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2018年5月21日 (月)

(第9話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

沖縄の米兵による暴行事件が再び日本中に報道された。容疑者が容疑を否認している段階では有罪が立証され確定されたわけではないが,仮にこの事件が逮捕された米兵による犯罪だとすれば,わたしたちは,誰がこの犯罪の加害者であるかをよく考える必要がある。

 


 第一義には,その米兵個人が直接の加害者であることはもちろんであるが,事件の背景であり,直接のきっかけは,沖縄における米軍の存在そのものであろう。そして,さらに因果関係をたぐっていけば,その米軍の存在をアメリカ政府と約束し承認してきたヤマト政府と,それを黙認する私たちヤマトの人々が第二義の加害者になるであろう。そして,第三義の加害者は,米軍の存在から得られる利益と,米軍基地を沖縄に押し付けるその見返りであるヤマト政府の補助金や公共事業費用を拒まなかった沖縄の人々そのものであるだろう。先の大戦の国内戦最大の被害者であり,戦後も日米安保の矛盾を一身に引き受けてきたとされる沖縄の人々の,米軍基地と中央政府とのかかわりあいから生じた,オキナワの人々がオキナワの人々に対して加害者になっている側面を真剣に考えてみないことには,沖縄の自立はありえないのではないだろうか。
 

 沖縄の問題は,中央政府と地方との関係を考えさせる典型的な問題である。そして,この問題をすべての地方とそこに住む地域住民は自分たちの自立の問題として捉えなおしてみるべきである。
 

 ガンジーの率いるインドの大英帝国からの独立運動の歴史の中に,私たちは中央政府からの自立というこの問題の行動の原理となるべきものを見出せるのではないだろうか。インドの人々の努力により,半世紀前にインドは独立を達成したのであるが,今なお,インド内部には大きな矛盾を抱え,自立への険しい道が続いているが,ガンジーの示した自立を勝ち取るための運動の原理は,現在の私たち地方に住むものにとっても大きな目標となる。独立運動家ガンジーの示した卓抜たる戦略の一つは,運動を束ねる理念は,圧倒的な力を誇る相手方の持つ論理より,精神的に一段高いものを示すべきであるということだ。すなわち,巨大な軍事力を背景に世界中にその版図を広げていたイギリスに対して,非暴力不服従の理念を対置させたインドは,道徳上の戦いで勝利したのだ。

 


 ひるがえって現在の日本では,経済面,財政面ではるかに優位に立つ中央政府が押し付けてくる圧力をそれぞれの地方はどのようにはねのけるのであるか。相手を道徳的に上回る高い理念が自立を目指す人々を鼓舞するとしたら,その高い理念の基となるべきは,地方に残された精神的世界の豊かさではないだろうか。中央政府が効率一辺倒ですべてを貨幣経済の価値でみなす理論を背景に官僚的発想で地方にその理論を押し付けてくるのなら,例えば,地方は自然と人間との調和した真に精神的な豊かな暮らしといった代替となる理論を提示できなければ,同じ土俵上の戦いであればしょせんは中央に対し地方は勝ち目がないのである。

 
 幸いにも沖縄にも,そして私が住む東北地方にも,いまだに豊かな精神世界が息づいている。これまで周辺世界に過ぎなかった地方には,それぞれの地域住民が大切にしてきた豊かな精神世界の遺産があるはずであるから,それらが自立への理念の柱となるであろう。そして自立・独立は,頭だけではできない。頭だけではなく体も自立してこそ真の自立である。インド独立のために次にガンジーは何をしたか。手工業の重視である。彼は自ら糸車を回し,インドの伝統産業である綿手工業を盛んになるよう指導した。自立するということは,手や体を動かしてこそ勝ち取ることができ維持することができるものなのである。そしてここにも幸い,沖縄を始め各地方には自然を直接に相手とする農林水産業や伝統的手工業などが素地として根づき,そこからは豊かな食卓を支える一次産品や数々の民芸品が生まれているのである。われわれが,豊かな幸をもたらしてくれる自然をいつまでも大切にし,手工業産品が単なる観光地の土産物に堕すことなくいつまでもわれわれ自身の生活を支える力強さを保てれば,われわれの生活も中央の持つ支配力をはねのけ自立していける。我々の生活が真に豊かで美しければ,逆に中央の民も,われわれの豊かさに惹かれ,靡き従うようになるのではないだろうか。現に沖縄には,自分の居場所を,主流的な日本人の生き方の中に見いだせなくなって中央(=体制)から抜け出してくる人々が増えつづけている。この細い流れが奔流となれば,「日本」というシステムは音を立てて崩壊するだろう。


