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2011年3月29日 (火)

内橋克人さんの発言

NHKのラジオで内橋克人氏が発言していた。内橋さんは市場経済至上主義の後を見据えて「共生」などをテーマに著作している評論家だ。内橋さんは、原発が絶対安全だと言い切ってきた東電・政治家・学者等の責任を厳しく追及しなければならないと発言していた。そして、彼らが「狭い日本の国土でこれほどたくさんの原発を作り、万が一事故が起こった場合どこにも避難するところがなくなる」というアメリカの権威ある学者の警告を無視していたことを指摘していた。

原発の安全神話を作るために彼らがやってきた3つの方法を紹介していた。

1.テレビや新聞などで原発に不利な発言や記事を載せると「電気事業連合会」から抗議書が届く。それにより実質的に言論の自由が奪われてきた。

2.小学校などで、いかに原発がよいものかの授業があり、その授業について成績の評価も行われる。(我が家の子ども小学校にも原発推進のポスターが張ってあった。果たして学校にそのようなものを持ち込んでよいのだろうか)

3.著名な文化人や女性キャスターなどを登用し、原発の施設に連れて行き、綺麗な中央制御室の前でヘルメット姿で撮影し、彼らにいかに原発が綺麗で安全であるか語らせる広報誌をたくさん作る。(中央制御室の裏側の危険なところで作業をしている下請け会社の作業員のことは一切ふれられない)

原子力安全委員などのあのような人たちは、一体どんな役割をしているのだろうか。気軽な天下り機関のように私には思える。内橋氏が紹介していたことだが、島根原発の地元民の公聴会で、地元の人が「私は小さな子供が2人いる母親だが、原発で万が一のことがあれば一体どのようにして逃げたらよいのか」と質問したところ「質問は受けたまわりました」とだけ答えたという。つまり「聞く」ことだけが仕事で、住民の立場にたって不安に答えたりするのは仕事ではないそうだ。

一度決めてしまったら、破滅するまで後には引けなくなってしまう。おかしいと人々が少しづつ思い始めていても、「絶対に大丈夫」という狂信にひきづられてしまう。これは日本人の体質なのだろうか。地震直後のどこにも出られないで家に閉じこもっていた時「聞けわだつみの声」(岩波文庫で入手可能)を読んだ。「大東亜戦争」も「日本中に原発74基建設」も同じような狂気としか思えない。

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2011年3月28日 (月)

ボランティア

昨日は、地元の農協青年部のメンバーと一緒にお隣の山元町で、温かいそばの提供を行うボランティアを行った。山元町は太平洋岸の町で今回の津波で被害を受け町内の小学校や役場が避難所になっている。我々は2箇所を回り、被災したひとたちには喜んでもらったと思う。また綿飴マシーンも持っていったので、小さい子供たちにも喜んでもらえたと思う。

帰りに海岸沿いに回り見て帰ってきたが、この目で見た被害の様子はすさまじい。田んぼの中に、車や自動販売機、家から流された様々なものが散乱している。その散乱しているものがどこまで散らかっているかを見ると、あの日津波がどこまで来たのかがわかる。家屋も潰されていたり、かしいでいたり、ガラスが割れていたり、泥をかぶっていたりと、すごい様子だった。この光景の前に立った被災者は、どこから手をつけていいのだが呆然としてしまうだろう。これだけの被害では、復興のめどがいつになるのかわからないというのも最もだ。

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2011年3月26日 (土)

