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2018年11月18日 (日)

『老子―もう一つの道』 十二 静かに感覚の門を閉じよ

【口語自由訳】
音の洪水、色彩の洪水、美味飽食は人の感覚を鈍らせる。ここにないものをはるかかなたのどこかに追い求めることは、心身を疲れさせるだけである。富を追い求める過度の心が人の行動を狂わす。至高の人は、自分の外部にあるものを追い求めず、自分の内なる声を聞こうとする。

【解説】
大きな音に慣れると、小さな微妙な音は聞き分け難くなり、派手な色彩に周りを囲まれていれば、微妙な色遣いの違いに気付かなくなる。味付けの濃いものを食べつけていれば、淡白な微妙な味の差異には鈍感になる。感覚は大きなもの、強いものの刺激に引かれすぐに慣れてしまうが、それは感覚が鈍ったのである。


老子は私たちの感覚を守ることを説く。感覚の門を閉じて静かな環境に身を置くことが必要なのではないだろうか。そうすることによって人は自分の内部にあるものを破らずに済む。内面を大事にすれば、今まで聞こえてこなかった声が新たに聞こえてくる。


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2018年11月15日 (木)

外国人労働者受け入れ

いよいよ日本は外国人労働者受け入れ政策へと、公式にかじを切ることになった。実は今までも、隠然と、外国人労働者をいけ入れてきたが、知らんぷりをしてきただけだ。

現代の「人身売買」とも称される「実習生制度」などがあり、建前上、彼らは「労働者」でないから、人権や保護に値しないとして見捨てられてきた。しかし、多くの人が外国人が身近に働いていると実感してきているのではないだろうか。外国人労働者は、私たちの社会に確実に増えている。

外国人に接する機会がある私は、この時代の証言として、思ったことをここに書いておくのも価値があることではないかと思う。労働者の隠れ蓑は「実習生」だけでなく「留学生」もだ。

私たち多くの日本人にとっては「海外留学」は夢をかなえるもので、外国の大学で学び、より良いキャリアを切り開くものだ。ノーベル賞を受賞した科学者も、多くが若い時に海外留学を経験している。しかし、ここで言う「留学」は、「出稼ぎ」のことだ。日本で正式に「労働ビザ」が出ないから、「留学生」というビザを取得して、日本で働くのだ。

「実習生」ほどではないのかもしれないが、「留学生」の境遇も大変だ。搾取もあるし、日本語もわからないし、日本での生活を支援してくれる人たちもいない。企業ももちろんしない。企業は、利益を上げることが目的であって、福祉やボランティアで、彼らに接しているわけではないからだ。かくいう私も、彼らの力に十分なってやることもできない。住む場所ひとつとって見ても、外国人お断りのところも多いし、日本独特の「保証人」という制度もある。

今度、公式に「外国人労働者」を受け入れるにあたって、受け入れ企業に日本語教育などの外国人への支援を義務付けるということだが、私は、そんなことやる企業などいないと思う。まず、企業は、労働者を利益を上げるために使うのであって、労働者の福祉を増進するために彼らを雇うのではないから、おのずから彼らに接する態度は決まってくる。

さらには、人手不足で外国人労働者が欲しいのは中小企業だ。中小企業に、労働者支援などやるほどの財政的余裕や人材的余裕があると、制度立案者の人たちは、本当に思っているのだろうか?現場のことを知らなすぎるのではと思う。

国連難民高等弁務官フィリッポ・グランディ氏のコメントが配信され11月14日付の『河北新報』で読むことができた。彼のコメントを引用する。「外国人が増大する状況に付け込み、不安をあおる政治家は欧米にもいる。だが、国境を閉じたり、壁を作ったりするのは法的にも道義的にも間違っている。目先の選挙の票になるかもしれないが、結局は密入国などの犯罪を生むだけで、問題経穴には役立たない」

「外国人の増加自体が摩擦の要因ではない。彼らが社会に溶け込めず、隅に追いやられ、排除されたと感じるときに問題が生じる。職業や語学訓練を通じ、社会の一員として定着すれば、日本の発展にも寄与できる」


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2018年11月14日 (水)

『老子』―もう一つの道  十一 違った発想をしてみよ

【口語自由訳】
器を手に取ってみる。器の、水を入れたり料理を盛ったりすべき、そのなにもない空間こそが器を器として有用ならしめているものである。形のあるものは、私たちは直接手に取って利用することができるが、しかし、その働きを生み出した根源のものは「無」なのである。