 


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2018年5月18日 (金)

『英語リーディングの科学』卯城裕司・編

日本中の子供が強制的に英語を勉強させられている、そして苦しんでいるとなれば、少しでも楽に勉強ができるように教授法や学習法が工夫できないものかと思う。そのときに、経験論(自分は昔こう教わってきたから、こうやるとよい。自分はこうやってうまくできた。だからこうやればよい)や直感論でなく、科学的に論証できるやり方に基づいて外国語の学習ができないものかと思い、第2言語習得論を研究している。また、外国語技能では読解分野が個人的には興味があるので、人間が文字や文章を読み「わかる」という複雑な過程がどうなっていて、どうやれば効率が良く正確な読解ができるようになるのかを調べてみたいと思っている。

 

そこで、読んでみたのが「英語リーディングの科学」卯城裕司・編(研究社・2009)だ。

 

内容としては、『英文読解のストラテジー』(天満美智子・1989)とほとんど同じで、引用されている外国の文献や主要理論、具体例なども同一のものだった。両書の間には、約20年の隔たりがあるが、その20年の間に、この読解という分野の研究にあまり進歩が見られないということだろうか。また、それだけ人間の読解プロセスが複雑で、特にそれを母国でなく外国語で行うという行為は研究してもわからないことがたくさんあるということだろうか。

 

ただ、そうはいっても、本書や本書で紹介されている理論や研究を読んでみても、自分が現場で感じている実態にとても合っているのだが、それはつまり結局読解ができる生徒とできない生徒を分けているものは、誰もが知っているような当たり前のことで、それが科学的に証明できたとしても、では、どうやって生徒に読解力を付けてあげられるかというと、これまたあたりまえのことしかできないというのも事実だ。

 

たとえば、語彙力がある方が当然読解力は高くなる。しかも、日本人学習者がよくするように英語の単語1個に対して日本語の訳語1個を当てはめる、いわゆる1対1対応型の知識でなく、文脈の中でよくこういう語が出てくるとか、一つの語は文脈の中で多様な意味で使われるといったような語彙の広さや深さを持った読み手は、読解力が高い。

 

トップダウン型の情報処理ができる読み手の方が読解力は高い。英文では第1文目に段落の内容を先駆け的に示すトピックセンテンスが来て、2文目以降はその説明になっているというような、情報構造に関する知識を持っていて、その知識を当てはめてこうなるはずと、先を読みながら読む読み手は読解力が高い。またそれだけでなく、同時に個々の1文1文も正確に意味が分かり、ボトルアップして全体の内容を正しく再構築できる読み手読解力が高い。1文1文がわかるには、もちろん語彙や構文・文法に関する知識を持っていないといけない。そして、読む内容に合わせて、トップダウンやボトムアップの戦略を柔軟に使い分け、自分の思い込みを排して、推測した内容を変えながら読める読み手が読解力が高い。

 

とこういうことが研究で分かっているわけだが、しかし、自分の経験としても、現場で教えている実感として、確かにその通りのことがおこっているいうことで、第2言語による読解研究に何かを付け加えるのは難しいが、それだけにやりがいがあり、さらにまた現場に還元できる研究なのかもしれない。


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2018年5月17日 (木)

ロイヤルオペラハウス『カルメン』

イギリス・ロイヤルオペラハウスの公演を、映画で配信するライブ・ビューイング。仙台フォーラムで『カルメン』を見た。すべてが名曲ぞろいのこのオペラ。何度見てもよい。

ライブ・ビューイングだと背景説明も専門家がしてくれるのでより深く味わえる。作曲者のビゼーは若くして亡くなってしまった。私は、彼は自身の名声を知ることなく亡くなった悲劇的な作曲家だと思っていたが、すこし、事情は違うらしい。彼は、『カルメン』をパリで初演して、それがあまり評判にならないうちに、半年後に亡くなってしまうのだが、なぜ、あまり評判にならなかったかというと、当時のオペラは、家族で見に行くもので、結婚前のお嬢さんももちろんその中にいた。そういう人に見せるのは、当時としてはばかられるのは、自由奔放に生きるカルメンという女性の造形だった。

 