原発について考える

テレビ・マスコミの御用学者の発言に聞き飽きた人はこちらへどうぞ。

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緊急講演会「福島第一原発でいま何が起きているのか」
講師:藤田祐幸先生(元慶應大学助教授)
いま日本を襲っている未曾有の原発震災。
福島第一原発で何が起きているのか―――
東京での調査から帰ったばかりの藤田先生にお話を伺います。
日時:2011年3月26日土曜日 午後1時30分~3時30分
【拡散希望】Ustreamでナマ中継します!!
日本全国、どのパソコンからも観られます。
会場:長崎県教育文化会館 2階大会議室(長崎県長崎市筑後町2-1)
入場無料
主催:原発なしで暮らしたい長崎の会、原水爆禁止長崎県民会議
お問い合わせ:長崎県平和運動センター(長崎市桜町9-6長崎地区労館内
●ふじた ゆうこう 氏 プロフィール
 東京都立大学理学部物理学科卒、同大学院理学研究科物理学専攻博士課程。エント
ロピー論、科学哲学専攻。慶應義塾大学物理学助教授、日本物理学会所属。物理学者
の立場から放射能が人体と環境に及ぼす影響を訴え続け原発や被曝労働の実態調査、
1990年~93年チェルノブイリ周辺の汚染地域の調査。2003年5月末からバクダッドとバ
スラに入り、劣化ウラン弾による被害状況と環境汚染を現地調査、放射能測定などを
行った。7月にイラク支援法案を審議中の衆議院特別委員会で、参考人意見陳述を行う。
 主な著書:『知られざる原発被曝労働・ある青年の死を追って』(岩波ブックレット)
『脱原発エネルギー計画』(高文研)
『原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識』(東京書籍・共著
など多数。
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遠くでやっている講演会などを、中継して発信できる「ユーストリーム」という仕組みがあり、感心している。マスコミ・政府・専門家が独占していた情報の発信力を市民が手にいれ、どんな日本の片隅からでも発信できる技術というのは、社会を変える可能性を感じる。私は、ライブで見たが、再生もできるので原発事故を考えるきっかけにしてほしい。
Live Streaming by Ustream.TV
犠牲的精神で戦った英雄達と、優秀な技術者達の献身で原発事故は収まった。だから日本の原発技術はすばらしい。明るい未来を作るために、どんどん原発を作ろうという流れにならない為に。

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2011年3月25日 (金)

ガソリン

出光のタンクローリー車がやってくるという情報をお隣のうちからもらって、朝子どもを学校に送って行った後ガソリンスタンドにいってみた。
店は10時からということだが、早めに行ってなんだ誰も並んでないじゃないかと思ってはじめは喜んでいたら、よくよく見ると道路の向こう側にはもうすでに車がびっしり並んでいる。どこが列の最後だろうとたどっていくがどこまで行っても終わりが見えない。
ガソリンスタンドから6,7キロ先だろうか、ようやく列の最後が見えた。バカらしいので帰ろうかと思ったが。思いなおして列の最後に並んだ。
夕方ごろまでには帰れるだろうかと思って、エンジンを止めひざ掛けをして本を読んで気長に待っていた。
そのうち列がゆっくり進みはじめお昼ごろには4000円分入れられて、案外早かったなという気分で家に帰った。
とりあえず入れられたのであるから、本当にひどい被災地と比べればずいぶん恵まれた状況であるし、事態は改善しつつあるという実感だ。

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2011年3月23日 (水)

卒業式

延期になっていた小6の娘の卒業式が今日あった。このような状況なので簡素の式であったが。学校の先生方には本当に心のこもった卒業式をしてくださって、感謝している。小さな学校で、クラス替えもしないでみな小さい時から一緒なので、他の家の子供も皆大人になったと本当に感心した。証書をもらう時に、皆一言づつ自分が好きな言葉を述べていくという趣向がよかった。

家に帰ると、水道がようやく通じ久しぶりに風呂に入ることが出来た。たまっていた洗濯物も洗うことが出来た。日常生活が戻るにつけても、気になるのは原発の放射能汚染だ。事実を知り、知らないことは勉強し、どう行動すべきなのかを考えていきたい。

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2011年3月21日 (月)

雨降り

今日は雨がふるというので、外に出ないことにした。ここ数日は子供には家にいるように言っている。退屈そうで、少しいらいらしているようだ。かわいそうだ。

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2011年3月19日 (土)

避難すべきか

お隣の丸森町はいわゆる田舎暮らしを目指して移住してきた人たちが多い。環境問題などにはもともと関心と意識が深い人たちで、今回の原発事故の直後県外や国外にいち早く避難してしまった。仙台に暮らし活動をしてきた方などもそうだ。もともと原発問題にも関心や知識が深い人たちなので放射能の危険性については誰よりも敏感なのはうなづける。

