2017年6月22日 (木)

歯はみがいてはいけない

歯や口腔の健康、そして医療のことに興味があり本を読み自分なりに勉強したいと思っている。「歯をみがいてはいけない」というのは森昭氏が講談社+α新書から出している著書だ。

「歯をみがいてはいけない」とは過激な表題だが、これはどういうことかと言うと、日本人は1日3回食後にすぐに歯を磨く、その習慣こそが歯の健康を損なっているということに警告を発しているのだ。森氏本人は歯科医師だ。氏は自身、口の中は昔神経を取った歯が2本あるだけで、何ら問題のない良好な状態を保っていて、それは自身が歯科医となっての経験や知見を生かした結果であると言っている。氏の問題意識は歯や口の中の健康が、健康寿命につながるというものだ。逆に体の不調は口の中に表れるし、健康でいるためには口の中を健康に保つべしというのだ。

なぜ、食後すぐに歯を磨いてはいけないか。それは食後すぐの唾液が、食事で溶けだした歯の表面を修復してくれるからだ。食後すぐの口の中は酸性に偏っている。それによって歯の表面が柔らかくなり傷つきやすくなっている。しかし、唾液の力によってふたたび歯は固くなる。これを再石灰化というのだという。ところが食後すぐの歯磨きは、柔らかくなった歯を傷つけてしまうし、食後すぐの威力ある唾液をすすいで捨ててしまうことになる。このように、氏は、人間の持つ自然治癒力に注目している。だから、いま世界の潮流が、小さな虫歯は治さずに、生活習慣を改善することで様子を見るという方向になっているのに、日本だけは歯を削るという昔ながらのやり方を維持していることに大きな問題意識を持っている。

もちろんこれには日本の医療保険制度も絡んでいる。しかいは削らないと報酬を得られない。だから削るというふうになってしまうのだが、本来は虫歯になってから治してもらうのでなく、ならないように予防すべきで、歯科医も保険もその予防のところで稼げるようになるべきだというのが私の考えだ。予防ということで氏が重視しているのは、やはり食べ物や飲み物だ。そういう食事指導や予防、健康維持という面で医療制度が維持され、医療に携わる人が仕事を続けられるような方向に持って行くには、私たち市民もどういう医療制度が望ましいのかを考え、それを望んで選択していかなければならないだろう。

人体の維持の仕組みや唾液の持つ力、予防の大切さ食事の大切さを教えてくれた本書だった。


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2017年6月18日 (日)

相互監視密告社会

共謀罪法案成立の翌日6月16日付の河北新報で、今後、どのように共謀罪が成立するのか、その状況を克明に描いた記事が載っていた。それを読み本当に恐ろしくなってしまった。もちろん、安倍首相や自民党政権は、一般の人は何も怖がることはないという。安倍首相の声明機関である読売新聞を読んでも、一部の人が戦前の治安維持法を持ち出すが全く笑止なことだと断言法で書いてある。しかし、私が安倍首相や政府自民党に賛成していないという後ろ暗い立場だからなのか、この記事に書かれていたシナリオはとても他人事だとは思えない。そもそも共謀法は、どのようにも運用できるというあいまいさがあり、法的な歯止めがない。近代民主主義社会というのは、権力者の恣意によって人民の罪状が決まるのでなく、法律というぶれない物差しに当てはめて罪状を決めるというのが基本原則のはずだ。そのタガが外れてしまった、恐ろしい社会がいま来ているのではないかと危惧する。

シナリオのスタートは大学生たちだ。明らかにこの時点では一般人だろう。彼らは沖縄の米軍基地反対運動を見て参加したくなった。(この時点でもう一般人でなくなるのか?)彼らは昼間は平和団体と行動をともにしながら、夜は宿舎に泊まり、何とか資材搬入を辞めさせる手段はないものかと相談。(これでもう共謀罪はなりたったのか?)基地の入り口に丸太を置くことを相談。実行までのメモが作成される。昼間に市民団体と一緒に活動しつつも生活費を下ろすために銀行のATMにも寄る。(この行為はどう判断されるのか?)大学のゼミの仲間にもLINEを使って計画を打ち明けた。