だから、当時の人たちにはあまり受けなかったかもしれないが、彼の友人や専門家からは音楽はすでに高く評価されていたということだ。また、ビゼーは主演女優の要望や劇場からの要望に応えて、何度も曲を書きなおしている。だから、譜面には版がいっぱいあるそうだ。そこで、世界中の劇場では、どの版のどの曲を使用するかということで、オリジナルのカルメンが聞けて見れるそうだ。

 

さて、ロイヤル・オペラハウスの『カルメン』は、演出が斬新だった。演出家も映像に登場していて、よくある当時のスペインを現実主義的に描写した舞台ではつまらないと言っていた。抽象的で現代風の演出で、舞台中央にある大階段が特徴。写実的ではないので、ナレーションが入る形だった。

 

改めて聞くと、『カルメン』は合唱曲が美しいと思った。群衆役や兵士役で登場してきている人たちも歌のプロ中のプロだろう。場面や情景や情緒に合わせた美しい合唱曲だった。また、ドン・ホセが故郷の母をしのんで歌う歌や、ホセを慕う純情田舎娘のミカエラが歌う歌も、情感がこもっていてよかった。もちろん、有名な序曲やエスカミーリョの歌う闘牛士の歌などたくさん出てくる有名なメロディーは堪能できた。

 

抽象的な舞台であるが、ダンスパフォーマンスは素晴らしかった。しかし、カルメンがゴリラの着ぐるみで登場してくるところや、カルメンが最後ホセに刺されて死んだ後、再び起き上がって「ナンセンス!」のような仕草をする演出は不可解だった。何か、深い意図や意味があるのかもしれない。


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2018年5月12日 (土)

読書ノート『英文読解のストラテジー』天満美智子

英文が読めない、という苦しみを自分はほぼ忘れてしまったように思う。覚えているのは大学入試の勉強のために英文を読み、自分が予測してこういう意味になるはずだという思いにとらわれすぎてて結局読んだ英文が意味がよくわからずに終わってしまったことだったり、大学生の時にTimeを読んで見たら、知らない単語が多すぎて辞書を引き引き読み、1ページのほんのわずかな部分を読むのですらずいぶんと時間がかかってしまったりということだ。今、それから35年、趣味として、仕事として英文をずっと読んできて、社会科学系や人文系であれば専門的な本も読めるようになって見れば、その読めないという気持ちや悔しさをつい忘れがちになってはいけないと自分を戒める。現に、今仕事で自分の目の前には読めなくて苦しんでいる生徒たちがたくさんいる。彼ら・彼女たちの読解力向上のために、よい指導法はないかと思い、教え方研究の一助になればと思い購入したのが本書だ。

なお、一般の人や社会人の方であれば、仕事に関係しない限り英文を読むということはないだろうから、この本は特に意味を感じないかもしれない。しかし、英語がたまたま国際社会で使われている言語だからという理由で、いま日本の子供たちは強制的に全員がこれを習わされているのだ。できない子の苦痛や、読解が苦手な子の苦労を想像してみてほしい。日本の子供たち全員が強制的に英語を勉強させられているという事実を考えれば、これは一種国民的な大問題だと言ってもよいかもしれない。しかし、私は英語の学習をやめたらいいと主張しているわけではない。外国語学習は意義や効用がある。英文で読んで考えることができれば、何かが変わる良い可能性もあると思う。

それは、今英文読解の教材が、昔と違って現代の世界の問題を扱うような題材が増えているからだ。天満氏のこの本は1989年に書かれていていささか内容が古くなっているところがある。氏がこの本のあとがきで書いているのは、今後英米の文化的背景を広める仕事に力を入れたいということだ。どういうことかというと、外国語の文章が読解できない背景には、いろいろなことがあるが、1つは、文化的背景の違いからくる、読解の際に当てはめるべきためのスキーマ(枠組み)を持っていないということだ。確かに70年代、80年代の英語はまだ、地位的文化を担う言語という側面があった。だから、その文化的背景、例えばキリスト教やそれに基づく習俗を知らないと理解できない文章なども多かった。だから氏は教育者としてその背景を紹介する仕事等を通して読解力の向上に寄与したいというのだ。