政府やマスコミでは今出ている放射線の量が安全だ、安全だとくり返しているが、これは当然数字のマジックでその地で長く暮らすとなるとかなり危険なレベルではある。

わが家でも避難すべきかどうか迷っている。だが、今ガソリンが手に入らず、途中でガソリンが尽きても、そこではみな避難所暮らしで大変な生活をしているところだ。それに娘が卒業式までは絶対に逃げないという。同級生が逃げていないのに自分だけが逃げるのは絶対に嫌だという。小さな学校でクラス替えもなくずっと一緒に過ごしてきた娘の気持を考えるとそれももっともだ。

近くの直売所に野菜を持っていった。周りのスーパーなどではほうれん草1把300円などと値が上がっているようだが、この直売所では便乗値上げをせず、ほとんど100円前後の値段だ。お客さんがたくさん来ていて午前中のみで店を閉めてしまう。

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2011年3月17日 (木)

無事でした

皆様、ご心配ありがとうございます。

ここ宮城県角田市はようやく今日電気が通じ、電話も繋がるようになり、パソコンを開くことが出来ました。

我が家は、倒壊もせず、家族も無事です。

地震の直後から、我が家は比較的恵まれていました。

プロパンガスなのでガスは使えるし、まきで暖をとることもでき、食料の在庫も十分あります。

電気がなかったですが、暖かい布団で十分寝ることが出来ました。

改めて、農のある暮らしの強さを感じました。

原発の状況は注意深く見守る必要がありますが、今は薪作りや春の農作業の準備などしています。

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2011年3月10日 (木)

地震

昨日、今日と宮城県で地震があった。震度は5や4であったが、昨日は車に乗っていて気づかず、今日は朝寝ていて気づかなかった。子供たちは昨日は学校の授業中に揺れて驚いていたようだったが、周りでは全く被害が出ていない。

寒さが続いていて、今朝はうっすら雪が積った。冬野菜はなくなってくるし、春の野菜もまだ早いということで、端境期だ。トンネルを作ってその下にカブの種を播いたり、また温床の上でなす・カボチャ・ズッキーニなどの種を播いた。お彼岸まであと2週間、寒さも一段落するのだろうか。

今週末は、高校の時の野球部の監督が群馬から仙台に旅行で来ることになっている。酒を飲みながら当時の話をするのが楽しみだ。

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2011年3月 5日 (土)

チマサンチュの定植

寒さは依然厳しい。今朝は厚い氷が張った。

霜が当たらない工夫をして野菜苗を少しずつ育てている。今日はレタスの一種チマサンチュの苗を定植した。チマサンチュは韓国の焼肉で肉をまいて食べるのに使うレタスだ。チマサンチュは比較的寒さに強い。しかし、あまりに強い霜に当たればやられてしまう。そこで、定植後に日と雨を通す布をかけてやり、2週間くらい様子を見る。

2週間もすれば彼岸なので、その頃は寒さもずいぶん和らいでいると思う。収穫は5月のはじめくらいだろうか。

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2011年3月 2日 (水)

踏み込み温床

Pic_0577 踏み込み温床を作った。うまく材料が発酵し温度が上がり始めている。これまでは、電気温床で夏野菜を発芽させたり苗を育ててきたが、踏み込み温床がうまく行けば、東北電力の電気を使わずに育てられるかも知れない。

踏み込み温床は枠を作り、そこへ藁、落ち葉などの有機物を積み込み、間にぬかなどの発酵促進剤を入れる。有機物が発酵し始め温度が上がりその熱を利用して、夏野菜の苗を育てる。

ナスなどは発芽温度が30度近いので、普通ならこの時期に種まきはできない。だから電気などにより温度を得て発芽させる。今から苗を育てていると、5月の上旬に大きな苗を畑に定植でき、早くたくさん収穫できる。

踏み込み温床は昔ながらの智慧と技術だ。福島のやまなみ農園でこの技術を知ったが、ようやく似たようなものができるようになった。温度を上げるのに使った有機物は、今度は来年の苗用の用土に出来るというのも、この技術の優れた点だ。

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