さて、ここからが私が一番ぞっとしたシナリオだ。実行を三日後に控えた時、仲間の一人が就職のことを考え、親に付き添われて警察に相談。共謀罪が成立しているが、自首すれば処罰されないと言われ、彼は友人を売ることを悩んだが、警察に計画を明かし、仲間は逮捕。彼は逮捕をまぬかれた。

安倍さんを支持する人たちからすれば、彼はいいことをしたいいやつで罪をまぬかれて当然ということだろうが、米軍にせよ政府にせよあまりにも圧政がひどければ義憤で立ち上がろうとか抗議しようという人たちが今後だって出てくるのではないだろうか。戦前にクーデターを起こそうとした将校たちも、貧しい農村の現状に義憤を感じたということもあった。そして共謀罪の何より恐ろしいのは、密告すれば罪をまぬかれるという規定を設けたことで、これで、人民の方は勝手にお互い疑心暗鬼になり、本音を言わない、怪しまれる行動は控えるとますます萎縮が進む。権力者にとっては本当に都合の良い法律で、何も武力や警察権力をちらつかせるだけでなく、効率よく自分たちに都合の悪い人たちを押さえることができるのだ。安倍さんや自民党は、自分たちの方針に反対する人どう抑え込んだらよいのか、とてもよく研究をしている。

一見すると共謀罪とは無関係と思われることが18日付の新聞に報道された。仙台の法廷で被告が暴れだし警察官を切り付けたというのだ。報道によれば、被告は、駅のホームで女子高校生のスカート内にカメラ付きの携帯を入れたとして罪に問われた。しかし、携帯には盗撮が疑われる写真や動画がなく、被告は無罪を主張していた。また弁護側は検察が主張する犯行状況と防犯カメラの映像が一致しないということを指摘し、法廷でもその防犯映像が上映されるという異例の展開だった。しかし判決が有罪となった時、被告が「でたらめ裁判だ」「この腐った司法制度が」と叫んで切りかかったというのだ。

日本の警察と刑事裁判の問題点は、検察が刑事事件として告発したものは、ほぼ100パーセント裁判で有罪となることだ。一見、日本の警察や検察が優秀だからというふうにも思えるが、その陰で無理な証拠集め、証拠のねつ造、自白強要、えん罪などの問題点が少しづつ明るみになり始めている。その警察と検察に共謀罪という強力な武器が渡され、ますます無理強いや冤罪が増えはしないだろうか。犯罪を犯した証拠がなければ、無罪と推定する、有罪が確定されるまでは無罪とされるというような、近代民主主義司法制度は今後も守られるのか。そして、安倍政権は、自分の意に沿わない人を「風俗通いをしている人の言葉は信じられない」となりふり構わず人格攻撃をするような人たちだ。いくら一般人は関係ないから安心してと言われても、いつ自分が密告されたり、ねつ造証拠を突き尽きられるかと思うと、安心できない社会になったと思う。


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2017年6月15日 (木)

大衆を支配することば

 

高田博行氏はヒトラーの演説を研究している方で中公新書から「ヒトラー演説」という著作も出している。氏が大学のセミナーで講演した原稿を読む機会があり、氏の研究を大変興味深く読んだ。そもそも文系学問は「いったいそんなことして金になるのか?」ということで、近年は国家の教育予算面でも教育行政面でも冷遇され始めている。しかし、わたしは科学技術最盛の世の中でも哲学やら歴史学、文学など役に立たなさそうなものこそ大事だと思っている。大国家が、もう後押ししてくれないのなら、生涯学習の時代でもある。普通の人が、老いも若きも大いに文系学問を学び隆盛させようではないかということで、高田氏の興味深い研究を紹介する。