それから30年、グローバル化の進展というのは本当にすさまじいものがあると思う。英語はローカルな文化の担い手という役割よりも、グローバルな、すなわち世界共通の問題を論じる際の共通言語として用いられることになった。だから、現在大学入試で素材になるような英文で、英米文化の背景を知っていなければ読めない、ピンとこないというようなものは少なく、知っていなければいけない背景は、人類共通の問題点である地球温暖化、環境悪化、自然エネルギー、再生エネルギー、人工知能、移民、他民族排斥など、人類共通の問題だ。だからオリンピック誘致の是非という話題でも特定の国や地域のことでなく、オリンピックの在り方という人類共通の問題を英語を通して考えるということになっているのだ。

こういう問題はもちろん日本語を通して考え、日本語の読解力も大いに上げていくべきだと思う。しかし、外国語を勉強することの良さは、自国のことを客観的に外から眺められる視点を得られるということだ。外国語を勉強すれば、自国だけが特別で世界に冠たる国だとは思わなくなる。良い点も悪い点も客観的に相対的に見ることができるようになる。そして、英文を読んで世界の問題を知りその解決策を考えるのは、視点が国にとどまらず広くなる。人類共通の問題は国際的に連帯しなければ解決不可能だと考えられるようになる。

さて、天満氏のこの本はいささか古いと書いたが、それ以外は大変参考になった優れた参考書だ。読めない原因はどこにあるのか、生徒はいったいどこで苦しんでいるかということを調査や参考文献やこれまでの研究成果をもとに明示してくれている。現場で何となく感じていたことをこのように形にしてもらえるのはありがたい。そして、その悩みに対して、このような解決法やトレーニング法があるということを、これまた科学的な研究や参考文献をもとに紹介してくれている。とにかく読解過程というの大変複雑で、簡単に解明できるわけでないし、読解力も明日すぐに上がるというわけではない。だからこそ天満氏のこの著作は30年たっても古びていないと思うし、英文読解の指導の良い参考書だ。人間が文章を読み読解できる、その内容がわかるというのは大変不思議な現象だ。そのプロセスがわかれば、AIにプログラムを記述して書きこむことができるのだが、出来ないということは、人間の読解プロセス、つまりなぜ文章を読んでわかるのかというのが、大変不思議な現象で、今も追及すべき課題だからだ。


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2018年5月11日 (金)

(第8話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

「土の宿」でのわずかな滞在日数はたちまち過ぎてしまった。天気に恵まれた一日をレンタサイクルを借りての島めぐりにあてたが,伊江島は周囲がそれほど広大というわけではなく,むしろ小さな島である。町の中心にそびえ立つ「タッチュー」という岩山の頂上にのぼれば四周の海が見渡せる。山を降り,島の裏側の海岸沿いにある「ワジー」という湧き水を見て,軍用飛行場の滑走路を自転車で走り,米軍基地の境界線の金網を確認し,再び島の表側に出て戦時中は住民が逃げ込んだという洞窟の暗闇の中で当時に思いをめぐらして宿に帰ってきた。伊江島のいや沖縄の反戦運動の象徴的な人物である阿波(あわ)根(ごん)さんが100歳になられたと地元の新聞が報じていた。
 

 昨年の旅で来訪を果たすことができなかった佐喜間美術館へ,いまわたしは来ている。丸木夫妻の大作,沖縄戦の図の前に立てば圧倒されて言葉もでない。美術館の屋上へ登れば,そこからは米軍基地が見渡せる。雨模様の中に,遠くに滑走路が鈍く光っている。手前は原生林がこんもりと茂っていて,そこからは小鳥たちの声が湧き立ってくるのが聞こえる。だが,その森に私たちが入っていくことはできない。金網より向こうは立ち入り禁止だからである。この米軍基地は近々,移設の予定があるのだが,この土地が返還されたら,これらの手付かずの森はどうなってしまうのだろう。現状の沖縄を見るかぎり小鳥たちの楽園の行き先は大変暗い。貴重な自然環境が米軍によって守られてきたとはなんとも皮肉ではないのか。だが,そんな矛盾を抱えた現実が,沖縄の現実なのだ。地の底から湧き起こる鳥たちの鳴き声が忘れられず,そして,この命湧き来るところがまさに沖縄なのだと思い定めて,わたしは機上の客となり,沖縄を離れた。わたしの「再びのオキナワ」の旅は終わりを告げた。
 


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2018年5月 8日 (火)

