2018年2月15日 (木)

生の哲学―生と死と肥大した自我

(過去の記事の再録です)

死を特別なものとは見なさいないこと。死を特別なものと見るのは肥大した人間の自我意識のせいである。そもそも生命は人間も含めてすべての生きとし生ける動植物の間で平等なはずである。彼らの世界では生が日常であると同時に死も日常で,特別なことではない。普通のこととして生をも死をも迎え送ることが大切だ。


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2018年2月13日 (火)

雑感―変わり者の存在意義は

(過去の記事の再録です)

小さいころから天邪鬼でした。人とは違ったことをやりたくなってしまうのです。一斉に皆がヨーイドンと走り出したとき,途中で転んでしまった子がいれば,気になって私も立ち止まり後ろを振り返ってみてしまうのでした。だから,話は飛ぶかもしれませんが,国を上げて原子力事業を推進しているときは,どうしてもその危険で不安な面に目をやってしまうのです。


 

 人類の地球表面上への拡散・進出・適応変化・生存という側面を考えてみたとき,昔は小さな集団で移動していたはずです。その小集団が移動するとき,皆があっちに行こうという時に,いやこっちに行こうという変わり者がいるわけです。おそらく,何千何万回の選択の機会の中で,「あっち」に行こうという選択が正しかったから,人類は今まで生きのびてきたのだろうとは思います。しかし,「こっち」に行こうという少数の選択がたまたま正しく,「あっち」にいった集団は淘汰され,「こっち」に行った少数こそが人類の命を継いできたという可能性もまったく否定することはできません。
 

 

遺伝的に多様であり,少数の変わり者を常に抱えている余裕があることが人類の生存にとっても,人間社会にとっても大切なことではないでしょうか。
 


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2018年2月 9日 (金)

雑感―格差社会には代償が伴う

(過去の記事の再録です)

厚生省の元事務次官襲撃殺害事件が起こった。犯人は無職の男で官僚に対する憤りを口にしていると言う。自分が何度も会社を首になってうまくいかないことを日本を支配する官僚制度のせいにしていると言う。それが事実だとしたら,とんだ筋違いの逆恨みもいいところだろうが,この前起こった秋葉原無差別殺傷事件にも見られた共通性については考えておかなければならないと思う。


 

秋葉原の事件では自分が派遣社員でこの世に入れられなかった憤りを,何の関係もない人々へと振り向けた。今回の事件でも,自分が会社という居場所に受け入れられない恨みを高級官僚に振り向けた。原因とその結果の行動との間には常人なら決して越えはしないであろう一線があるのだが,現在,このように世の中から居場所をなくし疎外感を抱いている人が増えていることは事実ではないかと思うのだ。
 
よく格差社会と言われる。高級官僚が本省を退職するとき1億円近い退職金をもらい,その後1,2年ごとに関連する公益法人を渡り歩きそのたびに本給とは別に数千万の退職金を手に入れる。片や,派遣社員ではどんなに一生懸命働いても年収は二百万円にも満たず,しかも,突然明日からおまえはもうこの職場に来なくていいといわれる。このように格差とはまず経済的な格差や貧富の差が広がっている社会の状態を言う。


 

しかし,格差社会の問題は,単に経済的な格差だけではなく,多くの人を住みにくくし,居場所をなくし人を追い詰めるような社会だということにも注目しなければならない。社会がこんなにぎすぎすとしていなかった時代は,少し変わった人にもそれなりの居場所はあったのではないだろうか。そして,ある程度の人がぶらぶらしていてもそれを包摂できる社会的な余裕や優しさが社会のどこかにはあったのではないだろうか。
 
本当にそのような余裕がある社会がかつての日本にあったのかどうかは,歴史学者や文学者が調べてそれを描いてみる義務があると思う。そして,そのまま過去の社会に逆戻りすることはできないが,そこから学んだ知恵を新しい世の中に当てはめてみて今とは違った現実を作り出していく必要があると思う。