高田氏は歴史を学ぶ意義をこう説明する。人間は何か概念をとらえる言葉があれば物事を理解できる。だから歴史から学んだ概念を現在の事物に当てはめると、社会のありさまを分析的に理解できるので、「レッテル貼り」の効用を説く。たとえば誰もがその事績を知っているヒトラーというレッテルを貼ることで、それだけ十分に「気をつけるべきだ」ということを人の心に呼び覚ますことができるというのだ。

安倍首相は「レッテル張り」という言葉が嫌いで、自分に「レッテルを貼るな」と主張するが、私は「ヒトラー」というレッテルを進呈しようと思う。しかし、私の意図はネット上の言説によくみられるように単なる罵詈雑言をしようというのではなく、安倍さんや彼を支える思想団体や自民党の素晴らしい能力や力量に敬意を払ってのことだ。私のような、少数意見の反対派は今後ますます地位や存在がおびやかされることになるだろう。それだけ安倍さんたちのグループは優れた手腕で世論を勝ち取り、政治・経済界を支配しているのだ。なぜ、彼らにそれが可能かと言えば、彼らが相当優れた戦略や頭脳でそれをなし遂げているからだ。そこに敬意を払い、彼らと少しでも対抗するのであれば彼らがとっている素晴らしい戦略を私たちも知らなければお話にならないと思うからだ。

自民党の政治家の方で「ヒトラー」に学べと言った方がいたが、高田氏によればヒトラーも相当勉強して研究している。ヒトラーが勝利をおさめたのも努力や研究のおかげだ。私たちは高田氏のような奇特な研究家の成果を利用して、ヒトラーが再臨しないようにしなければならない。

さて高田氏の研究の成果を引用する。

 

・大衆ひとりひとりは孤独だが、大衆集会に出かけ、自分の仲間がいると安心できて、大衆暗示と呼ばれる魔術的な影響の中に入ってくるということを、ヒトラーは知っていた。

・理性ではなく感情に訴え、複雑ではなく単純に言うこと。

・為政者に必要な技術は、いかに言葉を巧みに駆使できるか、そして言葉によって群衆に幻想を与えることができるか。

・簡潔に言い切って、同じ言葉を何度も繰り返す。繰り返されると、人はある種の威厳のようなものを感じて、麻痺して批判能力がなくなり、最後にはそれが伝染していく。(まさに、安倍首相が大衆の支持を受けている秘密がここにある。NHKを始め安倍さんのシンプルで力強い言葉が何度も放送され、それを聞き入ると、大衆は安倍さんの魅力に抗しえなくなり賛美するようになっている)

 

・イメージが大事。「自由」「平和」という実態があいまいな言葉を使う。それによってある種の神秘性が出てくる。(安倍さんこそが「平和」を守ってくれるという幻想が刷り込まれてしまっているし、これでテロはなくなるという幻想を大衆は刷り込まされている)

・選挙活動においても明確な言葉は避け、何にでも適用できるようなフレーズ、スローガンを用いる。(そういえばいつの間にか自民党の国政は「ワン・フレーズ」政治になっていたが、相当前から進んだ選挙戦略を練っていて、野党を十分引き離していたのだ)

・「対比法」で選択を誘導する。2つの事柄をコントラストして、一方を選ぶように誘導する。多数ある可能性のうち、2つしか見せない。(ここも安倍さんの優れたところだ。安倍さんはよく「対案を出せ」という。実は私たち、それにのる必要はないのだ。2者択一になり、国民にはこの2つしか選択肢はなく、しかも安倍さんの選択肢以外は、絶対に幸せにならないように見せるようにしているのだ)

・断言法で反論を封じ込める。(誰も安倍さんに反論できないのは、こういう高等技術を用いていたのだ)

・誇大語法で叩き込む。「もっとも」「とてつもない」「最重要の」「唯一の」ということばを使って、本当は1つと限らないのに一つしか見せない。

 