読書ノート「AI  VS  教科書が読めない子どもたち」

参考になる良い本を読んだのでメモを記しておく。

『AI VS  教科書が読めない子どもたち』  新井紀子、東洋経済新報社

新井氏が強調していたのは、AIが人間労働のすべてに取って代わるというような夢のような話や大言壮語する怪しげな人物、研究者、新聞記者に対して人工知能の仕組みをきちんと知っていたら、そのような時代は絶対に来ないということが、数学者として、そして東大に合格するレベルの試験問題が解けるAIを作るプロジェクトを率いている研究者として断言できるということだ。

怪しげな人物というと、首相に関係が近いことを強調して補助金を詐取したAI研究家がいたが、新聞記事にしても、よく言うように、犬が人間を噛んでも記事にならないけど、人間が犬を噛んだら記事になるのだ。人工知能が、人間の労働を解放してくれてバラ色の未来になるとか、逆に人工知能が人の仕事を奪い、失業者だらけになるとかといって恐怖をあおった方が、新聞も雑誌もよく売れるのだ。悪いのは、書く方ではなく、読む私たちであって、私たちがそういう煽情的な記事を欲しているのだ。

だから、新井氏は専門家や同業者に向けて書いているのではなく、私たち素人に向かって人工知能の仕組みをきちんと知りましょうと書いていてくれていて、啓蒙的で為になる本であった。人工知能は、人間と同じようなことができるようには絶対にならないが、しかし将棋や碁でプロを破っているのでもわかるように、技術や能力は進歩していて、ある程度のことは人間に取って代わってしまうということも新井氏が主張していたことだ。なぜ、人工知能はこんなに賢くなったのか、自分の復習もかねてまとめてみる。

・機械学習…大量の教師データをコンピューターに与えて教える。データを繰り返し学習し、判断すべきポイントを学んでいく。こうやって判断のフレーム(枠組み)ができあがると、そのフレームを適応して答えを出す。

・ディープラーニング(深層学習)…機械学習に似ているが、人間が手作りで試行していた部分までも人工知能がデータに基づき調整するので、判断の正解率が上がる。

・強化学習…目的・目標と制約条件が記述できる課題では、教師データもいらないで、コンピューター勝手に試行錯誤させて、正解率を上げ、課題を達成できるようにする。

さて、こんなに賢くなった人工知能だが、育てのAIを東大に合格させるプロジェクトでわかったことは、文章の理解のような人間が普通にやっていることを、AIにやらせようとしたらとんでもなく難しかったということだ。新井さんだけでなく、一緒に研究している優れた技術者達も技術者魂にかけて、一生懸命文章がわかり判断できるAIを開発して東大に合格できるレベルのAIを作ろうとしているのだが、そもそも人間がやっていることをすべてプログラムに記述することはできないので、完全に人間に取って代わるようなAIはできないということがわかったというのだ。

そこで新井氏の研究がユニークなのは、読解のプロセスをプログラムに書く過程で見えてきた、人間の読解のプロセスなどを研究しているうちに、現代の中高生が教科書レベルの文章でさえ読解できていないということを発見し、それを社会に向けて警鐘としてならしていることだ。

AIに取って代わられないはずの人間だが、人間にしかできない読解ができなければ、すでに実力を蓄えつつある人工知能に替わられてしまうということが新井氏の危機感なのだ。新井氏は、中高生の読解力を上げる財団を設立し、この本の売り上げもそちらに注ぎ込むという。研究者から実践化への転身も素晴らしいと思う。

私がこの本を購入したのは、仕事がら、読解について興味があり、どのように学習者の読解力を向上させるのかが知りたく、研究のヒントになるのではないかと思ったからだ。大いにヒントをいただき役に立った。人工知能やコンピューターのプログラム開発というのは、私の興味とは無縁ではなく大いに関係しているということも分かった。人間の読解力の秘密がわかれば、それを数式やプログラムに変換して、コンピューターに実践させることができるのだ。世界中の技術者がだから夢のようなAIを作ろうと考え、「人間」の研究をしている。そういう研究そのものから、人間についての哲学や教育への応用が生まれる。人工知能研究やコンピューター工学、プログラミングも今後勉強していきたい分野であると強く思った。


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2018年5月 4日 (金)

