土・日が雨で農作業が出来ない。代わりに教材を作っているが、ずっと机に座っているとやはりストレスが溜まる。
さて今通勤の電車の中で読んでいる本がNew Green History of the Earthだ。人類の文化誕生とともに、いかに地球の自然環境が破壊されてきたかを教えてくれる。人類の歴史とはまさに愚行の歴史だというふうに思わされる。
いろいろ考えさせる話がたくさんのっているのだが、旧ソ連がアラル海を破壊した話を紹介する。アラル海は巨大な内海で、かつては世界で4番目の大きさだった。アラル海のユニークさは、流入する川が2本で(アムダリア川とシルダリア川)、アラル海からは流出する川がないということだ。
水が入ってくるばかりでなぜあふれないかというと、中央アジアの真ん中という過酷な環境では水の蒸発が激しく、それでちょうど海の大きさが保たれていたのだそうだ。
大国や覇権主義を目指す人間の傾向は、大計画を立てて土地を人間の意のままにしようとする。ソ連は、アジアの真ん中の広大な土地を開発して綿花や小麦を栽培する計画を立てた。苛酷な環境で植物を育てるのだから水がいる。そこで、アムダリアとシルダリアが灌漑用の水として取られてしまった。アラル海は流入する水が減り、縮小し始めた。もちろん予想されていたことだが、科学アカデミーの科学者が、湖がひとつなくなったところで、何の影響もないとお墨付きを与えた。
自然を支配できるのだという、人間の夢想が一時的に実現したように思えた。ちょうど、私が中学生だった頃、地理の時間に白地図に世界の農業生産地を書き入れていた。社会科が大好きだった私は、得意になって、ソ連のところには綿花や小麦の大生産地を書き込み、植物がたわわに実る素晴らしい光景を想像していた。
大国を目指す、覇権を競う、自然を征服しようとする、大きな計画を立てる、大きな建物を作りたがる、それらはみな根が同じ私たち人類の心の宿根だ。ソ連の指導者だけを責めることは出来ないが、さて、彼らの大計画がどうなったかというと、時がたつにつれて自然の復讐を受けることになる。
まず、大型トラクターで土地を耕し素っ裸にして単一作物を播く大規模農業は、土地の荒廃をもたらし、時がたつに連れ不毛の大地を作り出す。トラクターで土地を耕すという発想は、草を農作物にとって邪魔者としかみなしていないが、実は草は表面の土壌を把持し、地下から水気を吸い上げ上空に雲を作り雨を呼ぶ働きをしている。
トラクターで土地を耕起してしまい、草がなくなると、表土は風に吹き飛ばされ、雨が降らなくなる。土は無限にあるわけではなく、植物が生え農業に適している表土は何千、何万年をかけてようやく地球の表面にできたものだ。その表土が雨や風の浸食でなくなると、もうそこは食糧生産に適さない荒れた土地になる。そして草を根こそぎにしたことにより、雨が降らなくなると、ますます表土は風でどこかへ吹き飛ばされていく。
アラル海のほうはどうなったかというと、かつての面積のもう4分の1くらいしかなくなったらしく、漁業が衰退したのはもちろん、海に住んでいた魚類やその周辺にいた水鳥たちをはじめ大量の生物たちが絶滅してしまった。淡水の流入が少なくなったことにより、塩分はとてつもなく濃縮され、乾いたかつての海底から塩が噴出している。塩は風で吹き飛ばされ、付近の住民に降りかかり、地域のがん患者の発生率は他地域の数倍になる。
大きなことが好きで、自然を人間の意のままに出来ると思っている人たちは北アメリカにも住んでいるが、アメリカの大農業地帯も同じような状況だ。私が中学生のときに得意になって白地図に書き込んでいた、大トウモロコシ地帯や綿花地帯も、巨大トラクターで耕され、そのことによって土地は荒廃し、農業が出来ない土地へと変わっていく。ネイティブ・インディアンが過酷な自然条件と智慧を使って調和しながら生きてきた、その生き方も土地も彼らは破壊してしまった。アメリカ中央のオクラホマあたりで耕すことで風に舞い散ることになった表土は、大西洋の船の中にも降ってくるそうだ。
こうゆう国に食糧を依存している日本はどうなるのだろう。日本が食糧を依存しているオーストラリアやかなだなども似たような状況だ。大規模農業を好むところでは、表土の流出・喪失、砂漠化が起こっている。中国の環境破壊は言うまでもない。砂漠化により韓国や日本にふってくる黄砂の量と黄砂による健康被害は増えている。北京のすぐそばまで砂漠はせまっているし、黄河は途中で干上がって海まではたどり着かない。
トラクターを使う大規模農業は確かに一人でこなせる土地の面積を飛躍的に大きくした。ろくな機械を使わない自然農法では一人ではほんの少しの面積しかこなせない。ところが単位面積当たりの農作物の収量はどうかというと、ほとんど変わらないのだ。これは経済学の有名な原理で、資本をたくさん投入していくと最初のうちはそれに見合って収量も上がるが、ある限界を超えるといくら資本を投入しても、そこから得られるものはほんのわずかになってしまうのだ。
一人で広大な面積をこなすという考え方もあるが、その広大な面積を何百人でこなすという考え方もあるだろう。耕さない自然農でみなが小規模な面積を大事にして自給する。そうすれば環境も壊さずにこの地球と調和していけるだろう。耕さない自然農法の意義がこの本を読んでいてひとつ理解できるようになった。
不況の日本は見方によればいい機会だ。仕事がなくて困っている人も多いのだから、一人でこなすのではなく、多くの人で小さな面積を丁寧に管理していくこともよいのではないか。大きくなろう、一流国になろうという気持ちを押さえて、小さな生き方を目指すいい機会だと思う。
最近のコメント