 

【解説】
「有」と「無」があれば、私たちには「有」はたやすく理解できるが「無」を捉えることはむずかしい。私たちは目に見えるもののみを追い、目に見えるものだけを信じがちであるが、実は目に見えないものこそが重要なのである。私たちの認識に映ってこない欠落の部分の「無」こそが、この世の存在のすべてを成り立たせているとしたら、私たちがこれまで後生大事としてきたこの世の常識、しがらみとは、一体何であろう。


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2018年11月13日 (火)

『老子』もう一つの道 十 力を抜いて赤児のごとくなれ

【口語自由訳】
精神を内に抱いて統一して離れることがない。気を専一に、かつ柔らかくして、赤児のようである。迷いから離れて欠点が見えない。民を愛し、国は治まっているが、誰の仕業で何のおかげであるかはわからない。天地創造の始まりでは女性的原理となり、すべてを生み出した。世界の隅々にまで行き渡っていながらも、積極的に作用を働きかけることもない。万物を養い育てても、それを自分のものだと主張せず、自分の働きを大したものだとも思わない。この世の生成の初めにあったが、この世の働きを支配しない。これが目に見えない微妙な徳である。

【解説】
言葉で説明することができないものを、説明するむずかしさがここにはある。赤ん坊は案外怪我をしにくい。とっさ危急の時に、構えず体が小さく丸く柔らかいからである。


宇宙を成り立たせているものは何であろう。私たちの存在、地球や宇宙にありとあらゆる存在は、そのものに由来することは明らかであるが、そのものは何も語らない。そのものを、私たちがふつう認識するように認識することは不可能である。なぜなら私たちの認識というのは、私たちの存在と対立する外部のものが存在して初めてそこに成り立つような種類の認識だからである。


そのものを認識するためには、そのものと全く同一の認識に溶け込む必要がある。そのためには、そのものの働きをまねることだ。自己に対する矜持を捨て、自己の内部意識を柔らかく専一に保つ。


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2018年11月10日 (土)

老子『もう一つの道』  九 満つれば欠けるならひ

【口語自由訳】
いっぱいに満ちた器をいつまでも手に持っていることは難しい。そんなことはやめたほうがいい。いくら刀を研いで鋭くしても必ずにぶる。富をいつまでも手元に置いておくことはできないし、高い地位もいつまでも保つことはできない。物事を成し遂げ終わったら静かに身を引くことだ。

 


【解説】
老子の処世術。世間智。世俗智。このように生きよということ。

 

人間はとかく完全を追い求める。もちろんそのような生も美しい。だが、完全の一歩手前で止めて、不十分な個所を一箇所残しておきたまえ。そこからこそ、無限の展開が望めるのだ。

 

永遠に絶えず続くもの、それは老子では流れる水のイメージである。常にやまず、常に流れていれば、古びることはないということ。


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2018年11月 9日 (金)

『老子』-もう一つの道 八 水

【口語自由訳】
理想は水のようなものであろう。水はすべての存在を生かし、すべての存在にとって役に立つ。水は他とは争わない。そして、人がさげすむような低い所にいても、自足している。だから水は「道」に近い。水は庶民と同じで、存在の混沌にいる。水の心は深々とした淵。水は良き人と常に伴にいて、その言動は善である。世事・実務でも能力を発揮し、時節を見極め、適切に動く。でも、水は争わない。だから罪せられることもない。

【解説】
水。世界を経巡る水の存在に老子は注目し、水の動きが「道」の働きと似ていることを喝破する。


争わない、柔軟である、しかし、遍在し、そのいくところ常にある。水の心は明鏡のごとく澄み、しかし、汚れもいとわず、宇宙とともにいく。


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2018年11月 7日 (水)

『老子―もう一つの道』 七 無私

【口語自由訳】
天地は永遠に存在する。天地がなぜ永遠に存在するのかといえば、天地は自ら求めないからである。理想の人である聖人も、天地にならひ、自らを消し、ひとびとの間で永遠の命を持って生き続ける。「私(わたくし)」がないからこそ すべてのことを成し遂げられるのではないか。


【解説】
ここでは老子の一種の処世術が述べられている。

この世で、事業を成就したくば、私心を捨て、そうしたいと思う欲望を捨てることだ。
無私であることで多くのことが成就できる。

私心を持って求めれば求めるほど、欲望の対象は手に入らず、ますます遠ざかる。

ここにも老子の好む「逆説の論理」が見られる。

多くの世の常識人は老子の言説を信じないだろう。その逆説で常識や彼らの観念が揺さぶられるから。


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2018年11月 1日 (木)