(第7話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

再び,オキナワへ。1年後,私たちは那覇から名護へ向かう路線バスの客となり,国道を北上していた。宜野湾を通り嘉手納まではほとんど市街地続きで,道には車があふれている。小さな島にこれだけ車がひしめき合っていれば渋滞を起こすのは当然で,それを見越してか那覇市内ではモノレールの橋脚や駅が半ば完成していた。景色のよい海岸沿いを国道が走る恩納村あたりまで来ると,ようやく交通量も減り,たまに,リゾートホテルの宿泊客が乗ってきては,1つ2つ先の停留所で降りてゆく。去年はサミット前の公共工事の大盤振舞いで,この道も突貫工事で拡張され,化粧直しが施されていた。今年,バスの車窓から眺めると,海岸沿いを延々と続く遊歩道が完成し,亜熱帯風の植え込みがなされている。車道の幅も広くなり,道路の舗装も目新しい。しかし,遊歩道には歩いている人影を見ることはほとんどなく,時に仕残した工事をぽつねんとやっている箇所があったりする。これこそが宴の後の寂しさだろうか。本土からつぎ込まれた莫大な金のあとに,ここには何が残るのだろうかと考えさせられる。
 

 道が名護市内に近づくと再び交通量が増え始める。名護市内でバスを乗り換え昨年同様に本部(もとぶ)港へと向かいフェリーに乗る。船中では,春の高校野球甲子園大会に特別枠で出場した沖縄県の高校の試合がテレビ中継されており,皆熱心に見入っている。伊江島の伊江港に着き,「土の宿」に連絡を取り港まで車で迎えに来てもらうことにする。港に私たちを迎えてくれたのは「まあちゃん」という女性のヘルパーさんで,今年は彼女が「土の宿」のスタッフとしてがんばっているらしい。宿につくと宿主の喜屋武(きゃん)さんも私たちのことを覚えてくれたようで,子供に「大きくなったね」と声をかけてくれた。ヘルパーの「まあちゃん」は名護の民宿に泊まっていたのを,喜屋武(きゃん)さんがスカウトしてきたという。こうして数年来「土の宿」には宿の運営を手助けするスタッフが,とぎれることなく続いているという。去年のヘルパーの京子さんはどうしたのかとたずねると,彼女は石垣島に渡って,動物の世話をする正社員の仕事についたとのことで,育ちのよい彼女のことだから,乗馬などで動物の扱いになれていたことが役に立ったのだろう。彼女は果たして旅の途中で自分の居場所を見つけたのか,それともいまだ彼女自身の旅の途中なのか。行き交う人々が集い,一夜寝食を伴にし,そこからまた散り散りに分かれていく,それが旅人宿というものなのだ。「土の宿」に居合わせたのは,私たちのほかに,車椅子で一人旅をしている青年と,ここに寝泊りをしながら地元農家に働きにいっている男の人だけで,去年のような賑わいはなかった。だがその分,食事時などにお互いゆっくりと話をすることができた。


 
 車椅子の一人旅の青年には正直驚いた。車椅子で旅行をするのはいろいろな面で大変だろうが,「土の宿」ははじめから車椅子で何でもできるようになっていて,このような人たちが旅をするのには本当に強い味方だ。農家に働きに行っている人は,宿を半ば自分のアパートのようにして,長期滞在の契約で個室を貸してもらっているそうだ。伊江島では,菊やタバコの栽培が行われているとのことである。
 
 昨年は会うことのできなかった「土の宿」の創始者,もともとのオーナーである木村浩子さんに,今年は会うことができた。やはり車椅子の生活でありながら,行動的な木村さんは,絵の展覧会や講演会に呼ばれたりと自宅を離れていることも多いらしい。今年は私たちの滞在中自宅にいて,ヘルパーの「まあちゃん」が食事や入浴の介護もしているのだが,福祉に興味を持つ私の連れ合いが,滞在中は「まあちゃん」の代わりに木村さんの介助をすると申し出た。わたしも,子供をつれて朝食後のコーヒーをご相伴になり木村さんの自宅を訪問した。木村さんはたいへん若々しく,髪などもお洒落に染めていて,流行にも大いに関心があるようだ。話を聞くと,何事にも前向きで明るい性格がうかがわれ,こちらのほうも勇気付けられる。「土の宿」を始めた経緯などを自分でまとめた本を見ると,障害のためたくさんの苦労があったことが察せられるが,目の前の木村さんはそのようなことを微塵も感じさせない人だった。
 
 


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2018年5月 1日 (火)