・仮定法で強引に方向付ける。たとえば「6500万人の全国民が同じ理想を持つならば」と勝手に理想値を出しておいて、「~となるだろう」と自分に都合のいい方に誘導したり自分の欲しい帰結を導く。

・婉曲語法で言いくるめる。

・無からパンを取り出す。つまり平和でなくても「平和」と名付けることで納得させる。戦争であるにもかかわらず、戦争と呼ばない。(これはまるで現代のことを言っているようだ。南スーダンは戦争であっても戦争ではない、共謀法は、一般の人であれば対象にならない)

 

さて、安倍さんの次の目標は憲法改正だ。ヒトラーに学ぶのであれば、大衆動員と国威発揚のためのオリンピックが必要になる。安倍さんの演説を歓喜して聞く大衆的なパフォーマンスが国民投票を目指して行われ、そして人々が熱狂するようなことがあれば非常に危険な状況だと思う。すでに遠謀深慮からオリンピックは誘致していて、共謀罪実施の口実とし、憲法改正の年限区切りをした。別に2020年に憲法を改正しなくてもいいのだが、ヒトラーと同じで選択肢を一つしか見せないのだ。私がささやかにできることと言ったら、心の中でオリンピックを拒否しその熱狂に加わらないことだ。

 

 


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2017年6月14日 (水)

美しい日本の言葉たち ― かなし

(昔の記事の再録です)

心情がきわまるときに発する語であり、必ずしも現代語のように「悲しい」という感情に限定されない。語頭のカ行音も、よく感情のきわまりを表現している。人間は愛しさの感情も、悲しみの感情も、きわまることがあり、きわまればそこに共通の心情を見いだすことができるのであるが、それが「かなし」という感情である。おもしろいという感情でさえきわまれば、かなしくなるのである。すべて、事の絶頂には、どこかかなしさが秘められている。物事の生成のきわまりを私たちの祖先は直観的にとらえ、表現できたのである。


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2017年6月 8日 (木)

ハラル

2017年6月6日付の河北新報にハラル食品に関する記事が掲載されていた。異文化理解のためにもハラルとは何か、ハラルの意義や可能性について記事の要点を引用しつつまとめてみた。

ハラルとは何か…
イスラム教徒=ムスリムは宗教上の戒律に従い、豚肉やアルコールの摂取が禁じられている。野菜・果物・魚などは食べられる。私たちはまず、宗教上の理由であれ、何であれ、食べられないものがある人びとがいる、ということを理解しなければならない。そして、それは遠い世界のどこかにいるのではなく私たちのすぐ隣にいるのだ。イスラム教徒は世界の人口の4分の1を占めるし、訪日客や在日のムスリムも増えている。不寛容に向かいつつある日本社会では、特に意識したいことだと考える。このようにイスラム教徒は宗教上の理由で食べられないものも多いが、食べられる食材でも、宗教上正しく処理された過程を経た食品でなければ食べないという、宗教上の戒律を守っている人も多い。正しく処理されているという認証が「ハラル」認証であり、食材にそのマークがついている。

ハラル食品の広がり・可能性…
河北の記事によると長野のみそ会社がハラル認証のみそを売り出した。これはムスリムにもみそ料理を楽しんでほしい、という異文化理解・異文化交流が目的のようだが、世界人口に占めるムスリム教徒の多さや経済力を考えれば、今後日本国内では人口が減り経済活動が縮小する中で、海外に販路を求めるというときに、ハラル認証は一つの大きなきっかけになるだろう。ハラルは、日本にとっては経済的な意義があるというわけだ。

そしてもう一つの意義は、ハラルは日本人もベジタリアンも皆が食べられる健康料理だということだ。食のバリアフリーと言えるだろう。たとえば、車いすの人にとって動きやすい駅や建物やトイレが、すべての人にとって使いやすく優しいそれであるように、ハラル認証は得るのが厳しいだけに、それだけ誰でも安心して食べることができるのだ。バリアを張ったり、バリアを高くすることの方が日本の社会や政治では目に付くように私は感じるので、ハラルの記事を興味深く読んだ。


