった。出かけることもなく、むだなおカネもあまり使わなくなった。

しかし東北以外の地域がこれではいけないので、是非ほかのところでは花見など一年にいっぺんの楽しい年中行事で盛り上がってもらいたい。サッカーも南米選手権を辞退したそうだが、アルゼンチンに再考をもとめられたそうだ。こんな時期だからこそ、プロのスポーツを見たいという人もいるだろうから、あまり自粛せずやってほしいものだ。

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2011年4月 6日 (水)

丸森町で会議

私が住む角田市のお隣の丸森町は、宮城県で一番南、すなわち福島に一番近いところ。自然が豊かで、その自然の豊かさを慕ってよそからの移住者が多いところだ。環境問題などにも興味がある人が多く、自分たちから行動を起こす人たちだ。

その人たちが、子供たちを放射能汚染から守る為にということで、教育委員会に学校などの放射能汚染のモニタリングなどを申し入れた。

そういう活動に関する集まりがあったので参加させてもらい、いろいろ有意義な見聞を得た。
お隣の丸森に比べるとこちら角田ではほとんど活動がないように思える。
野菜や土壌の汚染度も調べていないし、調べようという動きもあるように思えない。
学校の安全度についても無関心の様だ。これでは南風の日に外で体育を一斉にやらせるなんてことになるのではないだろうか。

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2011年4月 2日 (土)

お手伝い

お隣の山元町は今回の地震で津波に襲われ500人以上が亡くなった。その山元町に、知り合いがいる。原発関係の活動でも一緒になる機会が多かった人だが、被災されて、家が津波にやられてしまった。本人と家族は無事だったのでほっとしたが、話を聞くと、地震が来てすぐ家に戻りお父さんと子どもを車で避難させたそうである。もしその避難が20分も遅れていたら、というきわどいタイミングだったそうだ。

今日はその方の家に行って使える荷物を運び出し、仙台に新しく借りたアパートに送るお手伝いをした。周りの家や苺のビニールハウスもなぎ倒され見る影もないすさまじい光景だ。家の1階は津波で蹂躙され、泥まみれの家財道具が散乱している。

新しいアパートで使えるこたつやストーブ、子供さんの学校の制服、お仏壇などを運び出した。仙台のアパートはどうしたのかと聞くと、普通に不動産屋に借りて敷金なども払ったという。被災した人にはなんともむごい現実だ。新しい生活がなんとか軌道に乗ってほしいものだ。

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