(第6話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

この宿は基本的に素泊まりの宿で,台所は自由に使わせてもらえるので自炊もできる。また,宿の人といっしょに用意や後片付けを手伝って,いっしょに食事をさせてもらってもよい。自分たちだけで食事をしても寂しいだけなので,私たちはいつも喜屋武(きゃん)さんや宿のヘルパーさん,そして他の宿泊人たちと食事の準備をしてにぎやかに食べる。宿の運営の中心は喜屋武(きゃん)さんで,車椅子で掃除をしたり,食事の準備をしたり,車の運転をして客の送り迎えをしたりと,自分でなんでもすることができる。しかし,ひとりだと休むことができないので,手伝ってくれる人,すなわちヘルパーさんを雇っている。沖縄や八重山の方へ行くとヘルパーさん募集という民宿をよく見かける。民宿などの繁忙期だけのアルバイトのことだ。地元の若者がヘルパーをやっている例はむしろ少なく,たいていは本土から来た若者が長期旅行のあい間に,少しの間現地に腰を落ちつけ働いている例が多い。民宿のほうとしても人手が確保できるし,若者たちも旅行中の寝食を確保し,なおかつアルバイト代ももらえ,この先の旅行を続けるための資金にもなる。双方がいいとこづくめのヘルパーという形で沖縄に滞在する本土の人たちをずいぶんと見かける。そのうち地元の人と結婚してしまい,本当に地元の人になってしまう人たちも相当いるらしい。「土の宿」でも,そのような女性ヘルパーを途切れることなくおいているとのことだが,この宿がそもそも営利目的でなく,客の宿泊代もかなり安めに設定しているため,他の民宿と同じようにはヘルパーさんに給金を払えないにもかかわらず,金銭以上のことに価値を見出すことのできる人がここには手伝いに来ているようである。事実,世の中にこのような宿があるということを知っただけでも,これは私にとって貴重なことだし,この宿で見聞したことは,この後の私の生き方に少なからぬ影響を与えるだろう。
 

その年のヘルパーの女性は京子さんといった。話を聞くと,お父上はいわゆる一流企業の海外駐在員をしていた方であるとのことで,本人も帰国子女であり,外国語をよくこなし,日本に帰り著名な大学を卒業した。そして,というか,にもかかわらずというか,いろいろないきさつで旅行をしているうち,沖縄の伊江島に,今,ここにいる。お父上は少しお嘆きとのことだと本人は言うが,本当に沖縄というところは,京子さんのような人が似つかわしい。本土の体制になじめない人,少しはずれてしまった人を沖縄は受け入れてくれる懐の深さがある。沖縄がまったくヤマト化してしまったら,こういった人たちはどこへ行ったら良いのだろう。ヤマトの息苦しさに違和を覚えることのできる感性を持ったそういう少数派の人たちを,どうも私は応援したくなる。ヤマトの人たちのためにも沖縄は,沖縄の文化をいつまでも誇り高く掲げて欲しいものだ。
 


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2018年4月20日 (金)

雑感―企業は公器だ

(過去の記事の再録です)
1月11日付で朝日新聞で紹介されていた企業は公器だというドラッガーの考えはあらためて新鮮だった。企業は利潤を追求するのが第一の仕事だと,誰もが頭から信じていて口にするが,そもそもそんな前提は誰が言ったことなのだろうか。絶対にくつがえしえない前提なのだろうか。そんなことはない。そもそも企業はそこで働く人々を幸せにし,企業活動を通して地域や社会に豊かさと幸せをもたらすものであるはずである。利潤は企業がそのような活動を持続し人々や社会を幸せにし続けるためのひとつの前提であって,それ自体が目的ではないはずである。もちろん利潤を生み出すのが第一の目的だと言う経済学派の言いぶんもわかる。市場に任せていれば常に最適・最善なものが選択され,無駄は省かれ,利潤が次の革新を生み雇用を増やし,富の絶対量が増えればそのおこぼれは社会の下層にも行き渡る。しかし,これは現象の一面のみをとらえて絶対視するものである。今後,何が淘汰されるのかと言えば,それは人であってはならない。人を人扱いせず,利潤のために非正規雇用者を物のごとく扱う企業である。こうした企業は公器としての役割を果たしていないのだから,公的な場所からは退場すべきだろう。それにしても,すでに,商売の道徳なるものを考えていた江戸時代の大阪商人たちや彼らの文化,かつての日本はすごかったのだと思う。
 
 


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2018年4月15日 (日)

(第5話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

 