 
始めから結果が平等であるとわかっていれば誰も創意を凝らし一生懸命働こうとはしないだろうと格差を是認する考えもある。しかし,格差を容認することは,今回の事件が示唆するように「代償」も大きい。私がかつて訪れたインドネシアなども格差の大きい社会であったが,金持ちは貧民に襲われないように家の回りの塀を高くめぐらし施設警備員を雇っていた。格差を是認するからにはこのような経済的な「代償」も支払う覚悟が必要だし,無辜の人の命というかけがえのない「代償」も払い続ける覚悟がいる。


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2018年2月 5日 (月)

悲しい風景―自然環境を守るための一つの戦略

(過去の記事の再録です)

政治家,官僚,企業に対抗する力をわれわれが真に持つことができるためには,われわれの側にも自然環境を守ることにつき,深い経済的利害を持たなければならぬ。相手方は,自然環境を壊すことで経済活動をなし,巨額な金銭を受け取り,かつ,自然破壊を恒常的な取り組みとする社会的な仕組みにより,常日頃からふんだんに給与や高額の退職金が支払われているのである。それゆえ,自分たちのなりわいと経済的な利害を守るため,あれほどまでにも,自然環境を破壊することに固執し,真剣にもなれる。


 

 一方,自然環境の維持を主張するわれわれのよりどころといったら,抽象的な理念やら,自然に対する浪漫的なあこがれとか,言葉ではいい表しがたい本能的な感情とか,そういった具体性に欠けたものにあることがしばしばなので,相手方との交渉や対決において迫力や真剣さ,持久力に欠け,負かされてしまうこともしばしばなのである。

 
 われわれが本気で相手方との戦いに勝つつもりがあれば,われわれは自然環境を維持し,そこから得られる経済的な利得に,もっともっと深く依存し,関与していかなければならぬ。環境保全型の農・林・漁業から,環境保全型の観光産業,あるいは原生林の土中に潜む細菌類の持つ将来の新薬開発の可能性といった,あらゆる経済的な利益を生み出すものとわれわれがもっと深く結びつき,われわれの生活と経済的な利害が深く関与し,そしてわれわれの利害と一致する仲間や家族がもっと多くなれば,われわれと相手方との力関係は,ようやく接近しうるようになるのではなかろうか。

 


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2018年1月28日 (日)

トランプ大統領のロシア疑惑

アメリカのトランプ大統領は、次々と話題を提供してくれて飽きることがない。アメリカのマスコミも、偽ニュースだと攻撃されているが、トランプ氏の言動を面白おかしく伝え、視聴者を獲得していることで、しっかり利益も得ているのでなかろうか。

しかし、アメリカのような大国にこのようなはちゃめちゃなリーダーが登場し、国情が不安定になり、国が二分されることになったとき、一番喜ぶのはだれなのだろうか。宗主国に隷属して属国は、少しでも賢明で慈悲深いリーダーを欲するだろうから、トランプ氏は、私にはあぶなかしく見える。

だとすればトランプ氏の登場に喜んでいるのは、対抗する敵対国ということになるのだろうか。ロシアが、クリントン氏の当選を阻止し、トランプ氏を当選させるために策動したとしたら、ロシアの諜報活動は勝利したということになる。CNNテレビなどが盛んに、トランプ政権のロシア疑惑を報道しているのを、インターネット配信で見ているところだ。

多くの国の首脳からは、距離を置かれているトランプ氏であるが、唯一日本の安倍首相だけは、いち早くトランプ氏の元へ駆け寄り、忠誠を誓った。もし、トランプ氏がロシア疑惑で、途中で罷免でもされることにでもなれば、安倍さんがあれほど彼を持ち上げ熱烈に忠誠を誓ったことはどうなるのだろうか。そして、万が一にも、トランプ氏のお次が、社会主義者を標榜する民主党のサンダース氏にでもなったら。(それほど、アメリカの若者たちは「資本主義」よりも「社会主義」に関心があるという報道にも接したことがある。おそらく、若い人たちは、現実の社会主義が崩壊した後に生まれてきた世代で、社会主義なんて言う言葉に実感がないはずだが、彼らが欲しているのは、「普通に、学校に行きたい」「一人一人に仕事が欲しい」ということなんだそうだが、それを実現するのがつまり「社会主義」ということだ)