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2017年6月 5日 (月)

ポリファーマシー

医療系の気になる記事を見つけたので要旨をまとめてみる。出典は2017年5月26日付の河北新報。

・ポリファーマシーとは何か…
「多剤薬用」。つまり多種の薬を同時に多く服用することだ。しかし、単に使う薬が多くなることを意味するのではなく、「必要とされる量以上に多くの薬剤が処方されていること」もしくは「多剤併用によって、薬剤による有害現象が起きている状態」と薬の服用により悪い影響が出ている面までをとらえて言葉であることに注意。

・ポリファーマシーのどこが問題なのか…
副作用の危険がある。

・ポリファーマシーが起こる原因・現状…
ある症状を治す為に病院で処方された薬で副作用が起こり、その症状を治すためにさらの別の薬が処方される「処方のカスケード」という連鎖が高齢患者を中心に起きている。原因は主治医がいないことで責任が明確になっておらず、服用している薬全般を把握する医師がいないこと。

・ポリファーマシーの解決策…
「かかりつけ医」や「かかりつけ薬局」を持つこと。しかし、現状では、入院時に、担当医師が患者の薬手帳で飲み合わせの悪い薬剤を見つけ薬を減らしているが、退院後も同じ医師が見るとは限らない。そこで医師・薬剤師・訪問看護師・ケアマネージャーなどの「多職種連携」がカギ。在宅医療でよくみられる薬の飲み残しの問題も連携で解決可能。


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2017年6月 4日 (日)

プラトンの国家

プラトンが書いた「国家」。読みたかった本だが読めずにいた。というのも、文庫本でもかなりの厚さがあり、薄くて読みやすそうな「ソクラテスの弁明」とか「饗宴」とかから読んでいて、ついに今まで読む機会を失していたのだ。

しかし5月28日付の朝日新聞を読んでいたら、豊永郁子氏が「季評」というコラムを書いていて、そこにプラトンの国家の要約が載っていてその内容について面白い概要を知ることができた。プラトンが理想とする哲学王が統治する理想政体から、次々と政体が移り変わるという話だったのだ。理想政体の次は、戦士階級が支配する名誉支配制。(今で言えば軍部独裁制に当たるのだろうか)。理由は世代交代で統治者の質の低下が始まり、勝利を善とする武人が勝利するからだ。その次は寡頭制。理由は無教養な支配者たちは富の誘惑に弱いからだ。その次は民主性。理由は寡頭制の下では貧富の格差が国民を分断し、貧民や無頼が現れやがて革命がおこり、支配者たちの政体はひっくり返される。

ここでプラトンが民主性を最高の政体と考えていないことは鋭い。きっとプラトンはアテネの民主性を直接見ていてその危険性を肌で感じていたからだろう。民主性は、誰でも好き勝手なことを言えるなんでもござれの側面があるからだ。民主制の次は最悪の独裁制。理由は、民主性では自由が善で、すべての価値観が平等であり、どんな生き方も称揚され、無頼たちは今や政治家となって民衆の喝采をさらう。彼らの中のひとりを民衆が押し立て他もその一人に従うと、独裁性が誕生する。

ここまでプラトンの著作の概要を知ると、古典とはつまり時代を超えて現代に当てはまるものだということがよくわかる。遠い遠い民主主義発祥の地ギリシャのことを語っているのではなく、今まさに自分たちの生きている時代を言い当てられているみたいだ。ますます「国家」、人づてでなく読んでみたくなった。

ちなみに豊永氏は、民主制の次に来るという最悪の独裁制に注意を促しながら、安倍首相の先見の明に言及している。プラトンが述べた国家の変遷は親子間といった世代の対立がきっかけで起こるという。安倍首相もそこに気付いてかどうか、次世代へのイデオロギー教育の重要性に気付いているというのだ。社会的・経済的な制裁や報酬をちらつかせてイデオロギー的迎合を求めるのは、安倍政権一流の新しい国民へのアプローチだというのだ。