那覇と名護(なご)の間は,高速道路を使わない普通の路線バスで片道2時間の道のりである。那覇を出ると宜野湾の市中を通り,嘉手納(かでな)基地の延々と続く金網を横目に見ながら北上すると,やがて景色のよい恩納(おんな)村あたりの海岸沿いを,しばらくは走ることになる。このあたり一帯は,国立公園に指定されていて,車窓からは沖縄らしい青い海が眺められ海岸沿いにはいくつもの大型リゾートホテルが立ち並び,本土からの観光客も多数出入りしている。一年前の私たちの旅といえば,ちょうど沖縄サミットの直前で,沖縄全体があわただしく浮き足立っているようだった。特に名護は普天間(ふてんま)の代替基地の問題もあり,ヤマト政府も特別の配慮を厚くして,公共工事用の資金が湯水のごとくつぎ込まれていた。当然,各国の首脳がお通りになるはずの名護に通じるこの国道も,道幅を広げ,立派な遊歩道を整備しなければならなかった。そこで,今を盛りの土木工事の真最中であった。私は,山が削られ,海が埋め立てられるこういう悲しい風景を見るのがつらい。沖縄のような亜熱帯のやせた赤土は,土木工事をして緑の地表を剥ぎ取ってしまえば,いとも簡単に海へ流れていってしまう。名護で出会った元漁師のタクシーの運転手さんが言っていたが,ここらへんの海はだめになったとのことだった。昔はたくさん取れていた魚やタコが,取れなくなったということである。しかし,沖縄の海は表面だけを眺めている限り,本土の人が憧れるとおり,静かな青さをたたえて光っている。リゾートホテルに泊まる観光客は,自室の窓から海を眺めて,「まあ,きれい」と感動して帰ってゆくにちがいない。誰も海の中まで,見ようとしないのだから。私だって,同じことだ。沖縄で生活しているわけでなく何の利害関係も有していない私などが,公共工事にどっぷり漬かって暮らしを立てざるを得なくなっている沖縄の人をとやかく言うことなどできない。沖縄の人々の抱える苦悩を本当の意味でわかることはできない。せめて,物言わず苦しんで滅びゆくものあれば,そのものの抱える悲しみを自分の悲しみとして感じることのできる心を失わないようにするだけのことだ。
 

 海岸線に林立する掘削機と,無数のショベル・カーの横をバスは走りぬけ名護市内にはいる。町の中心部でバスを降り,私たちは本部(もとぶ)半島回りのバスに乗り換える。目指すは,本部(もとぶ)という港だ。ここでフェリーに乗り換え,伊江(いえ)島へ渡る。伊江島の「土の宿」に宿泊するのが私たちの目的だ。「土の宿」葉,脳性まひの障害を持った女性が始めた宿で,その方は,いま宿の近くに自宅を建てられ,宿の実務上の運営からはしりぞかれて,実務は車椅子の青年に引きつがれている。私たちが「土の宿」へ昨年とまることになったきっかけは,この車椅子の青年,喜屋武(きゃん)さんに出会ったことだった。喜屋武(きゃん)さんには,名護にあるまた別の宿で,お互い客人同士として出会った。名護の宿も宿泊者同士が集まって一緒に食事をし交流ができるところで,隣席になった喜屋武(きゃん)さんから,ぜひうちにも泊まりにきて下さいと誘われたのだ。「土の宿」に着くと,私にとっては初めて体験して驚き,そして感心させられることばかりだ。宿は,木造で天井が高く,沖縄らしい赤瓦の一軒家なのだが,車椅子の生活でも不便がないように工夫がいたるところにこらされている。段差や障害のない廊下,広々としたトイレ,車椅子の高さでちょうど使える洗面台や台所の流しなど,ここらへんまでは素人の私でも設計できそうだが,家中の伝統のスイッチや戸のカギも,低いところに設置してあり,こういうことは,実際に車椅子で生活してみた人でないとなかなか気づかないことだ。家内の戸がすべて引き戸になっているのも,車椅子の出入りに不便がないようにとのことに違いなく,街中の普通の建物がいかに体の不自由な人にとっては冷たくできているのかが,かえってよくわかった。車椅子でも不自由なく暮らせる「土の宿」が,いわゆる健常者といわれる人たちにとってもいかに快適かということが,この宿に泊まるたびによくわかる。このことを直感的に感じ,体で素直に喜びを表すのは小さい子供で,我が家のチビちゃんも「土の宿」の板間を気持ちよさそうに走り回っている。


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