そこで思うのは、天才的な安倍さんの言葉の空虚さだ。安倍さんがトランプさんを持ち上げ褒めちぎった言葉も、内実が空虚なので、その舌の根も乾かないうちに、万が一にもサンダース氏を、「若者に希望与える稀有の大統領」などと持ち上げ、「我が国においても、教育の無償化で、すでにアメリカの先陣を切っております」なんて言っても、またその言葉空虚なので、前に言った言葉も責任は問われないし、次にいう言葉も実質がないのだ。何度も、繰り返し言っているうちに、それらしく聞こえてくるというのは、ヒットラーが参考にした、演説術と人心掌握術だ。日本国民は、空虚な言葉に酔いしれている。後世に名を遺す天才政治家だ。

2018年1月23日 (火)

地方都市の印象

(過去の記事の再録です)

 

地方都市の衰退は目に余るものがある。衰退や窮状を口実に,これまで政治と土建業が手を組んで地方都市に金が流れるしくみを作り出してきたが,その仕組み,つまり公共工事はいったい今までなんの役に立ったのだろうか。進行中の病に対し,根本的な治療行為を施さず,一時的な痛み止めを打ち続け,もしくは,あなたは決して病気ではないと,耳元で甘言をささやき続けた挙句に,病が治癒不能にまで進行してしまったようなものだ。確かに全国どこに行っても道路は立派に整備された。しかし,そのこと自体,長い目で見て,地方都市に恩恵をもたらしたかというと,決してそうでない。むしろまったく逆で,地方都市の衰退を加速させている。立派な道路のおかげで,人はいとも簡単にふるさとを捨て,その立派な道路が輻輳する大都市にますます集まる。地方都市に,安定した収入を得ることができた人,もしくは逆に,まったくの低収入で身動きの取れない人や,捨てられないしがらみを持つ人だけが地方都市に残る。そういった人たちの日常行動でさえ,わが町の伝統的・中心的な商店街では買い物をしないで,道路を利用して郊外へ,郊外へと移動していき,今は,どこの地方都市へ行っても郊外に立派な商業施設が集中している。その結果,どの地方都市へ行っても,駅前には廃墟のビルが立ち並び,中心地の商店街は櫛の歯の抜け落ちたように閉店した店が目立ち,道行く人もない。こんな風景がどこの地方都市にも繰り返されているのだ。この場所に育つ子供たちや,他所から訪れる旅人にいかなる心象を与えるだろう。

どこの地方都市も同じような都市計画である時一斉に駅前開発でビルを建てたり,工業団地造成で工場を誘致したりする。時代の風向きがちょっと変わったときに,一斉にそれらは見捨てられたちまちに廃墟となる。つぎ込まれた金が巨額になればなるほど,開発や建物の規模が大きくなればなるほど,残された空間のみじめさは増大する。後世の者の心をすさませ,かつ膨大な量の産業廃棄物の処理を押し付ける負の遺産となる。現在,この世の春を謳歌している郊外型の商業施設すら,いつ何時,時代の流れが変わってみじめに打ち捨てられ,手の施しようのない夢の跡になりはてないとは限らないのだ。そんなときのために,投資は小口で最小にし,建物も小さくするべきなのだ。そうすれば小回りがきき,使い回しがきき,時代の流れが変わったとき,一斉に共倒れになってしまう可能性を少しでも減らすことができるのだ。地方都市が,どこもかしこも大都市なみに競い合って巨大な施設を作り出すことはなかろう。これらは時代の風潮が少しでも変わってしまえば,たちまち手のつけられない産業廃棄物となる。この時代,誰が喜んで景観を損ね,環境に害悪をもたらし,人間を含めた全生物の命を脅かす産業廃棄物の巨大な集積を受け入れるだろう。小回りが利く小さな設備とは,時代の流れが変わっても,その変化に合わせて自らの姿を少しずつ変化させて対応できる設備ということだ。そのような設備であるためには,小さくて,組み立てや仕切りが自在にきき,素材は天然のものを多く用いてあるもの,つまり,従来の伝統的な日本建築のようなものが大いに参照になるだろう。