次世代への教育は意外と早く効果を表す。新しい価値観を持った若者を5年、10年のうちに世の中に送りこめる。そうやって支配的イデオロギーを覆すことができる。「美しい国日本」と叫んでいた10年前の成果がいま表れつつあるのだ。森友学園問題で飼い犬に手を噛まれたからと言って安倍さんを侮ってはいけないと警告を発する。この優れた政治家を前に、われわれ自由・博愛・平等を愛するリベラルたちはどう対抗するのかと、豊永さんは厳しく問うていた。


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2017年5月25日 (木)

山本おさむ氏の裁判傍聴漫画

山本おさむさんという漫画家はすでに実績のある作品をたくさん書いている漫画家だ。山本さんは東日本大震災の前に福島に移り住んでいて、そこで震災と核発電の事故にあった。その経験とフクシマの様子をすでに作品として発表しているが、今、フクシマの「なりわい裁判」を取材して発表している。

「なりわい裁判」とは、核発電所の事故によりなりわいを奪われた人たちがなりわいを返せと訴え、なりわいが失われたその責任を問う裁判だ。フクシマ核発電所事故のまさに本質は、人々のなりわいが壊され、そのことに対してだれも責任を取っていないことだ。大地震と津波が来るという学会の報告がありながら、国会で津波の危険性を問われそんなことはあり得ないと答え、口を拭って核発電推進にいそしむ政治家をはじめ、企業、メーカーの責任ある地位にいる人だれも罪に問われている人はいない。

そして近頃は特に核発電事故で漏れた放射能が健康に害を及ぼすという科学的根拠は全くないのだから、おとなしく以前住んでいたところに戻りなさいという風潮が強まってきているように思える。そしてそういう政治の流れを後押しして、放射能のことで騒ぐ人は「放射脳」、つまり頭がおかしく福島の農産物や観光に「風評被害」を与える元凶だと指弾されてさえいる。

いままでそういう科学的なデータがないとか作られてこなかったということはあるだろうが、しかし、核発電事故により、放射性物質により大地が汚染されてしまったことは事実であり、たとえば自分の土地にごみを投棄されたとして、別に健康に害はないのだから黙って住んでなさいよと、当のごみを投棄した業者に言われたらどうだろうか。「科学」的見地からは何でもないのかもしれないが、核発電の前と後では世界は全く違ってしまったのだ。現に、土に含まれている放射性物質は事故前と後では数値が全然違うし、薪ストーブ燃やした灰に含まれている放射性物質の値も全然違う。だから、大金をかけて除染してやってるだろうと、政治は言うのかもしれないが、放射性物質を集めてどこかに持っていけば問題は解決するかと言えば、それも違うと思う。

おそらく「なりわい裁判」を起こした人たちも核事故前のなりわいが戻ってくるだろうとは思っていないだろう。しかし、何かを訴えざるを得なかったのだし、訴えるとしたらまさに一番私たちが言いたいのは「なりわいを返せだ」。山本氏が報告する「なりわい裁判」の原告の人たちの証言は、胸を締め付けられる。しかし意義のある画期的な裁判であるし、今後起こるであろう核事故のためにも、フクシマの核事故で何が起こったのかは記録され記憶され語り伝えられ広げられていかなければならない。山本氏の裁判傍聴記の今後に大いに期待している。


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2017年5月23日 (火)

ポピュリズムとメディア

2017年5月16日付河北新報掲載の佐藤卓己氏「論考2017」が大変参考になる内容だったので、広く伝えたいと思い、その内容を要約する。佐藤氏は、フランス大統領選の結果を紹介しつつポピュリズムの考察を深めていく。フランス大統領に当選したマクロン氏は、ポピュリストのマリーヌ・ルペン氏から見れば「高学歴・ホワイトカラー・国際主義のエリート・利己的な権力者」であり、「われわれ」である「低学歴・ブルーカラー・国民主義の人民・道徳的な勤労者」と「彼ら」は分断されていて、その分断をあおり国民の支持を得るのがポピュリストなのである。