知らずしてわれも撃ちしや

歌人の永田 和宏氏が今上天皇の御製を解説してくれている。私の場合、『河北新報』に配信されている新聞記事を読んでいる。永田氏の意図のひとつは、今上天皇の御製を通じて平成という時代を振り返ろうとしていることであろう。

 

10月16日付の記事は美智子妃の「知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず」という御製の解説だ。

 

この歌の背景を簡単に要約する。バーミアンの石窟仏教遺跡はアフガニスタンにある。偶像崇拝を否定するイスラム教徒により顔をそがれた大仏像が残っていた。昭和46年皇太子・皇太子妃はアフガニスタンを訪問しこの顔のそがれた仏様を見て、歌を残されている。

 

そしてそれから30年後の平成13年に、タリバンによる大仏の爆破は私自身も記憶している、世界中に衝撃を与えた事件であった。

 

表出の美智子妃の歌は、この事件直後に読まれたものと思われるという。

 

永田氏のこの歌の解釈が大変優れていて、私は教えられること大であった。

 

「タリバンを批判することはたやすい。しかし、一方で自分たちはアフガニスタンの民のために何をしてきたのだろう。子どもを含め飢えに苦しみ命を落とした大勢の人々がいるが、世界はそれらに対して十分な援助をしてきたと言えない。仏像破壊に世界は騒いでいるが、その破壊に手を貸したのは、一人一人の「無関心」ではあるまいか、と美智子皇后はこの歌で自問されたのではないか」

 

 

政府主催の明治150年記念式典に出席しなかったのは、天皇ご夫妻と共産党の志位委員長だったというのは、この時代の象徴的な出来事だと思う。靖国神社の宮司もくしくも今上天皇を批判して、「天皇が慰霊の旅を続ければ続けるほど、靖国はダメになるんだよ」といったのは本当に的を射ていると思う。

 

 

戦争で亡くなった人たちというのは、アジアで日本軍の犠牲になった人、そして沖縄で日米両軍の犠牲になった人も含めて、こういう人たちが「お国のために犠牲になった人たち」だ。無謀な作戦を命じて、部下や民間人を死に追いやった人ではあるまい。「寄り添う」ことを考えている今上陛下と、安倍さんや自民党政治のやり方は、まったく正反対のところにいると思う。安倍さんや菅さんが押し進める強権を押し付ける政治に反対の声を上げ続けなければいけないと思う。

 


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2018年10月30日 (火)

『老子―もう一つの道』 六.永遠

【口語自由訳】
奥山の清冽な谷間にたたえている水、その谷間の水は神秘な女性の神から生まれ、大地の門の奥底から湧き出て綿々と続き、尽きることがない。

【解説】
尽きることなく永遠に続くもの。それを心に思い描いてみる。山を登り、深く深く分け入っていく。さわやかな太陽の光が、木々の青葉をこばれ、山道にちらばる。細い道をたどり、さらに奥へ分け入る。やがて、額に汗がにじみ、体は心地よくほてってくる。奥処にたどり着き、岩の間に湧き出る清らかな水に口付け、体の渇きを癒す。人はその時、永遠を感じ、永遠とつながる。


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2018年10月29日 (月)

『老子―もう一つの道』 五 多言は無用

【口語自由訳】


この天地は、まことに無情であり、天地の間にある万物は天地からは捨てられ顧みてもらえないかのようである。それでも万物が移ろい行き、歴史が進展していくのは天地がまるでふいごのようであるからであり、もうこれ以上の余力が残っていないだろうと思われるほど極まってしまっても、それで終わりではなく、動けば動くほど力はみなぎり、いよいよ万物も人間の世も、ともに推移していく。


このような天地の間の推移とは違い、人間は言が多くなれば極まるものである。沈黙を守るのが良い。

【解説】


多言は無用ということである。沈黙の尊さ、沈黙の中に込められた微妙な意を探り味わえということ。

無情とは、よく私たちが受ける印象である冷酷・無残といったこととは違う。行って、行って、顧みることなきこと、これを無情という。宇宙を貫く原動力たる法則は、無情であると老子は言う。そして、それは、私たちの常識とは異なり、行き詰まり萎えて終わってしまうことはないのだという。永遠に動いてやまないもの、それを心に思い描いてみよということ。


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