投資をして巨費をかけるのであれば,その投資が先々どんな意義を持つのか長い目で考えなければならないが,広い視野から遠い将来を慮るということを地方の責任ある地位にある指導者達はしてこなかったのではないか。だから,いま地方都市は一斉にその輝きを失っているのではないか。

 


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2018年1月16日 (火)

命のビザ

杉原千畝さんは、戦前の日本の外交官で、日本本国の政府の命令に反して、ユダヤ人にビザを発給した人。安倍首相の政治信条や政治姿勢とはちょうど正反対の人なのだから、「誇るべき日本人」と言って持ち上げて、都合よく政治利用することについては、私は疑問に思う。戦前、日本はドイツと同盟国だった。ドイツやポーランドから逃れてきたユダヤ人にビザを出すことは、同盟国に配慮した日本政府が杉原さんに禁じた。しかし、本省の意向を忖度せずに、命令を無視してビザを発給したのは、人道こそが重要だと杉原さんが考えたからだ。

 

時の政府や権力者や強大国は変わるだろうけど、変わらないのは「人の道」だ。権力者や強者におもねらず、人道を優先する杉原さんの姿勢に私は共感するが、安倍さんは何に共感しているのだろうか。もっとも、安倍さんは人殺しの道具である武器を輸出することに熱心であるから、杉原さんを称揚することが、イスラエルとの関係強化に役立つという思惑で、杉原さんを称揚しているのであれば、やはり優れた政治感覚の持ち主であると感嘆せざるを得ない。

 

安倍さんが本当に人道主義に共感しているのであれば、ぜひ宮城県も訪れてほしい。布施辰治さんという人道派の弁護士がいた。朝鮮半島出身の人たちの弁護もたくさんした。正しい人の道からという信念だった。

雑感―アメリカに…

(過去の記事の再録です)

アメリカに太平洋戦争で完膚なきまでに叩きのめされたわけだが、本当の戦争はまだ終わっていない。これから始まるのだ。しかし、今度の戦争は、人間がいかに残虐になれるかを競う戦争ではない。いかに人類の理想の暮らしを示すことができるのかを競うのである。

2018年1月14日 (日)

平和ボケって何だろう

日本国憲法は、現状のままでいいじゃないか、特に9条は変える必要がないと、私は思っているのだが、私のような考えは、ツイッターなどの安倍首相の支持者の発言を見ると「平和ボケ」なのだそうだ。ツイッターなどSNSは、みな無責任に匿名で発言しているのだから、気にする必要もないし、世間の動向に影響しない、と思う人もいるかもしれないが、実は違う。少なくとも、世界ではSNSを使って、政治的成果を収めているのだ。日本では、まだそれが暴露されていなかったり、多くの人が知らなかったりするだけなのかもしれないのだ。

ロシアでは、政権の指示で、人が雇われフェイスブックなどに、ウクライナの悪口や、ヒラリークリントンに不利になること、イギリスがEUから離脱するのを促すような発言を大量に発信させ、そしてこの一種の情報戦に勝利している。私も安倍さんや支配政権の生の声や本音を聞きたいと思い、ツイッターでは安倍さん支持をかかげている人をフォローしている。匿名や偽名の偽カウントも多いが、百田さんなんかもフォローしている。