しかし、そのあとの佐藤氏の考察が興味深い。ポピュリズムのさらなる特性は「反多元主義」と「直接代表」。それはポピュリストたちは、自分たちだけが人民を政党に代表していると主張するからだ。そこからどのようなことが起こるか。もともとメディアという語の語源は「中間」とか「媒介」である。よって、ポピュリストたちが嫌うのは直接性の妨害となるジャーナリストや既成政党である。ジャーナリズムは、多様な意見を持つ人たちの多様な意見を反映するので、民主主義社会の健全な多元性を体現しているわけだが、ポピュリストは自分こそが国民を直接代表しているという自負があるので、多元性を体現するメディアを目のかたきにするのだ。

なるほど、そういうわけで、ポピュリストたちは、メディアの報道に対して「偽ニュース」だとか「言論テロ」だとか攻撃するわけなのかと納得がいった次第だ。朝日新聞を言論テロだとするSNSの投稿に、安倍首相が賛意を表したと報じられているが、菅長官も「確認していない」と言っているし、まさか一国の首相がそんなことはしないと私も信じたい。それこそ「偽ニュース」であってほしい。民主主義的な社会にあっては、たとえ、自分の考えに否定的な言論でも、言論する自由は保障されねばならないと私は思うし、民主主義政体を一番体現する立場の人は民主主義の原則はわかっているはずだと私は思うからだ。

もし、そうでないとしたら世界で一番自由がない国と思われている3代目王朝のあの国とこの国はそう変わらないどっこいどっこいの国のような気がしてくる。「共謀罪」についても、法律で犯罪かどうかで決まるのでなく、時の権力者のお友達かどうか、気に入ってもらえるかどうか、権力者の恣意的な判断で決まるのではないかという不安は払しょくされない。


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2017年5月21日 (日)

味覚障害

新聞で見かけた気になる健康に関する記事をまとめてみた。2017年5月17日付の河北新報に東北大病院口腔診断科科長の笹野氏が「味覚障害」についての論考を寄せていた。

まず食事の重要性として笹野氏は、人生の喜びであるとともに、バランスの良い食事をよく噛んで食べることで心身の健康を支えると指摘している。そして食事を続けていくために丈夫な歯とあご、そして健全な味覚の必要性を述べている。

高齢化と味覚障害は関連していることを笹野氏は指摘する。そして調査の興味深い結果を紹介する。高齢者71人(平均80歳)の37%に味覚障害があり、それを自覚している人が19%で、味覚障害があっても自分は正常だと思っている人の存在を問題としている。

また、味覚と食欲・体調の関係もデータが出ている。味覚が正常な人の96%が食欲良好なのに対して、味覚障害の人の43%は食欲がないと解答している。体調は、味覚が良好だと答えた人の93%が快調と答えたのに対して、味覚障害の人の45%が体調不良と答えている。これらのデータは、冒頭で述べた、味覚が健康を支えるの根拠ともなるデータであろう。

笹野氏は、味覚障害が高齢者だけでなく若者にも広がっていることを指摘している。東北大学新入生を対象とした調査で25%で軽い味覚障害が発見されている。そして、どのような学生に味覚障害が見られるかでは「食に関する意識が低く、バランスの良い食事をとっていない学生」ということがわかった。ここから導かれる結論として、若年者に対する食事指導、つまり食育も必要であるということだ。

味覚障害が健康に悪影響を耐えるシステムも笹野氏は述べている。それはこうだ。味覚障害は味がわかりにくく、そのためにより強い味を好み、塩分や糖分を取りすぎてしまう。その結果高血圧症、動脈硬化、糖尿病など生活習慣病や肥満につながる。


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