そこで、私たちに浴びせられる「平和ボケ」ということについて考えてみたいのである。

たとえを出すとこういうことだろうか。日本では、酔っ払って最終電車に乗って眠り込んでも、この酔っ払いさんは安全だし、女の人が夜遅くひとりで夜道を歩いても安全だ。日本のこういう状況は世界中どこに行っても同じだと思い込んでいる人が、ニューヨークの地下鉄で同じことをしたり、中南米で大都市で深夜独り歩きをして、犯罪に巻き込まれてしまう。おそらく、そういう被害者に向かって浴びせるような言葉が「平和ボケ」の真意なのではないか。

それで安倍さんは何をしたいのだろう。世界の現状が、強いものが弱いものを襲い、隙を見せれば命も財産も奪われる。この現状を、平和な日本に導入したいということだろうか。まさか、そうじゃないだろう。安倍さんや支持者の考えでは、日本は世界で一番素晴らしい国で、常に日本人はこんなにもすごい、すごいと言っていなければ不安になるくらいなのだから、日本の平和で安全な暮らしも世界に冠たるものと思っているはずだ。それなら、世界の現状を日本に輸入しようとするのではなく、日本の現状を世界に輸出しようとすればいいのではないだろうか。

もちろん、私だってそれが難しいことはわかっている。弱肉強食で、隙を見せれば犯罪に巻き込まれるというのが世界では標準的な事例だということは、その通りなのだろうけど、だからと言って、現状をそのまま認めるのでなく、日本のように安心して暮らせるほうがいいのじゃないですかと、いう努力はすべきだろうし、世界の人だって本当はその方がいいと思っているはずだ。「平和」についても同じだと私は思うのだが。


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2018年1月13日 (土)

慰安婦問題の不可逆的最終的解決 その3

安倍首相に代表的される人たちが目指す慰安婦不問題の不可逆的最終的解決について考えるその3回目。彼らの主張としては、こういうものもあると思う。

4.この問題でいつまで謝罪し続けなければならないのか?若い人には責任はない。
確かに、当事者としてかかわりようがなかった、戦争後に生まれた若い人たちには、積極的にも消極的にも、慰安婦制度を推し進めることも反対することもできなかったのであるから、責任はないといえようが、しかし、だからと言って、戦時下で女性に対するひどい人権侵害が起こったこと自体、なかったことにすることはできない。そのひどい人権侵害に対して、あとから生まれた人たちであっても、このことをどう思うかと問われれば、「ひどいことだ」「すべきじゃなかった」「申し訳ない」と謝罪の気持ちを持つのが自然で当然なのではないか。

安倍さんたちが恐れているのは、罪や弱みを認めれば、優れたヤマト民族(これから生まれてくる若い優秀なヤマト民族も含めて)に、スティグマ(生まれながらに貼り付けられる汚点)が付きまとうということだと思う。しかし、私はそんなことはないと思う。スティグマを恐れるのは、そもそもヤマト民族が無謬で、大変優れていて、過ちを犯さないと思っているからであって、私などは、ごく普通の民族や人間と同様、優れたところもあれば欠点も過ちも犯したという日本人でどうしてだめなのかと思う。

そして、被害者の側から見れば、日本の若い人たちがこの問題を知らないとか、この問題はなかったことになっていると思うことは、将来同じような女性に対する人権侵害を引き起こす可能性があるということであり、安倍さんたちが思っている「不可逆的「最終的」解決を遠ざけている大きな原因だと思う。どんな事件や犯罪の被害者も思うのは、二度とこのようなことが起きてほしくない、もしくはこのようなことが他の人の身に降りかかってほしくないということだが、人権侵害の事実を知らない人たちが日本の主流になれば、過去から学ぶという反省もないのだから、他国の女性に対する人権侵害を引き起こすと、被害者が懸念するのももっともだと思う。本当の意味での解決は、事実を認め謝罪することだし、事実を伝えて、これから生まれてくる人たちでもその事実を知れば、人権侵害は良くない、被害者に申し訳ないという気持ちを持つ機会を作ることだ。そうしたところで、ヤマト民族を貶めて、世界中に悪口を言いふらしていることにはならない。

 


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